十四話:盗み聞き
最初から密談のためだったのか周囲は人払いがされていた。
だから私たちも思うとおりに司馬家を動ける。
「はぁ、手が千切れそう。けどすごい頑張ったよ」
「頑張りはそうだけど、こんなに氷を集めてどうしようって言うんだい?」
流されていた大哥が、満足げな小小の隣でようやく基本的なことを問い質した。
私は小小に協力してもらって鉢や壷にできた氷を集めて回ったのだ。
客間周辺は化粧石を敷いた廊下なので容赦なく大小さまざまな氷の板を並べている。
「遊んでいるふりよ。これだけ用意したら遊んでいるという言い訳が立つわ」
もちろんこうしてまだ寒い中屋外にいる本命は盗み聞きだ。
どうやら子桓叔父さまと仲達さまは近い部屋で密談を行っているらしい。
廊下にいる今も微かに話し声が聞こえる。
「何故氷なんだい?」
「小小が手伝ってくれるし、先ほど話題に上ったから遊びの言い訳としても適当でしょう?」
「寒いじゃないか…………まぁ、小小は楽しそうだけど」
大哥はもっと他にあったはずだと言いたいようだ。
けれど小小はさまざまな氷が並べられた廊下を満足そうに行ったり来たりしている。
この様子を大人が見れば、遊んでいるようにしか見えないだろう。
「つまり、小小は囮?」
「協力者よ。それとも、大哥。あなたは盗み聞きしたくない? 怖いなら小小と一緒に待っていてくれていいわ」
ばれた時の言い訳に家人の手助けが欲しくて巻き込んだけれど、盗み聞きは私の事情だ。
お上品そうな大哥は気が咎めるならしなくてもいい。
そう言うつもりだったんだけど、何故か不服そうな表情を浮かべると私の前を歩きだす。
「こっち。隣の部屋に入れる。天井が繋がってるから隣の部屋からなら声が聞こえるはずだ」
しかも率先して案内をしてくれた。
私はこの家に詳しくないので渡りに船だし黙って従う。
大哥と一緒に入ったのは荷物置きらしい狭い部屋だった。
上を見れば確かに壁の上には欄間があり隣の部屋と通じている。
「どうしてそこまで子建を警戒する?」
子桓叔父さまが上げた子建は、同母弟であり継承を争う曹家の祖父の三男。名を曹植という。
「将来あなたと決裂するのが目に見えているからです」
はっきりと言うのは仲達さまだ。
同時にその発言は攻撃的な意図を感じさせる。
「子建に大望はない。あれはいっそ気が済むまで好きをさせ、自由に誰の小言もなく道を歩ければそれでいい奴だ」
「何をおっしゃいます。あの方は当代に名を残す文化人。その声望は高く、故に周囲に人が集まる。そして、その周囲の者が、あなたと合わないのはわかっているでしょう」
継承争いの話だけど、なんだか私の想像とは違った。
もっと兄弟同士がいがみ合うような関係だと思っていたのに、どうも焚きつけているのは仲達さまのほうだ。
東の海の向こうの知識によると、継承争いは最初側近同士の勢力争いだったらしい。
そこに曹家の祖父が子建叔父さまを跡継ぎにしたいと漏らしたことで本格化。
おじいさま、なんてことを。いえ、ともかく。そうなるまで子桓叔父さまは動かなかったそうだ。
(そうか、この時まだ子桓叔父さまは本腰を入れていない。けれど側近である仲達さまは側近だからすでに争いが始まってるんだ)
子桓叔父さまは相手にしていないようで笑うらしい気配がした。
「さて、いったい誰のことだ? お前を買っている崔季珪か?」
「確かに買われていますが、親しいのは私の兄です。あと、わかってるじゃないですか。崔どのとご自身が合わないことを」
「かつての補佐どのの口うるささはなかなかに忘れられん。あぁ、そう言えば崔季珪の姪が子建の妻だったな」
詰め寄ろうとする仲達さまに、子桓叔父さまはわざとらしく弟が側近と切れないだろう理由を上げる。
(つまり子建叔父さまとは何もないけど、その側近と子桓叔父さまには確執がある?)
