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仮相。

また明日。

直近で言われるその言葉がとても深く感じる。

明日。明日。それを言うたびに刻一刻は近づく。時の流れは止まらない。

雪が止む。不思議と絶望感に苛まれない。気掛かりなことが残っている。

残りの時間のすべてを消費してしまう前に知れるのだろうか。その気掛かりを。

天使と悪魔。知りたいのは天使のこと。悪魔な僕が欲しいのは時間を待つことじゃない。意味のある時間が欲しいその感情に満たされる。

未来のことは分からない。どんな結末を迎えるのか。それこそ神のみぞ知るってやつだ。



昨日見た星々の空を維持したかのように空は雲一つなく晴れ渡っている。

母さんに一言、「いってきます」と残して一歩一歩進み、学校までの距離を縮めていく。道路の脇には積もっていた雪が少し残っていて陽光に眩しいくらいに反射している。

なぜかは分からないけど、久しぶりに学校に行く気分だ。まるで、熱を出して1週間ぶりに学校に行くような何とも言えない感情に襲われる。学校。僕でいられる時に行けるのはあと2回というわけだ。

道中、制服のポケットに入れていた携帯が震える。スッとポケットから取り出すとそこには瑠璃からメッセージが送られていた。


【昨日、別れた橋で待ってるから】


僕はそのメッセージに分かったと一言だけ返して、足を速ませる。

学校に行く道中という憂鬱な時間が瑠璃のメッセージだけで心が少し上がってしまうのは相変わらず単純だな。

それから少しして、橋に着くと瑠璃が橋の真ん中に手すりを背もたれにして立っていた。休日は瑠璃と一緒にいて私服姿が目に焼き付けられていたから、制服に新鮮味を感じる。

僕に気づくとこちらを見てあからさまににこっとした表情が作られる。僕は引き寄せられるように駆け足でその笑顔の主に近づいていく。


「ごめん。待たせた?」


「ううん。今来たところだよ」


アニメや漫画で出るようなテンプレといった会話をする。まさか現実でこの会話を使うなんて思ってもみなかった。


「隼人、昨日しっかり寝た?」


「ん、どうして?」


「目の下にうっすらだけど隈出来てるから」


聞かれるか分からない程度の隈だったから、聞かれないことに賭けたけど現実はそう甘くなかった。

昨日のあの目まいのおかげであれからあまり眠れなかった。考え込んでしまっている内に寝ていたみたいだけど、最後に時計を確認した時は針が3の数字を指していたから実質3時間しか寝ていない。

おかげさまで今朝、鏡を見ると、今瑠璃に聞かれているように目の下にうっすらと隈が出来てしまっていた。こういう時、女子は化粧やらなんやらで隠せるけど男子は隠せないあたり不平等だ。と普段は化粧を大変としか思っていない感情が羨ましいに傾く。


