百話:左目の傷
一日が経って、結果を言えば全員命は助かった。
けれど、負傷者は出てしまっている。
「う…………」
「大哥? 大哥、気が付いた?」
「長、姫…………?」
「うぇーん!」
「うわ、小小か? なんだか、目が、開かない?」
寝ていた大哥が呻いて意識が戻った途端、小小が抱きついたまま泣きだした。
私も握り締めた大哥の手を額に当てて涙が零れるのを止められない。
大哥は、顔の半分が腫れあがり、傷のない顔の右側も引き連れて酷いありさまだ。
熱も酷く助けた後も意識が戻らないでいた。
(何より、左目に傷を受けるなんて)
大哥は、将来司馬師と呼ばれる人物。
そして司馬師の死因は、左目に悪性のこぶができたことだった。
その病状が悪化したことにより死亡する。
言ってしまえば、左目が悪くなって死ぬのだ。
(せっかく上手くいったと思ったのに! この傷が元で悪くなって死んでしまうなんてことになったら…………)
私はなおも不安でいると肩を叩かれた。
見れば心配で来ていた元仲だ。
「大哥、大変な目に遭ったな。敵はすでに捕らえてある。安心するといい、皆無事だ」
「そう、ですか。ありがとうございます」
腫れた顔では喋るのも辛そうだ。
そこに阿栄が他のみんなを連れてやって来る。
「ほらな、目が覚めてるだろ!」
「いや、目開いてるかあれ?」
「昨日よりも顔腫れてるじゃないか!?」
「あ、お水! 持ってきます!」
呻き声で目覚めると察して呼びに行ったらしい阿栄。
大兄が目も上手く開けられない状況を指摘すると、さらに後ろから見た奉小が驚きの声を上げ、小妹が慌てて外の者に声をかけた。
その賑やかさに私の涙も引っ込む。
「はぁ…………大哥。目を覚ましてくれて良かったわ」
「長姫が、見ていてくれたのか?」
大哥はぐずってる小小を撫でつつ、弟の世話について聞いてきた。
「私も心配だったのよ。血まみれで戻ったんだもの」
「私以外に、怪我は?」
「小小が強く掴まれてあざになってるのと、阿栄の頭にこぶができてるくらいよ」
つまり、流血するほどの大怪我を負ったのは大哥だけ。
それから小妹が水と布をもって戻った。
それで熱のある顔を冷やしつつ昨日の話をすることに。
「俺と大兄が訓練しようぜって他誘って、邪魔にならない場所探してたら音がしたんだ」
「私たちも聞きました。どうどうすごい音がしていて、水の音らしいです」
最初から話す阿栄に、小妹が私と一緒に捜した時のことも補足する。
やっぱりその音を確かめに木立に入ったそうだ。
そして水音近くで、突然大哥が横から殴られた。
当たり方が悪かったらしく、その時に左の額から頬骨にかけて裂傷ができている。
腫れてしまっていて、まだ眼球は確かめられていない。
けれど医生が無理に開いて一度だけ確認したところ、眼球摘出は必要ないだろうと。
そんな恐ろしいことを聞いてしまってから、私も死んでしまうのではないかと余計不安になってしまった。
「それで、阿栄が叫ぼうとしたのを別の者に殴られて昏倒した」
「私たちが気づいた時には囲まれていて、小小が人質に取られたんだ」
無傷だった大兄と奉小は、運が良かっただけだったようだ。
みんなが出会ったのは、予想どおり呉軍の急襲部隊。
子供ばかりと見て露見の前に制圧し、混乱して泣き叫びそうな小小は口を覆われる形で捕まった。
大兄と奉小はともかく小小が殺されないようにと恭順を示し、その上で小小が泣き叫ぶのを抑止するためにと理由をつけて、血を流す大哥の手当てをしていたそうだ。
と言っても持っていた布で血の止まらない傷口を押さえるだけ。
阿栄も死んでないことを確認したものの、兵士に囲まれた状態で身動きが取れなかった。
「僕たちを、探す声がしたの」
大哥に慰められながら、小小が訴えた。
それは私たちが探す声だったらしい。
父と兵も連れていたことからやり過ごす方向で黙っていろと脅されたという。
同時に声を潜めてもいなかったから、水に落ちて戻ってこないのではと捜していることも潜む呉軍にわかっていたそうだ。
