エスコート
二人きりでエレベーターに乗り、どう話しかけてよいかわからず必死に話題を探して視線を彷徨わせていると、セシルさんが従えるメタルハウンドと目が合った。鏡のボディの頭部で光を放つ黒曜石の瞳は俺に焦点を合わせ、冷たく観察しているように見える。不審者を警戒するボディーガードといったところだろうか。
俺が彼女に対して不埒なふるまいをすれば、直ちに襲い掛かってくるに違いない。
「パーシモンていうんです」
「えっ?」
彼女の方から口をきいてくれるとは思っていなかったので、不意を突かれた。
「私のメタルクリーチャーの名前です。名前がないと不便でしょ」
彼女は俺の方を見つめながら、にっこりとほほ笑んだ。
胸に温かいものがこみあげてきて、彼女の言葉を聞くだけで幸せな気分になった。
「柿の実、好きなんですか?」
良いセリフが思いつかなくて変な質問をしてしまった。
そもそも女性との洒落た会話というのは、どうすればいいのかわからない。
「サラダに入れると、美味しいですよね」
「自分はそういう食べ方したことなくて。今度やってみます」
頭に血が上って、まともな判断ができない。
自信をもって会話できない自分が情けなかった。
「訓練を拝見しました。レベル四の近接戦闘訓練をこなしているなんて、すごいですね」
ようやく俺でも答えられる話題になった。
視線を彼女に向けると優しい眼差しが俺を見つめていた。何かの間違いではなかろうか。
「いえ、自分なんか、まだまだです。軍曹はレベル五を全ステージクリアしてますから」
本当は褒められて嬉しくて仕方なかったが、表情を抑えつけて実直な兵士を装った。
「でも、オハラさんはメタルクリーチャーの支援が受けられないんでしょ?」
「はい。一般兵ですから」
セシルさんはメタルクリーチャーの支援がないにもかかわらず、訓練で好成績を上げていることを褒めてくれたのだろうが、メタルクリーチャーと縁がないことで俺は彼女との階級差を強く意識することになった。
彼女は准尉で俺は二等兵だから階級差は六つくらいか。
俺も早くメタルクリーチャーを従える身分になりたい。
「わが軍における近接戦闘訓練の習熟レベルは、全体平均でレベル三の第一ステージですが、一般兵に限るとレベル二の第二ステージです。ですから、レベル四の第一ステージをクリアしているオハラさんは、やはり凄いですよ」
彼女は優しい笑顔を浮かべていた。
それにしても、こんなデータが淀みなく出てくるのは、やはりブレインAIインターフェースのおかげなのだろうか。
「自分は剣術だけですから。射撃はめちゃめちゃ苦手です。そのせいで、この宇宙要塞に配属されたようなものですから」
「確かに、ここには剣術が得意な人が集められたみたいですね。私も頑張らなくちゃ」
彼女はそう言うと両手を軽く握った。反則級の可愛さだ。
楽しい時間はすぐに終わり、エレベーターは居住区に到着した。
無重力環境に慣れていたせいで身体が重くだるく感じる。
俺は歯を食いしばってセシルさんのスーツケースを持ち上げた。一G環境下では凄まじく重かった。
「士官の宿舎はこちらの通り沿いです」
居住区はドーナツ型の巨大なチューブの内側につくられていて、天井には青空そっくりの映像が投影されていた。今は午前中の設定だが、時刻に合わせて、朝焼けや夕焼け、星空や月夜も投影される。
チューブの直径は一〇〇メートルくらいで、その中にスペインの地中海沿岸地方の街並みが再現されていた。建築物は白い合成建材で作られた画一的な低層住宅で、映画のセットみたいな雰囲気は否めないが、とても清潔で美しい。念の入ったことに、ところどころ本物のオリーブの街路樹まで植えられていた。
残念なのは、街がチューブの内側につくられているため、遠くの景色が空に向かって不自然に弧を描き、せりあがっていることだ。
「きれいな街ですね」
メタルクリーチャーのパーシモンを従えて優雅に歩くセシルさんの姿は、高級住宅街で犬を散歩させる良家の令嬢のようだった。
「ええ、今は軍の施設で五〇〇人くらいしか住んでいませんが、設計段階では数万人規模の民生用スペースコロニーにすることを考えていたという話です」
前線基地ということで、さらに地球から遠く離れているということもあって、住んでいるのは警備兵や駐留艦隊の乗員が中心で、兵士の奥さんや子供は、ここには住んでいない。
ただ、反物質製造工場の作業員や、研究員、医療関係者や、食堂、清掃などの労働者など、非戦闘員も多かった。
「こんなきれいな場所が宇宙要塞の内部とは思えないですね。戦争なんか、早く終わればいいのに」
軍人とは思えない言葉に、思わず俺は彼女の顔を見た。
彼女は俺の目を見つめ、にっこりとほほ笑んでいた。
「そうですね」
俺は困惑しながらも彼女に調子を合わせた。
今日び、戦争を厭うような発言は軍関係者の間では暗黙のタブーだ。戦争終結を望む発言をする場合、「我が軍の勝利で」と付け加えるのが常だった。彼女はつけ忘れたのだろうか。
