1. まさかの幼女。
「アンタ、人を幸せにできない代わりに、自分も幸せになれないわよ」
そう言うと、女勇者は崖から飛び降りた。
ーー俺は『魔王』だ。
基本的に魔王は、ヒトと対立する魔族の長と考えられている。
つまり、ヒトを不幸にしてしまう存在なのだ、俺は。
だけど、だけどーー。
「……俺だって幸せになりたいよ」
女勇者の飛び降りた崖に向かって呟き、俺は鼻をすすった。
***
俺が産まれてから、一体どれ程の時が過ぎたのだろう。
何百年、何千年と生きているうちに、俺は段々と飽きを覚えてきていた。
どうしてかというと、俺は生まれた時から膨大な魔力を持っていたからだ。
魔力は生命力に比例する。
つまり、膨大な魔力を持って産まれた俺は、腹も減らなければ、怪我もすぐに治る。
そんな俺に、他の魔族たちは媚びへつらい、貢ぎ物なんかをしてくるようになった。
そうして、気付くと俺は『魔王』と呼ばれる存在になっていた。
そう、つまり勝手に祭り上げられた存在なのだ、俺は。
そんなある時、ヒトが森に迷い込んできた。外に出る道を案内してやろう、と声をかけると『勇者』と名乗ったソイツは、俺が魔王だと分かると、剣を向けてきた。そんな事を人間にされたのは初めてで、少し(いや、かなり)動揺した俺は、つい魔力を使ってしまった。
ソイツは死んでしまった。
『勇者』を殺すと、また次の『勇者』と名乗る人間が現れて、俺に剣を向けてきた。
もう、何十人という『勇者』が俺の元へとやってきた。どいつもこいつも、剣を向けてきた。
ーー俺、ヒトに嫌われてんのか…?
何かをした覚えはないが、もしかしたら気付かないうちに、嫌われるようなことをしたのかもしれない。
そんな風に考えていたが、暫くしてからようやく理由がわかった。
魔王はヒトに嫌われる存在なのだ。
これは、誰とか彼とか関係ない話なのだ。
世の中には既に「魔王=ヒトの敵」という方程式が成り立っているのだ。
そう思うと、俺が何をしたわけではないから気が楽になったが、向けられる剣と殺意に慣れるわけではない。
「……魔王辞めたい………」
俺は長年の悩みにため息をついて、気分転換に城の床に雑巾をかける事にした。
「おいおい、何の冗談だ!?」
目の前にいる、剣を携さえた『勇者』を一目見て、俺は思わず後ずさった。
基本的に剣を携えた者は皆『勇者』であったが、この人間はどう見ても『勇者』という出で立ちではない。
肩まである黒髪は艶やかで、柔らかいのが良く分かる。瞳には濁りがなく、肌も真っ白。
そして何より、この『勇者』は小さい。
サイズはもちろん小さいが、どう見ても人間の歳で、五つやそこらだ。
「あなたが『まおう』?」
舌足らずな言葉に、さらに後ずさる。
こんな弱そうな人間が『勇者』なわけあるか!剣だって、両手で持つのが精一杯のようだし、ただ森に迷い込んだヒトの子どもだろ!?
今までやって来た勇者達の筋肉な身体を思い出して、俺は確信した。
(この子は絶対に勇者じゃない)
そう考えた俺は、首を横に振った。
「いや、俺は魔王ではない」
だからさっさと何処かへ行ってくれ、と幼な子に精一杯の睨みを利かせる。
すると、何を思ったのか幼な子はその場にしゃがみ込んでしまった。
何事かと近づいて顔を覗き込むと、何と目からポロポロと涙を零しているのだ。
「な!?腹でも痛いのか!?何で泣く!?」
「だ、だってぇ…『まおう』をたおさないと、帰っちゃだめなんだもん…っ」
嗚咽を漏らしながらそう言うと、今度は大声を上げて泣き出した。
「うえぇえぇっえぇ!!」
あまりの声のデカさに、耳を塞ぐ。
しかし、いつまで経っても泣き止まない幼な子に痺れを切らした俺は、そうだ!と幼な子の顔を再び覗き込んだ。
「わ、わかったわかった!それなら、魔王が見つかるまで、此処にいれば良いだろ!?」
咄嗟の提案に、俺の影に隠れていた使い魔のミケが、さっさとつまみ出せば良いものを、溜息をついた。
(仕方ないだろ!?こんな子ども、殺したくないし…!)
