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宇宙要塞アマテラス  作者: 川越トーマ
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永遠の命

「君がセシル・ミュラー准尉か。ドクター・チェレンコフから聞いているよ。よろしく、ボクがフランカ・ホフマンだ」

 ドクター・ホフマンは、宇宙要塞アマテラスのネットワーク管理者にして中尉待遇の軍医だった。脳科学、脳外科、人工知能の権威で、博士号を三つも取っている。こういう風に説明すると、白髪頭の気難しそうな老人を想像してしまうが、実はまだ十九歳のお姉さんだ。これも、ブレインAIインターフェースのなせるわざなのだろう。

 ドクター・ホフマンは、赤茶色の髪をマッシュルームカットにしており、金属フレームのロイド型眼鏡の奥は薄茶の瞳、そばかすの目立つ色白で小柄な女性だ。

 見た目が幼く、声や話し方も何となく子供っぽく、事前情報がなければ社会人にすら見えない。せいぜい義務教育後半の女子生徒だ。

 おかげで一部の特殊な性癖を持つ男性兵士に絶大な人気を誇っていた。半年に一回の定期健康診断では飽き足らず、何かと不調を訴えては「フランカちゃん」の診察を受けに行く兵士が後を絶たなかった。

 そんな人気者の彼女だが、この日は週二回の休診日で、自室にこもって研究中だったらしい。

 見た目が幼いのは、まあ、いいとしても、精神的にも成熟しているとは言い難かった。困ったことに、セシルさんと握手は交わしている間もセシルさんを見ていなかった。視覚障害があるわけではなく、相手と視線を合わせて会話することが苦手だそうだ。一昨年にアマテラスに赴任した頃から、このあたりは全く変わっていない。

 俺たちがドクター・ホフマンと会ったのは、居住区に設置されたメディカルセンター兼情報セキュリティセンターの一室だった。

 センターは地上三階建てで、間口約二〇メートル、奥行き四〇メートルと、居住区の中では比較的大きな建物だ。周りの建物と同じ白い合成建材で作られ、部外者には建物の用途がよく分からないようになっている。

 建物入り口に掲げられた看板に小さな赤十字のマークが描かれているため、医療機関らしいとはわかるだろうが、情報セキュリティに関係している施設とは思わないだろう。

 ブレインAIインターフェースのおかげで、コンピューターネットワークシステムと脳外科や精神科との関係は極めて密接だった。だから、全ての領域に通じた専門家が必要で、効率化のために同じ施設で勤務することが自然な流れだったのだ。

 ドクター・ホフマンの執務室は三階で、俺の掌に埋め込まれたICチップには、そのフロアに行く権限はなかった。そこで一階の総合受付に設置されていたインターホンで面会を求めた。

 最初は変な性癖のドクターのファンではないかという疑いをもたれて嫌な声で対応されたが、セシルさんの名前を出したら急に丁寧な扱いになった。

 俺たちは小学校の教室ぐらいの広さを持つブラウンと象牙色を基調とした執務室に案内された。落ち着いた雰囲気の趣味の良い部屋だ。そして、暗褐色の天然木のテーブル、茶色い天然皮革張りのソファーという豪華な応接セットを勧められた。

 セシルさんの宿舎といい、ドクター・ホフマンのオフィスといい、犬小屋の様な一般兵の宿舎とはえらい違いだ。是非、出世しなくてはと俺は思った。

「早速だけど、特に変わったところはない? 何か不調があったら、些細なことでもボクに教えてほしいんだけど」

「特段、変わったことはありません。事故後の記憶障害はそのままですが」

 ドキリとした。セシルさんは何か大きな事故に遭ったことがあるのだろうか。

「ここに来る途中、太陽フレアがひどかったみたいだけど、影響はなかった?」

 俺の困惑など意に介さず、二人の会話は続く。

「電磁シールドが効いていたので、艦内に電波障害はありませんでした。また、艦艇と要塞の間は、レーザー通信が確立されていましたから問題ありません」

 地球のヴァンアレン帯を出て、惑星間を航行する有人宇宙船は、有害な宇宙放射線から乗員を守るために、強力な磁力線を船の周囲に張り巡らせる。それが電磁シールドだ。

 そして、レーザー通信はレーザーを使用した光通信で、電波障害の影響を受けず、盗聴もほぼ不可能という長所があった。弱点は遮蔽物だが、広大な宇宙空間に設置された拠点間ネットワークでは、その心配はほぼ無用だ。

 それにしても、体調についての質問のはずなのに、なぜ通信環境を話題にするのだろう。

「それはよかった。君には多くの人が期待しているからね。何せ、永遠の命は人類の夢だ」

 永遠の命? 一体、何の話だ?