「あー、誰かさんが夜にメッセージ送ってきたから眠れなくて」


「それって私のことだよね?11時には終えたし睡眠時間削るほどしてないよ!」


冗談交じりに返した言葉だったのにあまりにも瑠璃が必至に返答してきたからつい笑ってしまう。

瑠璃のこんな表情を見るのは初めてだし普通に可愛い。


「あ、笑った。何がおかしいの?」


「いや、あまりにも必死に言うから」


「私を揶揄って楽しいですか~?」


普段の瑠璃とは違った間延びした声が発せられる。


「いつの日かのココアのお返し」


「あの時は隼人が悪い」


「うそうそ、冗談。単に瑠璃とのメッセージが嬉しくて画面とにらめっこしてたら目がさえて眠れなくなっただけだよ」


「惚気だね。嬉しいけど」


「だから少し濁したんだよ。恥ずかしくて言いたくなかった」


回数を重ねていくうちに隠すときの躱し方が上手くなってきている気がする。

こんな力身に付けても表面上に過ぎないものだからいつかぼろが出そうと危惧している自分がいた。


「今日から午前中の授業だけだね」


「だな。まぁ、午後からは委員会の仕事しないといけないけどな」


冬休み前という事もあり午前中授業で学校は午前で終わる。

と言っても僕みたいに委員会に入っている人や部活動をしている人は午後から活動や仕事があるから

結局のところ夕方くらいまでは学校にいないといけない。それでも授業よりかは全然ましだから生徒たちのテンションは高めだ。


「さすが図書室の番人だね」


「馬鹿にしてるでしょそれ」


「してないしてない。仕事熱心だなって」


「やらないといけないからやってるだけだよ」


「私も手伝おうか?」


瑠璃は部活動にも委員会にも入っていないから度々、手伝ってもらったことがある。

もちろん忙しいときに限りだけど。


「ううん。大丈夫だよ。それほど大変な作業でもないし、それにもう一人の図書委員も今日は来るだろうしね」


「そっか」


そう言うとふいに瑠璃が寂しそうな顔をした。


「なるべく早めに仕事終わらせるから待っててもらってもいい?瑠璃と一緒に帰りたいし」


「うん!じゃあ、放課後、教室で待ってるね」


瑠璃は先の寂しそうな表情を一気に変えてふわっとしたにこやかな表情に変わった。

どうやら一緒に帰りたかったらしい。そう思うと心の中でにやけてしまう。それと同時に瑠璃との時間の鮮明さを感じる。僕に残されている時間は残り4日。契約という形の瑠璃とのこの時間もあと4日。もはや契約として付き合ってる感じはしないしむしろ普通に付き合っているという感じだけど、それでもリミットは確実に近づいている。記憶が消えた後の契約はどうなるんだろう。ううん、多分、この契約はこれっきりだ。僕の記憶が消えると同時に契約は任期満了だろう。この縛りつけられた建前上の契約が僕らを繋ぎ止めてくれている。


それからは瑠璃と肩を並べて歩いた。

しばらくすると学校の校門が見えてきて、柚子白高校と書いてある石板は少しばかりの雪をかぶっている。冬ということもあり、寒いのは当たり前だけどそれを見て寒さが増したような気がする。


「はやとー!」


石板を通り越すや否や背中の方から重たい身体がのしかかる。

大体予想はついているが声のなる後ろに目を向けると蓮がいた。


「朝から随分と元気で。そして重い」


「相変わらず雪のように冷たいな隼人は。まぁ、それがお前の良さでもある」


皮肉を述べたと思ったら、にかっとしてグッドポーズを向けてくる主は言わずもがな蓮だ。


「お前は冬でも夏のように熱苦しいよな」


「熱いでいいだろ。苦しいは余計だ。あ、瑠璃ちゃんおはよう!」


「おはよう。翡翠君。後ろ髪少しはねてるよ」


口に手を当てふふっとした笑顔を瑠璃が向けると蓮は「え、まじ?」なんて言って後ろ髪を右手で抑え込んでいる。

僕と話してると思ったら瑠璃と話したり、ほんと忙しい奴だ。


「というか隼人ら登校するの早いよな。しかもカップルで。羨ましいよ」


蓮の言う通り僕らの登校時間はかなり早い。

朝のホームルームが始まるのが8時からで今の時刻は7時だ。もちろんこんなに早く来たのには理由がある。瑠璃と一緒にこの前の小説の続きを読むためだ。普段なら昼休みに読むところだけど、午前中の授業だけしかないから普段のように昼休みはない。だから昨日メッセージアプリでやり取りしてる時に朝読もうという流れになったのだ。


「蓮にも彼女いるだろ。一緒に来ればいいんじゃないか?」


「考えてみろよ隼人。紗南がこんな早い時間に起きれると思うか?」


「あー...」


確かにあの桔梗がこんな朝早く起きれるとは思えないと納得してしまう。

蓮ももちろん朝が強いイメージはないけど、蓮の所属する陸上競技部では朝練というものがある。1年生の頃は蓮も嘆いていたけど、当の本人はもう慣れてしまったみたいだ。


「...無理だな」


「だろ?」


「そういえば蓮。何か用があったんじゃないか?」


蓮のペースに乗せられて雑談に花が咲いてしまったが、本来、蓮から話しかけてきたことを思い出し、話を切り出す。


「あ、そうなんだよ!隼人!一生のお願いだ!」


まるで小学生のように手を合わせて頭を下げる。

今回で何度目だろう蓮の一生のお願いを聞くのは。

蓮は困ったことや助けてほしいことがあると度々このお願いを使う。しかも大抵相手は僕だ。テスト勉強の手伝いや課題の手伝い等、蓮のお願いは様々だ。頼りにしてくれてるのはありがたいがもう少し自分ですることを覚えた方がいいと思う。


