百二十九話:絶えない夫婦喧嘩
結局熱を出し、倒れて養生が必要になった。
いっそ、あれだけの心労を負うひと月を耐えたほうが不思議だったくらいね。
その後、寝台から起きれるようになると、私は母に日を跨いで怒られることになった。
さらに数日寝台を降りることもできるようになっても、まだ自由に部屋を出入りすることは許されず。
同じ屋敷にいるはずの人たちとも会えず。
そして久しぶりに両親の夫婦喧嘩に発展した。
「娘が命を張ることを良しとするなど、それでも父親ですか!?」
「だが夏侯氏として、決して間違った判断ではなかったのだから。そんなに怒るばかりでは…………」
「まぁ、あなたは子供のことを軽んじていらっしゃるの? どれだけ危険だったか、おわかりでいらっしゃらないのね!」
「そ、そんなことは決してないけれど」
「けれど!?」
「いや、その…………」
怒る母に対応を間違える父。
そのやりとりは、いっそ懐かしさも感じるほど一年前と変わらない。
とは言え、少し変わったのは、母に本気の険があるかどうか。
母も父の言葉選びが悪いことはわかっている。
母もわかっている、わかっているけれど納得いかないと言った感じだ。
「父上、母上」
「あなたは黙っていなさい」
そして前例があるからこそ、母は厳しく私の介入を止める。
その様子に父も何も言えずにいた。
熱は引いた、叱られもした、けど私は外出を禁止され、その上二人に話しかけるのも禁止されている。
あと、お見舞いもすべて断っているため、同じ屋敷に滞在しているはずの大兄と小妹とも会えていない。
それだけ母が怒っているのだ。
(子桓叔父さまも、私を親元に戻してからは何も言ってこないし)
お忙しいのか、それとも私より先に母の逆鱗に触れたせいなのか。
「だから、宝児の行いを間違いだと言うわけにはいかないだろう?」
「女児に庇われたなどと醜聞でしかありません」
「女児以前に、地位の話であって」
「あちらは兵を率いる側でしょう。地位の話であるならなおさらのことです」
「う…………」
「庇われて逃がされて生き延びて? それで丈夫と誇れるのですか?」
「あの、それは…………」
「今回は宝児が無事に戻りました。けれど次もなんて甘い考えが過ぎます」
「それは、そうだけど…………」
「これは将器の問題であって、宝児の行いとはまた別のことでしてよ! 甘い考えのまま今回は無事だったなどと戦場に出ては、それこそ次はないかもしれないのですから!」
びしっと言い負かされる父。
しかも争う内容は私の行動の是非。
ひいては、元仲を守るために敵地に残ったことについて。
ただここは父も夏侯家の者として黙ってはいられない。
「夏侯の娘としての心意気を汲むことも、必要だと、私は思うのだが?」
「今回はそれでも良いでしょう。しかし、生きて帰ったからには間違いを正すのが親の役目。次などあってはならないのです」
母も夏侯家という、曹家に臣従する家に嫁いだ自覚はある。
けどそれと娘の命の価値はまた別物だ。
さらに元仲を庇うことは、庇われた側が女児以下という風聞にも繋がりかねない。
曹家の男にそう言わせるのかと責められると、父も弱い。
そのせいで、私の行いを叱る母を止められずにいた。
「もう…………」
叱られるにしても、これはまたこじれそうな気しかしない。
一度落ち着いてもらったほうがいいけれど、今の母は話を聞いてもくれないのだ。
(でもどうすればいいのかしら? 仮病でも装えば、きっと反応して喧嘩はやめてくださる。けれど無駄に心配させるのも心苦しいし)
ただ、私にあてがわれた寝室で喧嘩するのは本当にやめてほしい。
室内には私の侍女と家妓だけで、他は早々に廊下に逃げてしまっているし。
今部屋にいるのは許昌で共に暮らした馴染みの侍女だ。
江陵からの侍女は都に私たちが戻るのと一緒に移動することになっている。
今はこの屋敷の下働きをしているから、側にはいない。
少なくとも我が家で働いてる限り衣食住は保証できているから、両親の夫婦喧嘩に巻き込まれる必要もないけれど。
