二十二話:骨肉は争わせない
子建叔父さまは文人として名高い。
それこそ筆を取れば詩が浮かび、文字を書きつければ名文が生まれると言われるほど。
ただそれは本人にとっては普通のこと。
だからこそ乱世に生まれ、戦場で育った上では戦功を上げて名を残したい。
「なんだか夏侯家の方のような」
「うん、それだ。私はもしかしたら生まれる家を間違えたかもしれない。征西将軍の下に生まれていればなぁ」
妙才さまね。
そこで私の祖父を選ばない辺り本当に戦場で武勲を立てたいらしい。
「あの、世を宰領するというのは?」
もう気になりすぎて聞いてしまいます。
けれど子建叔父さまは笑ってごまかす。
うん、つまり口滑らせたのよね。
だってようは自分が天下を取るって言ってるようなものですもんね。
下剋上は悪って考え方の時代に大胆不敵に過ぎるお言葉でしたよ。
「…………あの、私、母が心配なのでそろそろお暇いたしたく」
「まぁ、待ちなさい」
立とうとする私を、子建叔父さまが笑顔のまま止める。
「なんでしょう?」
「いや、今帰すとそれ姉上に言うだろう?」
「いえ、司馬家の大哥から先日お手紙が来たので、その返事の中にそれとなく書こうかと」
「うん、賢いし角が立たないやり方だ」
子建叔父さまに褒められた。
けれど正礼どのは額を抑えて困り顔だ。
「ちょっと待っていただきたい。まず長姫は明らかに事態をわかって言っている、でいいのか?」
正礼どのがそもそも私が子建叔父さまの失言を理解しているところから信じられないようだ。
まぁ、日参しているようなものだけれど、正礼どのは母に釘づけでしたから。
そして比較的話した今日も、私はほぼ泣いてましたし。
けれど世を宰領するという言葉の意味くらい分かる。
つまりはその立場にある曹家の祖父に続くことであり、曹家の継承権を兄と争う心づもりであるということに他ならない。
さらに不遜に考えるならば、天の下を宰領する皇帝に成り代わるとも取れる言葉だ。
「賢い子供ってのは聞いてたけど、今の一言だけで自家を他所において婉曲に恩売るって子供がするか?」
敬礼どのが逆に深読みしているのではないかと疑問を呈す。
これもちょっと想像すればわかることだけれど、母が口を出すと角が立つ。
曹家に生まれたとはいえすでに嫁した身で、家の外の者だ。
それに政に女性が口を出すと揉めるとも言われるので、母の立場が悪くなるのは目に見えていた。
だから母には言わず司馬家から子桓叔父さまの耳に入るように考えただけ。
(ここで子建叔父さまに味方して、司馬家ごとと考えなくはない。ただそれは賭けだもの。私が未来を知るという優位を投げ捨てるに等しいわ)
それに将来罪を犯すとはいえ今は司馬家の大哥も小小も子供だ。
何も悪辣さなどないし仲のいい兄弟でしかない。
司馬師とも司馬昭ともまだなっていない二人を追い落とすことはしたくなかった。
さすがに子桓叔父さまのように族滅ということはないでしょうけど、子建叔父さまが勝てば二人の未来は閉ざされる。
そんなこと私の一存では決めかねた。
(となれば私がするべきは子建叔父さまに諦めてもらうこと)
ここにいる方には慰めてもらったので死んでほしくない。
それにさすがに実弟なので子建叔父さまは殺されないけれど二度と表舞台には出られないのが今後の流れになる。
(そんな未来も回避したいし。あぁ、両親のことだけだったはずなのに欲が出る)
けれどできる、私だけが知っているからこそ回避行動を取れるのは私だけだ。
そう思ってしまうと何もしないなんてできない。
まずは話しをしよう。
倉舒という弟の存在で子供でも私の話は聞いてくれるようだ。
けれど聞き入れるかは別で、だったら気になる話を振って耳を傾けてもらうことから始めよう。
