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桔梗。

冬の風が駆け抜ける。

僕の後ろに立っているのは天使な彼女の友達。そして僕の幼馴染でもある。

小さい頃はこの公園でよく遊んでいた。とても明るくて誰にでも気を遣えて周りを巻き込むことが出来るその子は身近な僕の憧れだった。

僕の周りには憧れの存在が多すぎる。そしてその憧れの人は近しい人たちばかりだ。誰も僕には持っていないものを持っている。自分が居た堪れないほどに。


柑橘系の香りが僕の周りを包みこむ。

桔梗からはいつも柑橘系のとても心地よい香りがする。本人曰くミカンの香りの香水を使ってるかららしい。これは高校生になってからの話じゃなくて随分前からだ。それこそ小学生の頃から。ほんとは校則違反になるのだろうけど、匂いという特定のしにくさからか桔梗が風紀で引っかかってるところを見たことがない。それでも薄々、風紀委員の人は勘づいているとは思うけど。


「もう6時回ってるよ。良い子は帰る時間だよ。本屋さん」


調子のいい高い声で桔梗が話しかけてくる。

世間一般で言うと桔梗みたいな人のことを陽キャというのだろう。僕とは正反対だ。そんな正反対の人種なのに友達という関係なのは単に幼馴染というだけじゃない。

小さい頃、それはもう保育園とか幼稚園単位の話。この今いる公園でよく桔梗と遊んでいた。保育園や幼稚園が終わった後や休みの日なんかそれこそ週5とかで遊んでいた。時々、瑠璃も交えて遊んだこともあった。もう全部子供の時の話だけど。


「それなら桔梗は悪い子だな」


「私は気分転換だから悪い子じゃありませんっ」


「なんだそれ。じゃあ、僕も悪い子じゃないよ」


「その理由は?」


「...気分転換かな?」


「あ、真似したぁ~」


「いいだろ別に」


「ま、それもそうだね。お互い同じ悪い子ってことで」


「なんで悪い子になってるんだよ」


「お互いに強情だから?」


「なんで疑問形なんだよ」


桔梗と二人だけで話すのはとても久しぶりな気がする。

昔からそうだけど桔梗と話すと桔梗のペースに乗せられる節が多々ある。まぁ、嫌なわけではないから別にいいんだけど、しめしめという顔をされるのは少しムッとする。今も、「あ、乗ってきたな、本屋さん」というような表情をこちらに向けている。そして言わずもがな僕はいまむっとした表情を桔梗に向けている。


「隣座るよー」


桔梗はまるで当たり前かのように僕の隣のブランコに腰を下ろした。

こういう時、桔梗は「座ってもいい?」なんて聞かずに座ってくる。大抵の人は聞いてから座るものだと思うけど、ましてや異性というのもあるし。でも、距離を感じさせずに近づけるのは桔梗の良いところだと思う。人にはそれぞれパーソナルスペースというものが存在するっていうけど桔梗にはそれが全くないって言っても過言ではないくらいだ。反対に瑠璃は割と初対面の人には結構距離を取る方だけど、桔梗と瑠璃が仲がいいのは桔梗のペースに乗せられたからなんだろうなと思う。


「昔はこの公園でよく遊んだねー。ブランコ。私が漕ぐの下手っぴだったから教えてくれたよね?」


「...そんなこともあったね」


「あれから私、夢中になって練習してさ。びっくりさせようとしてたんだよ?」


桔梗の言葉に「そう」とだけ返答する。

桔梗の言う通り、昔はよくこの公園で遊んでいた。

家が近いということもあって桔梗とは瑠璃と同じくらいの時間を共にしていたと思う。昔からやんちゃだった桔梗に必死になってついていって、ほんとによく遊んだ。とてもいい思い出だ。桔梗は負けず嫌いな所があった。だから今、話しているブランコも必死になって教えてほしいって頼まれたっけ。

