百三十一話:耐えられない別れ
日をおいて、私は奉小を屋敷に呼んだ。
日を置かなければいけなかったのは、私が倒れるかもしれないと心配されたせい。
何かする度に熱を出して倒れるものだから、母の心配は今も続いている。
父もそれが泣くほどの心配の種とわかって、母に賛成してしまった結果だ。
前回は大兄と小妹と話しただけなのだけれど、数日体調を整えることを言いつけられた。
なので、今日奉小と会うまでに、私は少しでも体力がつくようよく食べ、よく寝て、屋敷の中を散歩して体力づくりもして、いざ面会。
「待たせてしまってごめんなさい、奉小」
先に客間で待たせていた奉小の元へ。
私が声をかけると、俯いていた奉小は立ち上がった。
「長姫。良かった…………」
奉小は本当に私を心配していたみたいね。
申し訳ないほど、私の姿に安心した声を出している。
「顔色は、いいみたいだ。けれど無理はしないでほしい。今回は、大兄が気を使ってくれたんだろう?」
「えぇ、気に病んでいるようだと言われたの。でも、ほら。私は大丈夫よ」
手を広げて怪我もないことを見せるけれど、奉小はばつが悪そうだ。
言ってしまえば女を囮に使って逃げた。
気に病むなと口で言っても難しそうね。
「ありがとう、あの時私のお願いを聞いてくれて」
「長姫…………」
申し訳なさそうな奉小に、私は笑って見せた。
「お蔭で怒られるのも少なくてすんだわ。夏侯家の娘として正しい行動だったと」
あえて明るく伝える。
実際あれで元仲は助かったと思う。
敗走までが子桓叔父さまの作戦の内だとしても、私たちの行動で持ち場を離れた元仲は自己の判断での失態。
しかもそれで敵にでも捕まったとしたら、味方内からも資質を疑われて見捨てられる可能性さえあった。
「だから、ありがとう」
私は奉小を座らせて、改めて伝えた。
けれど奉小は硬い表情のまま答えない。
「嫌な役回りをさせてしまったわ。でもあれは荀家としても…………」
「違うんだ」
私が言葉を選んでいると、奉小はきっぱりと言った。
「自分が、納得できない」
奉小は私を見て、苦しそうに漏らす。
「君を見捨てることしか、置いて行くことしかできなかったことが、耐えられない」
「奉小…………」
一緒に小妹もいたのに、奉小が気に病んでいるのは私だけ。
つまりそれは…………。
「思う相手を見捨てるような真似を、したくはなかった」
言われて、東の海の向こうの知識が浮かんだ。
奉小が将来何者になるかを、忘れていた。
(あぁ、知ってたはずなのに)
奉小は将来、荀粲と名乗り、曹氏から妻を得る。
けれどその妻は、奉小よりも先に亡くなってしまうのだ。
結果、奉小はそれを心の傷にして、病を得る。
その後、後を追うように死んでしまうのだ。
「…………ごめんなさい」
これ以外に、私に言うべき言葉は見つけられない。
けれど奉小は視線を落として、ゆるく首を横に振る。
思う相手に真剣だった。
本気だった。
だからこそ、その死を嘆いて自らの命数さえ縮める人なのに。
(将来そうなるなら、子供の今もその気質があるとわかるはずだったのに)
なのに私は、見捨てさせた。
どうすれば、傷つけてしまった奉小を慰められるだろう?