「その一生のお願い。少なくとも蓮とつるむようになってから10回は聞いたぞ」


「まあまあ、そんな細かいことは気にせずに」


蓮は僕の肩を揉みながらねぎらうように施してくる。


「はぁ...で、用事は?」


「さすが隼人!実はさー明日の放課後に再テスト受ける事になってさ!そのテストで合格点取らないと冬休み部活させてくれないって顧問に言われて困ってるんだよ。だからさ今日の放課後、勉強教えてくれね?」


「なるほどな。悪いけど無理」


「えーなんでだよ!」


「今日の放課後は委員会の仕事がある」


バッサリと蓮のお願いを切り捨てる。

こればかりは仕方ないだろう。いつもならなんだかんだ蓮のお願いを聞いてやるけど、やることがあるのだから仕方がない。


「えー、さぼっちゃえよ」


「できるわけないだろ」


「じゃ、じゃあ、委員会の仕事終わった後は?」


「悪いけど今日の夕方は別の用事が入ってるから無理。というか一度くらい一人でなんとかしろよ」


「勉強はまじでダメなんだって。隼人だって知ってるだろ」


確かに蓮は勉強が不得意だ。

苦手ではない。あくまで不得意だ。蓮は教えれば勉強自体はできる。これまで幾度となくテストや課題のたびに勉強を教えてきたけど乗り越えてきている。いわゆる勉強のやり方さえ分かれば優等生というわけだ。


「あの、私でよければ勉強教えようか?」


蓮と僕との会話の中に距離を取りながら瑠璃が話に入り込んでくる。


「え、まじ!?瑠璃ちゃんは時間大丈夫なの?」


先ほど僕には予定すら聞かずに頼み込んできたくせになんで瑠璃にはそんな丁寧なんだと思う。


「うん。隼人の委員会の仕事が終わるまで暇だったから」


「やったー!あ、隼人はいい?」


「なんで僕に聞くんだよ」


「いや、一応彼女を借りるわけだからさ。隼人が嫌なら引くけど」


こういう人柄といい蓮はとても気遣いが出来て優しい奴だと思う。

蓮は自分がいくら利益があろうと他人を優先する。僕の周りには良い人が多すぎる。


「別にいいよ。蓮が再テストで部活できなくなるのは流石に可哀そうだからな」


「はやとー!ありがとうっ!!」


もう一度抱き着いてきそうな勢いだったから肩を抑え込んで連を静止させる。


「それより朝練はいいのか?もうそろそろ始まる時間だろ?」


「あ、ほんとだ。やっべ。じゃあ、朝練行ってくる!二人ともありがとな」


そのまま蓮はダッシュで部室棟に向かって行った。ほんと忙しい奴だ。

数秒で蓮の背中が小さくなる。流石は短距離選手というだけはある。


「相変わらずせわしない奴だな蓮は」


「そうだね。でも隼人も翡翠君も良いコンビだよね」


瑠璃にそう言われ少し首をかしげる。でも内心その通りだと思う自分がいた。

そして僕らだけじゃない。

瑠璃には桔梗。僕には蓮。そしてその二つの線を結んで綺麗な四角形の関係を作っている僕らはとても良い関係だと改めて思った。


校舎に入り、下駄箱で靴を履き替える。3階までという長い階段をぐるぐると登り、二人で教室に入る。

まだ、時間が早いということもあり、教室内に生徒は4,5人しかいなかった。ある生徒は友達とおしゃべりしたり、ある生徒は朝の小テストの勉強のために単語帳に目を向けている生徒もいる。

僕らはカバンから今日の科目の教科書を取り出して机に入れて、すぐに僕の席に瑠璃を呼んで先日の小説を読み始める。昨日読んだ悪魔と天使の物語。確か前回は天使と悪魔の二人の恋愛がばれて神様が動き出すところで一区切りにしていた。

瑠璃と二人で目を合わせながらページをめくっていく。小説を読むたびに思うけど、このページをめくる感覚はなんとも言えない高揚感がある。次のページを開いた先にはどんな物語が待っているのか。小説を読む人にしか分からない高揚感だ。


決して結ばれることのない運命にある天使と悪魔。

そこで両神様は動き始める。それはどちらか一方の好きという感情を消してしまえばいいのではないのか。そうすれば禁断の恋なんてものには絶対に繋がることはない。そして天使と悪魔、どちらか一方の感情を消すことでもう一方も悩み苦しむ。掟を破った二人にとっては十二分な罰になる。

