二十一話:知性と早世
涙が止まって落ち着いた私に、正礼どのたち大人は柔らかく微笑んで安堵する。
「確かに今年の春は迎えられないかもしれないと私も聞いていた。それがこうして泣く元気が出たのだ。喜ばしいことじゃないか」
母の異母弟である子建叔父さまは、どうやら相当悪いと聞いていたらしい。
(風邪をこじらせたら死に繋がるこの時代で、確かに三日熱が下がらず意識も朦朧としてよく無事だったな)
病人に対する看護自体が東の海の向こうで得た未来の知識に劣る。
今は自分なりに気を使って手洗いうがいをしてるけど、一度寝込むとそこからはもう生死の境になってしまう。
「確かに姉上が泣いていらしたのは長姫を思ってのことだ。だからと言って、長姫がいなければ良いというわけでは決してない」
「はい、頑是ないことを申しました。その、私のせいで母が涙にくれるさまに、どうしてよいのかわからず身の置き場のない思いがしまして、つい…………」
子建叔父さまに叱られ私も反省する。
実際涙も引いて落ち着くと恥ずかしいくらいに取り乱していた。
(どんなに優れた知識を持っても、私は感情に振り回される子供だと痛感したわ)
感情が高ぶると制御できない。
曹家の祖父や夏侯の祖父は私を聡明というけれど、実体はちょっと不相応な知識を得ただけの子供に過ぎなかった。
自覚すると恥ずかしい。
同時に不思議にも思う。
「何故、子建叔父さまは私のような若輩者の声に耳を傾けてくださったのでしょう?」
言ってしまえば感情だけで理屈などない子供の話。
私が死ぬかどうかわからないし、母の不安を否定することもできない。
そんな答えのない話なのに最初から聞く姿勢を見せてくれた。
「それは、かつて優秀な弟がいたからね。あの子は五つでもう物事の理非を知っていた」
子建叔父さまはその優秀な弟について話し出す。
「ある時、孫仲謀から象という南方にしかいない巨大な生き物が父に贈られた。しかしこちらにはその象の重さと等しい錘がなく、象の重さに耐えられる秤もない。贈り物として記録しようにもできなかったのだ」
孫仲謀の諱は孫権。
三国志を形作り南の孫呉の若き君主であり、赤壁を始め曹家の祖父の南征を跳ね返してきた相手。
子建叔父さまはいたずらな笑みを浮かべる。
「長姫はどうすればよいかわかるかい?」
「道具に固執する必要はないかと。象を乗せて平気な入れ物があるなら、それに象を乗せて泥に沈めてみては? そして象をどけて、容量を計った上で入れ物に水を注ぎ続ければ、いつかは象と同じ重さが入るかと。泥の付着が目安になります」
ただ言って思ったけど、象の入る入れ物ってなんだろう?
あら? 象と同じ重さを用意できないって話よね?
