百十一話:敵も味方も
子桓叔父さまがやって来て、話していたら江夏行きが決定した。
しかも私たち子供を帯同することは囮の目的で。
子建叔父さまが自ら餌になっていたことを悟らせないため、嫌々軍事行動を起こすと言う体裁を取るために。
同時に子供の護衛を名目に多めの兵も連れていく。
それは結局呉軍は釣り出せなかった子建叔父さまの横から、子桓叔父さまが関羽を狙うため。
きっと一石二鳥という言葉はこういう時に使うのでしょう。
「いやぁ、またやりましたね。長姫」
声をかけて来たのは、遅い加入の謀臣賈文和。
今回は子桓叔父さまの下に配属されていた。
安城では会わなかったけれど、いたらしい。
今私たちは子桓叔父さまのすぐ近く。
だから謀臣の賈文和も一緒に移動している。
「子供連れて行軍なんて、本気とは思いませんさね。ましてやようやく動いた今の時期、丞相閣下への建前としか見えません」
やれやれと言いたげに首を横に振ってみせる。
まるでお株を奪われたとでも言いたげだ。
そのくたびれたような表情に野心はなさそうに見える。
けれど実績は、乱世の奸雄を敵に回して勝ち逃げした人物なのだから、真に受けることはできない。
東の海の向こうの知識では、晩年まで謀臣として戦地で功績を上げているし。
こうして連れて来られてる時点で、子桓叔父さまからも戦える頭数に入れられているのでしょう。
「そろそろお話してくれませんかねぇ?」
「…………私は何もしてません」
私はぷいっと横を向く。
またやっただなんて言いがかりだわ。
「いやぁ、確かに。安城ではずっと屋敷におられたのは知ってまさぁね。今回のきっかけになった時も、あの方からそちらにふらっとおいでになったようですし?」
賈文和は探るように話しかけて来る。
今は短い休憩中。
私たち子供は夏侯家の三人、奉小というあの場にいた者。
さらに司馬家の大哥と小小も一緒に来ていた。
もちろん子桓叔父さまが兵を出すのだから、息子の元仲も一緒だ。
これだけ見るからに体の小さい者が固まっていると、遠望しても子供がいるとわかるだろう。
「ゆっくり針が抜けないくらい食い込んでからってところだったのが、これだけ急いでことを進めてなさる。そう考えを変えさせる何かがあったはずなんですがねぇ?」
これはもしや、呉軍の、いえ、呂蒙の動きの予想を聞いていない?
そう言えば同行を求めて来た時には、もう樊城の方も動かれるよう手配するようなことを子桓叔父さまもおっしゃっていたわ。
その上釣り上げられなかったと、子建叔父さまに対して言っていたはず。
「もしや、予定よりもずっと早く動いています?」
「予定、何処まで聞いてます?」
お互いに疑問をぶつけあい、お互いに黙って窺う。
けれど私もこれ以上は情報がない。
「樊城と江陵」
野外なので手短に言えば、賈文和は頷いた。
「それも秘密裏に人送って打ち合わせの予定だったのを、前倒ししてますなぁ」
どうやら樊城との連携は、打ち合わせもしていない状態での決行らしい。
「それは危険では?」
「そりゃ、先に雲が辿り着けば取り巻いてしまうでしょうから」
わからないように言葉を飾る賈文和。
けれど雲は雲長という字から関羽のこと。
それが辿り着く先は拠点の江陵。
そして取り巻くは、守備を固めるということかしら。
確かにこちらが勇み足で関羽を逃れさせれば、樊城が江陵を攻める前に辿り着くこともある。
なのにあえてこれだけ急ぐ子桓叔父さまのその理由が、私にあると賈文和は見た。
これは言っておいたほうがよさそうな気がする。
「私は、お尋ねしただけです。…………呉軍が、隙を作ることはしないかと」
賈文和のへらへらしたような表情が一瞬で締まる。
無表情になった賈文和は呟くように言った。
「なるほど、呉軍の狙いはあちらと」
短い言葉で理解してしまったらしい。
私は東の海の向こうの知識があるからこそ、呂蒙の狙いに推測が立つ。
けれど賈文和は今まで動かなかった呉軍の様子と、呂蒙と魯粛の二人の思惑の合致に思い至り、狙う先が江夏でも江夏を攻める者の首でもないことに気づいた。
私が驚いていると、疲れたように大きく溜め息を吐きだす。
「いやぁ、ちょっかい出してくる可能性くらいは考えてましたが。けど、隙、隙と来ましたかぁ。こりゃやられた」
賈文和の言い方から、予想外があったらしい。
呂蒙は独自に陣を敷いて眺めるだけで、魯粛との連携はないと思っていた。
本気ではない、攻められはしない、そんな考えがあったのかも。
ところがそれを私が隙と形容したことで、呉軍として計略があって呂蒙が目立つ場所に立ち尽くしていたと考え直した。
魏軍に対しても隙があるように見せる罠の可能性があると。
(たぶん、東の海の向こうの知識的には、合ってる。けれど、なんだか含みが多すぎる気がするわ。私が気づかない何かに気づいているのかも?)