それを思いついた神様は天使の方の感情を消すように動く。


ページをめくるたびにどうしても僕たちの現状に重ねざるを得なくなる。

先の高揚感とは違い1ページめくるたびにやめてほしいという感情は膨らんでいく。天使の感情を消さないでほしいと。それがとても苦しいことは誰よりも分かる気がした。なんせ立場的に記憶が消えてしまう僕とあまりにも似通っていたから。


「おはよー!りーっ!」


突如、隣の瑠璃が前のめりになる。

瑠璃の後ろに目をやると椅子の背もたれ越しに桔梗が抱き着いてきていた。ぱっとフラッシュするように本の世界から現実世界に引き戻される。気が付くと、教室内はさっきとは違い数多くの生徒が登校してきており、教室内ががやがやと騒がしくなっていた。時計に目を向けるとホームルームが始まる10分前を時計の針が指していた。どうやら瑠璃と二人して相当夢中になって小説を読んでいたみたいだ。


「おはよう、紗南ちゃん」


「んー、りーはあったかいね」


桔梗は隣にいる瑠璃に自分のほっぺたをこすりつけながら話す。

桔梗が登校する時間という事は蓮の朝練も終わっているだろうと思い、蓮の席に目を向けるとそこにはほかの男子生徒と和気あいあいと話す蓮の姿が見えた。


「もう、冷たいよ。紗南ちゃん」


「あ、ごめんごめん。あまりに抱き着いたときにりーがあったかいから、ついすりすりしちゃった」


「私、冷え性なんだけどな~。多分教室にいたからだろうね」


「さすが早起きりー!あ、本屋さんもおはよ」


「あ、」って僕は瑠璃のおまけかなんかか。

そして相変わらずあだ名が変わってない。もう突っ込む気にもなれない。


「おはよう」


とりあえずぶっきらぼうな返事を返しておく。


「相変わらずだね~二人は。また本読んでたの?」


「そうだよ。この前読んでた続きの小説でね」


そう言うと瑠璃は続けざまに桔梗にこの小説の内容を話していく。

瑠璃の説明を聞くたびに桔梗はまるで子犬のように頷きながら聞いている。

僕はその光景を横目に今日はこれくらいだなと思い、そっと小説のページにしおりを挟んで机の引き出しに入れる。


「はやとー!」


ふと顔を机の引き出しから上に向けると蓮の嘘泣き顔があった。

さっきまで他の生徒と話していたと思えば、僕の机の前にいる。ほんとせわしない奴だ。


「どうした蓮?ウソ泣き下手。なんなら気持ち悪い」


「つめたっ。朝に引き続き冷たいっ!」


「ほっとけ」


「今日の2限目の現代文の宿題するの忘れてた。見せてくれー」


「やだ。やってないお前が悪い」


「そんなー。そこを何とか頼む!」


まるで拝むように手を合わせ蓮は頭を下げてくる。僕は仏でも神様でもないんだが。


「相変わらずだね。蓮は」


「紗南もよく忘れるだろ」


「私は今日はしっかりやってきましたー!」


桔梗がべーっという顔を蓮に向けている。

これで付き合っているのだから人間関係ってほんとにすごいと思う。


「はぁ。見せる事はしないけど手伝いくらいならするけど」


「ほんとか隼人!さすっが!さんきゅー!」


なんだかんだ言いつつもこの空間はとても心地がいい。

瑠璃と桔梗がにこやかに喋り、蓮と僕で小競り合いのような会話をする。それに桔梗も割り込んできて、瑠璃がくすくすと笑い顔をこちらに向けている。

なんだろう。言い表せないけど空間がとても彩りを帯びている。この4人でわいわいとしている時間は一本のピンとした線をたゆませて凝縮したように濃い時間だ。恥ずかしくてこんなこと口が滑っても言えないけど、この3人にはほんとに感謝してる。なんて普段では絶対思わないであろうことを考える。これも全部1日の重みを感じているからだろう。


「さあ!席につけー!」


西田先生の大きな声とともにみんなそれぞれの席に戻っていく。

これから長い1日が始まる。いや、最近は1日もとても短く感じる。その要因は言うまでもなくリミットがあるからだろう。

雪は降らない。まるで僕たちのさっきの空間と呼応したように空は晴れ渡っていた。


あれからあっという間に何時間か経った教室。

帰りのホームルームを終えて、教室は完全に放課後ムードに包まれていた。

ある生徒は帰りカフェに行こうというような会話をしたり、ある生徒はせわしなく部活の準備をしたり、色とりどりの生徒がいた。

僕は机の引き出しから今日使った教科書を取り出してカバンに詰め込んでいく。一通りカバンに詰め込んで図書室に向かおうと教室の扉に手をかけると後ろから制服の袖を引っ張られる。