だったら前提の入れ物が存在しない。
「いっそ、象自体を水に入れて、減った水の重さを計る? それでもやはり入れ物の強度が問題ですね」
私は考えこんで子建叔父さまに答えを求める。
「私にはわかりません。どうなさるのでしょう?」
「いや、ほぼ正解だ」
「え?」
「倉舒は、象を乗せていた時の船の水際に印をつけさせ、象を降ろした後に錘を詰み込んで印に至る錘の量を数えればいいと言っていた」
「あ、確かに。南方から送られてきたのなら船ですね。気づかずお恥ずかしい」
存在しない入れ物なんて考える必要はなかったのだ。
必ず大河を渡ってこなければいけないのだから、船で事足りる。
「はは、なるほど。あの姉上が泣いて案じるわけだ」
子建叔父さまも困ったような顔で声を上げた。
その目は私を透かして全く違う誰かを見るようだ。
「…………そう言えば、母上も倉舒とおっしゃっていました」
弟ということは曹家の生まれで、曹倉舒が名前だろう。
そしてその名前は知識にあった。
名は曹沖、字は倉舒。
学問を好み心優しく聡明で、将来を嘱望された子建叔父さまの異母弟。
幼くして曹家の祖父も年功よりも才を重視し、後継にしようと考えた逸材。
けれど十三歳で病没している。
手を尽しても助けられなかったことさえ歴史には書き残された。
「あ…………」
「あぁ、知っていたか。まぁ、父の狂乱ぶりは今も語り草だ」
子建叔父さまは苦笑しているけれど悪びれた様子はない。
(なるほど。賢かったのに早世した前例がいらっしゃるのね)
つまり賢いと思われるほど早世するのではないかと不安になり、母は涙していたのだ。
「それは、私にはどうすることも、できないのでは?」
「そうだろうね。こちらが勝手に重ねてしまう」
「子建どの」
頷く子建叔父さまに正礼どのが苦言を呈すように声をかける。
「正礼、兄弟の誰も思うだろうことだ。父が特に気にかけているのも倉舒を思い出すからかもしれない。君はもっと誰もが忘れた時期に生まれたほうが良かったろうね」
ず、ずけずけとおっしゃるぅ。
こういうところは実は子桓叔父さまと同じなの?
顔つきが柔和なせいで騙されるわ。
これは悪意がない分抗議しないと通じなさそうだ。
きっとこちらの不快は伝わらないし、その点では夏侯の祖父の通じなさに似たものがある。
親子兄弟親戚でこういう無神経なやり取りが日常だった人だ。
「では子建叔父さまも生まれる時代を間違われましたね」
私の発言に正礼どのたちが目を剥く。
私は気づかないふりで微笑んだ。
「今なお天下を治める皇帝陛下に伏せぬ者たちがいる時勢において、武威を示す才能こそが世に必要とされます。ですが子建叔父さまと言えば文のお方。その詩文を愛し賛美する方はおられても、時代に必要と申される方はいるかどうか」
子建叔父さまは瞬きはするけれど、先ほどまでの微笑と打って変わって無表情だ。
怒ったかしら? ちょっと怖い…………。
「全くそのとおりだ! 文才なんて覇業において必要とされるのは辞世の句を残す最期だけなんだよ!」
まさかの全肯定?
それに反応したのは私よりも周囲の側近たちだった。
「何をおっしゃる! 武で従わせられるは暴のみ。文は智であり徳です」
「必要ないはずがないでしょう! 上に立つ者であればこそ必要な才能です」
「さよう、天賦の才をいただいたのならば、すなわち才を持ちて世を正せとの天意」
「乱世も今や曹丞相の手により平定の兆しがあるではないですか」
丁兄弟が強く否定し、季才どの、徳璉どのは諭すように言う。
そんな否定の言葉に子建叔父さまは一度つまらなさそうに視線を逸らした。
「文のみでその業績を称賛される者などいない。業績あってこそ、文をも賞される。であれば私は父と共に覇を唱えるべきだ。文才だけで世が治められるものか」
これは、予想外…………。
優しげなお顔付の割に脳筋、いえ、過激な方だったのね。
というか、もしやこれはチャンスというものではないかしら?
「子建叔父さまは、武将として名を上げたいのですか?」
「それも少し違うな。私は曹孟徳の息子として名を残すからには相応しい格があると考える。それに文だけでは足りぬのだよ」
何やら拘りがあるようだ。
「だいたい詩文なんて筆を取れば流れ出て来る。こんな当たり前のことを才と言われても張り合いがない」
傲慢な物言いはやはり子桓叔父さまと兄弟ね。
逆に何故近い血縁である私の父はあれほど気弱なのかしら?
私の失礼な感想など知らず、子建叔父さまは爽やかに微笑んだ。
「世を宰領するにはやはり文武両道でなくては」
うん?
世を宰領って、つまりは…………皇帝になることではないの?
それは皇帝を支え仕える実質的な権力者である宰相よりも上では?
なんだか子建叔父さまは危ないこと言い出したようだ。
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