百十二話:合い競う
子桓叔父さまが江夏へと兵を進める。
関羽を攻める気満々だけれど、そうとわからないように私たち子供を同行させた。
そんな中、江夏が攻め込まれていると急報が入ったのだ。
「つまり、自ら門を開いたんさね、あちらは」
大急ぎで江夏の街が見える所まで進み、さらに先に陣を敷く場所を取るために人が激しく動き回る。
本来は山を回って兵の姿を隠すとか段取りがあったけれど、もうそんなこと言っていられない。
欺瞞工作で連れて来られた私たちは、比較的年齢の高い賈文和と一緒に待ちの体勢。
忙しく働く人に混じるだけ邪魔なので、何があったかを大人しく聞いていた。
近くには守りのために元仲とその兵もいる。
「あちらというのは、つまり子建叔父さまのことでよろしい?」
半分疑いながら聞くと、賈文和は頷く。
元仲もあまりのことに目を瞠った。
つまり、自ら街の門を開いて敵を誘引したの?
「大胆なところのある方ではあったが、なんて無茶なことを」
「無茶しても、横から掻っ攫われるのが嫌だったんでしょうなぁ」
元仲に答える賈文和は、誰にとは言わない。
でも状況的に子桓叔父さまだ。
子建叔父さまは、助ける気なんてないという態で動いた子桓叔父さまが、実は横から関羽を狙うつもりであると読んでいたことになる。
「でも引き込んでどうするおつもりだと? 状況は悪くなるだけではない?」
正直危険すぎる。
自ら今日まで守りを維持できていた要を解いているのだから。
もちろん危険があるからこそ、賈文和も賭けと言ったのでしょう。
「まぁ、まず江夏の街の中はずいぶんと形を変えてるそうです」
賈文和は全く動じずに笑う。
さらには子桓叔父さまとは別に、独自に配下を走らせて情報を得ているらしい。
賈文和独自の情報によると、江夏では門の守りを引いてあえて開かせたとか。
その上で街の中は道を掘り返し、建物を倒壊させて多くの行き止まりを作ってあるそうだ。
「道を狭めるように、雑だが大改造をされてるとか。…………罠でしょうな。街全体を使い潰すとは大胆な。だが、それをやり果せようと実行に移す者がいたのが、何より厄介」
子建叔父さまも大胆だけれど、実戦経験はそんなにないはず。
それで言えば、側近の丁兄弟も政治家であって武将ではない。
基本的に子建叔父さまの周囲は、文人的な人が集まっている。
だから戦の上手なんて、思い浮かぶ名前はない。
「満伯寧」
「あ…………」
一度は私が上げた名前を賈文和が口にした。
後に孫呉を防ぐ藩屏となる満寵という人物だ。
忘れていた私を、賈文和は笑って肩を竦めて見せた。
「果断で豪胆なのがあの男の才覚。やるべきだと思えば迷わないもんで」
「ごぞんじなの?」
「まぁ、少々は。というか、あの太守がいなかったら、丞相閣下もご子息を江夏に置かんでしょう」
私が思うよりも曹家の祖父の信任が厚いらしい。
そして満寵は今回のために、江夏に据えられたと思っていいようだ。
(あ、東の海の向こうの知識にあるわね)
それは孫権が攻めて来たと聞いた曹家の祖父が、荊州に近い位置に据えていた満寵を、巣湖の流域に位置する汝南に置いたというもの。
これはもしかして、子建叔父さまが動かなければ、安城周辺にいたのは満寵では?
