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十九話:母の日参

 生き別れの養母である丁氏の元へ母はほぼ日参していた。

 お正月の今しか会えないということで父も止めないようだ。

 そして丁氏の言葉もあり私も母と共に日参することになっている。


 屋敷の持ち主である正礼どのは毎回挨拶するけれど、話をするようなことは三回に一度ほど。

 それでも視線に熱を感じるのは変わらない。


(そして一度も顔を出さない正礼どのの正夫人は、どんな方なのか…………)


 三十代の母と同年代で、中央勤めの正礼どのが結婚してないわけがない。

 親類として部屋を借りている丁氏は屋敷の玄関近くの客間を使っていた。

 だから屋敷主人の住居である屋敷奥から出て来ない限りは、正夫人に会わないことはなんらおかしくは、ないんだけど。

 無言の抗議だったら申し訳ない。


 そんな私の思いを知らず、母は丁氏と楽しそうにお喋りをしていた。


「あぁ、もう一刻が経つわ。さぁ、あなたたちはお帰りなさい」

「そんな、まだよろしいでしょう」


 丁氏が帰宅を促すと、母は幼い娘のようにいやいやする。

 これもおなじみになって来た。


 母は丁氏を慕っている。

 丁氏も母に笑顔で相槌を打ち、私にも気を使ってくださった。

 決して迷惑がっている様子はないけれど、だからこそ帰るよう丁氏のほうから促してくださる。


「よそさまのお宅にいつまでも居座るものではありませんよ。それにあなたも嫁した身なのだから、お家のことを一番に考えなさい」


 そうつまりは周囲への気遣いなのだ。

 ひいては私たちが礼儀知らずと言われないよう配慮してくださってる。


(きっと私を同行させるようおっしゃったのも気づかいね)


 常識的に考えて、子連れであいびきはしない。

 つまり足しげく元婚約者の家に通う図になっている母に、変な勘繰りがないように丁氏が先に気を回したのだろう。


(私でも気づくのだから、丁氏も正礼どのの熱視線には気づいているわよね)


 恐ろしいのは当の母がほぼ気づかないこと。

 何故なら正礼どのよりも丁氏のほうに目が行くから。

 その次が私で、正礼どのに目が行くのはごくまれだった。


 そんなことを思っていると母が手を打つ。


「でしたら我が家へ逗留なさってください。父の元へは卞夫人を慮ってお泊りにならないのでしょう?」


 確かにすでに再婚している元夫の家に泊まるのは外聞も居心地も悪いだろう。

 だからと言ってうちはいいの?