結局、教えて以来、一緒にブランコなんてする機会は減ってしまったけど。


「ねぇ、久しぶりに一緒にブランコしよっか」


「...昔みたいにできないよ」


そう。昔みたいに。

そもそもそんな気分じゃない。昔みたいに二人で話しながら遊ぶっていう気分じゃない。


「できるよ。ほらっ!」


そう言うと桔梗は勢いよく足で地面を蹴ってブランコに弾みをつけた。

横目に見える靄のような砂煙が蜃気楼のように薄れていく。夕暮れ時から一変して外はずいぶんと暗い色を帯びかけていた。視界には前に桔梗が出てきたり後ろに消えたりと桔梗が膝を曲げて勢いをつけていくうちにその間隔がどんどん長くなる。


「ほらっ。風が気持ちいいよ。冬の風、透き通ってて私好きなんだ」


「僕は冬の風、嫌いだよ」


「どうして?」


「透き通ってるけど、刺さるような冷たい寒さがあるから」


「それ含めていいんじゃん」


勢いよく漕ぎながら桔梗が話すから声も勢いを増しているように感じる。

隣で笑顔でブランコを漕いでいる桔梗は、今が幸せ。という言葉を体現しているようだった。

あぁ、だめだ。羨ましいと思ってしまう。考えないようにしてたのに。気分が落ち込むと人っていう生物は全部が駄目な方向に傾いてしまう。そういうもの。


「本屋さんはさ、将来、やっぱり本の仕事をしたいと思ってるの?」


今、一番言われたくないことを言われて少しばかり唇を噛む。

将来...。将来なんて言葉。今の僕には何の意味も持たない。だってほぼないのと同じなのだから。僕に未来は実質的にない。


「はぁ、僕の名前は...」


「あぁ、はいはい」


名前を否定しようとすると桔梗は食い気味に口をはさんできた。

というかそんな適当な返事するなら初めから変な名前で呼ぶなと思う。

「はぁ」と深いため息をついてから桔梗は話を続けた。


「つゆは将来何したいの?」


随分と久しぶりにその名前で呼ばれた気がする。

中学生の2年あたりからだったかな、その名前で呼ばれなくなったのは。

久しぶりのつゆという呼ばれ方に懐かしさと少しくすぐったさを感じる。


「つーゆ?」


ブランコを止めて桔梗が覗き込んでくる。

暫く懐かしさに浸ってしまっていた。

将来の話から話題を逸らすために名前を否定したのにその企みは針の穴を通らずにすり抜けた。将来のことなんて一番話したくない話題だ。


「...久しぶりに呼ばれたな、その名前」


「私は本屋さんの方がしっくりくるけどね」


それだけ話したくない話題だから一度通らなかったくらいじゃ僕は折れない。

もう一度、話の道を外そうと試みてみる。


「僕の名前は露木隼人だ」


「原型がないって言いたいんでしょ。細かいなぁ~」


「細かくない」


「はいはい。つゆね。...でも私は嫌だな。この呼び方」


冗談交じりの話題のつもりだったのに随分と真剣な声で桔梗が返答する。その声質に思わず地面を見つめていた目線を横に座っている桔梗に移す。


「どうして?」


あまりに真剣に返すものだから首をかしげて桔梗に尋ねてみる。

すると桔梗は困ったような笑顔をこちらに向けて話し始めた。まるでその話題は嫌だなと思っていた僕に似たような何かを感じた。


「つゆってさ、あれみたいじゃん5月とか6月に降る雨のこと」


「あぁ、梅に雨の梅雨のことね」


「うん、それ。私さ梅雨が嫌なわけじゃないんだけど雨っていう文字が入ってるのが嫌なんだよね」


「雨が好きな人なんてそうそういないと思うけど」


「そうだろね。でも私は雨の意味合いが嫌い。雨ってさ、その、なんか、これは個人の感じ方なんだろうけど、私には冷たいイメージに感じるんだよね」


「まぁ、否定はしない」


「つゆはさ、結構昔から揶揄われてたっていうか、そのおとなしいから、あいつ冷たいなとか言われてたじゃん。それこそクラスのカーストの上のやんちゃな子たちから」


そういえばそう言われていたこともあった。

小学生とか中学生のときだったっけ。桔梗に言われる今の今まで忘れていた。確かに桔梗の言う通り僕の性格上そういうことを言われることも多々あった。蓮に言われるようなネタのようなやり取りの間ではなくてそれこそ陰口とかそういう部類のもので。でも、僕自身にとっては別にそう思われてもいいなんて思ってたから痛くも痒くもなかった。その証拠にその出来事を忘れてるくらいには陰口なんてどうでもよかった。言わせておけばいいって思ってた。


