三十八話:田斉の例
後宮という慣れない場で、大人の喧嘩に巻き込まれた私は疲れていた。
なのに、そこへ自重を脇に置いた叔父たちが現われてしまっている。
さらには子建叔父さまがよりによってここで禅譲について言及して来た。
もう曹家の祖父の後継が誰であろうと、あの皇帝の先が変わらないことにも、気づいてしまう。
瞠目する私に、子建叔父さまは笑みを絶やさない。
「長姫もそう思わないかい?」
私を巻き込みに来るのやめてくださいません!?
「…………子建?」
母が袖で表情を隠しながらも目で諌める。
私もそんな母に寄り添って身を守りに入った。
「なんだ、存外可愛らしい所があるではないか」
子桓叔父さまが寄り添う姿をからかう。
「何を言っているの。宝児は可愛い以外にありますか」
「母上…………」
そうじゃないんです。
どうかこの子供には早すぎる、いえ、歴史的にも早すぎる話題をどうにかしてください。
「そんなに怒られるようなことを言ってるつもりないのにな?」
子建叔父さまはまったく悪びれないどころか、母に怒られる謂れもないと言わんばかりだ。
そっちもそうじゃないんですけど。
「あぁ、そうだ。長姫は田斉を知っているかい」
また突然話の飛ぶ子建叔父さまに、母が先んじて応じる。
「かつてあった斉国を納めた田氏ですわね。今の王朝が建つ前に滅び去った国がどうしたというのです」
曹家の祖父の国を曹魏というのと同じで、田斉はそう呼ばれた国の名だ。
田氏以前は姜氏が治める斉国であり、由来はなんと太公望まで遡る。
東の海の向こうの知識にもある。
漢王朝は楚漢戦争の果てに勝利をおさめ、漢中で王となっていた劉邦が天下を治めて始まった。
けれどそれで全制覇ではなかった。
楚の項羽と漢の劉邦が争う中、斉の田氏もまたその覇権を争う時代の流れを生き残っていたそうだ。
「聞いたことならば、あります」
母の補助を受けて当たり障りなく答えておくと、子建叔父さまがさらに詳しく話す。
「田斉はね、一度滅んだ。当時は秦の王朝が滅ぼし、そして秦王朝も滅んだ。それを機に傍流が復興を志し、楚と漢、そして斉が覇権を争う形になったんだよ」
言われて思うのは今の状況。
後に三国と呼ばれるこの時代。
漢王朝の時代に魏、呉、蜀が覇権を争う形になっていた。
歴史は繰り返すと東の海の向こうの知識にはある。
「田斉の興味深いところはね、戦乱の世にあって戦わない継嗣よりも従兄弟、弟に正統が継承されたところだ」
話を聞きながら知識を探ると、どうやら田斉もまた、東の海の向こうへと語り継がれる歴史になっていたようだ。
本流の生き残りとの政争があり、同世代での継承の間に継嗣を挟んでもいる実情もある。
けれど、確かに実権を握ったのは、最後の斉王田横の前は兄、そしてその前が従兄となっている。
従兄にも兄にも継嗣はいた。
けれど従兄の子は戦わず、楚に従おうとした。
兄の子は漢に負けて帰国できなかった。
結果として戦う意思のある者が王となって、斉国を楚漢戦争の終わりまで生き残らせている。
「勝利をおさめ、皇帝となった高祖はおっしゃった。兄弟三人が王となったのは賢者に違いないと」
勝者となった高祖劉邦は、田横を召し出して配下に望んだ。
けれど田横は王を名乗ったのだから従えないと、自死して自らの首を差し出した。
田横は今も、身を立て王に至り義を通して屈辱を潔く拒絶した壮士と言われる。
(実は勇猛さを求める子建叔父さま好みではあるけれど)
たぶん私に歴史を教える以上の意図がある。
そう、兄から地位を国を継承された人物とされるからには、疑わずにはいられない。
「時代故に、許されたことでしょう。その時にならなければ何が賢い行動かなどわかるはずもございません」
私は慎重に応答した。
子桓叔父さまが無反応な上に無表情なのもなんだか怖い。
子桓叔父さまには曹叡こと元仲という息子がいる。
私の知る限り、継嗣となって魏王朝二代目皇帝となる。
同時に他にも、知識として知ることはあった。
元仲は子桓叔父さまに認められず、死の床にあってようやく跡継ぎに指名されることになるという。
それだけ子桓叔父さまからすれば、元仲を継嗣とすることに不安があったということだ。
(まさか、まさかよね?)
私の深読みであってほしいし、そんな意図でこの話題とは思いたくない。
子建叔父さまを窺うと、笑顔を返された。
「そうだね、何が正しいか、賢明であるかを先々考えるのは必要だ。それこそ、今からでも遅くはない」
笑みに細められた目が、一瞬子桓叔父さまを窺うのが見える。
(私をだしに腹の探り合いやめてくださいますー!?)
子建叔父さまが目を逸らした。
その隙に、子桓叔父さまもまた子建叔父さまを探るように見るのを見てしまった。
今日は母と皇后の鞘当てに巻き込まれたのに、さらに叔父二人の腹の探り合いとか…………私はおうち帰りたいんですけど。
いえ、お墓参りもしないといけないわ。
(あぁ、こんな所で疲労してたらお墓参りに行く体力が)
祟りとか申し訳なさとか、死んだ人への義理を果たしたいけれど、もつかどうか。
考えて、私はもう一度子建叔父さまを窺う。
(子桓叔父さまが亡くなって、元仲が帝位に就いて、そして死んだ時、継嗣は、いない)
知識を探れば元仲の男子はすべて早世しており、結果、養子を二人もらい一人が三代目になっている。
血筋は子桓叔父さまと子建叔父さまの間にいる、子文叔父さまの孫。
そしてその三代目は司馬師によって廃位させられることになるのだ。
(うぅ…………今大哥は関係ないのよ。余計なことを知っても意味はないわ。だいたい三代目はまだ生まれてもいないのだから)
問題はそう、実は元仲よりも子建叔父さまのほうが長生きだということ。
さらにその後継者は、魏王朝が倒れた後にも生き残っている。
(…………あら? これは…………ありなの?)
私が混乱をきたして瞬きも忘れていると、母が声を上げた。
「馬鹿なことを言うものではありません。何が田斉ですか」
叱るような声に、私も瞬きを思い出す。
「あなたはいつでも直感でものを言う。古い例を出したところで思いつきであることは透けて見えます。そんな言動でわたくしの宝児を惑わせるのではありません」
「即興は確かに私の得意とするところだけど。長姫は聡いから意見を聞いているだけだよ。惑わせるだなんて悪く言われるのは悲しいな」
笑顔で言っているから、悲しくはなさそう。
「そもそも勝ち残った訳でもない国を持ち上げてどうしようというのです。結局田横は壮士止まり。覇者にはなれなかった者。未来を論ずるにあたって適当な例とは言えません」
母が言うとおりだけど、つまりは、母も漢王朝の継続はなくてもいいと?
たぶん取り繕うなら、漢王朝に従わなかった相手だからのほうが適切だと思う。
今の状態の曹家で、勝ちに行く、覇者になるというなら、それはやはり帝位の簒奪に繋がるのではないだろうか。
「もっと物を考えて喋りなさい。あなたの言葉はだから軽いのです。詩文を生み出すにはそれも軽妙さとなるでしょうが、国を論ずるならば浮薄と謗られても言い訳はできませんよ」
ずけずけ言ってしまう、さすが母。
その勢いにいつのまにか、子桓叔父さまの口元には笑みが戻っていた。
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