今までもそうであったように、この子どもも俺が魔王だと分かったら、殺しにかかってくるに違いない。
そう考えた俺は、ついこんな事を言ってしまったのだ。
「……いいの?」
「あぁ、ただし魔王を見つけたら、すぐに出て行くんだぞ!」
「わかった!!」
さっきまで、ポロポロと溢れていた涙は何処へやら。幼な子は顔を輝かせて、立ち上がった。
「わたしねぇ、サーラっていうの!お兄ちゃんは?」
「俺は…」
魔王だ、と言いそうになって口を紡ぐ。
そして暫く考えた後、こう名乗った。
「あ、アンジェラという」
「あんじぇら?おんなのひとみたい!」
一瞬、首を捻った幼な子にドキリとするが、気付かなかったのか、幼な子はご機嫌に手を差し出してきた。
「アンジェ!よろしくね!」
その柔らかい手を握り返して、俺は安堵の溜息を吐いた。
***
その日から、俺の子育て(?)が始まった。
まず、ヒトの子の朝は早い。
俺たち魔族と違って、太陽が昇ると目を覚まし、飯を食い、仕事を始める。
この子どもにしてもそれは変わらず、夜になると眠りに就き、太陽が昇る頃に目を覚ます。
そのため、俺は朝からサーラの朝食の支度をするのだ。
「アンジェえぇぇぇぇっ!!」
突如、魔王城に響き渡った幼い泣き声に、俺は深いため息を吐いた。
………もしや、アレか?
「どうしたんだー?サーラ?」
廊下に向かって声を掛けると、勢いよく部屋の扉が開き、ペタペタペタッと短い足をフル回転させて、サーラが飛び出してきた。
そして、そのままキッチンに立つ俺に抱き付くと、嗚咽を漏らしながら口を開いた。
「お、おも、おもらしいぃぃぃ」
「お前、昨日の夜、トイレに行かなかったな!?」
そう、サーラは「お漏らし」をする。夜寝る前にトイレへ行けと言っているのに、言うことを聞かないから、こうなるのだ。
もう何度目かもわからない「お漏らし」に、俺はため息を吐いた。
「ったく!ちゃんと言うことを聞かないからだぞ!」
「ごめんなざいぃぃぃ!」
「まずはお風呂に入ってこい!着替えは出しとくから!」
「うぇぇ、えぇぇぇっ」
嗚咽を漏らしながら目を擦るサーラの背を押して風呂場へ入れると、俺はベッドシーツを洗うべくサーラの部屋へと足を運んだ。
「アンジェ、おはよう!」
「はい、おはよう」
朝、起きると必ず「おはよう」と言うサーラは、先ほどの「お漏らし」を忘れたかのようにニコニコと笑っている。そんな姿に苦笑して、俺はテーブルに朝飯を並べていく。
摘んだばかりのフルーツに木の実、それを煮て作ったジャムをたっぷりかけたトースト。
人間の食べるものはわからないので、下級悪魔にリサーチさせた。どうやらサーラは、手作りのジャムがお気に入りらしく、何でも、毎回味が変わるのが楽しいらしい。
「アンジェ、きょうはどこをさがすの?」
トーストを頬張るサーラの、濡れた髪を弄りながら、俺はう〜んと首を捻った。
サーラが探しているのは『魔王』、つまり俺の事だ。
どこを探すも何も、目の前に居るっていうのに…、と俺は苦笑いした。
サーラは村から選ばれた『勇者』なのだという。まだ、四つか五つにしか見えないが、持っていた剣がその証拠らしい。
その剣で『魔王』を殺すことがサーラの役目で、それが出来なければ、村へは帰ってきてはいけないとキツく言われているのだという。
「そうだなぁ、川の近くを探すのはどうだ?」
「かわ?なあに、それ」
首を傾げるサーラのふわふわな髪を撫でて、俺は髪をを乾かすために立ち上がった。
サーラは基本的なモノを、全くと言っていい程知らない。