だって私には経験も実戦も何もないのだ。
それに比べて賈文和はその知恵働きで生き抜いてきている。
「私はただ、呉軍が目を掻い潜るのを、見ただけなので、明確に断言できることはないのですけれど」
「そう言えば、濡須口では本陣まで侵入されてたとか。確かにそういうことされると警戒もしまさぁね」
本来なら完全に虚を突かれ、本陣を散々に蹂躙されるはずだった濡須口の戦い。
それほど徐盛の急襲はらちがいの動きだったはず。
それが私たちといういないはずの存在が介入することで防がれた。
けれど今回はそもそもが起きなかったはずの戦いで、たぶん後には江夏の戦いとでも呼ばれるかもしれない状況。
それにどれだけ私たちが影響するかなんて本当にわからない。
「…………何か気がかりでも?」
見れば賈文和は何処か遠くを見据えるようにしていた。
私が声をかけると緩い表情を取り戻す。
「いやさて、風が吹きそうだと思いまして」
雲の動きを見てみるけど、そんなに動いてもいない。
風はあるにはあるけれど冬の冷たさを感じるばかり。
これもあえて言うほどには思えなかった。
賈文和が見ていたのは西のほう。
東の海の向こうの知識では、季節風という大陸から海洋へ向かう風があるそうだ。
だから今の時期風は西から吹く。
「なんにしてもこりゃ急いだほうがよさそうだ」
「風が強くなりそうなのですか?」
聞くと賈文和は誤魔化すように肩を竦めた。
「嫌な風が吹きそうってだけでさね」
そう言って、行く先の南、江夏を眺める。
「いやぁ、敵も味方も癖が強いもんですから」
関羽に呂蒙に、味方で言えば子桓叔父さまや子建叔父さま?
否定はできないわ。
そうしてゆっくり進むふりをして、距離を測りつつ南下を続けた。
安城から南には大きな道が通っているので、道なりに行くと東西に分岐する。
けれど、明日には速度を上げて道を外れることで、道より東にある江夏へ向けて進み関羽の虚をつくそうだ。
そう子桓叔父さまから説明された時、急使が駆け込んで来た。
「お知らせします! 江夏城内より火の手を確認!」
「門を破られたのか?」
子桓叔父さまは多くの人を送り込んで状況を確認していた。
父も徐盛の急襲の時には人を使って走らせていたけれど、一部始終を見ていた大兄と奉小がいうには、人数も判断の速さも子桓叔父さまのほうが桁違いらしい。
そしてここで言う城内は城砦じゃない。
江夏郡という地名に伴う江夏を代表する西陵という街のこと。
そして街は壁で防備を固めて籠城中。
城内はその街のことで、街から火の手とあってはただ事ではない。
「それが、自ら門の守りを放棄して城内奥へと立てこもったようだと」
奥とはそれこそ指揮所となる城砦や館のことだろう。
つまり、もう守るための壁のない状態。
しかも火の手となれば攻め落とされるのも時間の問題でしかなかった。
息を詰める私の横から、賈文和が歩みを進め子桓叔父さまに声をかける。
「こっちの動き察して先に賭けに出たんでしょうな。豪胆なことだ」
賈文和はまるで予想していたように言ってため息を吐いた。
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