目撃者を始末するにも、近すぎて隠れているだけで精いっぱい。
去るのを待つ方針で隠れている時、私と小妹が近づいて大兄と奉小は声を上げるべきか迷っていたという。
「長姫が小小の靴が見えることに気づいて露見したらしい。すぐには騒がず、そこから増員して囲んで投降を持ちかけたと聞いている」
元仲も知ったのはことが終わってから。
意識のない阿栄が運び込まれたというのが第一報で、慌てて駆け込んで来た。
けれど阿栄は現場ですでに意識を取り戻し、昏倒する時に軽く足を捻ったから人の手を借りて運ばれただけ。
そしてこぶができてるけれど、今では元気だ。
「いやぁ、子林さまが出てこいって言った時はちょっとかっこよかった」
阿栄は気楽にそんなことを言う。
道具を持って来させたり、辺りの地形を調べろと言ったり、父はこまごまと人を動かしてその場を動かずにいたとか。
その裏で伯達さまと張将軍が密かに包囲を作る連絡役を走らせた。
包囲が完成したと聞いて、父が相手に投降を求め、阿栄が言ったような台詞を投げかけている。
「子林さまが普段と全然違った。ちゃんと夏侯家の男なんだと感じたな」
「司馬伯達さまもお目どおり願った時の優しさを感じない凛とした佇まいだった」
大兄と奉小曰く、身内を傷つけられて父も伯達さまも怒っていたようだ。
ただ、何より奇襲を断念させたのは、張将軍の存在だったらしい。
「全然迫力が違ってさぁ。さすがだよな」
「指揮を執っていた呉軍の徐盛という者は先年痛手を負わされていたそうだ」
「そうだ、先ほど、実は他にも仲間がいたものの、逃げられたと聞いた」
阿栄と大兄が言い合うと、奉小が新情報を入れて来る。
呉の徐盛たちを捕らえて本陣に収容した後、周囲の捜索がされたという。
そして増水した河辺に、何者かが潜んでいた痕跡と壊れた船が打ち捨てられていたそうだ。
ただすでに逃げられた後で、徐盛は捕まっても仲間がいることは言わずにいたという。
「小小が、捕まっていたなんて。痛いところはないか、小小? 小小?」
「まぁ、寝てしまっているわ」
目が使えない大哥が心配して声をかけるので確かめれば、ぐずっていた小小は安心して寝てしまっていた。
大哥は目が開かないなりに弟を撫でて無事を確認する。
「ふがいない。長姫はもちろん、小小を守ろうと考えてくれた大兄と奉小もありがとう」
「私は人を呼ぶことしかできなかったわ」
「こっちも助けられただけでしかない」
大哥に、私と奉小が応じる。
ただ大兄は別のことを口にした。
「早く大人になりたいと言っていた阿栄の気持ちが少しわかった」
「だろ? 武装してれば、兵を率いる立場だったら、あいつらにやられっぱなしじゃなかったかもしれない」
阿栄が大いに頷くと、それに元仲が苦言を呈す。
「慢心はいけない。だが、確かにあの奇襲に気づいて阻止していたら、相応の評価があったかもしれないな」
今は、残念ながら阻止できていても子供じゃ評価されない。
軍は序列や勲功の決まりがあり、その中に髪も上げていない子供は含まれないから。
そもそも評価する基準が存在していなかった。
今回のことで評価されるとしたら、援軍を求めた父、包囲を作った伯達さま、そして投降を実現させた張将軍だろう。
「でも、もし大人だったとしても、あの場に行く理由がないと、結局は評価されないわね」
持ち場を離れるなんて、相応の理由が必要だし、阿栄が言い出した修練なんて仕事中にするものじゃない。
ただ指揮を執る立場の父と伯達さま、そして張将軍は異常事態を察しての行動で怒られはしない。
特に張将軍は名の知れた武将の捕縛は二人目で、より名を上げるだろう。
「あら、寝てしまったわ」
そうして話していると、気づけば大哥も寝ている。
ここは怪我人のための天幕なので、小小は移動させ、大哥には肩まで寝具を引き上げてから、私たちは天幕を後にした。
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