血まみれの戦い
「小隊長には連絡済みです」
俺は、エレベーターの中で携帯端末の画面を空間投影し、小隊長に報告しようとした。
そんな俺の様子を見て、セシルさんが状況を教えてくれる。
俺は画面を閉じ、緊張感に包まれたセシルさんの大きな瞳に視線を向けた。
「ブレインAIインターフェースを使いました。あと、ドクター・ホフマンに監視カメラへのアクセス権付与をお願いしています」
ブレインAIインターフェースはテレパシーのように頭の中で考えるだけで他人と意思疎通が可能だった。いちいち機器を操作しアプリを立ち上げるのに比べ格段にスピーディーだ。
「火星の奴らですか?」
俺の手のひらが、じっとりと汗ばみ後頭部が熱を帯びた。俺はまだ実戦を経験したことがない。
「不明です。今、監視カメラのアクセス権を得ました。敵は光学迷彩を装備しているらしく、よく見えません」
光学迷彩は人や物を透明に見せかける技術で、敵の内部に侵入する特殊部隊が装備することが多い。不意打ちにはうってつけだが、味方同士も視認できないというデメリットもあった。それに完全に見えなくなるわけでもない。極めて視認しづらいが、背景の景色の歪みを感じることができるので、身動きすれば存在はわかってしまう。
それにしても敵はどうやって侵入に成功したのだろう。
光学迷彩を装備した特殊部隊が、我が軍兵士のICチップを奪って忍び込んだというのはわかるが、この宇宙要塞まではどうやって来たのだ?
遮蔽物のない広大な宇宙空間で、我々に気づかれず、多くの宇宙要塞やスパイ衛星が構築する索敵網を突破するなど不可能なはずだ。未知の技術を使ったステルス艦だろうか? だとしても光学観測や赤外線センサーで発見できないはずがない。
「サー・イエス・サー。直接、反物質保管庫前に急行します」
セシルさんは、俺が考え事をしている間もブレインAIインターフェースで小隊長とやり取りをしていたらしい。彼女は小隊長との会話を俺のためにわざわざ言語化してくれた。そうしないと俺には全く状況が分からなかっただろう。
「お手数かけます」
「なんの、情報共有は大切ですから。それよりも早くヘルメットを被りましょう。大概の情報はヘルメットのヘッドマウントディスプレイで共有できます」
セシルさんはそう言いながら先にヘルメットを被った。彼女の美しい頬が武骨な金属に覆われる。俺も慌てて後を追うようにヘルメットを被った。
ヘッドマウントディスプレイを下ろすと、透過スクリーンに〈敵襲、総員、反物質保管庫前に集合〉という緊急指令が表示されていた。
「あの、俺、初めてなんです」
当然、実戦経験のことだ。不安に駆られた俺は、ついつまらないことを口にしてしまった。
「私もですよ。何にだって初めてはあります。それがたまたま今日だったという話。大丈夫、ショウさんなら普段通りやれば大丈夫ですよ」
ヘルメット姿の彼女は俺に硬い笑顔を返した。俺は心が温かくなった。
しかし、視線を落とすと、彼女の指先が震え、それを自分でしっかり握りしめているのが分かった。
迂闊だった。上官とはいえ彼女も士官学校を出たばかりだ。実戦経験などあるわけがない。
「すみせん」
俺は、心の中で自分自身に対して、甘ったれるなと罵倒した。
「変ですよ、そこ、謝るところじゃないと思いますけど」
セシルさんに苦笑するような表情が浮かんだ。俺は救われた。
「そうですね……戦況はどうですか」
「残念ながら我が軍は苦戦しています」
セシルさんは桜色の唇を真一文字に結んだ。そうすると唇から血の気が引いて色が少し白くなった。
苦戦というのは相当に控えめな表現だったと思う。
俺とセシルさんはエレベーターから降りると広いロビーを駆け抜けた。
ロビーにいた警備兵たちはすでに戦場に急行したあとらしく、途中、他の兵士に出会うことはなかった。
磁力靴の発する高い靴音だけが響き、現実感がまるでない。
