異変
戦闘を覚悟していた俺たちは、予想外にまた休憩となった。
体力的は助かったが、これでは神経が持たない。母親への最後のメッセージはもう送ったし、食事もチューブ式の携帯食糧で済ませている。眠ろうにも神経が高ぶっているので眠れそうにない。かといって何もしないのは落ち着かない。どうやって心のバランスを維持するかが大問題だ。
こういう時、ブレインAIインターフェースを装着している士官や下士官は、きっと脳内の化学物質をコントロールして心の平安を保つのだろう。だとしたら、一般兵の俺たちは、セシルさんやアシナ曹長の行動を見習えば少しは心の平安を得ることができるかもしれない。
セシルさんはといえば、相変わらず、この反物質保管庫の前から動く気配がない。
そして、ブルドックのような下士官や痩せた兵隊、小柄な兵隊といったほかの小隊出身の面々は、それぞれ休息場所を求めて去っていった。
「曹長、レベル六の近接戦闘訓練をお願いしてもよろしいでしょうか」
「構わんが、休まなくてもいいのか」
「問題ありません」
残ったメンバーのうち、アシナ曹長とナザロフ軍曹のやり取りは、見習いたいと思う類のものではなかった。
「へぇ、軍曹はとうとうレベル五をクリアしたんだ。オレも混ぜてもらおっかなぁ」
コーエン兵長まで余計なことをつぶやいている。
このまま本格的な小隊単位の訓練に突入したらたまらない。
確かに身体を動かせば、気は紛れるかもしれないが、今日はもう訓練メニューをこなしているし、何より実戦を経験している。少なくとも身体は休めたい。
「兵長は、レベル五の上があるって知ってたんすか?」
恐らく余計なことをしないようにという明白な意図をもって、ヤンがコーエン兵長の話し相手になるべく動いた。
「噂はな」
コーエン兵長はヤンの会話に乗っかった。いい感じだ。
「相手はメタルクリーチャーも連れていない一般兵なんすよ」
「知ってる。モデルは実在の兵士で、二〇年以上、誰もクリアできないらしい」
アシナ曹長とナザロフ軍曹が微妙な表情で、コーエン兵長とヤンの方を振り返った。
そして、黙って目で合図をしあうと、訓練施設の方へと去っていった。
これで、とりあえず、ミッションの第一段階は終了だ。
あとはコーエン兵長が俺たちを訓練に巻き込もうとしないように祈るばかりだ。
「二〇年もですか?」
「おう、バーチャル訓練システムのレベル六の兵士は、二〇年もディフェンディングチャンピオンらしいぜ。アレに勝つと、白兵戦技で我が軍最強の称号が得られるらしい」
都市伝説っぽいコーエン兵長の話に、ヤンは、めちゃめちゃ興味を示した。
「そんなに強いなら、ブレインAIインターフェース用のコンテンツが出回ってるんじゃないんですか? それさえインストールすれば勝てないまでも、引き分けくらいには持っていけるんじゃあ……」
ヤンの持論だ。ブレインAIインターフェースを装備していれば、人の経験や能力を大した努力もせず、身につけられるはずだと思っている。
「あ~、無理無理」
「知識、経験をインストールしても、誰もついていけない、ですか」
俺は思わず二人の会話に参加していた。
「おっ、オハラはよくわかってるじゃねえか。試しにコンテンツは作ったらしいんだけど、身体がついていけなくて、誰もモノにできなかったんだと」
「知ってたんか?」
ヤンが不思議そうな顔で俺を見た。
「いや」
セシルさんの受け売りだ。
剣術など身体を使うものは、頭で理解していても身体がついていけなければ意味をなさない。
俺は、そうセシルさんに教わった。
「傑作なのは、モデルになった本人もバーチャルコンテンツに全く勝てなかったらしい」
コーエン兵長が切れ長の目に皮肉な笑みを浮かべたように見えた。
「互角になるはずなんじゃないんすか? ひょっとして、コンテンツに落とし込むとき、素早さとかのパラメーターをいじってグレードアップしちゃったとか」
ヤンが漆黒の顔を不審そうにしかめた。
「いや、本人を忠実に再現したらしいぜ。でも人間は老いるからな。全盛期の自分には勝てないってことらしい」
モデルの人間にしてみると、それって誇らしいのだろうか。それとも嫌なのだろうか。
