百三話:合肥から
父の隊に率いられて、私はようやく合肥へ戻った。
お正月前に居巣へ行くだけだったはずなのに。
開戦から今日までひと月以上が経っている。
そして父から助言があった。
「いいかい、ひたすら謝罪の言葉だけを口にしなさい。思うところはあるだろうが、ぐっと我慢だよ」
夏侯の祖父に呼び出しを受けた際の言葉だ。
さらには母からも諭される。
「父、いえ、丞相閣下は戦時ということで対応を甘くしています。けれど、本来は戦時であるからこそ厳しく当たらなければいけない規律があり、通すべき筋というものもあります。良くよく耳を傾け、反省の弁のみを口になさい」
厳しい表情を作っているけれど、母の目は心配そうだ。
その上で、私たちだけで面会することになる。
他に同席するのは、夏侯の祖父の側の役人らしき人たちや、巣湖南岸に残した兵など。
つまり今回私たちが呼び出されたのは、本来立ち入ってはいけない前線へと足を踏み入れたことへのお叱り。
私たちは厳しい顔をした夏侯の祖父から雷を落とされた。
結果が良かったからと言って、経過の悪さを棚に上げるなと。
次はないとか、子供だから償い方がないだけで許されたと思うなとお叱りに次ぐお叱り。
「過ちを犯したことの挽回さえできぬ未熟さを忘れるな!」
そうして叱責を受ける私たちを、夏侯の祖父の周囲が止めて、取り成すというひと幕もあった。
その上で、曹家の祖父が許したことや、結果として失態よりも大きな益をもたらしたなども話に上げられ、前線での私たちの行いが共有される。
母が言っていた筋を通すということなのだろう。
こうして大きな声で叱責されるのを、またより大きな声で止めて、過誤だけではないと訴える。
ただただ許されたでは、子供だから大目に見られた、子供を使えば許されるなんて軍律のゆるみにも繋がるから、理由があるのだと大勢の前で言わなければいけない。
だからあえて子供の私たちも同席させての叱責と許しらしい。
「怖かったけれど、結果はお咎めなしなのよね」
許されて退き、震える小妹の背を撫でつつ私は息を吐いた。
すでに上から叱られたという形で、筋を通す必要があったことはわかる。
それで勝手をして許されるわけじゃないと内に示すためだ。
結果的に私たちを抱え込んで戦わなければいけなかった兵士たちの留飲を下げるとか、そう言うことなのだろう。
何せ兵士たちは命がけだったのだから。
「親戚の集まりで怒ってる時より怖かった…………」
「父上も戦場ではあんな風に示しつけてるのかなぁ?」
夏侯家の大兄と阿栄が、親類だからこその衝撃を受けた様子で話し合ってる。
「良かった、夏侯家ではあれが普通かと思った」
文官の家系の奉小が思い出したように身を震わせる。
それに怪我をおして叱責された大哥が応じた。
「夏侯河南尹より直々に叱責されたとなれば、家でも叱られることはないだろうな」
「大哥はそれほどの怪我をしたのに、叱られることまでする必要はなかったと思うわ」
私は思わず言い返す。
一応、それだけの怪我を負って急襲を防いだという形での擁護がされた。
記録係もいたから、それらのやり取りは報告として関係先へと届けられるはず。
最終的には夏侯の祖父が擁護する者の意見を容れて矛を収める形だったし。
だから司馬家も荀家も事情を目にすることができて、河南尹以上にものを言える人じゃなければ叱れないというようになったのもわかる。
それでも、と思ってしまうのは我儘かしら?
