三十話:条件の合う候補
司馬家の大哥や従兄から妙な手紙をもらって数日。
また突然やって来た子桓叔父さまは、庭園である内院を歩いていた私を見つけて聞いて来た。
「長姫、どちらがいい?」
「…………お久しぶりです、大哥。事情を伺っても?」
「すまない、長姫」
子桓叔父さまを無視する形にはなるけれど、私は聞かずにはおられなかった。
将来司馬師と名乗るはずの大哥は、子桓叔父さまの小脇に抱えられて目の前にいる。
あと気になるのは、同じ年ごろの少年がもう一人、大哥とは反対側に抱えられていること。
困惑仕切りの男の子は、曹家でも夏侯家でも見たことがなく、姻戚とも考えにくい。
「どちらのおうちの方でしょう? すぐに我が家の者を走らせますのでご安心ください。大哥も、どなたにご連絡を入れるかご希望は?」
「だったら父上に、頼む」
「お前を連れて来るのは小小が見ていたのだ。今さら取り繕っても遅いだろう」
誘拐犯、もとい子桓叔父さまが悪びれもせず口を挟んだ。
やっぱり私の時と同じで拉致のようだ。
そうなると、やはり気になるのが見知らぬ少年。
「子桓叔父さま、まず降ろして差し上げてください。すぐにお部屋を用意いたしますから」
降ろされて大哥はなんとも言えない顔をし、その横で少年は私に礼を取る。
「突然のご訪問申し訳ない。私は荀文若が末子、奉小と呼ばれております。不躾ではございますが、ここは、何処でしょう?」
「荀…………!?」
「文…………!?」
大物の名前に私どころか大哥まで戦いた。
私が見れば、大哥は知らなかったと首を横に振る。
荀文若と言えば曹操の軍師と名高いお方で、その名は荀彧として後世にも残っている。
大成する以前からおじいさまを支え、すでに亡くなっていた。
けれど末子が私と歳の変わらないなんて…………このお歳で父上がいらっしゃらないのね。
「と、ともかく報せを。誰か!」
私の声に子桓叔父さまを止められずについて来ていた門番が、慌てて人を呼びに走る。
同時に私と一緒に内院を散歩していた侍女には大門側の部屋を整えるよう命じた。
「どうぞ、こちらへ。私は夏侯子林の娘、長姫と呼ばれております。このような出会いになりましたが、どうか我が家に他意がないことをご理解いただければ」
言って、侍女の後を追うように、私は子桓叔父さま他、突然のお客を客間へ案内する。
慌てふためく我が家の使用人を意に介さず、子桓叔父さまは私たちのやり取りを眺めながら上座へと腰を据えた。
「えぇ、はい。そちらの司馬氏も僕と同じように扱われたのでしょう。であれば、夏侯のあなたも悪ふざけで、あ、口が過ぎました」
「全くそのとおりなので気になさらなくてもよろしいのですよ」
「長姫、君からは叔父であっても私たちには違う。副丞相閣下だ」
気遣ったけれど、大哥にそういう問題じゃないことを指摘される。
「だから、そろそろ無視するのはどうかと思うのだけれど?」
「ご本人がどう見ても楽しんでおられるのに?」
揃って見ると、自分が話題にされてることさえも子桓叔父さまは面白そうに眺めていた。
ただ前回の拉致と同じく何か理由はあるはずなので、いつまでも無視するわけにもいかない。
「そう言えば、どちらがいいとはどういうことでしょう? 大哥と奉小の何をもって?」
「それはもちろん、結婚相手だ」
「は!?」
私が声を上げると同時に、部屋の入り口で大きな音が立った。
振り返ると父が肩を押さえて悶えている。
どうやら驚いてぶつけたらしい。
「し、子桓さま!? いったいどういうことです!」
普段大人しい父が珍しく声を上げて、子桓叔父さまへ詰め寄った。
「いたのか、子林。姉上の不在を狙ったんだがな」
「どうして知ってるんですか?」
「私の妻と約束を取り付けたのだ。知っているに決まっている」
そうでした、先日届いた従兄どののお悩み相談、あれを探るため、母が卞夫人を通じて今日、子桓叔父さまの妻である甄氏に会いに行っている。
「姉上のどんな気紛れか聞かせてみろ、長姫」
「父上にお聞きにはならないのですか?」
「察しの悪い子林に聞いてもな」
目の前で娘以下と言われ、父は言い返すこともできずに撃沈する。
「それにはまず父上の問いにお答えください。何故いきなり結婚相手なのです。お二人も困惑しているではないですか」
私も驚いたけど、拉致された大哥と奉小も硬直しており、聞いていなかったらしい。
子桓叔父さまはこともなげに言い放った。
「お前の嗜好に合わせたのだが不満か? 見合う家格と一人の身を抱えても許される家族構成という条件に合う者たちだぞ」
条件? 結婚の? …………あ、もしや、あの時の?
