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百二十四話:しとやかな奇才

 諸葛亮の救援の様子は、子建叔父さまにも話した。

 けれどすでに江陵から発ったことや兵を引いてることは言わないでいる。


「言ったらまた無茶をしそうだったし、怒られるかもしれないけれど」

「それはいけないことですか? 今度こそ関公に報復されるかもしれませんし」


 小妹は私があえて言わなかったことがあるのは悪い判断じゃないと思ってくれているらしい。


 私たちは江夏でつけられた魏軍の兵も増えた中、駕籠で行く道中。

 休憩のため近くにいる江陵の侍女は困り顔だ。


「そうね、今動くと三つ巴だわ。軍師さまもそれを嫌って追撃をしなかったのでしょうし」

「そうなのですか?」

「あそこで関公の追撃を支持すれば、さらに子桓叔父さまの兵を損耗できたかもしれない。そこまでしなかったのは、こちらが本腰を入れないためじゃないかしら」

「あ、曹丞相が出てくるのはお嫌そうでした」

「そう、曹家のおじいさまが出てくれば荊州攻略に本腰にならざるを得ない。そうなると江陵の兵が相手にするのは二つ軍になる」

「こちらの被害が多ければ、本腰。本腰になると、攻め手が増える。だから、追い払うだけで追走はしなかった?」

「そうだと思うわ」


 ただあの時は、関羽の怪我の具合もあったかもしれない。

 興奮状態で痛みを忘れていたようだけれど、誤魔化しようのない血臭だった。

 私たちの前では平気な顔をしていても、追い詰められていたの確かで、関羽自身負傷するような窮地だったのだから。


(真偽不明だけれど、手術しても呻きもあげず碁を打っていたとか)


 東の海の向こうの知識にそう伝わるくらいには豪胆な人。

 私だったらきっと血を見ただけで倒れるし、大怪我なんて寝込んで起き上がれない。


 ふと見ると江陵の侍女が私たちを見下ろしていた。


「なぁに?」

「気をつけるよう言われていましたが、あなたさまは本当に奇才をお持ちで」


 安城行きを命じられて、いっそ気負いなくなったように思ったのは気のせいではない。

 いっそ諦めたように、ここ数日江陵の侍女の口が軽い。

 これは、戻れないと覚悟してのことかしら。

 子桓叔父さまがどういうつもりで蜀側の人を同行させるかはわからないけれど、侍女一人くらいなら、うちで引き取って、その後路銀を持たせて帰せるはずよね。

 正直、兵や文官はわからないのが心苦しい。


「奇才だなんて、そんなことはないわ。軍師さまには敵わないもの」


 もしかしたら諸葛亮なら何か、真意の知れない子桓叔父さま相手でも、手立てを考えついたかもしれない。

 けれど私では、敵の情報源になりそうな兵を無事に返してほしいなんて、どれくらい耳を傾けていただけるかわからない。


「長姫のことをずいぶん警戒なさっていましたし、才ありと見抜かれたのでは?」


 小妹に江陵の侍女も頷く。


「えぇ、怪しい動きがあれば報告をと言われておりました。しかし、お二人とも大変おしとやかで、聡明であることは言葉の端々から。ですが、江夏を過ぎてよりその知性の輝きに磨きがかかっておいでで。あれで、江陵では押さえていらしたのですねぇ」