「そういえば言われてたかもね」


「それがね嫌だったんだ。つゆは冷たい人じゃないのにさ。それこそ私にブランコを教えてくれた時だってそうだし、勉強もなんだかんだ教えてくれる。冷たくなんかないんだよ私の幼馴染で親友は」


知らなかった。

桔梗がそんなこと思ってくれてるなんて。

桔梗には悪いけど、桔梗はどっちかというと僕のことを冷たいって思ってそうだなと思っていたからなおさら驚いた。桔梗には心の中で深く謝る。


「梅雨。雨はさ、冷たいってことを連想させるからさ私はその呼び方嫌い」


そういえば桔梗が僕をつゆと呼ばなくなったのはそのような陰口が始まってからだった気がする。

そのおかげで色んな名前を言われて苦労したけど。でも桔梗なりに考えてくれていたみたいだ。ほんとに友達思いだ。周りを見て気遣いができる。

桔梗の本心を聞いてほんの少しだけ心が温まる。素直に嬉しかった。僕のことを真剣に思ってくれていることが。いや、僕にこんな優しい友達がいる事が。こんなにも僕のことを考えてくれていることが。


「ま、でも、つゆも色んな呼び方された方が嫌だったかもしれないね。ごめん」


この少しばかり張りつめた空気を和ませようと桔梗が冗談交じりに笑う。

先の空気を引きずらないように。


「嫌ではなかったよ。でも、つゆって呼んでくれなくなったのは少し寂しかったかな」


桔梗が大きく目を見開いてこちらを見つめてくる。

意外というようなきょとんとした瞳がこちらに向けられた。


「僕は桔梗に呼ばれてたつゆって名前好きだったよ。他の人って下の名前で呼ぶことが多いからさ。別に下の名前で呼ばれることが嫌なわけじゃないけど。つゆっていう呼ばれ方はなんか、その特別感があって嬉しかった」


本心だ。言葉では言い表せないけどつゆって呼ばれ方はとても心地よかった。

幼馴染ならではの呼び方って感じで。そしてもう一つ桔梗には言えないこの呼ばれ方が好きな理由がある。桔梗とは違ってつゆを梅雨と読むんじゃなくて露の方で認識している。この露には儚いとかの意味合いがあるから小説の主人公枠みたいで好きだ。まぁ、こんなこと恥ずかしすぎて口が割れても言えないけど。


