エピソード36:そんなにしょんぼりせんで
『カランカラン』
「いらっしゃい、って……彩乃さん!?」
「大地君、お疲れ様」
ここはお馴染み、喫茶 Night view。閉店まで残り1時間を切った店内には、珍しくマスターと俺の二人だけ。
そんなモノトーン色の強い空間へ、ふわっと春が訪れたように。
オーリブ色を基調とした白のチェック柄ノースリーブワンピースに優しいホワイトカラーで透け感のあるカーディガンを羽織った彩乃さん。
動くたびに少しだけ揺れるポニーテールが、離れた場所からでも、どこかくすぐったく感じる。
俺はカウンターに彩乃さんを案内しながら『おひとりですか?』っと声を掛けた。
「ん? ラブはおうちにおるよ」
「彩乃さん、こんな時間に一人は危ないですよ」
注意するような俺の言葉に、なぜかムッとしたような表情をした後、遠目で俺を見るようにして『帰りは大地君に送ってもらうかな』っと、そう口にする。
「もちろんです。彩乃さんが嫌じゃなければですけど」
「うちがお願いしちょんに、もぉ、なにいいよんの」
少しずつ彩乃さんの言葉に慣れてきた俺だけど、やっぱり可愛いなって、心の底からそう感じる。
「こちらへどうぞ」
彩乃さんは『なぁに、大地君。ニマニマして』っと言いながら、カウンター席に腰を掛けた。そのまま注文を伺おうとした俺に、マスターが声を掛けてくる。
「大地君、今日はもう上がっていいよ。着替えておいで」
「いいんですか?」
「いいよいいよ。今日はもうクローズするから」
マスターのその言葉に『わかりました。着替えてきます』っと、俺は更衣室へ向かった。
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「今日もダージリンのホットで?」
「さすがですね、マスターさん。それでお願いします。あの……大地君はまだお店で、あんな感じなんですか?」
「ん?」
「あっ、眼鏡と髪型です。あの眼鏡、やっぱり似合ってないというか。髪型もなんですけど」
「あぁぁ、そのことですか。以前もお話したかもしれませんが、最初は違ったんですよ。採用条件にも盛り込んでましたから。接客業にとって清潔感は命です! いつの間にか私を真似て、オールバックに今風のおしゃれな眼鏡をするようになっていたんですけどね」
「そうだったんですか」
「あまりにも大地君お目当てのお客さんが増えてしまって。もう学校の時のままでいいよって話になったんです。当の本人は、大地君目当てだって自覚がないんですけどね」
「うふふ、わかる気がします、それ」
「はい、お待たせしました。ダージリンをホットで。美しいお嬢さんに素敵なひとときを」
「ふふふ、マスターさんだったんですね」
「はて?」
「真似をしていたのは、外見だけではなかったみたいですね、大地君。マスターさん、ダージリンをホットでもう一つお願いできますか?」
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「お待たせしました」
そう言いながら更衣室から戻ってきた俺を見て、彩乃さんは隣の席をポンポンと手で叩き、俺に座るよう誘ってくる。
俺は確認するようにマスターの方をチラッと見ると、ニコニコと笑っていた。OKのサインだと判断した俺は、そのまま彩乃さんの隣へと腰を下ろす。カウンターには既に俺の分も注文が用意されていて。
「どうぞ、大地君」
「えっ? 彩乃さんが?」
ニコっと微笑んだ彼女から『カッコいいヒーローに、素敵なひとときを』っとウインクされる。
「あ、彩乃さん!?」
「んふふふ……誰かさんの真似」
してやったりと言わんばかりの、悪戯っぽい笑みを俺に向け、なぜか横っ腹をツンっと人差し指で突っついてくる。
俺は突然の衝撃に『あう』っと変な声を出しながら、横っ腹を彩乃さんがいる逆の方へ引っ込めるように反らす。そんな俺の姿を彩乃さんは気にすることなく、手に持ったカップに口を付けていた。
その綺麗な仕草に、何かを言い掛けようとした俺も『いただきます』っと、カップに手を掛ける。
「大地君、そういえばそろそろ球技大会やないんかな?」
「え? あ、あぁぁ、そうなんです」
そうか、彩乃さんもリザーレ出身だったから。
「何に出る予定なん?」
「実は、サッカーに」
俺の返答を聞いた彩乃さんは大きな瞳をさらに大きくして『えっ!?』っと、店中に響き渡るような声を上げ、すぐに『ごめんなさい、大きな声を出してしまって』っと、恥ずかしそうに謝罪を口にしていた。
