十一話:字と簪
「そんなわけで母上までお金は大事だと言い出してしまったの」
話す私の目の前には親戚の大兄と小妹。
将来夏侯玄、夏侯徽と呼ばれる親戚の兄妹だ。
もちろん父の祖父に対するトラウマは伏せて、私たちを心配して金策に固執していたのだと説明している。
「まぁ、それは長姫の家のことだし清河公主さまが納得されたならいいんじゃないか? けど歌舞の代わりに学を修めるってそれは何処で披露するんだ?」
大兄が火鉢に手をかざしながら、妙なことを聞いて来た。
今日はさすがにお茶は出してない。
だいぶ嫌われたからね、さすがに仲良しにあれだけ避けられると悲しい。
「良妻賢母というでしょう。母上のように私も子に教えることがあるほうがいいじゃない。それに経書くらい習い覚えておかなくては将来夫となる方と会話もままならなくなりそうじゃない?」
「そ、そうかもしれません。私も詩文ばかりでなく経書も、いえ、いっそ兵法書についても?」
私の意見に小妹が頷いた。
きっと父親である伯仁さまを思い描いているんでしょうけれど、より使いどころに困ることを言い出す。
大兄は首を傾げていまいちな反応だ。
「日常的に経書の内容話すか? 兵法書についてなら、父上たちも良く論じてるけど。そこに母上が入られるなんてことないぞ」
「あら、話に入るかどうかじゃないわ。言っている内容がわかるかどうかで気分は違うものよ」
「一緒にいられる理由にもなりますし、後で話すこともできます。わからないよりわかるほうがいいと思うんです」
小妹は私の言いたいことを理解して大いに頷く。
そんな様子に大兄はじっと私を見た。
「大伯父上が長姫の嫁入りは大変だって言ってた理由がわかった気がするな」
「え、何それ? 妙才さまが私の嫁入りの心配?」
どうやらそんな話になったのは、私たちが帰ったあとでのことらしい。
「絶対丞相が口出すって、大伯父上が言っていた」
「元譲のおじいさまは断固拒否なさるそうです」
「え、えぇ?」
結婚は家同士の関係の上で成立する。
私の両親も、両家の縁を確たるものにするための政略結婚だ。
私もそうなるだろうし、曹家が子桓叔父さまの時代に宗家に代わるので、より血縁のある私の結婚は重要になる。
というのも、将来皇帝になる子桓叔父さまの上に立てるのは母だけで、それは身分ではなく生まれた年功という道義的に覆すことのできない関係だ。
歴史の表に出ることはなくても下に置かれない習俗を皇帝と言えど軽々しく扱えない。
(けれどまさかそこで祖父同士が対立って)
予想外過ぎる。
「けれど候補なんてそんなにいないでしょう。きっとその時になれば意見の一致もあるのではないかしら?」
そう言って気づいた。
どちらも四年後に死亡するんだったぁ。
その時私はまだ十一歳で、つまり成人してるかどうかの年齢だ。
心配の必要なんてないとは思うけど、可愛がってくれる祖父たちの死を受け入れられるほど薄情でもない。
これはおじいさま方の遺志を汲むことをしたほうがいいのかしら?
正直、風邪で死にかけるこの体でまだ結婚なんて考えられないのだけれど。
「一番の候補はやっぱり子桓さまのご子息だろうしな」
何げない大兄の言葉に私は固まる。
そんな私に気づかず小妹も笑顔で同意した。
「えぇ、可愛がられているのですから、丞相も曹家に迎えたいとおっしゃるだろうと大伯父上も」
全く悪気なし、疑問もなし。
けれど私は冷や汗が止まらない!
(従兄弟同士の子供が結婚はまだいい。けれど、さらに従兄弟の間柄の私とあの方が結婚しては、遺伝的にまずい気がする)
それは東の海の向こうの知識だ。
血が近すぎると病がちな子が生まれる可能性があり法で禁じるほどの問題。
この時代にも過去の聡い方がそうと見切ったのか決まりを作っている。
それは同姓婚の禁止。
そうすれば近い血縁同士で婚姻を繰り返すことはなく、弱い子供も生まれない。
(確かに曹家と夏侯家で姓は違うけれど! それじゃ意味がないの!)