そんな側近が争いの姿勢を見せているのなら、いずれ子桓叔父さま当人たちにも波及するだろう。
そうなると周囲との関係の悪さから子桓叔父さまが弟を追い落とすようなことになると。
これは仲達さまの先見の明ね。
「合わないというのも違うだろう? 楊徳祖のように文をやっても私への返事はおろそかにして子建とばかり文を交わす者もいる。伯仁とそりが合わぬと、親しいというだけで義兄に冷淡な荀長倩のような者もいる」
「本当にわかってて言ってるじゃないですか。要職に就いた家柄の者ばかり上げて。だからそうした者たちが弟君を奉り上げようとしているのです」
私は呻きそうになるのを堪えて両手で口を覆う。
知識によれば崔季珪という人は、今年の八月に死ぬ。
しかも曹家の祖父の不興を買うという継承争いに関係のないところで。
そして楊徳祖という人は、三年後にまた曹家の祖父の不興を買って死ぬ。
楊家は漢王朝の重鎮を務める家系で名族であり、元から警戒されていたようだ。
(荀家なんて言わずもがな。曹操の軍師荀彧の息子で、曹操の娘を娶ってる。つまり私の縁類…………)
早世としか歴史にはないだけちょっと安心だけど。
それでも私と同じ年頃の子供がいて、その子ではなく弟が家を継いでいることから近い内に、子供が成人しない内に亡くなるのだ。
(いえ、問題は早すぎる死じゃない。曹家の祖父の不興を買って殺されるという、私の身内の恐ろしさだ)
私には甘く優しい祖父でも、やはり乱世の奸雄と名を残す冷徹さを持っている。
そんな方が治める世の中で余計な争いはないほうがいい。
これは今の内にことを治めたほうがいいんじゃない?
(だってこれから曹家は大敗して大変になる。その後の子桓叔父さまも急死で力が偏るし。何よりそんな時代を生きて行かなきゃいけないなんて…………)
最後はその偏りから司馬家の台頭と曹家、夏侯家の没落が始まる。
晋王朝の到来だ。
(つ、辛い…………)
今から一族の破滅を考えなければいけないなんて。
父母の仲を取り持ちたいだけなのに。
けれど今のままだと家族仲が良くても夏侯家というだけで生きにくい時代が来る。
「放置しても悪いほうにしか転びませんよ」
「父もそこまでではなかろう」
どちらも正しい。
側近の権力争いが後継者争いに発展して最終的には長子相続という順当に収まるんだ。
けれどそうして欲を出したことで危険視され、子建叔父さまのほうの側近は曹家の祖父によって排除される。
子桓叔父さまの代になればほぼ誅殺され尽すし、生き残る子建叔父さまも冷遇される。
(放置しても悪いほうにしかいかないし、曹家の祖父も危険性をわかって対処してしまうし。だったらここで子桓叔父さまには本腰入れてもらって、傷が小さい内に対処してもらわないと)
大敗のあとの高齢化もあり、戦場で名を残した武将たちは斃れていく。
だというのに有能な人材をここで減らしてどうするのか。
私が袖を引くと、それだけでわかったらしく大哥は一緒に小部屋から出てくれた。
「気分が悪い? 冷えたんじゃないか?」
「いいえ、私は大丈夫。心配すべきは子桓叔父さまよ」
私の答えに大哥は戸惑う。
「ご長子であらせられるのだから、父が心配のしすぎだと僕は思うけど」
「こういう言葉を聞いたことはない? 先んずれば人を制す」
「史記だね。僕も司馬家だ。知らないわけがない」
そう言えば司馬遷の名著だった。
ちょっとむっとした大哥に私は取り成すように言葉を続ける。
「だったらわかるでしょう? 子桓叔父さまは負けるわけがないと思っていらっしゃる。けれど仲達さまがおっしゃっているのは勝つための行動よ。機先を制されれば、負けはしなくとも勝ちが難しくなるわ」
「それは、勝つことと違うのかい? 負けないなら勝つだろう?」
「ここで勝ちにいかなければ、後世まで弟に地位を脅かされたと言われることになるでしょうね」
大哥の目が未だに氷で遊ぶ小小へ向かう。
「それは、ちょっと、癪だね。しかも弟本人の頑張りじゃなく、周りがうるさいせいってなると、余計に気に食わない」
あら、思ったよりも負けず嫌い?
けれどこの調子なら言いやすいわ。
「私は叔父さまにそんな思いをしてほしくないし、仲達さまも憂いては欲しくないの。だから…………」
私は大哥に思いつきの策とも言えない話を持ちかけた。
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