「感謝と謝罪、どちらかしら?」
呟くと視線を感じた。
喧嘩をしていたはずなのに、父と母が私の声を拾ったらしい。
私が言ったのは江陵の侍女について。
都にいる息子夫婦に会ったら、どちらを言われるのかと思ってのことなのに、両親は難しい顔をする。
「子桓は謝罪の一つも寄越しませんね」
「い、いや、元仲さまからは感謝をいただいているじゃないか」
不満を漏らす母に、父は取り成すように言う。
どうやら私の言葉を曹家の反応と勘違いしたようだ。
違うのだけれど、これは話に入れる好機でしょう。
「元仲が感謝してくれたのですか? でしたら、無事なのですね」
聞くと、何故か母は苦い顔をした。
それに父は今気づいたと言わんばかりに応じる。
「もちろんご無事だとも。他の子たちも、軽い怪我だけで病もない。皆無事だよ」
「良かった…………」
「仲達どのとはお話をしたのだろう? あちらからは聞いていないのかい?」
「いえ、何も」
「何もぉ?」
私が休まず戦場の状況を話して、熱を出したと知っている母は、不満たっぷりに言う。
それにも父は取り成すように手を胸の前に挙げた。
「子桓さまの手前、話す機会を得られなかったのだろう。そうでなくても、長姫を気遣う書簡は各家から届いているじゃないか」
「え、そうなのですか」
父の言葉に反応すると、母が父を責めるように見る。
これはどうやら知らされずにいたと言うか、故意に隠されていたようだ。
さすがにその横暴には、私もむっとする。
「私への書簡はありましたか?」
聞くと、父は目を逸らし、母は知らないふりだけれど否定がない。
つまりはあるのに、見せてくれていないのね。
危ないことをして命の危機もあったので、心配や不安にさせたのは悪いと思っている。
娘として褒められたことではないので、お叱りも受け入れているつもりだ。
それでもそんな意地悪をするなんてひどい。
「…………わかりました。私は寝台から起き上がらないほうが良かったんですね」
不満を込めて言うと、父に思いの外強く肩を掴まれた。
「そんなことはない! あ、すまない。突然大きな声をだして」
驚いて固まる私に、父おろおろし始めた。
助けを求めるように父は母を見る。
けれどそこには、私でも驚くほど涙を零している母がいた。
「は、母上?」
「え、あ、ど、どど、どうしたんだい!?」
私が駆け寄ると、父も慌てて追ってくる。
途端に母は私を痛いくらい抱きしめた。
しかもそのまま何も言わずに泣くばかり。
これはまずいことを言ってしまった。
私が死ぬかもしれないと養母の丁氏に泣きついていた姿を見たのに。
「その…………ごめんなさい。私も、無茶をして、心配をおかけしました」
言っても母は返事をしない。
その上抱きしめる力が強くなる。
「う」
つい声が漏れると父が母の腕を触って気を引く。
「そんなに力を込めては、宝児が息もできないのではないかな?」
母は答えないけれど、腕は緩む。
なので、母の背に手は回らないけれど、伸ばしてとんとん叩いてみた。
どうしようかと思ってたら、侍女と家妓が口を動かすだけで声を出さず何かを伝えようとする。
「…………閉じ込めなくても、私はここにいます。誰に会っても、何処へ行っても、父上と母上の元に帰って来ますから。無茶をする娘と見捨てずにいてくださって、ありがとうございます」
侍女と家妓の助言に従って伝えると、母はその日から怒ることはなくなった。
どうやら私を心配する気持ちが暴走していて、自分でもどうしようもなかったらしい。
それを傍から見ていた侍女と家妓は察していたのだ。
戦場を知る父は慌てたり心配はしても、そこまで思い詰めるほどではなかったせいで、母と噛み合わずに喧嘩になっていたということだったらしい。
夫婦仲も親子仲も、まだまだ難しい。
私には知識はあっても経験が足りない。
ただたとえ夫婦喧嘩が絶えないのだとしても、どうかこうしてわかり合える関係が続いてほしかった。
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