しかし、いくつかの扉を抜け、角を曲がって反物質保管庫に近付くと風景が一変した。
ほぼ無重力の環境下に真っ赤な霧が、水滴が、大量に浮かんでいた。
血だ。
そして血液だけでなく人間の欠片も無数に漂っている。
それも、ほとんどが青い簡易宇宙服を着た我が軍兵士のものだった。
首のない死体に、手や足のない死体、上半身や下半身だけの死体。他に黒い宇宙服の死体も少しだけ混じっていた。その胸には槍と盾を意匠化した赤いマークが見える。火星の兵士だ。
「これは……」
反物質保管庫前の広間は斬り合いの真っ最中だった。しかも数十人規模の。
赤黒い霧の中、味方の兵士が高周波ブレードをふるい、肉食獣の様なメタルクリーチャーが駆け回り、猛禽類の様なメタルクリーチャーが飛び交う。
そして、得体のしれない透明な影が蠢いていた。
俺が呆気に取られていると、右手から強烈な殺気が吹き付けてきた。赤い血にまみれた透明な何かだ。
「パーシモン!」
セシルさんの声が響き、そいつに銀色の猟犬が体当たりする。
俺は、鍔の下に設けられた安全装置をひねって解除し、高周波ブレードを鞘から引き抜いた。
高周波発生装置が作動し、蜂の羽音のような振動が腕から伝わる。
緊張に身を硬くする間もなく、よろけた透明な影に高周波ブレードを袈裟懸けに撃ちこんだ。
風切り音に続いて帰ってきた激しい衝撃で防御されたことに気づき、角度を変えて渾身の斬撃を叩き込む。
透明な影は出来の悪いモザイク映像のような光に包まれ、突然姿を現した。
光が終息すると、俺の目の前にいたのは身体にフィットした黒い宇宙服を着た男だった。
破損した円盾を左手に、短槍を右手に握っている。
胸郭から鮮血が噴き出し、血は霧や水滴に姿を変えて、一瞬にして周囲を覆いつくした。
男の身体が妙な形にねじれたまま、磁力靴でかろうじて支えられている。
力をなくした手のひらからショートスピアが離れ、くるくると宙を舞った。
俺の背筋に悪寒が走り、手が震えた。吐き気もこみあげてくる。
今まで訓練で、バーチャルリアリティーの立体映像の敵を何度も斬ってきたが、実際の人間を斬ったのは生まれて初めてだ。当然、人の命を奪ったのも。
相手は斬った手応えは軽いものだったが、相手を殺した事実は重く俺の心にのしかかった。
俺は助けを求めるように、命の恩人のセシルさんに視線を向けた。
「セシルさん!」
そのセシルさんの背後に透明な影が迫っていた。
セシルさんは振り返って確認することもなく身体を沈ませ、身体を横に捻って後方にレイピアを繰り出した。
「!」
ショートスピアがセシルさんの頭の在った空間を貫き、セシルさんのレイピアは背後の影の腿のあたりに突き刺さる。
力押しで迷いに満ちた俺とは違い、セシルさんが戦う姿は美しく洗練されていた。
セシルさんの動きは止まらない。視認しづらい透明な敵を相手にレイピアの銀光を煌めかせ、蹴りを放ち、相手の攻撃を舞うようにかわす。実戦が初めてとは、とても思えなかった。
『しっかりしろ!』
俺は自らを叱咤すると、セシルさんを襲う敵に斬りかかった。
反物質保管庫は、分厚い鋼鉄の扉で守られた金庫室の様な設備で、扉の前は警備の都合上、小ぶりの体育館のように広い空間だった。
元々は白い壁、白い天井、グレイの床の無彩色の空間だったが、今は毒々しい赤い色彩で彩られている。
気がつくと、生きているのは我々の様な反物質保管庫の警備を元々の任務とする十数名だけになっていた。彼らの大半は包囲殲滅されることを避けるため、壁を背に戦っている。
二〇人を超える我が軍兵士が、すでに骸となって漂っていたが、その大半が他の場所の警備を担当する兵士だった。銃器の使用を制限された状況で、光学迷彩の敵と戦うのは、普通の兵士には、さぞや荷が重かったことだろう。
「遅いぞ!」
