二十九話:未来の皇帝の悩み
名は曹叡、字は元仲。
魏王朝の二代目皇帝だ。
早すぎる父の死で、未だ三国鼎立の乱世に二十代で皇帝になる。
そして十年以上の在位を刻むも、三十代で亡くなり、その後は後継者問題で魏王朝が軋み始めるのだった。
その人は、私の母方の従兄だ。
「母上、何か聞き及んではおりませんか?」
その従兄どのから私宛に文なんて初めてのこと。
歳は十一歳くらいだったかな。
年齢は少し離れているし、曹家と夏侯家が一緒に集まる時にしか会わない。
親戚はすごい人数になるので、見かけたことはあっても言葉を交わしたことはなかったはずだ。
何よりあまり活発ではないし、あちらも親戚づきあいは希薄。
親戚とはいえ私は夏侯氏で、性別も違うので今までつきあいはなかった。
(父親の子桓叔父さまは勝手に来るけれど)
その父親の気性を継がなかったらしい従兄どのからの突然の文。
「大人しい子で狩りは好きだけれどそこまでしないとか。ただすごく、顔がいいわ」
「はい?」
「そうだね、気品とかそんな言葉じゃ足りないくらい、顔がいいね」
「父上まで?」
そんなに強調するほどの顔の良さってなんだろう?
正直私は顔を覚えてない。
私自身が病がちで親戚づきあいを満足にできていないせいもある。
「えぇと、私に文をくださるような理由などにお心当たりは?」
「それなら、妙才さまの四子と仲が良かったね。そこから何か文を出す気になるようなことがあったかも、しれない?」
父のふわっとした推測で言うのは、私より三つ上の夏侯栄という名を貰う予定の親類。
戦地に行く妙才さまへの同行を断られて、今はすねていると聞いている。
「お勉強はできるようだと卞夫人から聞いたことがあるけれど、社交的なようには聞きませんね。甄夫人も慎みを知る方だから、派手な動きはしませんし」
母からも具体的な話が出ないので、目の前の文の内容はわからないままだ。
(そして歴史でも、子桓叔父さまのような苛烈さはないはず。いったい何が書いてあるのか、とても怖いわ)
東の海の向こうの知識にも、従兄どのに対して大きく非難は残っていない。
ただ、悪くはないが良くもないという評価が目につく。
同時代の孫権のような大業もなく、劉禅のような暗愚の謗りもない。
そして直系を残せなかったことで、のちの継承権について揉めることになる皇帝。
「余計なことは考えず、ともかく読んでみるしかありませんね」
私はまだ来ぬ将来を頭から追い払って、竹簡を開く。
流れるような筆遣いで挨拶から始まり、突然の手紙を詫びる内容は真面目に面白みもなく書かれている。
ただ、その後に続く文章に、私は困って一度目を閉じた。
(…………ほぼ、大哥の文と内容が、同じ!?)