子建叔父さまが江夏に籠城するとなって、そちらに移動したようだ。
やはり子建叔父さまが江夏に出ることで、未来は変わっているわよね。
その変化がいい結果だといいけれど。
「えぇと、その満伯寧が、江夏の街の形を変えるほどの罠を実行したのね?」
経歴からして自らの信念を貫き通す人物。
それで楊彪という当時の大物政治家を捕らえている。
そういう権力に阿らない人柄だけど、そのせいか満寵は許昌の都に呼び戻されない。
それがもし、やりすぎるせいもあるのだとしたら、それはそれでやはり子建叔父さまが心配になる。
「街をあえて壊すこともいとわないような方だったなんて。子建叔父さまがそんなことの許可をだしたのかしら?」
大胆というか、豪胆な人かもしれない。
その上で、東の海の向こうの知識には横暴な部下を逮捕し、そのまま獄死させ、さらには自分も職を辞してる責任感もある。
これはもう、満寵の覚悟が極まってるからこその行動と思うべきかしら。
そしてそれに子建叔父さまが乗ったらしい。
そうでなければ江夏を守る西陵の街を崩すようなことできるはずもない。
「でしょうな。他に外から悠々と距離を詰めるこちらを出し抜く手もないんですよ」
「え?」
「よほど横から手出しされるのが嫌だったんでしょうなぁ」
賈文和は顎をさすって、上を向く。
まるでしょうがないとでも言いたげだ。
けれどそれって…………。
「どちらが嫌がったとお思い?」
「さて、ここは両方と言っておくほうが利口なんでしょう」
賈文和はわかっていてはぐらかす。
たぶん嫌がったのは子建叔父さま。
そして嫌がられたのは子桓叔父さま。
「気にしなくても、欺瞞工作投げ捨てて慌てて駆けつけたこちらを見て今頃ご機嫌さね」
「それはそれで、子桓叔父さまの眉間が険しくなりそうだわ」
私は思わずため息を吐いた。
すると賈文和が立ち上がる。
「そろそろか」
「まだ陣は整っていないようだけれど」
聞くと笑みを返された。
「ここからは荒事。方々はゆるりと陣が整うのをお待ちください」
賈文和は供を連れて子桓叔父さまのほうへ向かう。
私たちには守りがつけられて、動こうにも周りを固められている。
それにここは陣の真ん中。
残される兵も多いし、守備も整えられているので陣が整ったところで動く必要はない。
「何より、賈大夫が離れられたのなら、即座の危険はないと思っていいかしら?」
「その、長姫? あの者と話して、不快は?」
奉小が気遣う様子で聞くのは、どうやら私の伯父が殺されたことを知っているから。
「今は確かに曹家のおじいさまのために働いてくださっているわ。不快だなんて」
「模擬戦見てる時にも仲良く話してたな」
「別に仲は良くなかったわよ?」
その場にいた阿栄に否定するけれど、話の内容は聞こえていなかったらしく首を傾げる。
「それよりも、何故今動いたかが気になる」
元仲も陣が整うまではと思っていたようだ。
けれど賈文和と話していた子桓叔父さまも、すぐさま兵を並べ始めている。
どう見ても兵を出して即座に戦う構え。
すると小妹が細い指を差した。
「兵の向きは西陵のようです。お助けに向かうということは、何か悪い予兆が?」
急ぐ様子に、西陵の街を助けなければいけない理由ができたのではないかと。
けれどさっきまで話していた様子からそれはない。
大兄も同じ意見らしきことを言う。
「わざと引き込んだのだったら、守りをすぐさま破られるようなことはないだろう」
「横やりが嫌だと言っておられた。なら、この動きはきっと関羽を狙う上で必要なのでは」
大哥の言葉で、私は一つの疑問が浮かぶ。
「関羽は、今どこにいるのかしら? まさか一番に西陵へ攻め入るなんてことはしていないでしょう?」
いるとすれば兵の後ろで指揮をする、西陵の城の外。
兵は街に広がって攻め入る状況かしら。
「あ、そうだわ。関羽が今なら守りが薄くなっているのよ。そしてそれを誘ったらなら、きっと子建叔父さまも関羽を狙って動く」
江夏に誘い込むという形でより食いつかせ逃げないようにした。
だったらもう後は引き寄せた獲物に止めを刺しに動くだけ。
「子建叔父さまは関羽を狙って打って出る。その前に、子桓叔父さまが関羽を討とうと動いてるんだわ」
私の推測に、反対の声はない。
ただ全員が子供ながらには言ってはいけないことをわかっているらしい気まずい様子が窺える。
どうやらここに来ても、兄弟の争いが始まるようだった。
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