エピソード38:大地君はヒーローだよ
「つめたっ!!」
おでこに冷たい何かを感じて、俺はふと目を覚ました。
「おはよ、大地君。少しは休めた?」
なぜか俺を見下ろすように覗き込んできた彩乃さん。そんな彼女と目が合った俺は、子供をあやすような優しい笑顔を向けられていた。
俺の意識が徐々にはっきりして。頭には柔らかい感触……足には重たいような、くすぐったいような。生温かい何かが乗っている。
俺、あのまま寝ちゃってたのか!?
思わず『彩乃さん、ごめんなさい』っと言いながら、俺は体を起こした。彼女の横には、俺を仰いでくれていた内輪とアイシングバッグ。そして、ラブちゃんが俺の足を枕に横になっていた。
「なんで謝るん? ラブもめずらしく疲れたっち。重くなかった?」
「俺は全然大丈夫ですけど、彩乃さん重かったんじゃ」
「可愛かったよ、大地君の寝顔」
「か、揶揄かわないで下さいよ」
彩乃さんが『ふふ』っと軽く笑うと、ポニーテールも揺れて。心もくすぐられた気になる。
お姉さんだから……って、そんなことは抜きにしても。彩乃さんは包み込むような、全てを受け止めてくれるような、そんな優しさを持った人で。
美人っていう言葉をそのまま表現したような、スラっと伸びた手と足。身体のラインも美しいから、本当にモデルみたいで。
もしかしたら『うち、モデルもやっちょんので』っと、また照れながら話してくれるんじゃないかって、そう思ってしまう。
いつも表裏のないストレートな表現が、女心を全く分からない俺でも接しやすくて。だから、いつの間に俺は、彩乃さんのペースに乗せられてしまう。
「ラブぅーー!! そろそろ寝たふりはやめて起きよえ」
そんな彩乃さんの言葉に反応したラブちゃんは、すくっと起き上がり軽く毛づくろいをした後、不満を伝えるかのように、プイっと彩乃さんからそっぽを向けていた。
「大地君、お腹空いたやろ? いつもよりちょっと早いかもやけど、ご飯にしましょうか」
「ご飯……ですか?」
少し驚いたような俺の返事に、彩乃さんはリュックからお弁当とおにぎりを取り出し、俺へと手渡してくれる。
「はい、お手拭き」
「あ、ありがとうございます。というか彩乃さん、こんなに持って走っていたんですか!?」
ラブちゃんのご飯の準備に取り掛かっていた彩乃さんは『ん? 崩れてないけん、心配せんで大丈夫よ』っと、全然違う答えが返ってくる。
正直、腹ペコだった俺は、さっそく彩乃さんから手渡されたお弁当の蓋を開ける。そこには以前、感動的に美味かったハンバーグや卵焼きをメインに、ブロッコリーやミニトマトが添えてあり、色合いまで綺麗だった。
「いただいてもいいんですか?」
「あら、大地君もラブみたいに、待てっちしたいん?」
「い、いや……」
「大地君の為に作っちょんのよ。どうぞ、召し上がれ」
俺は『いただきます』っと、さっそくアルミホイルをめくり、おにぎりにかぶりつく。ラブちゃんの準備を終えた彩乃さんも、お弁当を食べ始めていた。
「す、すっぱ」
「んふふ。そうとう迷ったんやけど、疲れてるっち思って、梅干しにしたに」
そんな説明をしてくれた彩乃さんは、お弁当箱からハンバーグを摘まんで『大地君、お口開けて』っと、笑顔で俺の口元に持ってくる。
こういう場面で『あ~ん』っじゃないところが、なんだか彩乃さんらしくて。俺は素直に口を開けた。
「酸っぱいの、忘れた?」
「ハンバーグ、美味しいです」
そう返事をした俺の方に、なぜか彩乃さんはさらに身を近づけて。
「ソース、付いちゃったね」
俺の唇のちょっと横に『ちゅっ』っと彩乃さんの唇がそっと触れた。とっさの出来事に固まった俺を気にすることなく、その場所にお手拭きを軽く当ててくる。
「あっ! ラブに待てっちしたままやった」
固まっていた俺も、彩乃さんの言葉に反応してラブちゃんを見る。そこにはじっとご飯を見つめたまま、微動だにせず無表情でお座りをしているラブちゃんの姿が映る。思わず吹き出すように笑ってしまった俺と彩乃さん。
ラブちゃんは、怒りでプルプルと震えているようだった。
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すっかりと日が暮れた帰り道。