引っ張られた方を向くとそこには瑠璃がいた。


「教室で待ってるね」


「うん。蓮の勉強のこと頼むね」


「うん。任せて」


「じゃあ」と瑠璃に告げもう一度扉に手をかける。


「...隼人」


どこか昨日二人で話をしたようなトーンで瑠璃が僕の名前を呼ぶ。

もういちど振り返ると瑠璃は少し俯き気味だった。


「ん、どうしたの?瑠璃」


「......隼人は。隼人はさ。何も思わないの?」


瑠璃の口から予想だにしない言葉が飛んできてなんのことか考える。何かしただろうか。

そもそも聞いてきた意味が全く分からない。ほんの少しの間、静寂が流れる。

なんのことを言っているのだろう。思わない?と言われても話の脈絡がなさ過ぎてなんのことか僕にはさっぱりだった。


「ごめん。何でもない。翡翠君の勉強は私に任せて」


「え、あ、うん」


「ほら。早く図書室行かないと帰るの遅くなっちゃうよ?」


瑠璃はそう早口で僕に言って、教室から僕を押し出した。

廊下で一人。さっきのは何だったのかと思う。廊下で少し考えるけど、答えは出ず、僕は瑠璃に言われた通り図書室に足を向かわせた。


図書室に入ると図書室独特の空気が僕の体を包み込む。

静かな空間。インクのにおいが鼻腔を刺激する。

僕は受付に座り、当番の青いファイルに名前を記入していく。

この前は新規本の登録という仕事があったけど、今日は図書室の受付だ。毎週月曜は僕の当番。本を借りたい人がいれば、僕がハンコを押して生徒に本を貸し出すという仕事、というより作業に近い。

まぁ、普段から図書室に本を借りに来る人なんてそういないから適当に自分で図書室の本を受付に座りながら読み漁るのだけど、今日は冬休み前という事も関係してるのか少しばかり生徒数が多く、ゆっくり本を読めそうにはなかった。

作業中、蓮と瑠璃はどうしているだろうか。なんて無用な心配がふと頭をよぎる。勉強のことに関しては大丈夫だろう。なんていったって蓮に勉強を教えているのは瑠璃だ。瑠璃は成績優秀だ。クラスでもテストのときは常にトップの位置にいるくらいに。心配なのは勉強に関してのことじゃない。蓮に瑠璃を借りていいか?なんて言われたから変に意識してしまう。教室で蓮と瑠璃がにこやかに話している空間が頭によぎる。なぜか心に棘が刺さるような感覚に襲われる。いや、蓮には彼女がいる時点でそんなことありえないのは分かりきっているんだけどこういう風に考えてしまうのは男子に多いんだろう。なんていったって好きな人のことなんだから。

仮に逆の立場なら瑠璃はどう思うんだろう。僕と同じ気持ちを持ってくれると嬉しい...なんて。

いくら考えても作業を早く終わらせることはできない。僕は心に棘を抱えたまま貸し出しのサインを書き続けた。


あれから数時間経過した図書室。

午後3時という図書室を閉める時間。何人かいた生徒はすっかりいなくなって普段通りの誰もいない図書室に戻っていた。慣れた手つきで図書室の締めの作業をして急ぎ足で自分の教室に向かう。相変わらず心の棘は消えないままだ。

教室の扉の前に立つと聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「えーっと、ここは、この文章が間違ってるからこの選択肢は消えて...」


「なるほど、なるほど」


「紗南ちゃん、この問題はそこにルートがかかってるから...」


「さすがりー!」


なぜか桔梗の声も聞こえる。

僕は少し聞き耳を立てていた後にゆっくりとドアを開き、教室に足を踏み入れる。


「どうして桔梗も一緒にいるんだ?」


「あ、隼人。お疲れ様。委員会の仕事終わったの?」


そう聞いてくる瑠璃にうんと頷き返す。

内心ほっとしてしまう自分がいた。桔梗がいてくれたことにより蓮と二人きりだったわけではないみたいだから僕の心配は杞憂だったみたいだ。まぁ、にしてもなんで桔梗も一緒になって勉強会に参加しているのかは謎だが。


