三十七話:虎の威を借りる狐
突然後宮に、叔父二人が現われた。
「母上、今日の皇后さまとの面会をお伝えになりましたか?」
私の問いに母も疑いの眼差しを弟である叔父たちに向ける。
「増長はしていても皇后になって一年大人しかったのに、今になって呼び出しは確かに妙ですね。いったい誰が私の宝児について耳うちをしたのかしら?」
私を狙って母を煽る呼び出しを、今になってしたのなら、そう声をかけた人がいるはずだ。
私はお正月に生死の境を越えて、噂となるのは身内や知り合いの元ばかり。
そして後宮という閉ざされた中に話が伝わるには早すぎる。
「さて、丞相閣下のお気に入りだという話はしたな」
「私の周囲では、それはそれは噂になっているよ」
子桓叔父さまは悪びれもせず応じ、子建叔父さまは丁兄弟たちだろうことを引き合いに出した。
なんにせよ二人して心当たりがあるそうだ。
「私を召し出すことになんの意味があるのでしょう?」
わからなすぎる。
婚姻を目論むにしても、私はただの子供で親同士で話し合えば呼び出す必要はない。
母との確執を煽って二人の叔父が得をすることもないはずだ。
すると子建叔父さまが無害そうな笑顔で私を覗き込んだ。
「長姫、天子さまにお会いした感想を聞かせてくれないかな?」
言われてよぎるのは、突然送られてきた子建叔父さまからの文。
子桓叔父さまとどちらが後継者に相応しいかと問う、あの困った難題だ。
この方はどうしてこうも人を困らせることを喜ぶのだろう?
「ふ、皇后でもいいぞ」
そして乗る子桓叔父さま。
さすが同母兄弟。
その辺りは足並みを揃えるのね。
そしてちょっと母も興味ありそうに私を見る。
いっそう曹家の祖父の血が?
大人たちは私をなんだと思っているのかしら?
(病弱で寝てばかりの七つ子供ですよ。珍しいことなんて言えないし、だからって素直に言ったら角が立つし。だってここは後宮ですからね!)
相手の家のただなかで批判なんて言えるわけがない。
「…………私も虎の威を借りる狐でしかありませんので、何を語ったところで虚勢にしかならないでしょう」
「ほう、虎を騙し果せる才覚が自身にあるとは剛毅だね」
子建叔父さまがとんでもない曲解をしてくる。
見れば楽しそうで、何か面白い返しを期待しているようだ。
けれど私よりも子桓叔父さまのほうが早い。
「その場合の虎は姉上か? それとも天下の曹丞相か?」
子桓叔父さまが被せてまた答えにくいことを聞いてくる。
本当にやめてほしい。
そしてそこで父を出さないのがなんだか可哀想になる。
確かに虎と例えられたら首を捻るでしょうけれど…………。
「誰が虎ですか。宝児を困らせるだけなら帰りなさい」
ようやく母が助け舟を出してくれた。
(多分通じてはいる、よね?)