ようやく、俺とセシルさんに気がついたらしく、小隊長のレオナルド・コステロ中尉の怒声が響いてきた。
コステロ中尉は、中世ヨーロッパ風の大剣を振り回し、メタルパンサーとともに透明な敵と戦っていた。傍らには腸のはみ出た敵の下半身が漂っている。
アシナ曹長やナザロフ軍曹も健在だ。彼らは壁を背にコステロ中尉の両脇を固めていた。
アシナ軍曹は二刀流で、ナザロフ軍曹は双剣を手に、透明な敵を相手に斬撃を放つ。
敵のシールドをかいくぐって突きを入れ、相手の突きをかわして腕を払う。
メタルホークやメタルクロウが、嘴と爪に仕込んだレーザーメスで頭上から襲い掛かる。
攻撃をかわし切れず、ショートスピアを握った敵の腕が千切れ跳び、赤い霧が盛大にまき散らされた。
「ヤン!」
俺は、小隊長の近くにいない友人の姿を求めて叫んだ。
「畜生!」
聞きなれた悪態は保管庫の扉から少し離れたところで聞こえた。
声の方を見ると、ヤン・ルキア二等兵が敵に囲まれている。
集団戦闘のセオリーは、リーダーを倒して戦意を喪失させるか、弱そうな奴から確実に戦力を殺いでいき、最後に数の力で押し切るかのいずれかだ。
敵は後者の戦術を採用しているらしく、ヤンには三人の敵がついていた。
ヤンも決して弱くはないが、アシナ曹長やナザロフ軍曹と比べれば、やはり見劣りする。
しかもメタルクリーチャーを従えていない。敵からすれば狙い目だ。
敵のショートスピアが、ヤンの左肩のセラミックプレートを砕き、ヘルメットを切り裂く。
逆にヤンの突きは、敵のシールドに遮られる。ハッキリ視認できないが恐らくそうだ。
「こっちだ!」
俺は大声を発しながら、刀を肩に担ぐような破壊力重視の構えで、ヤンを囲む敵に斬りかかった。
敵に動揺が広がる。
透明な空間から微かに存在を検知できる透明な槍の穂先が出現し、俺に突きかかった。
俺は紙一重でそれをかわし、間合いを詰め、斬撃を放つ。
感触から察するに、敵はシールドを掲げて俺の攻撃を防いだようだが、俺はそのスキをついて、相手の腹に前蹴りを叩き込む。
そして蹴り足を戻す勢いで、渾身の斬撃を叩き込んだ。
敵が両断され、光学迷彩の効果が消える。
戦果に気分が高揚する。
しかし、力を放出しきった俺に別の気配が襲い掛かった。
マズイ、かわせない。
「パーシモン!」
白銀の疾風が足元を駆け抜け、セシルさんのレイピアが視界の隅で煌めいた。
パーシモンの体当たりによろめいた敵は、セシルさんの二段突きをモロに食らう。
俺たちの周囲に、返り血が霧になって漂った。
「大丈夫ですか?」
ほんの短い間に、俺は二回もセシルさんに命を救われた。
「大丈夫です」
「けっ、余計なことしやがって」
ヤンの強がりは、俺に対しての言葉だった。
俺はいつも通りのヤンに、逆に安堵した。
三人になった俺たちを嫌い、ヤンを囲んでいた敵が俺たちから遠ざかる。
「あと、何人いるんだ?」
「知るか!」
「まだ、一〇人以上います!」
セシルさんは肉眼だけでなく、複数の監視カメラの映像も頭の中で処理しているらしい。全体の状況を把握していた。
倒された敵味方の人数を考えると、敵は少数精鋭で、人数的には二~三倍の俺たちを相手に着実に戦果を挙げてきたことになる。光学迷彩で不意打ちしたとしても恐るべき手練れだ。
次の瞬間、聞いたことがないような衝撃音が要塞全体を揺るがした。恐らく爆発の衝撃だ。
「なっ!」
爆発は俺たちがいる場所ではなく、どこか別の場所で発生したようだ。
「駐留艦隊が、敵装甲擲弾兵の部隊に襲われています」
監視カメラの情報を入手したらしいセシルさんの声に爆発音が被さり、衝撃が再び空気を震わせた。
ひょっとして、この光学迷彩の部隊は警備兵を反物質保管庫前におびき寄せ、宇宙港を手薄にするための陽動なのではという思いが頭をよぎる。
「奴らは誘爆のリスクを何とも思っていないのか!」
ヤンは苛立ちを隠さなかった。