「私があの場にいて、名のある方に評価される。その演出が必要だったんだと思う」
大哥としては、怪我に見合った評価の言葉はあったと受け入れるらしい。
それに今度は奉小のほうが頷いた。
「確かに。あんな不意打ちで、才なく傷を残したなんて言われるのはな」
「あ、めちゃくちゃ大哥を褒めてたのはそう言うことか」
阿栄が言うように、私もあの場で大哥が言及された意味に遅れて気づいた。
それでも大兄は、悩むように呟く。
「それでも、戦うための場であるということを失念していたのは否めない」
珍しく反省するらしいのは、たぶん修練と言って連れ出したことに責任を感じているからだろう。
そうして話していると元仲がやって来た。
一人だけ部隊長として別に報告を行っていたのよね。
「皆、揃っているか?」
「どうしたの?」
仕事上、本来は合肥から巣湖までの移動の責任者だった。
それが濡須口へ行って、そこから戻るまで私たちを纏める立場に収まっている。
合肥に戻った今、元仲が私たちを世話する必要はないはずだけれど。
「大哥の怪我の静養のためにも、合肥からさらに後方に移動すべきだとの話が出た」
「ここでも、静養はできるのでは?」
当の大哥があまり移動には乗り気ではないらしい。
裂傷と打撲で顔は腫れ、目元にも傷があり、骨折の可能性もある状況だ。
だから今も顔の半分を布で覆っている状態で、傍から見れば重傷。
より安全に静養するとなれば、戦場からより離すという意見もわからなくはない。
「親御どのの元へ返すべきだと言われている。小小もいるからな」
言われて、私たちは夏侯の祖父に怒鳴られてから、大哥から離れない小小を見る。
確かに衝撃的なことばかりで、今まで騒がないでいたのがいい子すぎるくらいだわ。
ここには伯父の伯達さまがいるけれど、戦況によってまた前線への移動もあり得る。
だったら直接動くことのない仲達さまのほうへ早めに送り返すほうが安全ということなのだろう。
「で、いっそ私たちも一緒に移動すべきではないかという話になった」
「私たちも?」
私が自分を指すと、元仲は頷く。
「前線の報告を届けに私は安城に移動する。そうなると、長姫も一緒にと言いだすのではないかと言われた」
「え、誰に?」
「丞相閣下」
曹家の祖父ってことは濡須口ですでに、大哥を連れて報告を持っていくよう言われていたのだろう。
さらにその時に私も同行するなら、いっそ子供全員一度下げるよう言われたそうだ。
「どうして私が行くと思われたの?」
「大哥を心配していたことと、そもそも同行した理由が父親を心配してだった。その心配の先が変わったなら動く。そして、もう一つ心配事があるはずだと」
完全に読まれてる…………。
みんなが私に答えを求めるように目を向けて来た。
「…………子建叔父さまがどのような状況か、気になってはいるわ」
「確かに、安城の子桓さまなら知ってそうだな」
阿栄が言うと、大兄と奉小も頷く。
「というか位置的に濡須口と荊州の両方の情報集積、そして許昌と連絡する位置だ」
「合肥に近い寿春を選ばなかったんだし、荊州の状況を知らないわけがないだろうな」
小妹は私に寄ってくると、見あげてきた。
「私は長姫が行かれるならお供します。一人は嫌です」
大兄いるけど部屋は男女別だものね。
「なんだか私がみんなを振り回しているような気がするわ」
「いや、自分で選んでいる」
「経験にはなるよな」
「貴重な学びがある」
「今さら気にするな」
「反省はあるが後悔ない」
小妹と小小は目が合うと笑いかけてくれる。
誰もさらに安城へ後退することに反対はないらしい。
「では、元仲さま。改めてよろしくお願いします」
なんだか慣れてそのまま呼んでたけど目上だったわ。
改まる私に元仲は笑って応じる。
「任された」
許昌にいる頃の神経質そうな様子は薄くなり、これから子桓叔父さまのところへ行くのに嫌がる様子もない。
思えば元仲も子桓叔父さまと移動することはあっても前線までは行くはずもなかった。
それが今、東の海の向こうの知識にはない動きをしている。
違う経験で何か成長があったのかしら?
(歴史的に皇帝としての評価は悪くない。後は、女性関係よね)
そこの改善の兆しがないものか、私は従兄を前にそんなことを思ってしまったのだった。
週一更新
次回:食いついた獲物