私も、といった真意をここにいる大人たちは読み取ってくれたとは思う。
つまりは私以外にも虎の威を借りる狐がいるということを。
そして出された名は献帝と皇后。
皇后は献帝の威を借り、献帝は曹丞相の威を借りて帝位に就いている。
戦乱に翻弄された献帝、政治の道具でも自己肯定感を欲した皇后。
身の上には同情するけれど、やはり何を言っても後ろに虎がいて、狐でしかないとわかっていれば虚勢にしか見えない。
それが会って言葉を聞いた私の感想だった。
「ふ、面白いではないか。わざわざここまで歩いて来た甲斐もある」
「いやぁ、姉上の教育は素晴らしいなぁ」
「お黙りなさい」
子桓叔父さまと子建叔父さまがふざける。
お二人も高位の人間だけれど、母は怯まず叱りつけた。
それに子建叔父さまが両腕を広げてみせる。
「姉上、誤解しないでいただきたい。本当に感心しているのです。元より長姫の洞察力とはいえ、育てた親の功もあるでしょう。一目であの皇帝に大計がないことを見抜くとは、いやぁ、将来が楽しみだ」
「あなたはその己の思いのままに振る舞う悪癖を直しなさい。宝児の教育に悪い」
母はバッサリ子建叔父さまの言い分を切り捨てた。
けど頷けるところがある。
もう一度言うけど、ここは後宮で皇帝の住まい。
そんなところで皇帝批判なんて心臓に毛が生えていると言われても仕方ない。
そして体自体弱い私にそんな話を聞かせないでほしい。
なんて気持ちを汲んでくれる人ではなかった。
「父上に代わる後ろ盾もない、なのに下手を打って皇后と外戚を廃され、皇帝として正面から戦うこともせず、天子に従わない勢力は放置して自分の格を下げるだけ。大計などないことは言わずとも知れるでしょう」
「ふん、目の前の障壁を取り除けばそれで自らの道が開けると思い違っているのだ。自らを守る壁であり道を支える擁壁とも気づかず。孫呉は口だけで従わず、劉蜀は大義名分だけの寄せ集め。実績もない天子に従うほど甘い奴らではない」
子建叔父さまに続いて、子桓叔父さままでとんでもないことを言い出す。
本当にやめて。
侍女に聞かれたらどうするの?
聞いてしまったほうの侍女が、誰に言うこともできず震えてしまうわ。
「長姫でも見ればわかったということだろうな」
「お粗末だとは思っていたけれどね」
酷い言いようだし、私にそんな批判的意見を求めないでほしい。
「私は、夏侯河南尹の子、夏侯子林の娘です。みだりな発言は慎むべきであると進言いたします」
河南尹は漢王朝の役職。
つまりは叔父さま方が批判する献帝の臣下だ。
あえてその地位に留め置いているのは、決して裏切らないし取り込まれもしないという曹家の祖父の信頼ではあるのだろうけれど。
それでもそんな祖父を持つ父の立場というものがある。
何より、私がそんな危ない会話に巻き込まれたくない。
だからこれ以上の応答は拒否します。
「ごらんなさい。宝児でさえ弁えを知るのに、あなたたちと来たら」
母がまた叱りにかかるけれど、叔父たちも黙ってない。
「煽られて連れて来ているのは姉上ではないか」
「姉上も皇后とやり合ったんでしょう?」
これは否定できない。
けれどここで子桓叔父さまのほうが軟化してみせる。
「だが確かに喋りすぎたな。人は近寄らないようにしたが、声が高すぎた」
どうやら人払いの上で、見張りでも置いていたようだ。
そしてここで退かないのが、どうやら奔放な子建叔父さまらしい。
「頭の固いことを。気にしすぎですよ」
気にしてください。
母が言うとおり、思いのままに振る舞いすぎです。
もしかしたらこの恐れを知らない批判が、強い指導者としての素質を期待させるのかもしれない。
そう思った私は、同時に東の海の向こうの知識が脳裏に浮かぶ。
かつて天子専用の門を勝手に使って笑っていたという子建叔父さまの話があった。
まったく悪びれない豪胆さであり、弁えなさであり、本人なりの理屈の上での正道を行く。
けれどそこが頭の固い者には支持されず、年を取って地位を固めた者ほど経験則から頭は固くなるというものだ。
(この方が最終的に負けたのは、袁紹の轍を踏まないだけじゃない。きっと曹家の祖父も不安と共に、古参からの不審の声もあったからでしょうね)
考えていたら子建叔父さまが笑顔で私に話しかけた。
「皇帝も固執して、虎の牙の前に身を晒す狐を演じる必要などないだろうに。いっそ譲るくらいの度量を見せてこそ名を高めると思うんだ」
さすがに子桓叔父さまも余裕のあった表情を消し、母は袖で口元を隠して目を逸らした。
話だけを聞くと狐が虎に道を譲る構図が浮かぶ。
けれど献帝に対して言っているとなると一つの言葉がちらついた。
(もしかして、禅譲しろと言っている!?)
私は大それた発言に聞かないふりもできず、子建叔父さまをしっかりと見返してしまったのだった。
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