二十八話:悩める子供たち
私は正房で母から詩作の授業を受ける。
「韻を踏むというのはそこまで厳格でなくてもいいの。場合によっては即興性、もしくは返歌としての印象付けが重要になるわ」
母の教えに頷く私を、微笑ましそうに眺める父。
今までは奥の棟で、私の体調を見つつやっていたこと。
今は父も気軽に出入りできる正房に場所を移して行っていた。
「それで言えば、先日の子建への返歌は痛烈で良かったわ。単純ではあるけれど韻を踏もうとする努力も見えたのですから」
「あれは、良かったのですか?」
母が手放しに褒めてくれるけれど、父を窺うと視線を逸らされた。
だいぶぎりぎりな内容らしい。
あれを許容するのはやはり母が曹家だからかしら?
「古典から学ぶことは大切です。本歌取りをするにはまず知らなければいけませんもの。けれど感性を伸ばし養うことも重要です。題を出すから一つ思うとおりに作りなさい」
今までは古典の暗唱が主だったのが、七つになったことで一段勉強の難易度が上がった。
ここからは自分で考えて作ることをしなければいけないようだ。
(とは言え、いきなりは不安だし。ここはお手本が欲しいわ)
私はお題を考えている母を盗み見る。ちょっと楽しそう。
その上でここには家族が揃っている。
なのにさっきから母は私しか相手にしてないという…………うーん。
うん、家族の団欒はまず輪に入れることからでしょう。
だから父へと声をかけた。
「父上、私にもわかりやすい詩を一つお願いします。母上を思っての詩をお聞きしたいです」
「うぇ!?」
不意打ちに、武門の夏侯家には相応しくない声を父が上げる。
母も驚いて父を見た。
その視線に慌てる父は思いつきで口を開く。
「ふ、冬に舞う、氷雪の厳しさ身に染みて、触れなば溶け消える白亜の、麗容に君思いつつ、なお手を伸ばす」
言って父は手を振って慌て始めた。
「ちが! いま、今のは、えっと、君と一緒にいられるのが、私は!」
「私は冬の氷雪のように冷たい女だと? なるほど、そう思ってもっていらっしゃったと」
「ち、違うんだ!」
母の冷たい声に父は大慌てで立ち上がる。
けれど母は父を見ずに顔を背けてしまった。
「歌い出しが駄目、あと自信のなさが現われています。言葉が稚拙なのは、宝児への配慮にしても面白みというものがありません」
酷評だ。
父は立った勢いを失くすと、座り直して小さくなってしまう。
すると母はようやく父の様子に目を向けて、ちょっと視線を泳がせた。
ここは娘としてかすがいにならねばならないでしょう。
あと私が不用意に振ったせいだし。
「雪、綺麗ですよね。司馬家で氷を集めたのですが、あれは楽しかったです。けれど雪は触れれば消えてしまうので、触れるのがもったいない美しさだと思います。私は雪の日、窓も開けられないのですごく美しいもののように思うのですが、母上はどうでしょう? 雪はお嫌い?」
この辺りは冬になるとたまに降る程度だけれど、寒い。
だから体の弱い私は、部屋を閉め切って防寒の必要がある。
正直雪はほとんど見たことがない。
「それに、冬の風が冷たい分、春の訪れが待ち遠しいものではないですか? 母上も、梅が咲いたら一番に見せてくださるでしょう。あれがとても楽しみなのです」
「あぁ、そう言えば君は花と言えば梅が好きだね。そうか、それを一番に宝児に…………」
父は私の話に顔をほころばせる。
「…………私の庭に、最初から梅が植わっていたのは知っていて? 誰が言ったのです」
「あ、いや。誰というか、何かの折に耳に挟んだくらいで」
どうやら母専用の棟にある庭に梅があるのは、父の計らいだったようだ。
そこで君を喜ばせたかったの一言も言えず口ごもるのが父だけれど。
「まぁ、詩作の才は聞いて意を汲むことも必要とされますから、あなたの詩はなんとか意味は取れます」
母が小さな声で貶す意図がないことはわかっていることを告げると、父はあからさまにほっとする。
遠回しに母と仲良くしたいという歌いかけが通じていたのに、その反応は違うと思うのだけれど。
重点を置くべきは、母が怒っていないところではないでしょう?