結婚するなら父のように母一人をという話を、勝手に条件にして選んだと?
「だ、だとしても父母を差し置いて、こんな…………。ましてや私のことについては曹家の祖父と夏侯の祖父が黙ってはおりません」
「だからだ。子林、私の差配は間違っていたか?」
母との結婚は子桓叔父さまがいてこそであり、父はすごく悔しそうに顔を顰める。
「…………いいえ。し、しかし!」
「父親と舅を黙らせられる方策は?」
「う…………、ありません」
言い返せない上に、素直に認めてしまう父。
私がなんとも言えない思いで父を見ていると、誰かが前に出た。
見れば、のちに強権を振るう司馬師となる、大哥だ。
「でしたら、どうか私に」
「え!? 大哥?」
「長姫、君の英才は素晴らしい。我が家に迎えられるならば父も母も反対などすまい」
いくらか文通をしてはいるけれど、それもまだ数える程度。
なのに何故か大哥は私をすごく高評価をしているらしい。
でも待ってほしい!
(あなたは小妹と結婚する予定だったでしょ!?)
なんでこうなったの!?
いえ、考えてもみれば順当かもしれない。
だって夏侯家の女子の中で、司馬師に年齢が近いのが小妹だ。
だったらそれよりも近い私に白羽の矢が立っても、政略としては順当としか言えない。
(まさか、私が健康に気を使って長生きすることで歴史に齟齬が出て来てる!?)
自分の所業の影響に混乱していると、そこに初見の奉小まで前に進み出た。
「そういうことでしたら、我が家も前向きにお話をさせていただきたい」
あまりに急な展開に呆けてしまいそうになりつつも、私は慌てて知識を探った。
すると奉小は、将来曹洪の娘と結婚することがわかる。
荀文若は功臣だけれど晩年に曹家の祖父と確執があった。
つまり曹家に近い家と婚姻には前向きで、親戚の中でも私と仲がいい大兄と友人となるらしいので、もしかしたら何か聞いているのかもしれない。
大哥は奉小と顔を見合わせ、無言で威圧をし合う。
ともかく二人が争うようなことになっては困るので、動こうとした時、目の前が塞がれた。
「待ちなさい」
低い声に驚いている内に抱え上げられ、父は今までにない厳しい顔を大哥と奉小に向ける。
いっそ子供相手に大人げないくらいだ。
「うちの子にはまだ早い! 聡明であるのだから本人の考えもある!」
「でしたら長姫が婚姻を了承してくれればいいのですね」
「まずは互いを知るところから始めたいので対話の席を用意してください」
「え、え?」
未来の雄才二人に迫られ、父は一気に押し込まれる形になってしまう。
そして視界の端で、体を曲げて笑ってる子桓叔父さまが見える。
(誰のせいで…………!)
確実に今回は大哥と奉小を拉致して来た子桓叔父さまのせいなのに。
この二人の結婚相手が変われば、確実に歴史に影響が出る。
そう文句を言いたいけれど、未来がわかるなんてそれこそ人相見で声望を得られる時代。
より熱心に求婚されてしまうことは目に見えていた。
この東の海の向こうの知識で父母の仲を円満にしようと思っただけなのに。
どうやら私の人生、それだけで大団円には至らないようだ。
(こうなったらとことん幸せ追ってやる! まずは結婚相手は自分で決める、これよ!)
私は半ば自棄になってそう決意したのだった。
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