「お嬢さん、お気になさらずに。私も大地君がサッカーに出るって聞いて、大声を出しそうでしたから」
恥ずかしそうに俯いた彩乃さんへ、マスターはさりげなくフォローを入れていた。その流れるような気遣いに己の未熟さを痛感する。
「ありがとうございます、マスターさん」
「彩乃さん、サッカーって言っといてなんですが、俺はリザーブなんですよ」
「ん? 補欠っちこと? え……大地君が」
「俺のクラスで人気なんです、サッカー。去年、優勝したメンバーがそのまま立候補したんで、俺はリザーブで入れてもらえたんですよ」
「そうなん? 強いんやね、大地君のクラス。それなら、今年も優勝候補なんかな?」
「んーー優勝候補ではあるでしょうけど」
俺の煮え切らないような返事を聞いた彩乃さんは、一度何かを考えるように誰もいない方へと顔を向けた。カウンターに両肘を乗せ、そのまま指を組み合わせる。
再び俺の方へ振り向いて、口元に合わせた手をくっつけながら、そっとまた会話を続けてくれる。
「じゃあ、大地君にも試合に出るチャンスがあるっちことやね」
包み込むような優しい笑みを向けられた俺は『もしかしたら、ですね』っと、そう笑顔で彩乃さんへ返答する。
「大地君、雰囲気が優しくなりよる。変わったね、うん、変わった」
「そ、そうですか」
ポニーテールを揺らしながら『うふふ』っと、笑顔で返事をされる、そんな和やかな会話をしていた俺たちは、閉店少し前の時間に店を出ることにした。
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「マスターさん、お代はいりませんっち……これじゃうち、なんかたかりに行ったみたいやに」
「大丈夫ですよ、彩乃さん。俺の給料からちゃんと引かれてますから」
彩乃さんはさっきよりももっと驚いて、体をのけぞらせながら『えっ!!』っと大きな声を上げた。俺はほんの冗談のつもりが、咄嗟にまずいと感じて
「嘘です、嘘です! 彩乃さん、ごめんなさい」
「ほ、本当に嘘なん?」
「はい……すみません、冗談のつもりが」
俺がめちゃくちゃ悪いんだけど。
当然ながら、プイっとそっぽを向かれながら『そういう冗談を言う子は嫌いです』っと、彩乃さんは早歩きで俺を置いていく。情けなく『ごめんなさい』っと泣きを入れながら、俺は彩乃さんを追い掛けた。
ゆっくりと立ち止まった彩乃さんが、真面目な顔をしていて。再び謝罪をしようとしていた俺に、全然違う話を振ってきた。
「大地君、最近ずっと真剣に走ってないんやない?」
「え?」
「軽くしか体を動かしてないんやないかなっち」
「そうですね。ランニングと体幹トレーニングは毎日欠かさずしていますが」
彩乃さんは人差し指を立てながら、唇にトントンっと当て『お店でお腹を触って、気が付いたんやけど。大地君今週はいつ、バイトお休みなんかな?』っと、そう問い掛けてくる。
俺は彩乃さんの意図をあまり理解できず『明日……なんですけど』っと、ちょっと困惑しながら返答した。
「あら、そうなん? 明日、うちとラブ、ランニングするから、大地君も付き合っちくれんかなぁ?」
「散歩じゃなくてですか?」
「そう、ランニング。週に1回、ラブとランニングしよるんよ。じゃあ大地君、明日、いつもの場所でーーーー」
彩乃さんは俺に近づくと、唇にトントンっと当てていた人差し指を俺の唇にそっと当てて。『ね』っと、そう微笑んだ。よりダイレクトな関接キスをされたように感じて、俺はドキドキする。
「もお、怒っちょらんけん、そんなにしょんぼりせんで。大地君、送ってくれてありがとう」
優しい口調が、まるで抱きしめられたように感じる。
彩乃さんは『ここでお別れ。これ以上大地君が近づくと、ラブが吠えてしまうかもしれんに』っと、申し訳なさそうにする。
「彩乃さん、おやすみなさい」
「大地君、おやすみ。真剣、気を付けて帰るんよ! 心配やけん、着いたら連絡欲しいな」
「真剣、気を付けますに」
「もぉ……」
家へ向かいながら、何度も俺へ手を振る彩乃さんを、少し遠くから俺も手を振り返していた。
お留守番のラブちゃん
「ラブ、ただいまぁ」
『ウゥゥゥゥ』
「もぉ、そんな怒らんでよ。明日、大地君も一緒にランニングしてくれるっち。あ! 今吠えたらこの話はなしやけん」
『クゥ~ン』
私はラブの鼻を指で軽く撫で『ラブにもお裾分け』っとそう呟いた。




