百六話:動く者と動かない者
子桓叔父さまとの面会を終えて、私は元仲に送られた。
「長姫、今日はしっかり休むように」
「ちょっとお話しただけなのに、心配が過ぎるわ」
「本来屋敷をほとんど出ないのだから、移動だけでもつかれるだろう」
「けれど濡須口周辺ではもっと動いていたのだから、いっそ今から鍛えたらいいと思うの」
「あれは特殊すぎる。それにけっきょく無理をし過ぎて倒れただろう」
なんだか手のかかる妹に諭すように言われる。
実際元仲には妹がいるし、近い感覚なのかもしれない。
「…………母上がいないのに、そこまでうるさくしなくても」
「そちらから、目を光らせるよう要請があってる」
母は私の行動をわかっていたらしい。
屋敷の中には侍女と家妓がしっかり待っているし、これは大人しく休むしかないわね。
「わかったわ。けれど明日、みんなを集めるから元仲も来てちょうだい。子桓叔父さまと何を話したか聞かれると思うから」
「私はいらないだろう?」
「そんなことないわ。私は戦場について詳しいことは知らないもの。それに言わないほうがいいことがあれば止めてほしいの」
「そうか、わかった」
約束をして、その日は別れた。
そして翌日。
夏侯家にあてがわれた家だから大兄、小妹、阿栄は最初から同じ屋敷にいる。
そこに元仲、荀家の奉小、司馬家の大哥と小小がやって来た。
「大哥、手を貸すわ。小さいけれど廊下に段差があるの」
「いや、歩くくらいなら片目でも大丈夫だ。小小のほうを頼めないだろうか?」
まだ片目を覆う形で包帯をしている大哥だけど、好奇心旺盛な弟のほうを気遣う。
私は小小の手を引いて案内に立った。
そんな様子に、身内がこそこそし始める。
「ずいぶんと甲斐がいしいな」
「私たちも心配したんですよ」
他人ごとの大兄に、前線で一緒に看病をした小妹がムッとする。
なので心配するに足る理由を私も上げた。
「寝てるしかない状況って不便しかないのよ。だからって、たまに動けるとなると上手く足が動かないこともあるし」
「それは、手が必要なのは長姫じゃないか?」
奉小が心配して私に寄り添うように近くへやって来る。
それを見ていた元仲が首を傾げた。
「長姫は確かによく寝込む。なのに何故あんなに強いんだろう? 父とも普通に会話をしているし」
「子桓さまもそうだけど、元譲さまにも怒ったことあるから怖いもの知らずなんだよ」
阿栄が余計なことをいうせいで、知らなかった夏侯家以外から驚きの視線が寄せられた。
父に駄目だめというから怒っただけで、それに夏侯のおじいさまには私が怒ったところで全然効いてなかったわよ。
そんなことを話しつつ、正房へ。
上座に元仲を据える以外は適当に座る。
「それで、昨日呼び出されて何があったんだ?」
阿栄が待ちきれず、すぐさま聞いて来た。
私は説明を元仲にお願いする。
「大まかには、濡須口での戦いは近く終わるという予想が立っている」
時期が冬であることと、そもそも示威目的であることを話す。
さらに曹家の祖父が孫権を試すと言っていたことも話した。
「それは聞いたな。長姫が濡須塢を壊したらどうかと言っていたのを採用されたようだった。捕虜をその交渉に使えないかと」
「大哥に怪我させたのに?」
大哥は聞いてたからそう答えるけれど、今になって理解した小小は不満を漏らす。
交渉に使うとなると、無事に返すということだから。
それに奉小が宥めるように手を上げた。
「その場で一矢報いることもできなかったのだから、しょうがない」
「軍の手に渡った者に報復など愚かな行為だ。不満はあっても口にすべきでもないな」
大兄も言葉の上ではわかっているようだけれど、表情には悔しさがある。
それに頷いて、大哥は小小に目を向けた。
「もちろん、次はない。今度は私の手で一矢報いるとも」
怪我した本人なのだから、暴力にさらされて恐ろしい思いをしたはず。
けれど小小のためもあって、不安がらないように大哥は言って見せた。
「話を戻そう。現状、呂子明は濡須口ではなく荊州へ移動。そして内部での蜂起を鎮圧するため、賀斉という将が濡須口を離れた。捕虜二名もあって、濡須口には戦える者が少ない。攻勢の機運も減じている。かと言ってやすやすと長江を渡らせもしない」
「濡須口はどうあれ、魏軍も呉軍も戦う気がなくなって終わるってことか」
ちゃんと考えて状況を整理した阿栄に、元仲は頷き先を話す。
