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百十六話:強行軍

 日の出が始まる頃。

 関羽が早朝に離脱したと報せが駆け込んで来た。

 それを追って午前に出発する段取りの中、私は同行を願い出た。


 そして強行軍が始まる。

 比較的整った道があるとは言え、十日以上かかる道のり。

 それを軍という集団での追走。

 荊州要衝、江陵の街を眺める場所までたどり着いた時には疲労困憊だった。


「追いつけ、なかった…………」


 私は荷車の上で、八日目にして江陵を見ている。

 足が遅いので、物資と一緒に荷車に積まれ軍の最後方を追いかける形だった。


「向こうは馬も、そんなにいないはず、なのに」


 子桓叔父さまは兵を率いて前を行っているはずで、半日ほど差ができている。

 それでも逃げる関羽に追いつけなかったらしい。


 そうして浮かぶ東の海の向こうの知識は、長坂の戦いというもの。

 劉備に江陵を奪われまいと、曹家の祖父が少数精鋭を引き連れて追撃をした戦いだ。

 それにおいても劉備たちは曹家の祖父の猛追から逃げ果せている。


(さすが数々の激戦を生きて逃げ果せたってところ? …………曹家のおじいさまが劉備を追ってこういう追撃をしたのかしら)


 揺れ暴れる荷車の中で、耐えた分だけ体力が消耗してすぐには動けない。


 それでも関羽がただの武勇だけの武将じゃないことは、今回の追撃でよくわかった。

 ただ批判されるだけでもない確かな実力と、実績があってこその猛将だ。


「逃げる間の竈の数は減っていないと聞いたから、関羽の側にこの敗走での離反者はいない。それでも同じく疲弊しているはずだから戦いは…………」


 私は疲労と不安のまま呟きつつ、降りようとしたところで手が差し出されていることに気づく。

 見れば先に着いてた司馬家の大哥だった。


 物資の都合でそれぞれ違う荷車に乗っていたから、先に着いたようだ。


「今はまだ、子桓さまが隊を整えているところだ」


 小さいからと私と一緒に積まれていた小妹にも手を貸して教えてくれた。

 側には不安そうな小小がいたけれど、目が合うと大哥から離れて私に抱きついて来る。


「父上、いないの…………」


 震える小小の訴えに大哥を見れば頷きが返された。


「江陵の門の前に布陣されている。その背後を、関羽から…………」

「ご無事なの?」


 敵に挟まれる形だと聞いて、私は血の気が引きそうになる。


「あぁ、今はまだ。どうやら江陵の門は関羽にも開かないようだ」


 見る街の門は遠い。

 関羽は私たちより先に着いて、江陵の街と仲達さまを挟み撃ちにする形だった。


 それなのに、門が開かない?