「聞いてくれよ隼人。紗南のやつ私もりーの勉強受けたいとか言ってこうなった訳」


なるほど。

なんとなく想像はできた。確か再テストは桔梗も食らってたはずだ。そこから瑠璃に教えてもらう流れになったのだろう。桔梗は普通に成績優秀者に入る部類だ。クラスのトップ争いも瑠璃といい勝負をしている。ただ、桔梗にとって数学だけがどうも性に合わないらしい。だから瑠璃に数学を教えてもらっているんだろう。

にしても蓮による桔梗の真似、壊滅的に似てないな。


「蓮。それ私の真似ならやめて。鳥肌立つくらい似てない」


「えー、結構力作だと思うんだが。二人はどう思う」


「似てない」


「似てないね」


「えぇー!隼人ならまだしも瑠璃ちゃんも隼人くらい冷たい!冷たさ移った?」


なんだよそれ。

というかあの微塵も似てない真似なんて誰に聞いても冷たい反応返されるはずだ。


「さ、蓮。隼人も帰ってきたことだし、今日はこのくらいにして私たちも帰ろうか」


「そうだな。瑠璃ちゃんも貸してもらったことだしこれ以上頼るのは隼人が嫉妬しそうだしな」


蓮はニヤニヤとした顔をこちらに向けてくる。

はぁ。強がりたいところだけど図星と言えば図星だ。


「じゃあ、お言葉に甘えて帰ろうか。隼人」


瑠璃はそういって僕をのぞき込んでくる。


「あ、うん。そうだね」


「瑠璃ちゃんありがとね。勉強教えてくれて。助かったよ」


「りー!私からもありがとね。なんとか再テスト乗り越えるよ」


「こちらこそ。二人とも頑張ってね。あ、紗南ちゃん次の現代文は負けないからね」


「りー!私も負けないよー!」


そんな会話をして教室を後にしようと瑠璃と歩く。


「あ、隼人!瑠璃ちゃん幸せにしてあげろよ」


何度目だろう。

この言葉を聞くのは。少なくとも記憶が消えるということになってからはこの言葉がとても刺さる。


「蓮こそ桔梗を幸せにしてあげろよ」


だからこう返す。この返答を繰り返す。

記憶が消えてしまうまでにあと何回この返答を繰り返すんだろう。

あの言葉に僕は返答できない。絶対に叶えることが出来ないお願いなのだから。

蓮は二カッと眩しいくらいの顔をこちらに向けてグットポーズをした。そのこっちに向けられる笑顔には毎度罪悪感を覚えてしまう。


「じゃあね隼人。また明日。明日も同じところでね」


桔梗たちと教室で別れてから数分経った。

僕と瑠璃はいつも下校の際に二人で分かれる分岐点に差し掛かっていた。

「じゃあね」という普段の日常と変わらないお別れの言葉。蓮の時もそうだったけどリミットが迫るたびにこの言葉を聞くのは何度目だろうと思ってしまう。


「うん。また明日」


瑠璃が路地を曲がるまで背中を目で追う。

いつものことだ。最後まで見送らないとなぜか気が済まない衝動に駆られていた。繋いでいた右手にはまだほんのりと温かみがあった。あと何度感じれるか分からない温かみだ。不安じゃないなんて言えば嘘になる。あと4日もない。もう記憶が消えるという宣告を受けてから半分経過したってことになる。いや、半分もない。それでも僕が壊れずに保っていられるのは契約のおかげか。ううん。違う。それだけじゃない。瑠璃、桔梗、蓮。この3人がいなかったらもっと大きな不安に襲われていたと思う。それくらいに久しぶりの学校は充実していた。


瑠璃の背中が見えなくなった後、普段ならそのまま自分の家に足を向けるのだけど今日は用事がある。蓮に言ったように夕方からの用事という件のこと。僕はそのまま自宅には帰らずに僕の住む最寄り駅に向かう。駅員さんが一人しかいない田舎の駅の改札を通り、電車に乗り込み窓際の席に腰を下ろす。電車の中はお年寄りが多く、田舎の駅ならではという感じだ。車窓から見える景色はたくさんの木々から少しずつ住宅地に景色を変えていく。眠気が引き起こされる頃には目的地の隣町の駅に到着した。このまま微睡みの中に飛び込みたい自分を抑制して重い腰を持ち上げる。改札を抜けて駅から数十分歩くと目的地が見えてきた。