宦官で子がなせない曹騰という方が、夏侯家から養子をとった。それが曹操の父親。
夏侯氏が養子入りして曹氏を名乗っているだけ。
両親のみならず祖父同士も従兄弟という血筋なのだ。
つまり私は曹家に相当血筋が近い。
私の結婚相手として名の上がった曹叡自身は、五つ上で将来皇帝という有望株だけど、ない!
駄目、絶対!
私の時点で病がちなのにもっとひどい病状の子が生まれるかもしれないのだ。
「私は、ほら、一人娘だから。婿を取ることになる、かも?」
「あぁ、確かに。あの可愛がりようからすると嫁には出さないかもしれないな」
「夏侯家から養子を取って継がせるよりも婿のほうがありそうですね」
よ、よかった。納得してくれた。
自分で言っておいてなんだけど確かにありそうな話ではある。
慣例として娘は嫁にだし、息子がいないなら親戚から養子を取るのが当たり前だ。
血筋の保存よりも家名の継続を重視する、族としての社会集団の趣が強い。
(落ち着いてちょっと頭が回って来た。そう言えば五つも離れてるんだから、私の成人待たずに婚姻してもおかしくないんだよね)
歴史では子桓叔父さまの後継者になる前から結婚をしていたし、相手は夏侯氏ではない。
正妻は政略で選ばれ、そして第二夫人は好みの相手ということも珍しくない世の中。
もしくは外の妾が男児を産んだら夫人に昇格とか、そういうご時世だ。
私の血筋を重んじる政略結婚なら、正夫人にできない年齢の開きは結婚相手に向かない気がする。
「それに子桓叔父さまは今大事な時期でしょうし、まだご長子の婚姻を早計に決められることもないでしょう」
「大事な時期?」
大兄が私に聞き返し、小妹もわからない様子で可愛らしく首を傾げる。
(しまった! 私は歴史で知ってるけど、まだ今年は始まったばかり。継嗣争いは本格化してないんだ)
知るわけがないことを言ってしまい、聞き流し作戦を決行。
「どういうことですか?」
なのに小妹が純粋な目で聞いてくる。
あ、しかもこんな時に余計な知識が出て来た。
夏侯家の中で一番子桓叔父さまと仲がいい人。それは二人の父である伯仁さまらしい。
(だから将来、小妹は子桓叔父さまの一番の臣下である司馬家に嫁ぐのかぁ)
与党を血縁的に結び付けてより強固な団結を狙った政略結婚。
子桓叔父さまが生きている時にはそれでよかったけれど、最終的に曹家に歯向かうことになる司馬家は血縁も濃い夏侯の妻が邪魔になった。
「…………小妹、結婚って幸せになるべきだと思うの」
「えぇ、家同士の仲を取り持って良き関係を築けたら幸せですね」
違うんだけどなぁ。
結婚がまず個人のことじゃない時代だから、このずれはしょうがない。
「まだ子桓さまのご子息には結婚の話なかっただろ? まさか、小妹が候補に?」
大兄が勘違いして目を見開く。
私と一歳違いだからないこともないけど。
それはそれでやっぱり私と同じ問題を抱えることになる。何せ小妹の母親も曹氏だ。
「早計は駄目よ。まだ先の話だわ。だって私たちまだ、字もなければ簪も差してないのよ」
それは女子の成人の儀式。
名を改めて簪を挿して初めて結婚が可能な年齢であると周知する。
私も小妹も簪はない降ろし髪だ。
まだ、まだ小妹が不幸な結婚をするには時間があるはず。
「今はほら、私たちより上の子桓叔父さまのご子息こそ、婚姻を睨んで吟味しているはずで、私たちを候補に入れるには早すぎるのではないかと思うの。私、病弱だし?」
「元気な時には元気なんだけどな」
「もしや、私は長姫よりも先に、婚姻も?」
小妹の呟きに、私と大兄は息を飲んだ。
「まだ早いだろ」
「先に行くなんて寂しいことを言わないで」
引き留める気持ちは同じだけれど、言葉の違いで小妹は私に微笑みかけてくれる。
なんだか悔しそうな大兄の視線を感じるけれど、私は可愛い小妹と笑い合って気づかないふりをした。
GW中毎日更新
次回:司馬家連行