(まだまだ父上と母上の不仲が悪化する危険はあるわ)
やっぱり南征に同行して目を光らせないといけない。
そう意気込みを新たに私が一人頷いていると、正房へ使用人がやって来た。
「失礼いたします。司馬家より長姫さまへ文が届いておりますが如何しましょう」
「まぁ、大哥? 先日お見舞いのお礼を返したけれど。筆まめなのかしら?」
私は思いの外早い返信を受け取る。
「仲達どののご子息かい。歳の割に聡明だと聞いているね」
「ずいぶん子桓が振り回していると聞くけれど、子供に悪影響はないかしら?」
両親も興味があるようで、手紙はここで読むよう言われた。
政治的な関わりもある家なので、返事の相談もすることを考慮し、特に気にせず竹簡を開く。
するとそこには、大哥の個人的な悩みがつづられていた。
「これは…………」
「え、あ、うぅ…………」
私が驚くと、覗き込んでいた父が妙な声を上げる。
見ると顔を覆って恥ずかしがるようだ。
対して母は渋面で文面を見下ろしていた。
「いったい子桓は、司馬家の子供に何を吹き込んでいるのですか」
書かれているのは我が家の冷えていた夫婦仲が、本当に改善したのかという確認。
そして、どうすれば両親を取り持てるかという相談だった。
(悩んでるのはわかるわ。けれど、私も手探りだしこっちが聞きたいくらいよ)
少なくとも仲達さまは、仲が悪くても殺すまでは行っていない。
どちらかと言えばそんなことを聞いてくる大哥の将来のほうが、妻を手にかけるという大問題を抱えている。
「あの、宝児? こういう話をお友達とはよくするのかな?」
父がすごく困った顔で私にまで窺うように聞いてくる。
今さら取り繕っても遅い気はするけれど、将来のためにはなんとかフォローしたい。
「私は父上も母上も大好きです。けれど親戚内での評価は耳にしますし、やはり他家へお邪魔すればどのように思われているかも推察できます」
「…………ご、めんなさい」
「子林、あなたが謝る必要はありません。宝児、口性のない者が誰かをおっしゃい」
父が謝ると母が瞬きも忘れて怒る。
その反応に、私はちょっと感動すら覚えた。
思わず指を組んで母を見上げる。
「母上も、父上と不仲と思われるのは嫌なのですね」
「う…………!」
「え!?」
私が聞くと母は言葉に詰まる。
逆に父は目を輝かせ、母の言葉を待つように期待の目を向けた。
その視線に、母はいたたまれないのか不機嫌を装って顔を背ける。
父の気回しの鈍さもあるけれど、母も素直じゃない部分が悪化を助長するのだろう。
けれど否定の言葉がないことで、父は一人照れ始める。
(お互いなんとなく相手が思ってることわかってるのに…………)
はっきりとしないし、大事な言葉を直接言い合うほど素直でもなく、相手を窺いすぎる。
私からすれば、だからすれ違う気がした。
けれどここで指摘してもこじれそうだし、本当に夫婦円満の秘訣があるなら私が知りたいくらい。
大哥への返事に困っていると、また使用人が現われ箱を差し出した。
綺麗に彩色され、艶出しまでされている高級品。
だというのに差し出す先は私だ。
「何度も申し訳ありません、今度は副丞相のご子息から長姫さまへ…………」
「私?」
つまり子桓叔父さまの息子、曹叡からの文。
両親を窺っても、どちらもいきなり文を贈られる理由に心当たりはない様子。
さすがにこれは私も対応に困る文だった。
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