「結局、みんな自信がなくなっちゃうっていうんで、レベル六は隠しステージになったらしい。それから、普通の人間にレベル六を要求するのはあきらめて、軍はレベル六の剣豪様の動きを再現できるヒューマノイドを作ってるって話だ。まっ、そんなのが量産されたら、俺たちはお払い箱だろうな」
「いやな話ですね」
人工知能の発達で、多くの仕事の需要が大幅に減少したり、事実上なくなったりしていた。
人間に残されている重要な仕事のひとつに、公権力を行使したり、人間の身体、生命、財産に重大な影響を与える軍人という仕事があった。
ドローン兵器やメタルクリーチャー、宇宙戦艦にも人工知能は搭載されているが、あくまでも人間の補助であり、運用としては人間が命令し、人間が責任を持つことで、人の命を奪っている。
現時点では、人間そっくりのロボットであるヒューマノイドだけを戦場に送り出し、全てお任せで戦争をやらせるほど、人類は人工知能を信頼してはいない。ハッキングで敵に寝返ってしまうかもしれないし、おかしな考えを身に着けて人類に反旗を翻すかもしれないからだ。
しかし、戦争では敵に勝つことが何よりも優先される。
無類の強さを誇るヒューマノイドの兵士が安い価格で量産されるようになれば、メリットとデメリットを天秤にかけて、ヒューマノイドの兵士を導入するようになるかもしれない。そうなれば、上官の命令には絶対服従とプログラミングして、人間の指揮官がヒューマノイドの兵士を率いるようになるのだろう。
そこまで考えて、俺は、ふいにブレインAIインターフェースのことを思い返した。
あれは、ある意味、ヒューマノイドを製造するほどのコストはかけずに、生身の人間という材料を使って、強力な戦士を作り出す仕組みだ。
人間の頭脳と人工知能のハイブリッドによって、人間としての正義感や倫理観を保持し、人工知能の強みである高速で大量の情報を処理できる能力や膨大な知識を持つ超人的な兵隊を作り出した。
しかし、人間という素材を使っていることによる限界もある。
そこで、さらに兵士としての性能を上げるため、身体も頭脳もすべて人工物で代用しようともくろんでいるというわけだ。
元々、事故や病気で身体の一部が欠損した場合、それを補うための義手、義足、義眼、人工臓器などの開発は進んでいた。その最終段階として欠損した脳の機能の一部を補うのが、ブレインAIインターフェースだ。
俺は古い児童文学作品である「オズの魔法使い」を思い出した。
主要な登場人物の一人である木こりが、木材伐採中の事故で手や足を次々に失い、ブリキで作ったパーツで代替しているうちに、とうとう頭や胴体も含めて身体全体がブリキになってしまう。
そして、温かい心を失ってしまったと考えた彼は、主人公とともに、魔法使いから温かい心を授けてもらおうと旅をする、そんな話だ。
『私の娘は死んだ。三年前にな』
セシルさんの父親からのメッセージが、ふいに脳裏に浮かんだ。
得体のしれない不安が吐き気となって、俺の胸に沸き上がる。
焦燥が熱を帯びて、俺の脳みそを煮立たせた。
何が俺をそんなに不安にさせるのか正体はわからない。ともかく落ち着かなかった。
急にセシルさんのことが心配になって恐る恐る彼女の様子を窺った。
セシルさんは銀色の猟犬の様な姿のパーシモンを脇に従え、レイピアの柄に手を添えて、無重力下でユラユラと揺らめいている。
どちらかというと小柄といっていい身体に、拠点防衛の全ての責任がのしかかっているのだと考えると、俺は彼女が気の毒になってきた。
この宇宙要塞に着任してからというもの、彼女はずっと休憩らしい休憩を取っていない。
俺はヤンとコーエン兵長に背を向け、大股で、セシルさんの方に歩み寄ると大仰に敬礼した。そして声を響かせる。
「セシル・ミュラー准尉。今のうちに休憩してください。我々がここで待機します」
「へっ?」
了解は取っていないが当然のことのように俺はヤンも数に入れた。ヤンが間抜けな声を漏らしたが気にしない。
「ありがとうございます。でも、ここにいても、十分身体を休めていますから」