「ふぅ」


一つため息をつく。

僕の前に広がる景色は最悪の運命を言い渡された場所。あの事件が起きて運ばれた病院に来ていた。もう絶対に来ることはないと思っていたけど聞きたいことがあったから足を運んだ。母さんに心配をかけるわけにもいかないから病院に行くことは内緒にしておいて委員会の仕事があるから帰りは遅くなるという事にしてある。

自動ドアを抜けエントランスに入ると病院独特の何とも言えない薬やアルコールの匂いが鼻につく。

辺りを見渡すと風邪を引いたであろう子供を連れている親子だったり、通院しているであろう杖をついている腰が曲がったお爺さんだったり、明らかに病院という場所に適している人が多く見られる。

僕もその一人だったらな、なんて。


「初めてですか?」


受付に声をかけると疲れを振り切るような作り笑顔を受付の女性が飛ばしてくる。


「いえ、あの、4日前にお世話になった先生と話がしたくて...」


「あなたのお名前はなんて言いますか?」


「露木隼人です」


「...ちょっと待っててくださいね」


少し訝しげな顔をした受付の女性だが、手早く手元のパソコンを操作してどうやら連絡を取ってくれるようで奥に消えていった。

確かに、受付に来て早々、病院の特定の先生を口にする人はそういないだろう。怪訝そうにされるのもこればかりは仕方がない。


「大変お待たせいたしました」


少しして受付の人が顔を出してくる。

対して待ってもいないのにそう言ってくれるのは高校生になった今でも少しの疑問を持つ。そんな丁寧にしなくてもと思いつつこれが大人なんだとも思う。


「熊田先生なんですけど、3階のこの部屋まで来てほしいって言ってくれと言われまして」


そう言いながら受付の女性は病院の院内図を指さしながら見せてくる。

にしてもあの先生、熊田先生って言うんだ。この前来た時は聞く頭もなかったから


「分かりました。ありがとうございます」


そう受付の女性にお礼を告げて、案内された場所に足を進めていく。

エレベーターに乗りしばらく廊下を歩くと指定された部屋の前にたどりたどり着く。扉には『熊田』と書かれていて、妙な緊張感が走る。まるで学校の職員室に入るような気分だ。

こんこんと扉をノックすると聞き覚えのある声で「どうぞ」と声をかけられる。


「失礼します」


部屋は真っ白な床が広がっていて、机や書斎のような棚がいくつも置いてあった。


「隼人君。久しぶりだね」


「はい、お久しぶりです」


机の前に座る先生に催促されえ先生の前のパイプ椅子に腰を下ろす。


「いい顔になったね」


「え,,,」


思いもよらない言葉に眉間にしわを寄せる。

隈がある顔を良い顔なんてそんなことあるのだろうか。


「いや、前に病院であった時とは随分顔色が違ったから」


「あの時は状況が状況でしたから」


「そうだね。あの時はほんとにすまない」


頭を下げてくる先生に申し訳なさを覚える。

あの時は頭が真っ白になって端的にしか話せなかったから。何も先生は悪くはない。


「いえ、先生は何も悪くないです」


「そうかもしれない。でも医者として患者を助けてあげられないのはどうしてもね。だから最大限隼人くんの力になりたいと思っている。聞きたいことがあってきたんだよね?何でも聞いてくれ。答えられる範囲に限るが」


「あの薬のことで少し...先生はあの薬について詳しいんですよね?」


「まぁ、一度、精神科医に勤めていたからある程度のことは分かるよ」


「あの薬を打たれてから目まいがしてそれから夢のような情景が見えるようになったんです」


そう。僕がここに来た目的はこのことを聞くため。


「夢?」


「はい。でも意識はあります。夢ではないのは確かです」


先生は少し考える仕草をした後に思い当たる節があるのか「なるほど」といい話し始める。


「そういった夢のような現象は今までに何点か例はある」


「ほんとですか!?」


思わずおおきな声を出してしまう。


「うん。だけど幾分記憶が消える準備段階は分からないことが多いから何なのかはあまり分からないんだ」


「そうですか...」


「あまり信じすぎずに聞いてほしいんだけど、その現象,,,夢現象って呼ぶね。それを何度か体験した患者さんに当たったことがあってね。プライバシーもあるから詳しくは言えないけど...」


「お願いします」


「その患者さんはね。記憶が消えてしまう前日にこう言ったんだ。あの夢はとても大切なことだったって。何がかは僕には分からないけどそう言っていた。患者さんの言い方的にその夢現象は過去の大事なことなのかとは思ったけど」