「あの、彼の前で、あまり踏み込んだ話は……」

 俺の怪訝な表情に気づき、セシルさんがドクター・ホフマンに目配せした。眉を曇らせ、困った表情をしている。

「これは失敬、ボクとしたことが配慮に欠けたね。そうだ、お詫びといっては何だけど。ボクが、この場で君を要塞のセキュリティシステムに登録するよ。自由に動き回れないと、彼みたいな道案内が必要になるだろうし、それじゃあ不便だろ?」

 いや、出来たらずっと案内係をやっていたいですと、俺は心の中で訴えた。

「いいんですか? 正式な登録作業には二日かかると聞いていましたが」

「真面目だなぁ。確かに標準処理期間は二日間だけど実際の作業は五分とかからないよ。どうせ登録作業はボクの仕事だし。まぁ、担当にはあとで書類を提出しておいてね」

 そう言うと、ドクター・ホフマンは手のひらサイズの黒いガラス製パッドを自分の机の上から持ってきて応接テーブルの上に置いた。ICチップの読み取り装置だ。

 セシルさんが手のひらをかざすと、ぼんやりと黒いパッドが光を放つ。

「セシル・ミュラー准尉で間違いないね。ICチップの個体識別符号はと……」

 ドクター・ホフマンは左腕に装着した端末を操作して端末画面とキーボードを空間投影すると、ソファーに座ったまま小さな右の掌を躍らせて登録作業を開始した。俺たちからは空間投影された端末画面の中身は見えず、宙に浮く半透明の四角いグレイに過ぎなかった。作業をするドクター・ホフマンの姿は、細く華奢な指で見えないピアノを弾いているようだ。

「宇宙要塞アマテラスに配備されている装甲強化宇宙服とか、戦闘用宇宙艦艇を動作させるための暗号キーをブレインAIインターフェースに設定することもできるけど、どうする? もっとも、きみのブレインAIインターフェースの個体識別符号を対象の機械に登録しないと実際には動かせないけど」

「いえ、私は警備小隊の副官ですから、分不相応な情報まで入れていただかなくとも……」

 セシルさんらしい真面目な答えを返している途中で、彼女の表情が急に不自然に固まった。

 同時に、空間投影された端末画面の上部で黄色い光が点滅し、ドクター・ホフマンの左腕に装着した端末からチャイムの音がした。

 一瞬遅れて俺の左腕の端末からもアラート音が鳴る。

「一斉アラートだ。珍しいな」

 ぼんやりした表情のドクター・ホフマンに対し、セシルさんは蒼白だった。

 何か緊急事態が発生したらしい。俺は慌てて通信画面を開き、空間投影した。

「ドクターはブレインAIインターフェースを装備していないんですか?」

 セシルさんはブレインAIインターフェース経由で、すでに事態を把握したらしい。

「装備してるよ。第三世代の奴だけど。でも普段はオフラインにしてる。だって、ハッキングでもされたらシャレにならないし、常時、他人とつながっているなんて、煩わしいだけだろ」

 そう言いながら、ドクターは、ようやく通信画面を開いた。

 俺は読み終わっていた。

 宇宙港を警備していた兵士が一人亡くなった。キムという名前の二〇代の兵長だ。

 しかも、バラバラの遺体で発見されたらしい。セシルさんが青ざめたのも、うなづける。

「ショウさん、直ちに小隊に合流します」

「サー・イエス・サー」

 キム兵長が殺された原因が何なのかわからないが、最悪の事態に備えて厳戒態勢をとる必要がある。セシルさんと俺は応接セットから立ち上がった。

「あっ、ちょっと待って」

 俺たちの行動に水を差すようにドクター・ホフマンが端末を操作しながらつぶやいた。

 俺とセシルさんは足を止める。

「入退室管理システムのログを見ると、殺されたキム兵長は二〇秒くらい前に反物質保管庫前の扉を開けたみたいだ」

 意味が分からない。死んだ人間が宇宙港から反物質保管庫に移動するのは不可能だ。しかも扉を開けるなんて。

 怪訝な表情を浮かべている俺を見て、ドクター・ホフマンは小さなため息をついた。

「言い換えようか。何者かがキム兵長を殺して手のひらごとICチップを奪い取り、それを使って反物質保管庫があるエリアに侵入したみたいだ」

 最悪の事態だ。

「反物質保管庫に急行します!」

 セシルさんはそう叫ぶと風の様に走り去った。メタルハウンドのパーシモンが後に続く。

「ありがとう! ドクター」

 俺も慌てて後を追う。視界の隅でドクター・ホフマンが小さな掌を左右に振っていた。

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