つまり冷えた関係と名高かった我が家の両親が、どうやら私の働きで改善したと聞いた。
ついてはその方法を教えてほしいと。
「あ、最後に内密にと書かれていますね」
言って、私はすでに一緒に読んでしまった両親を見る。
父は夫婦関係の悪さを子供が知っていることに羞恥で顔を覆っていた。
母はそんな父を横目に睨むように見て渋面だ。
「知らないふり、していただけます?」
今さらなお願いに、母は首を横に振る。
「あなたに言うよりも、これは卞夫人に相談したほうが良いでしょう。そう、返事をしたためなさい」
「そうなのですか? 従兄どのの生母の方は確か…………」
復活した父が私に教えてくれる。
「甄氏だよ。聡明な君ならいずれ知るだろうから言うけれど、袁本初と戦う中で得た夫人でね、今ではもう甄氏への寵は薄れてしまっているんだ」
「お相手は郭女ね。召使上がりで字が女王。年上なのは、子桓の好みだけれど。一度家が没落したからか慎みはあるというのかしら。子桓に献策をしつつ表には出ないそうよ」
子桓叔父さまの妾に対しては母上のほうが詳しい。
ただ、その人、東の海の向こうの知識にいる。
(その名も文徳皇后郭氏! 従兄どのの生母が殺されて正夫人どころか皇后になる人ぉ)
そして甄氏を殺すのは子桓叔父さまです。
未遂のうちより酷い結果です。
相談されても困ります。
私の苦悩などわからない両親は、お互いに顔を見合わせていた。
「君はどうして郭氏にそんな詳しいんだい?」
「卞夫人が嫌っているのよ。甄夫人と仲が良いこともあるでしょうけれど、やり方が気に食わないそうよ。表立ってものも言えないのなら黙っていなさいと、賢しらぶって献策することを良く思っていないの」
どうやら嫁姑問題があるらしい。
そして意外。
のちに子桓叔父さまに疎まれることになる甄氏は、姑である卞夫人と仲がいいそうだ。
年上で美人、そして敵方から奪った甄氏と、没落して召使になった郭氏。
(子桓叔父さまって、ちょっと不幸な年上美人が好み?)
いや、逃避はやめよう。
このままだと五年後に甄氏は子桓叔父さまに殺される。
そして従兄どのはそれが心の傷となるらしい。
あと、郭氏が子供に恵まれなかったため養い子となるけれど、従兄どのとの関係は良くなかったとか。
そして、子桓叔父さまは甄氏を殺してしまったことを後悔する。
だったら殺すなと思うけれど、皇帝になっている時のことで諌める人も限られる中、誰も止められなかったのかもしれない。
「私がお力になれるのならいいのですが。父上と母上のように思い合っていらっしゃるのでしょうか?」
聞くと父はわかりやすく顔を赤くした。
母は言い訳するように早口で答えてくれる。
「子をなした上でよほどのことがなければ夫を無下にする妻などいないでしょう」
「え!?」
父は迂闊な声を上げて母に睨まれた。
これで母も憎くは思っていないというから不思議だ。
「え、えぇと、甄氏もそれなりに胆力のある方と聞くし、ね。心配のし過ぎかもしれないよ?」
父の楽観に、私は溜め息を飲み込む。
女の怨みは恐ろしいというのを、父は知らないようだ。
将来浮気したことを母に怨まれ、死刑目前まで追いつめられるなんて想像もしていないだろう。
「浮気は、駄目だと思います」
「えっと?」
父は私がいう言葉の意図がわからず首を傾げる。
そう言えば一夫多妻だから、正妻以外に妾がいることは浮気とは言わない。
生活を保障しているので、郭氏との関係は違法でもなければ倫理に反してもいないのだ。
ただ母は頷いてくれた。
「こちらが夫一人に尽くすのですから、夫も同じく心傾けていただかねば不公平というものです」
「え、あ、はい」
ようやくわかったらしい父は居住まいただす。
その姿勢に母は鷹揚に頷いて私にも釘を刺した。
「ですが、家を継ぐ男児には務めというものもあります。子が生まれるか、強く育つかは天のみが知る配剤。備えて多くの子を残すのも、子桓には必要なことなのです」
私を諭すことも忘れない上に、次子である父だからこそ自分はいいのだということをそれとなく告げる。
ただそれでは問題は解決しないし、ここは直接聞いてみよう。
「子桓叔父さまが甄氏を廃すことはあるでしょうか?」
途端に両親は言葉に詰まり、お互いに目を見交わした。
「そこまで深刻な話になるかな? 健康な長子を産んでるのに?」
「甄氏の側から不平は聞かないわ。ただ郭氏以外にも気に入りはいるから…………」
「あの、一緒に、お返事を考えていただけますか?」
一人では無理です。
そんな私の切実なお願いに、両親は困りながらも応諾してくれる。
そして親子三人で叔父夫婦の子への慰めの言葉を考えたのだった。
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