「戦いは? 仲達さまは関羽に攻められてはいないの?」

「戦闘は行われたらしい。その上で、門は開かなかった。今はこちらの兵の姿を認めて関羽も体勢を整えるために攻勢を止めた」

「つまり、江陵と関羽は連携していない?」


 江陵の前で仲達さまと関羽が戦闘したという。

 仲達さまは急ぎで兵数は整わず、関羽も撤退のため西陵からついて来れなかった兵を減らしている。


 そんな状況で、蜀が押さえているはずの江陵は攻めに出ない。


「仲達さまはこちらで何を?」

「どうやら、降伏勧告をしていたそうだ」


 大哥は仲達さまの長子であり、自家の主である仲達さまが窮地にある。

 聞けば子供ながら、知る者はできる限り答えてくれたという。


「江陵を任された糜氏に、関羽は近く打ち取られると言っていたらしい。同時にこの江陵も樊城の兵が攻め寄せると。その前に降伏して人々を守るべきだとの説得を行っていた」

「あ、そうだわ。樊城からの兵は? まだ到着していないのかしら?」


 私の問いに、大哥は首を横にふる。

 どうやらまだ到着していないようだ。


 江夏の子建叔父さまが打って出たことでこちらも急ぎ、連携は取れていない。

 その前にも安城を発つなんて、急なことだった。

 そして関羽が囲みを破ったことで江陵に急行しているので、こちらもまた樊城の状況はわからないまま。


「樊城が、こちらの動きを捉えられるわけがないわよね」

「よしんば捉えられていたとしても、江陵という一大拠点を叩く。兵を揃えることを思えば急ぐにしても限度があるだろう」


 教えてくれる大哥は、話ながら何処か堪えるように一点を見つめる。

 つまりこの戦いの間に樊城の兵が間に合うかはわからない。

 期待して待つだけ仲達さまは追い込まれる。


 それで言えば今が好機だ。

 関羽の背後を捉えた今、今度は仲達さまと子桓叔父さまが関羽を挟み撃ちにできる。

 けれど動かなかった江陵が、なおも動かずにいてくれるかどうか。


「降伏するつもりで門を開かないということは?」

「どうだろう。父が劣勢になれば後背を突くつもりで機会を計っていたのかもしれない」

「関羽が本当に窮地となったら、助けに出てくる可能性も、あるのね」

「正直、江陵に近づきすぎると攻撃の的にされる。関羽を近づけないにしても父が近づきすぎるのも危うい」


 城攻めは守る側が有利で、それは守りだけじゃなく攻撃においても同じ。

 城壁という高さは攻撃力に変わる。


 仲達さまは江陵を背に背後から射られる範囲には入らないよう、奮戦するしかない。

 ただ関羽の猛攻に崩れそうなところで、子桓叔父さまが間に合った。

 けれどここから助けるには関羽が邪魔だ。

 挟み撃ちも仲達さまにその余力があるかどうかもわからない。


「急がないと…………仲達さまをお助けするなら」


 心底呟く私に、大哥も頷く。

 けれど現状私たちにできることはない。

 あえて言うなら、邪魔にならないように何もしないことだ。


「ともかく、私たちは身を守ることをしましょう」

「…………それしか、ないだろう」


 大哥は耐えるように応じた。

 それを見あげる小小も、何かを言いかけて口を閉じる。


 私たちの話の切れ間を待っていた小妹は、小さく聞いた。


「江陵は、どうしたら敵に回りますか?」


 そう聞くからには、それが危ないとわかっているようだ。

 私は大哥と目を見交わして推測を上げる。


「江陵からすれば、どちらに加勢すべきか?」

「あぁ、迷っているのだろう」


 それだけ関羽の劣勢を危ぶんでいるか、それとも失火の叱責を恐れているか。

 なんにしても江陵を任されている糜芳にとって、関羽は助けるか迷う相手。


「現状、仲達さまを後ろから挟撃しないのは、反発だけ?」

「樊城の加勢が現われるのを警戒している可能性もある」


 仲達さまの脅しが効いてるかもしれないのね。

 ただ現状加勢しないのはやはり関羽が大きい気がするわ。

 その武勇を知っているからこそ、揺らいでいるのではないかしら?


 撤退して追われ、本来なら弱っていると見るところ。

 けれど糜芳はそれでも動かない。

 その判断を迷わせるのは、やはり関羽の武勇だ。

 これだけ追っ手に迫られ、追いつかれた今も関羽が負けると確信できないのだろう。


「あ、長姫。それに大哥もいるな」


 阿栄の声に見れば、元仲と共にこちらへやって来ていた。

 さらに後ろには大兄と奉小もいる。


「状況は聞いているか? 我々は戦わないが、それでもいつでも動けるようにと」


 元仲が言うのは、つまりは逃げる準備ね。

 どうやら子桓叔父さまも簡単に勝たせてはもらえないと思っているらしい。


「気になるだろうが後方に待機だ」

「負傷者の収容もあるそうだから」


 奉小と大兄がすでに場所を決めているらしく案内に立った。

 そこには仲達さまを心配する大哥と小小への気遣いが感じられる。

 同時に、仲達さまを窮地から救い出せれば、現われる可能性が高い場所として押さえていたらしい。


 お怪我をしていないといいのだけれど。


「安城からの兵もこちらに回したじゃない。樊城も動いているはず。きっと大丈夫よ」


 私はまだ抱きついたままの小小を元気づける。


 ここには自分の選択でやって来た。

 だったらまずは邪魔にならないこと、そして最低限自分たちの身を守る備えをしなくちゃ。


週一更新

次回:工作の成果

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 曹操はこの後継者争いを見てなにを思っているのか、結果次第ではあるでしょうが気になりますね。 [一言] 逃げに徹した時のしぶとさは流石ですね。 乱世の名将全員に言える事かもしれませんが…
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