「ありがとう。僕のこと考えてくれて」


どんなに辛い状況でも必ずプラスに傾くことが出来る道がある。

瑠璃の契約の時もそうだった。僕はこういうことに恵まれすぎてる。

何かが変わった訳じゃない。僕の悩みとは全然違う。それでも少しだけ鉄のような重みを持っていた心が軽くなった気がした。

すると桔梗はブランコから飛び降りて女の子とは思えない綺麗な着地を決めたと思ったら振り向いて顔をこちらに向けて微笑んだ。


「そっか。よかった」


少しだけ桔梗の瞳の奥が水分を含んで揺れ動いたような気がした。


「つゆ」


「なに?」


「なんかあった?」


まるでブラーをかけて大まかにするような外枠だけの質問が投げかけられる。

思わず下を向いてしまいそうになるけど、桔梗のまっすぐな瞳が僕の視界を縛り付けているようだった。

しばらくの間、何も答えられずにいると桔梗が「ううん」に続けて言葉を紡ぐ。


「...りーのことでなんかあった?」


「別に...何もないよ」


多分、もう桔梗は気づいてると思う。僕の嘘に。

いや、こんなわかりやすかったら誰でも分かるだろう。

もはや気づかれていることに関してはどうでもよくなっていた。


「そう」


瞬く間にまた静寂が二人の間をかける。

すると桔梗がふぅっと大きく息を吐いた後に微笑みながらこちらを向く。

こういう時、桔梗は無理に聞いてこない。人の心を分かろうとしてくれる。気遣いをしてくれる。とても優しくて芯を持っている子。


「私さ、蓮に告白した時さ、心臓張り裂けそうだったんだよ。もうやばい。爆発するーなんて思っちゃった。でもさ、正確には告白は私からじゃないんだよね」


先の話とは違う話題の唐突な桔梗の話に少し戸惑った。

戸惑いながらも耳を傾けていると話の前後で矛盾している点に気づく。話の前後のこともだし、前に蓮に聞いたときの話と矛盾している気がする。


「...それ、矛盾してるよ」


「ふふっ。だね。ほんとは私から告白するつもりだった。いや、告白したんだ」


「知ってる。カフェでもそう話してた」


「でも、私が告白した後に蓮が言ったんだ。『さっきの言葉取り消して』って。あ、私振られたんだって思っちゃってさ...。泣きそうになった」


初耳だった。

カフェで聞いたときは桔梗から告白して蓮がそれを承諾したという流れで聞いている。今となっては二人は付き合っているから振られたわけではないのだろうけど、蓮のその言葉はとても気になってしまう。


「...その後は?」


「お、食いついた。気になる~?」


桔梗がしめしめというような表情でこちらに目を向ける。

また桔梗のペースに乗せられてしまった。その表情に少しだけ腹が立ったがそれは呑み込んでおく。

僕は咄嗟にブランコの前にある滑り台に目線を移してそっぽを向く。桔梗は少し微笑んで桔梗が飛び降りてゆらゆらと揺れているブランコを見つめながら話し始めた。


「その後、蓮が言ったの。『俺から言わせて』って。そして蓮が告白してくれた。私、その時、わけ分かんなくてさ。もう大泣き」


「想像つかないな。桔梗が泣いてるのは」


素直にそう思った。

桔梗が泣いてるところはほとんど見たことがない。桔梗は昔から意地っ張りでもあった。どんなに悔しくても悲しくても涙を流しているところはなくて、そういう意味でも桔梗は明るいイメージしかない。


「私だって女の子だからね。落ち着いた後に蓮に聞いたらさ。女の子から言わせるもんじゃないって言われて、かっこつけだなと思ったと同時にとても嬉しかった」


普段の桔梗からは想像もつかないような話に少し困惑する自分がいる。

そして蓮も。こじらせてたなんて言っておきながらしっかりとかっこつけてるんだなと思った。僕とは大違いだ。


「ねぇ、つゆ」


「なに?」


「女の子はさ、とっても小さなことでも嬉しいんだ。その人の人柄は関係ない。かっこいいことを言われたらもちろん嬉しいし、優しく寄り添ってくれることもとても嬉しい。そしてその分、男の子は大変だなとも思う。でも、一生懸命向き合ってくれるだけで、少しの気遣いだけで女の子は嬉しいと思うよ」


桔梗の言葉に僕は相槌も打たずにただ聞いていた。

僕はそれが出来てるだろうか。瑠璃に対してそんな気遣い出来てるだろうか。逆だ。僕は瑠璃からもらってばっかりだ。蓮のようにかっこよくしてない。桔梗のようにこうやって僕を気にかけて話すようなこともしてない。瑠璃みたいに...

今日だって教室を出ようとしたときに瑠璃が伝えようとしていることが分からなかった。僕はあと少しで記憶が消える。それを言い訳にしてる。


「大丈夫だよ。つゆはよく頑張ってる。りーも喜んでる」


桔梗の言葉にふっと息をのむ。


「桔梗。僕は昔みたいに優しくないよ。自分のことしか考えてないんだ。今日だって...」


言いかけた途端にふっと冷たい風が駆け抜ける。

瞬間、後ろから温かい感覚に襲われた。桔梗が僕を抱きしめてくれたのだと理解するのにそう時間はかからなかった。いきなりのこと過ぎて頭が追いつかない。

桔梗が左手で僕の頭を撫でてくれる。その手はとても優しくてふんわりとした温かさを持っている。

しばらく無言が続いた後、桔梗はふっと息を呑み込んで声を続けた。


「...つゆは少し自分のことを過小評価しすぎだよ。そして自分を責めすぎてると思う」


「そんなこと...」


「ある。つゆは自分よりも周りの人を意識しすぎだよ。もっと自分に自信を持つべきだよ」


少し力のこもった声が僕のすぐ耳元で呟かれる。

桔梗に抱きしめられた時に僕を包んだ緊張感は一瞬だった。さっきまでの緊張はあっという間にどこかに去っていた。それほどまでに桔梗の言葉に意識を集中させていたからなのかもしれない。