「現場配属は、こちらが初めてですか?」
気を取り直して話題を変えた。その方がいいと無意識に思ったのかもしれない。
「ええ、今まで士官学校にいました。オハラさんはこちらに長いのですか?」
「義務教育を終えた後、下士官養成コースで入隊しました。丁度、三年を過ぎたところです」
「じゃあ、私と同い年ですね」
そうだとわかっても階級が違いすぎるので馴れ馴れしくするわけにはいかない。
それでも話しやすくなったのは確かだ。俺は自分でもびっくりするくらい口が軽くなった。
「あの、変なこと聞いてもいいですか?」
「何ですか?」
「ブレインAIインターフェースって、どんな感じなんですか?」
聞いてしまった後で聞かなければよかったと後悔した。
朗らかだった彼女の表情が一変した。
雲一つない青空から、雪雲に覆われた空への変化だ。
「あなたは、まだ手術を受けていないんですね」
「ええ、家が貧乏だったもので。下士官に昇進できたら手術してもらうつもりです」
後悔先に立たず、そのままこの話題を続けるしかない。
「そうですか。あまり、気分のいいものではありませんよ」
セシルさんは暗い表情のまま、真面目に俺の質問に答えてくれた。
「知識や技能をインストールすれば、手軽に高い能力を手に入れられるように言われていますが、自分のものでない知識や経験を頭の中に流し込まれるのは相当なストレスです。分不相応な能力を身につけようとしてメンタルに不調をきたす人もいますし、結果として全く能力が身につかない人もいます」
「能力が身につかないんですか?」
「ええ、あなた方が訓練している剣術がいい例です。剣術の達人の知識や経験を普通の人にインストールしたらどうなると思います?」
「確かに頭でわかっていても体がついていかないことには……」
「そのとおりです。イメージ通りに動かない自分の体に、逆に苦しむことになります。場合によっては身体を壊すことも」
「万能ではないんですね」
「結局、知識も経験も、使いこなすには本人の努力が必要なんです」
語尾も柔らかく、内容の割には、あまり説教臭くなかったが、俺はくだらないことを訊いてしまったと後悔した。
「申し訳ありません。知らないくせに変なことを聞いて。気を悪くしたら赦してください」
「いいんです。オハラさんは素直ですね」
有難いことにセシルさんの表情から暗い影が消えた。
「いえ、馬鹿なだけです……それから、あの、俺のことはオハラさんとか呼ばないでください。セシルさんは上官ですから」
「ファーストネームにさん付けはいいんですね?」
セシルさんは、その整った顔に含み笑いを浮かべていた。
一瞬何を言っているのかわからなかったが、すぐに自分の失言に気がついた。内心はともかく、口に出すときはミュラー准尉というべきだった。
「失礼しました。ミュラー准尉」
「いいんですよ、セシルさんで。あなたのフルネームは?」
「ショウ・オハラ二等兵です」
「じゃあ、ショウさんですね」
「えっ」
やはり、これは何かのフラグに違いない。
しかし、同じ職場での色恋沙汰は御法度だ。好きになったりしたらマズい。
どうしても告白したかったら別の職場に異動するタイミングを狙うしかない。トマス・キーン少尉みたいにだ。
客観的に考えると、独りよがりな妄想に過ぎなかったが、俺は表情が緩むのを抑えることができなかった。
「私にあてがわれた宿舎は、こちらのようですね」
彼女は一軒の白い家の前で立ち止まった。周りと同じ南欧風のデザインだ。
会話に夢中だった俺とは違って、彼女は会話しながらも、ちゃんと表札に出されている住宅番号をチェックしていたらしい。
その住宅は二階建てで道路からすぐのところに玄関があった。このタイプの家は3LDKだ。
一人暮らしには相当な贅沢だと思う。
「荷物、ありがとうございました」
彼女は俺が抱えていたスーツケースに手を伸ばした。
「いえ」
「実は、もう一カ所案内してほしい場所があるんですが、お願いできますか?」
スーツケースを受け取りながら、彼女は俺に微笑みかけた。
「はい、なんなりと」
彼女の依頼は厚かましいものではなかった。
まだ彼女は要塞内のセキュリティシステムに登録されていないので、ICチップで入退室を管理しているエリアへは自由に出入りができないはずだ。
まあ、そんな事情がなくても彼女のお願いなら喜んで聞くつもりだった。それがどこであってもだ。
居住区には一通りの施設が整っている。美味しいレストランや、おしゃれなバー、バーチャル体験シアターに、温浴施設。ついでに俺の宿舎。
「ドクター・ホフマンのところに案内してほしいんです」
しかし、彼女が望んだのは、娯楽関係の施設などではなかった。不埒な俺とはわけが違う。
幸いなことに、俺は、その人物を知っていた。
いや、要塞内の兵士なら、多分全員知っているだろう。それほどの有名人だった。