セシルさんは俺に視線を向けると、軽く笑顔を浮かべた。
強がりを言っているが、やはり表情にどこかやつれた様子を感じる
「でも……」
「ありがとう。ショウさん」
「セシルさん」
最後の部分のやり取りは周りが聞き取れないような小さな声にした。
セシルさんの弱々しい笑顔が眩しい。そして、痛々しい。
他に俺にできることはないだろうか。
俺はセシルさんの美しい緑色の瞳を見つめながら、必死で思いを巡らせた。
「えっ?」
そんな甘酸っぱい空気に急に異物が混入した。
セシルさんの表情が曇り、苦悶の色が浮かぶ。
口から呻きに似た声が小さく漏れる。
「どうかしたんですか?」
俺は二歩、三歩と歩み寄った。
無重力なので座り込むようなことはなかったが、セシルさんは苦しそうだ。
やはり疲れがたまっているのだろうか。
「あ、頭が……」
セシルさんは、そう言いながら、目を閉じ、そして、身動きしなくなった。
「セシルさん? いや、ミュラー准尉!」
「なんだ?」
「どうかしたのか?」
俺が血相を変えてセシルさんに駆け寄ると、ようやくヤンとコーエン兵長も異変に気付いた。
俺たちが騒いでも、セシルさんは何の反応も返さなかった。
白磁のような頬を金色の髪が撫で、表情からは何の感情も見いだせない。
胸が微かに上下しているので、息はしているようだ。
セシルさんの傍らで、メタルハウンドのパーシモンも床に座り込んでスリープモードに移行していた。
「ドクターを!」
俺は、そう叫びながら自分で携帯端末のアプリを立ち上げた。
ドクター・ホフマンは今どこにいるんだろう。応答までの待ち時間が焦燥を駆り立てる。
「なんだ、これ、壊れてるのか!」
しかし、抜群の安定を誇るはずの通信装置は、いつまでたってもドクター・ホフマンにつないでくれない。
「どうしたんだ。准尉は」
「病気か?」
近くにやってきたヤンとコーエン兵長も、心配そうにセシルさんの顔を覗き込んでいる。
「ヤン! ドクター・ホフマンを呼び出してくれ!」
「おう、わかった」
俺は自分の携帯端末に見切りをつけ、ヤンに通報を頼んだ。
軍隊で救命救急について学んでいるはずなのに、対処の仕方が思い浮かばない。
自発呼吸はしている。心臓は動いている。しかし、意識はない。
脳血管疾患だろうか? だとしたらゆすったりするのは厳禁なはずだ。
「セシル・ミュラー准尉! 聞こえますか! ミュラー准尉!」
他になすべきことが思い浮かばず。俺はセシルさんの耳元で、名を呼び続けた。
「ここで、士官がいなくなると、相当やばいな」
コーエン兵長が縁起でもないことをつぶやいた。俺は思わず彼女のことを睨む。
「怖っ」
「おい、ショウ、ダメだ。つながんねぇ」
携帯端末で通信用のアプリを展開したまま、ヤンが困惑したような表情で俺を見た。
「そんな!」
「ネットワークがダウンしてるみたいだ。曹長や軍曹にもつながんねえ」
こんな時に故障か? それとも……
「ここは?」
聞き覚えのある愛らしいつぶやきが聞こえた。
視線を戻すとセシルさんの翡翠の様な瞳が周囲を見回していた。
先程のような具合の悪さは感じられない。
単なる立ち眩みか何かだったのだろうか。
「よかった! 大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます」
「あ~、ビックリした」
コーエン兵長が能天気な表情を取り戻した。ヤンもほっとしている。
俺はというと、情けないことに泣きそうになっていた。
「どうしたんですか? どこか具合でも悪いんですか?」
俺はセシルさんの美しい瞳を覗き込んで畳みかける様に質問した。
なぜかセシルさんの瞳が怯えているように感じられた。
そして、どうしたわけかパーシモンはセシルさんの傍らでスリープモードに入ったままだ。
「特に異常はありません。あの……」
「?」
セシルさんの表情は、とても不可解なものだった。
「あなたは、どなたですか?」
「えっ?」
セシルさんの言葉に俺は言葉を失った。
悪い冗談だと思いたかった。
しかし、彼女がつまらない冗談を言う類の人間ではないということを俺は十分に知っていた。