「ねぇ、つゆ。私のことすごいって思ってるんでしょ。ううん。私だけじゃない。りーも蓮も自分なんかより特別な力を持っていてそれが自分にはないと思ってる。自分なんてって思ってる」


桔梗に核心を突かれて何も返せない。

だってその通りのことを思ってるから。そうだよ。僕は桔梗みたいに周りに気を遣って声をかけてあげる事も、蓮のように明るく振る舞ってみんなに元気をあげることも、瑠璃のように他人の考えや変化にすぐに気づいてフォローしてくれることも、僕にはない。

瑠璃のことを本気で幸せにしたいと思っていた。僕がこれから支えてあげようと思っていた。でも、実際そんなことできてない。瑠璃とのこの契約の意味も聞き出せない。僕は無力だ。いや、記憶が消えるってことを言い訳に逃げていて自分とも向き合ってない。瑠璃とも向き合えてない。現に今日の瑠璃の問いに答える事が出来なかった。


「桔梗の言う通りだよ。僕には何もない。周りの人に助けられてばかりだ。今だって桔梗に助けてもらってる」


何も何も変わってない。

桔梗とは立場が違う、なんて言わない。それこそ言い訳にして逃げ道を作ってるだけだ。

最近の僕は誰かに頼ることしかできていない。あの夢現象も情けない僕を見かねた神様がしびれを切らしてあんな言葉かけてきたのかもしれない。

そんな思いに更けていると桔梗が背中から離れてブランコの前の手すりに両手をかけてはーっと大きく息を吸い込んだ。


「つゆの良いところは困っている時にめんどくさがりながらも助けてくれるところっ!!」


「つゆの良いところは真面目に自分のしないといけないことを全うすることっ!!」


「つゆの良いところは冷たくなんかない!とても温かな心を持っているところっ!!」


急に大きな声で桔梗が叫ぶ。

その声はすっかり暗くなってしまった夜闇に溶け込んで消えていく。


「ちょっ!桔梗!」


そんな大きな声で言われると恥ずかしくてたまらなくなってくる。

慌てて僕は暴走した桔梗の静止に入る。

すると桔梗は振り返って優し気な表情を僕に向けてくる。ふっと息を吐くとさっきとは違った大きな声ではなく優しく透き通った声で話し始める。


「つゆの良いところは、私の大親友のりーのことを誰よりも大切に思っていて、誰よりも悩んでくれていて、そして、精一杯向き合おうとしてくれていること」


ふっと冬の風が二人の間を吹き抜ける。

刺すような冷たい風は感じなかった。とても透き通った風が二人の間を駆け抜けていった。


「つゆ。つゆは自分のことしか考えてないわけないよ。もしもほんとにつゆが自分のことしか考えてないんだったらそんな悩まないよ。それはりーと向き合ってる証拠。今はちゃんと向き合えていなくてもつゆが向き合おうとしている。つゆは私の幼馴染の露木隼人は誰よりも優しくて温かくて寄り添ってくれる人。そんな人だよ」