「「おしとやか…………」」


 思わず小妹と声が揃った。

 今年に入ってからそう言われる行いをしていない自覚があるし、都にいるほうがずっと大人しく家の中にいた。

 それがこうして大人からも離れて行動しているのだからおしとやかではないはず。


 そして敵の勢力圏から逃れて口が軽くなっていたのは私も同じだったようだ。


「私たち、何か報告されるようなことをしていたかしら?」

「賢くいらっしゃることは日常的に報告を。ただ特別なことはなかったように思いましたけれど。それとも何かごぞんじで?」

「いいえ、知らないわ。言ったとおりはぐれてしまっただけだもの」


 自らついて行った上のことだけれど、本当に知らない。

 子桓叔父さまは何が狙いだったのかと、考えることはあるけれど。


「そう言えば、あなたは安城からどうするの? 兵と一緒に帰るなら路銀を渡すわ」

「まぁ、お心遣いまでいただいて。実は都に息子夫婦がおります」


 夫も亡くしてもう転居するつもりで、最初から同行していたそうだ。

 魏の勢力圏である江夏から都までを旅する予定でいたらしい。

 思えばけっこうな距離だ。

 使者に出された者がそのまま他国で余生というのもない話じゃない。


 拠点地で戦が起きているから、同行した兵は戻らなければいけないけれど。

 それに比べて侍女は現地の人で、荊州は三国何処にでも所属の例がある。

 碌を貰う文官よりも、さらに命さえあれば身の振り方は選べるのかもしれない。


「では、都までも共に行きましょう。無事に送り届けた礼は必ずするわ」

「まぁ、本当に聡くいらっしゃって。ご厚情感謝いたします」


 そうして江陵の侍女と仲を深めつつ、私たちは安城へ到着した。

 出迎えは兵たちで、そのまま真っ直ぐ宮城へと連れていかれる。


 少し身なりを整えたら、すぐさま子桓叔父さまから呼び出しがあった。


「ふむ、本当に無傷か」

「茂みに隠れましたので、いくらか傷を得ていますが治療を受けさせていただきました」


 労いも何もなく第一声を放つ子桓叔父さまに、こちらもそれとなく攻撃されはしなかったことをまず伝えた。


 形式的な挨拶はなし。

 叱責もなければ謝罪もないのは、私たちの同行には大人で話がついているのだろう。

 だってこの場には、私の父がいる。

 あからさまにほっとした顔をする父を、子桓叔父さまも一瞥した。


「どうやらここまで連れて来た者たちは子供と違って疲れがあるようだ。子林、お前のところで休ませよ。十分に旅の埃を落としてから改めて引見する」

「は」


 父が言葉少なく応じて、侍女はもちろん兵たちも連れていかれる。

 他の誰に連れていかれるよりも心配はないでしょう。

 私の父ですから、私たちが無事な様子はしっかり見ている。


 悪いようにはならないと思い、私は不安そうな侍女に笑いかけて見送った。

 問題は残されたこちらね。


「どうやってというのもまぁ、気にはなるが。まさか手ぶらで戻ってはいまい?」


 敗走したはずなのに、子桓叔父さまはずいぶんと余裕がある。


(冷静になると、あそこまで急ぐ必要はなかったはずよね?)


 急かされて江陵へ向かったのは、仲達さま救援のため。

 けれど思えば、まず江夏へと急いだのは子桓叔父さまだ。

 さらに江陵へ、仲達さまを行かせたのは賈文和。

 そして仲達さまもそれに従って動いていた。


 その末の敗走は、もしかしたら想定内のできごと。

 そしてたぶん、私たちのことが予定外だった。


「お耳に入れなければならないことはございます」

「よし」


 一言いうと、子桓叔父さまはそこからさらに場所を変えた。

 移動すると仲達さまと賈文和がおり、他は少数近い者だけで明らかに人を避けた様子だ。


「私たちが重要なことを聞いたと何故おわかりに?」

「本当にそうなのですか? よくご無事で」


 仲達さまが心配してくれるけれど、私もそのご無事な姿に安堵する。


 賈文和は私の疑問に眉を上げてみせた。


「何、ちょっとした連想さね。殺しもしない、解放もしない。ってことは、殺す気はないがすぐに解放しちゃまずいことを知ってしまったんじゃないかとね」


 全くそのとおりだ。

 私と小妹が顔を見合わせる間に、子桓叔父さまは笑った。

 それを横目に真剣な顔の仲達さまと、何処か気の抜けた様子の賈文和が話す。


「ふむ、出てくるのは予想以上だったが、それだけ諸葛めも焦ったか」

「いやぁ、急いで正解というか、もうちょっと焦ってくれても良かったでしょう。結局向こうの兵は削れてないみたいですし?」

「あの、何故別室に?」

「なんだ気にならないか? 長姫は知りたがりだと思ったが」


 つまり人を減らしたのは、聞くためもあるけど子桓叔父さまが直々に教えてくれるため。

 そして弟である子建叔父さまの釣りを横から攫う以外にも、やはり狙いはあったようだ。


「まぁ、この後姉上が当分放さんだろうからな。今の内に自由を味わうといい」


 あまりの言葉に私が口を閉じると、仲達さまが責めるように子桓叔父さまを見る。


「まずは命の危機を才知のみで切り抜けられた姪御さまに、お言葉があってもいいのでは?」

「いやぁ、色々状況考えると、一番穏健な方法で帰って来ましたからね」


 賈文和の言葉もあって、子桓叔父さまは考える素振りで視線を明後日の方向に漂わせた。


「忠に順じる覚悟を決め、行動に移したその行いは、男であれば手放しで褒めるが。まぁ、お前たちに貰い手がないようであれば私のほうから良き相手を用意する。ただ、親からの叱責はこちらでもどうしようもないことだ。覚悟をしておけ」


 いくらか同情の色がある目をする子桓叔父さま。

 どうやらここで褒めてしまうと子桓叔父さまも火の粉を被るほど、母がおかんむりであることは確かなようだった。


週一更新

次回:泥に汚れる

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― 新着の感想 ―
[良い点]  相手を殲滅するまで追撃!とか字面は格好いいが、実際はそうそう成功しない‥‥‥。  戦況を客観視出来る人なら欲張らないですね。 [気になる点]  最後は投稿ミス?
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