「私が特別ではありませんよ。先日私以外にも優秀であるという方に会いました。その方もきちんと父君の動向を捉えておりましたもの」
言うとわからない顔をされたけれど正礼どのだけが思い当たるようだ。
「先日司馬家に拉致されたという? 司馬家の大哥から手紙というのも…………」
「あぁ、姉上がおかんむりだったというあれか」
親族の子建叔父さまは聞き知ってるようだ。
本当に親戚同士では個人情報なんてあったものじゃない。
その団結力が生き抜く力になるのだから時代的にはしょうがないけど。
「こんな子供を、しかも病弱であるというのに。子桓どのはなっとらん」
「全く、全く。親が夏侯子林ではあるが、清河公主に断りもなくとは」
正礼どのたち丁兄弟は正論ではあるけれど、私怨が滲む。
それって母上との婚約が破断したことと関係ないですか、なんて聞けないし。
「これ、お主ら。賢しい子の前で余計なことをいうでない」
お年の季才どのが、皺のある顔をさらに顰めて私を慮ってくれた。
「いや、これはもうわかっている、知っているという顔だ」
そこに子建叔父さまが断言してしまう。
途端に正礼どのが顔を引きつらせた。
「ちょっと待て。誰が君の耳に、その、私のことを?」
正礼どのが恥ずかしいのか怒りなのか渋い声だ。
しまったな、これじゃ本題に入れない。
だからって婚約破棄のことは流してくれなさそうだ。
「その、あまりにただならぬ様子でしたし、周囲の方々が言葉を濁されるので、どうしても気になって…………」
「兄よ、だからあからさまなのは良くないと言っただろう。子供にまで筒抜けだ」
敬礼どのは思い当たる節があったらしく苦言を呈す。
やはりあの熱視線、気づかない母が特殊なんだろう。
けれどどんどん話が横へそれていく。
私が言いたかったのは母のことじゃないし、もちろん引き合いに出した大哥のことでもない。
「長姫が困っていますよ。けれど司馬家の子のことは聞くけれど君ほどとは思えないな」
徳璉さまが話を戻す、気遣いの方のようだ。
これなら話を誘導できる。
「一緒に密談のだしにされましたが、その分面白い経験ができました」
「ほう、密談? つまり子桓どのと仲達どのが?」
季才さまが目を瞠るけれど私は笑顔で首を横に振った。
「今日のことを言ってはいけないのでしたら、先日のことも申せません。ご安心ください。私の胸の内に留めます」
子建叔父さまたちは目を見交わす。
密談は気になるけれど、子建叔父さまが継承権に手を伸ばそうとしていることを知られるのは不利だ。
年功序列なので順当は子桓叔父さま。
そう思っている油断を突かなければ子建叔父さまは後を継げない。
(実はその辺り、すでに子桓叔父さま動くつもりでいるけれど)
何も言わず待ちの姿勢の私を見て、子建叔父さまは苦笑した。
「これは手ごわいな。男だったらさぞ良い官吏になっただろう」
「いえ、夏侯家に生まれたからには戦場に立てない病身を嘆かれるだけかと」
子供相手に腹の探り合いなんて長くはできない。
私は保護者がその内迎えに来る。
それまでにどうにか骨肉の争いを止める糸口を手に入れたい。
(ここまで無理に聞き出そうとも引き留めようともしないけれど、子建叔父さまは野望を諦めない。となると、諦めたいと思うようにしないと)
私は東の海の向こうの知識を慎重に紐解いた。
私の精神に痛撃を食らわせる情報に当たらないよう祈る。
(子建叔父さまを強く後継者に圧すのは目の前の丁家の兄弟なのね。それと今はここにいない楊修という方が左右の翼のように子建叔父さまを支えたと)
つまり将を射んと欲すればまず馬を射よ。
片翼を失くせばどんな鳥も失墜し、二度と宙には戻れない。
そして私の目の前にいるのは丁家の兄弟だ。
さて、どう攻めようか。
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