しかし、誘爆の危険を考えているからこそ、要塞に対して艦砲射撃を加えるのではなく、装甲擲弾兵による攻撃を行っているのだろう。
ようやくヘルメット内部に〈応援要請、宇宙港内部に敵装甲擲弾兵多数〉という情報が表示された。しかし、残念ながら、こちらはそれどころではない。
赤く汚れた透明な敵から繰り出される槍先をかわし、はじき、反撃する。
激しい緊張で、筋肉が極限まで痛めつけられ、痙攣したように震え始めた。
それを押さえつけるために歯を食いしばって力を振るうと、心臓に痛みが走る。
「オレも混ぜろや!」
もう、限界だ、そう思った時、突然、ハスキーな女性の声が響いた。
声の方を見ると、透明な影が真横に両断され、光学迷彩を解除された黒い宇宙服の上半身が宙を舞った。
「兵長!」
参戦してきたのは、非番のラニア・コーエン兵長だった。馬鹿げた長さの刀を振るっている。中世の日本で長巻と呼ばれていた刃渡りも持ち手も長い刃物を模した高周波ブレードだ。
「オレがいないうちに、勝手なことしやがって!」
切れ長の目に狂気が浮かんでいた。
長身でブルネットのショートヘア、ボーイッシュなコーエン兵長は、その長い獲物を信じられないスピードで振り回す。
巻き込まれた何人かの敵兵の手足が千切れ飛んだ。
相当な膂力がないとできない刀の遣い方だ。
狭い無重力空間での斬り合いが原因で、光学迷彩を施した透明な敵は、返り血を浴びて赤く染まり、存在が露になり始めていた。不意打ちや暗殺を得意とする特殊部隊のメリットは失われつつある。
「後退!」
敵と思われる男の低い声が響き、赤く汚れた透明な敵が一斉に後退を開始した。
「なんだ! もうおしまいか!」
コーエン兵長の不敵な声が響く。
「助かった」
限界に達していた俺は思わずつぶやいた。
「気を抜かないで!」
しかし、俺のつぶやきを戒めるセシルさんの声が響き、次の瞬間、レーザー光が周囲に煌めいた。
「えっ?」
ヘルメットの左の頬の部分が光の刃で抉られた。
銀色のメタルクリーチャーたちが、立ち上がり、翼を広げ、一斉に敵と反物質保管庫の間に立ちふさがった。その鏡のようなボディはレーザー光を乱反射させ、盾の役割を果たす。
正気の沙汰とは思えなかった。敵は反物質保管庫前に陣取る我が軍兵士に向けて、レーザーガンを発射したのだ。
それまで高周波ブレードだけで戦っていたので常識をわきまえているものと思っていた。
しかし、暗黙の約束は突然反故にされた。
恐らく、出力を絞り、反物質保管庫の扉や外壁を損傷しないように計算しているのだろうが、俺たちを凍り付かせるには十分だった。
反物質保管庫を背にしている俺たちの方が、実はレーザーガンを使いやすいポジションだったのだが、それに気づくには少し時間がかかった。
その一瞬のスキを突き、赤く汚れた透明な敵たちは、反物質保管庫の前から風のように姿を消した。
「隊長!」
侵入者を追跡するか否か躊躇している俺の耳に、アシナ曹長の悲痛な叫びが聞こえてきた。
視線を巡らせると、俺たちの小隊長、レオナルド・コステロ中尉の頭部が炭化し、身動きしなくなっていた。
「嘘だろ」
ヤン・ルキア二等兵の声が虚ろに響いた。
敵は撤退直前に集団戦闘のセオリーの一つを実行に移したのだ。
肉食獣タイプのメタルクリーチャーを従えた小隊長クラスが、軒並みレーザーガンの餌食になっていた。
敵も火器を使用しない、そう思わせておいての不意打ちだった。効果は絶大だ。
「ミュラー准尉、指示を!」
アシナ曹長の声が響いた。
最先任の下士官である彼は、生き残った者の中でセシルさんが唯一の士官であることを把握していた。セシルさんの目に一瞬戸惑いの色が浮かんだが、それは一瞬のことでしかなかった。
「戦える者は敵を追撃! 我に続け!」
強い覚悟を表情に浮かべ、彼女は敵を追って走り出した。