「...大事なこと」


ぽつりと呟く。


「あまり深く考えすぎなくていいよ。あくまで医者というより一個人の意見だから」


「...はい。ありがとうございます」


あの夢のような目まいを伴う現象は過去の大事なことが関係してる。

そう言われても僕が見たあの光景に当てはまる過去の記憶を僕は持ち合わせていない。何とかしてこの目まいの謎を少しでも解き明かそうと来てみたけど逆に謎が深まってしまうばかりになってしまった。

少しの間、真っ白な床を見つめ続ける。


「隼人君。他に何か聞きたいことはあるかい?」


先生の優しい声に考え込んでいた頭は現実へと引き戻される。


「...記憶が...記憶が消えるっていうのはどれくらいなんですか?」


「どれくらいというと?」


「いや、えーと、名前とか思い出とか色々消えてしまうとは思うんですけど、その...」


咄嗟に出た質問はうまく表現できない。

なんだかんだ僕が一番聞きたかったのはこの質問なのかもしれない。

記憶が消えた後のこと。仮にすべての記憶が消えてしまう場合、その年齢的には1歳いや0歳のような赤ちゃんみたいになってしまうのか。それは嫌だった。記憶が消えた後に母さんに迷惑をかけてしまうのは避けられない。でも年齢的にもなるとさらに母さんの負担が大きくなる。それだけは避けたい。

先生は口ごもんでいる僕をみて「あぁ」と声を上げた。


「記憶が消えてもある程度は...つまり0歳のようなことになるわけじゃない。これまでの思い出は全部リセットされる。ただ、記憶が消えたとしても年齢相応の常識は持っている。あくまでこの薬は思い出を消すというための薬だからね」


「そうですか...」


どうやら僕の質問を察してくれたらしい。

そして先生の声は後半、まるで薬に対して憎しみを持っているかのように声を小さくした。多分、僕を気遣って僕の気持ちに同情してくれているんだろう。そんな同情なんかよりも記憶が消えてからのことを聞いて少しほっとしている自分がいた。

その後は特に聞きたいこともないし、この病院に長居する気もなかったので「ありがとうございます」と一礼してから先生の部屋をでて足早に病院を後にした。


帰り道。

電車から降りて家がある地域の最寄り駅の改札を抜ける。

病院を出た時はまだ明るかったけど、空は徐々に夕日に照らされ橙色の空が広がっていた。家までの道を歩きながら空を見上げると空が近くに見える。夏の空とは違い空がとても近い。そして僕のリミットも近い。もう後4日もない。刻一刻と迫るリミット共に考えるのは先に言われた先生の言葉。

夢現象のこと。そしてそれがとても大事なこと。

僕は、家にこのまま帰る気もならなかったので、帰る道中にある家から徒歩5分くらいの小さな公園に足を踏み入れる。

公園には簡易的な滑り台とブランコがある程度の田舎の公園だ。辺りには人はいない。普段なら小さい子供たちが多く遊んでいるけど公園の時計が指すのは午後6時。冬は5時に帰りの鐘が鳴るから子供たちは家に帰ったようだ。


僕はブランコに腰を下ろし、少し揺らしてみる。

突如、その揺れと同時に目まいに襲われる。最悪のタイミングだ。あの例の目まいだ。視界は真っ白になる。抵抗しても仕方ないから僕はその目まいに抗わずに身を任せる。

見覚えのある光景だ。ブランコに乗っている一人の少女。その少女の表情はとても悲し気で不安な表情を浮かべてこちらを見つめてきた。そしてその子はゆっくりと口を開いて...


『瑠璃をお願いね』


はっきりとした透き通った声が僕の耳に届く。

その時にハッと思った。違う。この前の時に見たの少女とは声質が明らかに違った。顔はとても似ているのに違うと身体が直感した。

君は一体...

そう思った瞬間、僕の視界に映しだされているのは家の近くの公園だった。

なんだ。なんなんだ。あの少女は確実に瑠璃の名前を出した。聞き間違えたりしない。なんで瑠璃の名前が出てきたんだ。あの夢は過去の大事なこと。僕の見ている夢現象に瑠璃が関係している?

ブランコを揺らすたびに高い音が公園内に鳴り響く。


「やっほ」


瞬間、後ろからポンと背中を叩かれる。


「なにしてるの?こんなとこで」


「桔梗...」


ブランコ越しに振り向いた先からは仄かに柑橘系の匂いが鼻に入ってきた。





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