 夏侯家とはいえ、曹家の身内に等しいのに。


「駄目ですよ」


 あ、やっぱり駄目だった。

 ですよね。


 丁氏は困った娘のわがままを窘めるように言う。


「あなたが私を母と呼んでくれるのは本当にうれしい。けれど子として孝を立てるべきは卞夫人です」


 すでに別れた養母よりも、今の正夫人を優先しろと道理を説く。

 この世の中の常識で言えば、地位として高いのは正夫人で、地位の高さは優先度とも言える。


 丁氏を母親として遇するのは、正夫人である卞夫人を蔑ろにすることだ。


「あなたは親になったのです。子の基となるべく道を誤ってはなりません」


 私のことまで考えての苦言らしい。

 確かに子が親の真似をするのが世の習い。


 ただ卞夫人は卞夫人で女主人として采配を振るしっかりした女性だ。

 控えめだけど決して弱い方ではない。

 私個人として敬う気持ちはある。


「私は、良き夏侯の娘として習うべき祖母が三人もいることが嬉しゅうございます」


 一番は夏侯家として、おじいさまの伴侶を祖母に。

 そして主家の曹家の正夫人である卞夫人も祖母としていただくお方だ。

 丁氏は個人的に敬えばいい。


 お気遣いはありがたいけれど、別に祖母として敬う対象が三人いても無理なことではないと思う。


「あら、まぁ。本当に聡いのだから」


 丁氏は頬に手を添えて困った様子だけれど笑顔だ。

 母は上機嫌で頷く。


「子林も母上がお泊りになるようなら、曹家と夏侯家へことを説明に赴くとも言っております。安心しておいでください」


 母上、そうじゃないとは思うんだけど。


 なんだか普段厳しめな母が少女のように頬を染めているのは可愛らしい。

 丁氏も同じなのか叱りはせず話を逸らす方向に持って行くようだ。


「子林どのがそこまであなたのために労を負ってくれるなんて、愛されているのね」

「それは、えぇ、まぁ…………」


 怯んだ母は視線を逸らして言葉を濁す。

 その様子に丁氏は口元を抑えて驚いた。


「まぁ、今までは文句が返ったのに、頷くのね?」


 なんて話の逸らし方をなさるの?

 しかも娘の私の前で、そんな当たり前に両親の不仲を持ちだすなんて。


「ち、父は少し説明の足りないところがありますが、私たちを愛してくださる素敵な夫であり父です」


 抗議の意味も込めてフォローすると、丁氏は納得した様子で私に微笑みかけた。


「子はかすがいねぇ」

「えぇ、その、子林も宝児を相手にするとわたくしに言えないことも言うようで…………少し、少しだけですが、子林なりにわたくしを思っていることは、わかります」


 ちょっと唇を尖らせて、言い訳のように言う母。

 もしかして母なりに父の本心を言ってもらえないことが不満?

 それは政略結婚だとしても思いがあるということ?


 これは、脈あり?


「あら、いったいどんな話をするのかしら、長姫?」

「は、母上、そう言うのは家内のことです。宝児も答えなくてよろしくてよ」


 丁氏が興味を持つと、母が慌てて止める。

 私もさすがに将来の貯蓄だとかは話せないけれど、母は頬を染めていた。


 恥じらう様子はちょっと期待が持てるのだけれど、これで母に意固地になられて父との間がぎくしゃくしても困る。

 ここは私も話を逸らす手を使ってみよう。


「私の将来について父上とお話したのです。母も私の成長を楽しみにしておられます。ですからお聞きしたいのですが、おばあさまは卞夫人からも敬われ続けるお方。どうすれば私もそのような女性になれるでしょう?」


 教育資金の話だったけど、将来の話で間違ってはいないと思います。


 母は私が言い回しを変えたことに苦笑し、丁氏は困ったように笑った。


「それは私ではなく卞夫人に聞くべきですよ。何せ、私は生まれの身分の低いあの方につらく当たっていましたもの」

「その時母上は正夫人だったではありませんか」


 母が庇うけれど、丁氏はいっそ諦めたような目で遠くを見る。


「離縁してからもよ。あの方は折々に私に連絡をして、屋敷にも招こうとした。けれど私は相応しくない身分の者が正夫人になり上がって思い上がるなと使者を叩きだして」


 思ったより激しい丁氏の行状。

 少しは知っていたらしい母も予想以上だったらしく目を瞠る。


「けれど、ここ最近は招かれているではありませんか」

「えぇ、もうね、負けたと思い知らされたのよ。私には子ができず、慈しんだ子も先に逝き、どうして身分の低い妾は子に恵まれるのかと妬んでいたの。なのに、それでも私を敬って正夫人として扱うあの人を見て、人として、負けているのだからしょうがないと、受け入れるしかなくなったのよ」


 枯れたような声で語る丁氏だけれど、優しい目を私に向けて来た。


「だから、長姫。あなたが倣うべきは私ではなく卞夫人よ。弁えを知り、徳行を忘れず、周囲を気遣う。私にはできなかったことを、今もなお続けるあの方に倣いなさい」


 子もなく夫とも別れ、見下した相手に負けたと実感して卑下する。

 丁氏のその姿はあまりにも悲しい。


「悔い改めることもまた一つの美点ではありませんか。であれば、私は優しく私を思いやってくれる母を育てた丁氏にも、やはり倣うべきであると思います」

「そう、あなたが優しい子でいてくれて本当に嬉しいわ。娘がいい母親になってくれていて、安心しました」


 丁氏はゆっくりと噛み締めるように言って笑みを深める。

 そんな養母を見つめ返す母は、どうしてか何処か悲しそうだった。


週一更新

次回:母の涙

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