とてつもなく透き通った声が僕の中を駆け巡る。

その言葉に偽りはなくて桔梗自身の正直な言葉が感じられた。僕の中でなにかがすっと下がった気がした。


「桔梗。僕は瑠璃のことを何も知らない。恋人なのに瑠璃の彼氏なのに何も分からないんだ」


「そうだね。りーは抱え込みすぎなところがあるからねー。誰かさんに似て」


横目でちらちらと僕の方を見ながら言ってくる。

多分、僕と似ていると言いたいのだろう。瑠璃と僕を比べても似ているところなんてないと思うけどと正直思う。

そして桔梗の口ぶりからなにかしら瑠璃に関することを僕よりも知ってるんだと思った。


「桔梗は瑠璃の抱えていることを知ってるのか?」


そう思うと思わず口に出していた。

人は何よりも早く答えを求めたがるものだ。どこかの誰かがそんなことを言っていた。間違いないと思う。僕もその何かの答えが欲しかった。

しばらく桔梗はうーんと悩むそぶりを見せた後に続けた。


「んー、それはつゆが考えないといけない事じゃないのかな」


その通りだと思う。

答えを急いても何も意味がないことは心のどこかで分かっていた。


「...まぁ、そうだよな」


「大丈夫。私もりーへの知識なんてつゆと変わらないくらいしかないよ。ただ...」


「ただ?」


「ううん。なんでもない」


「そう」


「ねぇ、つゆ。りーをお願いね」


桔梗はこっちを見つめ真剣な眼差しで僕に言ってくる。

その言葉はどこか切なさを纏っていた。まるで僕にしかできないことだよと言われているようだった。

僕は自分のことを卑下しすぎているなんて桔梗に言われたけど、僕はそれでも自分のことしか考えていないと思う。でも、それでも、桔梗に言われて向き合ってみようと思った。いや、桔梗に言わせれば向き合っているのだろうけど、改めてだ。これはあくまで僕の主観だけど向き合っていくうちにあの夢現象の謎も分かる感じがする。そんな気がする。


「分かった。もう少し頑張ってみるよ。瑠璃を悲しませたら桔梗に怒られそうだからね」


少し困ったように笑いながら桔梗に言うと、桔梗は優し気な表情を持ちつつもまた満面の笑みを浮かべて言ってきた。


「それでこそつゆだよ」


「それでも、もし駄目だったら桔梗に助けてもらってもいい?」


「うん。もちろん。私が助けてあげる。つゆには助けてもらってばっかりだったからね。幼馴染として私が責任を持って助けてあげる」


ふっと僕の肩の荷が下りた気がした。

今なら昔のようにブランコを漕いで、透き通った風を切れそうな気がした。

すると桔梗はもう一度体の向きをブランコの方に変えて座り漕ぎ始めた。


「ほらっ!一緒にブランコしよっ!」


そう言うとあまりにも子供のような表情でブランコをするものだから、表情が綻び、ふふっと笑って続ける。


「子供みたいだな」


「あ、つゆもでしょ」


「僕は桔梗みたいに子供じゃない」


「そんなこと言ってブランコ座ってるじゃん」


僕はたたっと後ろにブランコを退いて勢いよく地面を蹴った。

なぜだろう。昔よりも成長して視点が高くなったのもあるのだろうけど、あの頃よりも高くいける気がした。

助走をつける度に僕を乗せたブランコはぐんぐんと速度と高さを上げていく。横目にはいったり来たりと楽しそうな表情の桔梗が入り込む。あの頃よりも成長してるのに昔に戻った気分だ。

楽しいと思った。幸せだと思った。今、この瞬間がなによりも。ちらりと桔梗の方を見る。桔梗もとても楽しそうにしている。


「ん、どうしたのこっち見て?」


「ううん、ただ...」


「ただ?」


「幸せだなと思って」


「なにそれ~」


桔梗は冗談笑いをしながら漕いでいる。

桔梗に笑われようと僕は本心を言ったまでだ。「幸せ」という言葉。随分と鮮明に感じるようになっている。その要因は言うまでもない。何も解決したわけじゃない。悩みの要因が消え去ってくれたわけでもない。瑠璃の気持ちが、考えていることが分かった訳じゃない。でも、桔梗のおかげで一歩は踏み出せた。今はとりあえずそう考えよう。いや実際にそうなのだから。


