二十六話:難題を振る
お正月も終わり、私の母の養母である丁氏は住まいへ帰ることになった。
征西将軍である妙才さまもまた西の守りへ戻られる。
「今回はまだ連れて行けないってすねてたわね」
私は家で同じ夏侯の大兄と小妹を相手に、歳の近い身内を話題にしていた。
妙才さまの封戸加増を祝った宴があり、私たち夏侯の子供たちも顔を揃えたのだ。
そして話の内容は親戚である夏侯栄について。
今年成人の証として名を改めることが決まり、早くも父である妙才さまと戦場へ向かいたいと訴えた。
けれどまだ早いと止められ、それを不服として拗ねていたのだ。
「…………お茶、飲まなきゃ駄目? まだ飲んでいないのに、お口が苦いのです」
私の振った話題よりも、小妹は目の前のお茶に意識が向いているらしい。
私たちの前にはお茶の入った椀があり、以前飲ませた時と同じ物。
どうやら小妹はお茶の苦味を嫌いになってしまったようだ。
言わなくてもすでに渋い顔になってる大兄も同じ思いなのはわかる。
「警戒はわかるけど、私もさすがにお茶を飲んですぐに水を飲まなきゃいけないのは嫌だから、飲みやすくしたのよ」
言って椀の中の熱々のお茶を吹く。
美味しいものとして東の海の向こうの知識では認識されてた。
けれど実際飲んだら全然美味しくないし、苦いし、えぐいし、渋いという知識との違い。
けど知識にあるなら美味しくできるはず。
そう思って私は色々試してみたのだ。
「香りも良くなったし苦みも減ったけど、熱いうちに飲まないと渋みが強くなるの」
言って、私は一気にお茶を飲み干す。
熱さに耐えて息を吐くとお茶の爽やかな香りが鼻孔に抜けた。
そんな私を見て大兄と小妹は顔を見合わせる。
お兄ちゃんだからか大兄が意を決して椀を掴んだ。
「熱!?」
「だから熱いって」
私が指先で摘まんで被害を最小限にしたのは、熱々にするためまず椀を熱くしたことを知っていたからだ。
大兄は掌を使ってがっつり掴んでしまっていた。
不服そうにしながらも、大兄はお茶を睨んで一気に呷る。
そうして呷った姿勢のまま硬直したように動かない。
男らしいけれど大丈夫かしら? 熱すぎた?
「…………すごく熱い。けど、確かに苦かったり渋かったりが、嫌な感じじゃない。熱いけど」
「そんなに言う? 寒い時期だしいいじゃない」
「わ、私も!」
小妹も意を決して取り掛かった。
ただ熱くて途中で口を離す。
それでも続けて飲める程度には味が良くなっていることに小妹は驚いた。
「すごい、本当にお水いらない。長姫はなんでもできるんですね」
「寝てる時間も多いから考える時間はあるの」
元気に外出を繰り返してたら体力のなさがたたって寝込んだのはつい先日のこと。
そして体力がまた減って、ちょっと寒暖差があると体調が悪くなりと悪循環。
なので実は今日も大兄と小妹は私のお見舞いできているのだ。
「元気だったらおじいさま方に会えただろうにな」
「え、その言い方もしかして曹家の? お暇じゃないんでしょ?」
残念そうに言う大兄に、私は思わず食いつく。
私たちに共通するのは夏侯の名。
だけど私の祖父は曹操で、大兄と小妹の祖父は曹真という違う曹家だ。
「どうもおじいさま方の世代の間で外孫に会うことが流行ってるらしくて、お時間を作ってくださったらしい」
「え?」
何その流行り?