「…………長姫は、恐ろしい思いをしたんじゃないのか?」
「したわ。関公はとても恐ろしかった」
「それなら、もう二度とこんなことは、しないと思っても」
「いいえ」
答えたら、奉小は弾かれたように私を見た。
向けられる傷ついたような顔に、申し訳なくなるけれど、嘘はつけない。
「私は、確かに恐ろしいと感じたけれど、やって良かったと思っているわ。あの時、残ったのが夏侯氏の私と小妹だけだったからこそ、関公の情に訴えられた。諸葛軍師も目の前の問題解決を優先された」
他の家の者がいれば、結果は違っただろう。
夏侯氏がいて、荀氏がいる。
だったら、その二氏を繋ぐ曹氏の誰かがいることを連想されたかもしれない。
「君は、そう、考えるのか」
言って、奉小は泣きそうな顔で笑う。
「うん、わかっていた。そうして決断できる、強い人だと。だから、君に心寄せたんだ」
奉小がその気になったのは、確か宮中でのこと。
思わぬ大人の諍いに巻き込まれた時。
「私は優秀である自覚があった。夏侯の大兄にも劣らないと自負があった。けれどそこに驕っていた。そのことを自覚したきっかけが君だ」
そんなことで私に好意を抱いていたなんて。
「君とならより良く、より、兄たちに、名高い父にさえ、本当に負けない人間になれる。そう思えた」
「お世辞が過ぎるわ。私なんて、もっと良い方法があったはずだと悩むもの」
荀令君と尊崇される父親は、末子として死の直前に生まれた奉小にとって憧れらしい。
知らない父の背を追う上で、自分に足りないものがあると、もうわかっている。
その足りないものを私に見出した。
けれどその期待に応えられるようには思えない。
行き当たりばったりで、今回も上手くやったとは言えないのだもの。
「それは謙遜だ長姫。あの時、元仲さまを守ったのは誰でもない。君なんだから」
言って、奉小は溜め息を吐く。
「大兄は、自分こそが言い出すか、身を張らなければいけなかったと言っていた」
「まぁ、それこそ駄目よ。長子なのに」
私が後悔する一因は、両親のこと。
悲しませた、心配させた、考えが足りなくて、そんな状況しか選べなかった。
ただそれは私や両親の気持ちの問題で、公的な損失はほぼないに等しい。
だからこそ、曹家の嫡子のために夏侯の娘が命を張るという状況も、失態を誤魔化す言い訳として受け入れられる。
そうして私が大兄の言葉を否定すると、奉小は苦笑して首を横に振った。
「そんなことすら、言えなかったんだ。ただただ、君を置いて行くしかなかった自分の判断を後悔した」
奉小は、本当にその一点を気に病んでるらしい。
「だからきっと、次に同じようなことがあれば、たとえ嫌われても、君を止めてしまう。君が見据える、より良い結果を、邪魔する」
すごく言いにくそうに、言いたくなさそうに。
けれど、気に病んで、考えて、そして奉小の偽らない本音なのはわかった。
「だから、君の隣に並ぶことができない」
つまりそれは、私を自家に迎えるか自らが迎えられるか、そこはわからないけれど、ともかく結婚する気がなくなったということ。
いえ、なくなったわけじゃない。
きっとまだ好意はある。
だからこそ今離れると、身を引くことを口にしているのでしょう。
「そんなに気負わないで。大丈夫、奉小ならきっと私とは違うやり方でこの国のため、人のためにできることを見つけるわ」
「でも、こんな時にこんなことを言うのは、君に傷がついたと言うようなものだ」
敵の手に落ちた女性となれば確かにそうだけれど。
そもそも私はまだ結婚に適したとも言えない年齢で、女性的な瑕疵とみなす人も多くはない。
それにその辺りも心配はいらない。
「結婚に関して、子桓叔父さまから手ずから世話をすると言われているわ。大丈夫」
私はあえて軽く言って、奉小に顔を上げてもらう。
「それよりも、私はあなたがそんな顔をしているほうが気がかりだわ。ねぇ、笑って。あんな戦場で別れて、また会えたんだもの。お互いに命があることを喜びましょう」
「…………あぁ、本当に。長姫には敵わないな」
奉小ようやく少し笑った。
私より年上で、後の世には才人として名を残すのに、その笑顔はとても弱々しい。
先を知っていても、今は年相応の男の子だった。
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