「そして江夏のほう。立てこもる子建叔父上を関羽が攻撃した。もちろんそう誘導したのだから今は耐えている。そして、荊州の呉軍は動いた。呂子明率いる兵が、江夏を眺める位置に陣を敷いている」
こちらが話すだけではなく子桓叔父さまから情報ももらっている。
子建叔父さまには、満寵など近場で実戦経験のある者をつけて江夏で籠城させているそうだ。
良く守っている状況だけど、それは同時に耐え忍ぶことだというのも私たちは体験して知っている。
そして関羽は威圧的に攻撃しているけど、他の荊州にいる蜀軍は動いていないらしい。
「樊城に曹子孝さまがいるから、守りをおろそかにできないせいもあるけど、どうやら蜀の方々は仲がよろしくないらしいの」
「そこに、長姫が離間の計を提案した」
「それを言い出したのは子桓叔父さまよ。私は、今からじゃできないというから、小さなことでも効くんじゃないかと申し上げただけ」
たぶん想定は、曹家の祖父のように内部に反乱勢力を立たせることだった。
けれどもっと簡単にと言った結果、子桓叔父さまは江陵に火付けを提案してる。
うん、絶対そんなの私が言い出したとは言ってほしくないわ。
「火付けで離間か。そう言えば、関羽は同輩を大事にしないとも聞くな」
「確か上を敬い、下を慰めることはしても、同輩とは競うことしか考えないとか」
「あぁ、劉備の寵を争うみたいな話を聞いたことがあったな」
大哥、奉小、大兄が関羽に関する噂を上げる。
そう言われると、東の海の向こうの知識にも浮かぶものがあった。
後に名を馳せるけれど、後発の武将である黄忠や馬超といった相手には無礼で喧嘩腰だったとか。
自らが第一の将であると自負していたため、それが一種の傲慢になったのかもしれない。
「…………魯子敬という大都督はどうしているかしら? 本来荊州の守りだけれど、濡須口から移動した呂子明は陣を敷いている。一番上である魯子敬の動静は聞こえない?」
「確かに聞こえていない。叔父上の動きで守りを強化するために呂子明が出ているかと思っていたが。そう考えると、関羽側に声をかけてもいないのは不自然か」
現状蜀軍と呉軍が連携していない様子に、元仲も考える。
つまり、軍事に参加する元仲にも魯粛が動いたという報告は聞こえていない。
「動けないのかしら?」
「なんで?」
悩んで呟く私に、阿栄が即座に聞いてくる。
理由なんて東の海の向こうの知識で、今年の秋に魯粛は亡くなるというだけ。
今は冬で、あと一年もないし、すでに体調不良でもおかしくはないんだけど。
「いえ、そもそも曹家のおじいさまを敵として重きを置いているのよね。であれば、関羽を目の敵にはしないはずだし、考えなくていいのかしら?」
「確か諸葛孔明は天下三分の計を考えたが。魯子敬は天下二分の計を描いているとか」
大哥がいうには、魯粛が天下をわける敵とみなしたのは魏であり、蜀は数に入らないそうだ。
「あぁ、だから荊州を争う中でも強くは出ないのか。取り込む目論見ということか?」
「去年も反乱起こされているのに。さすがにそれは甘い見積もりがすぎないか?」
奉小に大兄が肩を竦める。
その言葉で私は納得した。
「そう、たぶん魯子敬の融和路線は受け入れられない。だから呂子明が荊州に入ったんだわ」
魏を敵と睨んで、蜀とは争わないことで濡須口に注力しようとした魯粛。
けれど、蜀も敵だから関羽の軍事行動は無視できないと呂蒙が出た。
動いた呂蒙と、動かない魯粛。
そこに意見の違いがあって、対応にも違いが出ているのではないかしら。
「状況としては、魯子敬の懸念のほうが当たりだ。けれど、当事者となればこの結果を警戒して動かなければいけない。呉は、地の利に頼りすぎたのかもしれないな。早い内に蜀を荊州から追い払うべきだった」
確かにそれができていれば、荊州で三竦みのような状況は起きなかっただろう。
そして元仲もいずれは臣下の提案から正解を選ばなければいけない立場だからか、真剣に考える。
けれど考えを振り払うように、息を吐き出して顔を上げた。
「狙いどおり釣りだした叔父上はすごいな」
困ったように笑った元仲。
今もまだ継嗣の争いが終息したわけではない状況では、諦めにも聞こえる言葉だった。
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