「確か、楊氏のどなたかが自ら会いに行くと言って、大変喜ばれたという話だと聞いたな。それを周囲にも勧めているとか」
「楊…………もしかして、季才さま?」
「それは知らないけどお年の方だそうだ。南征の機運もあるし、来年はわからないけど今の内なら会いに行けるという話らしい」
子建叔父さまのご友人は、どうやら有言実行をしてくれたようだ。
そしてそれを周囲にも話し広めた結果、流行になった。
そう言えば季才さまは優秀な人材を推挙することで声望を高めたお方。
そうした人の繋がりから流行り至ったのかもしれない。
「それは残念だったわ。二人はおじいさまに?」
そう話してると部屋の外から侍女が声をかけて来た
「長姫、失礼します。その、曹子建さまより使者がいらっしゃっているのですが」
「子建叔父さま? 何かしら? それにどうしてそんなに歯切れが悪いの?」
「その、直接書を渡すよう、余人に内容を見られぬよう言いつかっているとおっしゃって」
「まぁ、どうしたのかしら」
「ちょうど旦那さまと奥さまが居合わせてしまい、押し問答に…………」
「大変」
もめ事と聞き、私は部屋を出て大門と呼ばれる玄関へ向かう。
好奇心に動かされた様子で大兄と小妹までついて来た。
内院を抜けて向かうと、確かに父母を前に平身低頭しながらも、竹簡を抱えて困り切った人がいる。
「私に子建叔父さまから書が届いたと聞いたのですが」
「宝児、怪しいので相手にしてはいけません」
「子桓さまもそうだけど、子建さまはちょっと悪戯の気が、ねぇ」
母は強く、父は困ったように止める。
「ここで拝見するだけでも。先日のこともありますから、私を伝って婉曲に何かしらお知らせすべきことができたのやもしれません」
丁家でのことを言えば母の目が泳ぐ。
父はそれで何か察したらしく逆にそわそわしてしまう。
使者はよほど母が怖かったのか目を逸らされた内に私に竹簡を差し出した。
「では拝読いたします。あ、大兄と小妹も見ちゃ駄目よ」
壁を背に、私は竹簡を開く。
「えー…………」
「どうしたんだ、長姫?」
興味津々の大兄に聞かれたけれど、これは確かに余人には言えない。
(詩、だけど。これってつまりは子桓叔父さまと子建叔父さまのどっちが後継者に相応しいと思う? ってことよね)
そんなの答えられるわけがない。
私は使者に窺ってみた。
「大変難解な詩であるので、父母に相談の上返歌をしたためさせていただいても?」
「いえ、ただあなたさまのお言葉があればと。甲か乙でも答えられると聞いております」
つまり甲が兄、乙が弟って、そこまで気を回してこれを送ってくるなんて意地悪だ。
だったらこっちも難しいことは考えずに返歌をしよう。
「我が伯は顕思に劣るか。我が叔は顕甫に劣るか。言うまでもなく我が身は本初に劣るだろうか。胸の内で問う者はどれだけいることだろう」
放り捨てるように言う私の返歌に、沈黙が落ちる。
けれどすぐに父母が意味を理解して声を上げた。
「ま、それ、袁家!? しかも我が身って…………!」
「いったい子建は何を書き送って来たのです!?」
「これは参ったな」
笑いを含んだ声に見れば、大門に子建叔父さまが現われていた。
母に睨まれて挨拶の姿勢を取るけど、悪びれた様子はない。
「いやぁ、他人に難題を振られて即答するのに労はないけど煩わしい。けれどこうして難題を振るほうになってみると、答えを聞くのが面白いものだ」
「顕思、顕甫? あ、袁本初って、確か寵愛する三男を継嗣にして滅んだ人だ」
大兄が遅ればせながら気づくと、小妹もそれで合点がいく様子。
袁本初、名は袁紹。
かつて曹家の祖父の最大の敵として北部を押さえていた軍閥の長だ。
子建叔父さまは笑みを浮かべたまましきりに頷いた。
「なるほど、あれは忘れられるわけもない。父が劣らぬのならば、同じ轍は踏まないだろう」
そう言ってまた頷くと使者を先に出して大門で振り返る。
「長姫、助言をありがとう。私は大人しく南征への同道をお願いすることにするよ」
そう言って子建叔父さまは嵐のように去って行ったのだった。
週一更新
次回:人の裏表