「あ、つゆ。唾呑み込んでみてよ」


ざっとブランコにブレーキをかける音が響いたと思ったら、唐突にそんなことを言ってきた。

僕もブランコにブレーキをかけてゆらゆらと揺らす。


「なに急に。頭おかしくなったの?」


「おかしくなってないです~」


顔をぷくっと膨らませて桔梗が言う。

いや、急にそんなこと言われても頭おかしくなった?と聞いてもおかしくないだろう。何より話の因果関係がなさすぎる。繋がってない。


「ほら、早く早く」


桔梗に催促されて言われた通り唾を呑み込んでいる。

水を飲むときとは違った少し粘土のある液体が喉を通る感覚がしてスッと体の中央に落ちていく感じがした。

横目でちらっと桔梗をまじまじとうっすら笑みを浮かべながらこちらを見ている。


「ねぇ、どうどう?」


「どうって何が」


「いや、唾呑み込んでみて」


「いや、だからそれに関して何がって」


「どんな味がした?」


「味?味なんてしなかったけど」


「えー。しっかり呑み込んだ?」


グイっと顔を近づけて言うものだから少したじろいでしまう。


「桔梗。まずこれはどういう儀式か教えて」


「あ、ごめんごめん。言ってなかったね」


どう考えても先に言うべきだと思う。

いきなり唾呑み込んでなんて変な性癖の持ち主だったのかなんて思ってしまう。


「昔ねおばあちゃんが教えてくれたんだ。今の本心が分かる儀式だって」


そういえば桔梗は小さいころからおばあちゃんっ子だったことをふと思い出す。

そして度々。おばあちゃんから教えてもらった知識をふんだんに周りに発信していた。それはおまじないだったりこういう儀式だったり様々だ。

桔梗の中でおばあちゃんはとても大きな存在らしい。桔梗の両親は仕事の関係上、出勤なんかが多くてなかなか家に帰ってこれないらしい。そのせいもあるのか桔梗の家では家事はほとんどおばあちゃんがしているらしい。保育園の迎えもおばあちゃんに迎えに来てもらっていたし、桔梗にとっておばあちゃんは第2にお母さんという感じなのだろう。


「今の本心?」


「そ。楽しかったり嬉しかったりしたら甘い味が口に広がって、悲しかったり寂しかったりしたら苦い味になるんだって」


多分、一種のプラシーボ効果のことなんだろう。

いわゆる思い込み、その時の感情によって他のものの感覚が変わってくることだ。僕が幸せなんて言ったから確かめるためにこの儀式を提案したんだと後になって分かった。


「なるほどね。それ初めに言ってよ」


「ごめんごめん。忘れてた」


それを忘れるのかなり致命的だと思う。


「じゃあ、あらためてもう一回してよ」


「はいはい」


僕は桔梗の言った意図が分かったところでもう一度唾を呑み込む。

さきとは変わらない少し粘度のある液体がスッと下に落ちた。その後にほんの少しだけ口の中に甘い感じが広がった気がした。


「どう?」


「うーん、ほんの少しだけ甘く感じるかな」


「あ、じゃあつゆが言ったことはほんとなんだね」


「疑ってたのかよ」


桔梗は笑いながら「疑ってはないよ~」とくすくす笑っている。

まるで小さいころに戻ったみたいだ。桔梗と他愛ない雑談をしながら一緒に遊んでいる。それだけで心が温まった。


「じゃあね。また明日。つゆ、寝坊しちゃだめだよ?」


「誰に言ってるんだ。そっくりそのまま返すよ」


あれから暫く桔梗とブランコを漕いだ後、公園の時計台が7時を指していたので帰ることにした。

お互いさすがに帰らないと親に心配をかけてしまう時間だ。


「私は寝る子は育つを実行しているだけなのです」


「その言い方だと寝坊する気満々ってことだな」


「努力はするよ?」


「はいはい、じゃあまた明日ね」


桔梗に背を向けて公園を後にしようとする。


「つゆ!」


突如大きな声で桔梗に名前を呼ばれる。


「明日からは学校でもつゆって呼んでもいい?」


「もちろん。僕の名前は露木隼人だ」


そう言うと桔梗は雪が溶けるようなふわっとした笑みを浮かべて、手を大きく振った。

雪は止んだ。まるで気持ちを体現しているかのように。どうか降らないでほしいと思った。明日も明後日も。

相変わらず冷たい風は吹く。コートを着ていても寒さが刺さる。

家までの帰り道。高い空を見上げてつぶやく。


「やっぱり冬は少し嫌いだ」









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