「ラブちゃんの機嫌が直って本当に良かったです」
彩乃さんは俺の耳元で『ラブは案外チョロいのよ』っと、笑ってみせる。事実、彩乃さんがリュックから取り出したおやつでコロッと上機嫌になった。
今もリードを持つ俺をグイグイ引っ張るように進んでいる。やっぱりラブちゃんは、パワフルだ。
「彩乃さん、いつもご馳走になってばかりで申し訳ないです。何か俺にできることはありませんか?」
「どうしたん、急に?」
「急にって訳じゃないんですけど、何かお礼ができないかなって。今日も俺の為にランニングに誘ってくれたんですよね? それなのにお弁当まで」
そう彩乃さんに伝えた俺は、タイミングを見計らう。たぶん彩乃さんが口にするであろう言葉を静かに待った。
「気にせんでいいんよ」
「気にせんでいいに」
「だ、大地君!?」
「それは無しです」
見事にハモった俺の言葉に『もぉ、また悪い子しよる』っと頬を膨らませ、すぐに『あっ!』っと、何かを思いついたように
「大地君、リザーレの球技大会って、招待できるの知っちょん?」
「え? 招待ですか」
「決勝戦だけなんやけどね。もちろん、誰でもっちことではなく、親族やったりOB・OGやったり」
「そうなんですか? あっ……OGも」
何を意図しているのかに気づいた俺を、彩乃さんは真っ直ぐ見つめていた。
「大地君に、うちを招待して欲しいな」
彩乃さんのお願いに、すぐ返事をできなかった。
俺はリザーブで、そもそも試合に出られるかもわからない。1年生コンビのクラスに当たらなければ、決勝までは進めるかもしれないけど……約束なんて
俺から言い出したことなのに、ホント情けない。
「そんな顔……似合わんよ」
彩乃さんは俺の長い前髪を手でかきあげてくる。こんな情けない顔を見られたくなくて。視線を外したいんだけど、それもできなくて。
そんな俺の気持ちを察してか、彩乃さんは俺の横をゆっくりと通り過ぎる。手を後ろに組みながら、ゆっくりと。そして、お座りをして待っていたラブちゃんの頭にポンっと手を置いた。
「ラブにも私にも、大地君はヒーローだよ」
「そんなこと……」
くるっと振り返った彩乃さんは口に両手を添え、より声を遠くに届けるような仕草をして
「ゴーール!! 宍戸大地選手、決めました!」
「あ、彩乃さん?」
「ガッツポーズです!!」
そう口にした彩乃さんは、リードを持っていない俺の腕を両手でつかみ、ガッツポーズするように持ち上げる。
この状況に戸惑った俺は、何も言葉にすることができず、ただ茫然としていて。
彩乃さんは『ふふふ』っといつものように笑いながら、ゆっくりと腕を下ろしてきた。
「大地君、グラウンドで。グラウンドでもう一度、サッカーができるといいね。ううん、必ずできるから」
『俺』っと言い掛けた時、ラブちゃんが『ワン!!』っと、俺の言葉を打ち消すように急に吠えた。
「ラブも大地君とのサッカーが楽しかったっち。大地君も好きなんでしょ、サッカー」
優しく微笑み掛ける彩乃さんを見つめて。俺は呟くように『はい……』っと、口にしていた。
「楽しそうにグラウンドでサッカーをするあなたを応援したいから。だから、私を招待してくれますか?」
「俺、必ず決勝戦まで行って、彩乃さんを招待します」
「あら、ラブはお留守番っち」
彩乃さんは悪戯な笑みを浮かべて、ラブちゃんを挑発していた。
ラブちゃん
「彩乃さんとラブちゃんって、凄い信頼関係ですよね。やっぱり赤ちゃんから育てているからですか?」
「違うに。ラブっち、キャリアチェンジ犬なんよ」
キャリアチェンジ犬? 元々警察犬とかだったってことか?
「ラブは盲導犬として、育てられて訓練とかされよったんやけど、不適正だったんよね。不適正というか、ラブっち、しんけん賢いけど、力も強いし、運動能力も飛び抜けよるから。ちょっとパワフル過ぎるけんね。それで、たまたまうちが引き取ったんよ」
「そうだったんですか」
「こっちに引っ越して来てからやから、2年満たないかな」
「なんか意外です」
「信頼関係っち、年数は関係ないかも。うちと大地君みたいに」
「な、なんか恥ずかしいです」
「大地君……可愛い」