今の「川」もそうだが、食べ物に関しても、名称と実物が一致していない節がある。まだ幼いから、という事もあるのだろうが、それにしたって、朝食のトーストもジャムも、初めは首を傾げて匂いを嗅いでいたくらいだ。ヒトのことをよく知らない俺でも、流石におかしいな、と感じていた。
「川っていうのは、水が流れているんだ」
柔らかい髪を梳かしながら教えると、サーラは目を輝かせた。
「それ、はやく見にいこう!」
「それなら、早く支度を済ませなくちゃな」
頬に付いているジャムを拭うと、嬉しそうに笑ってサーラは椅子から飛び降り、顔を洗いに行ってしまった。
それを確認して、俺は指を鳴らす。
「やあ、呼んだかい?」
「ロザベラ、朝から悪いな」
ボフンッ、と現れたのは魔女のロザベラ。ピンク色の髪をふたつに結び、全身黒色の服に身を包んでいる彼女は、俺の使い魔のようなものだ。
俺が片付けている皿を見て、ロザベラはニヤリと口角を上げた。
「ヒトの子を育てているんだってねぇ?」
「成り行きでね」
「歴代の魔王達が聞いたら泣くぜぇ?」
楽しそうに言うロザベラを、祭り上げられてるだけだ!と睨みつけて、俺は本題を切り出した。
「サーラの身元を調べてほしいんだ」
「あのガキんちょの?どうしてさ?」
面倒臭そうに部屋を浮遊するロザベラに向かって指を鳴らすと、ロザベラは床に「ふぎゃ!?」と叩きつけられた。
恨めしそうに俺を見てくるローザの前にしゃがみ込んで、耳元に顔を寄せる。
「…報酬はヒトの魂でどうかな」
その言葉に、ピクリと反応したロザベラは、勢いよく立ち上がると窓枠に足をかけた。
「その言葉、忘れるなよ!」
ピィーーー、とロザベラが口笛を吹くと、遠くから長細い何かが飛んできた。そのまま体を外に投げ出すと、ロザベラはその長細い何か、もとい箒にまたがり、飛んで行ってしまった。
「アンジェ!お支度できた!」
丁度よく戻ってきたサーラの髪を撫でて、俺はエプロンを外した。
***
「わぁ!きれーい!」
川辺に着くと、サーラは嬉しそうに川へと駆け寄って行った。
「つめたーい!」
川の水を触って喜ぶサーラを横目に、俺は木の根元を二回叩いた。
すると、木の幹からスラリと髪の長い、全身が水で出来ている人型の魔族が現れた。
「あらあら、珍しいお客様ですこと」
「騒がしくしてごめんな、ミーア」
現れたのは、この森の水を司る精霊・ミーアだ。
ずっと昔に、この森の水が腐り、死んでいた時に少しだけ手を貸したことがあった。それ以来、ミーアは俺に快く手を貸してくれる使い魔として、契約を交わした。
こうして、木の根元を二回叩くとミーアは必ず現れるのだ。
「よろしいのですよ。それより、今日はどういったご用件で?」
「あぁ、この水辺にいる魔族たちに伝えてほしい。あの子どもに手を出すような真似はするな、と」
「承知いたしましたわ」
ニッコリと微笑んだミーアは、また木の幹に吸い込まれるようにして戻って行った。
「アンジェー!いっしょにあそぼう!」
川辺で手を振るサーラに、ひらりと手を振り返して、俺は木々の隙間から漏れる木漏れ日に、目を細めた。
この森は朝も昼も薄暗い。
この川は唯一、まともに日の光が入る場所だ。
(まあ、俺たち魔族からしたら、煩わしいモノなんだけどなー)
太陽の光は魔を消してしまう。
ミーアのような、日の光を浴びることのできる魔族もいるが、殆どの下級魔族は、日の光を浴びただけで消滅してしまう。
かく言う俺も、消滅はしないものの、日の光を浴びると気分が悪くなる。
「アンジェー?」
遠くから聞こえるサーラの声に、ゆっくりと目を瞑る。
ーー人間の子は、日の光を浴びて育つのよ。
そういったのは、あの女勇者だ。あの勇者は、色々なことを俺に話してくれた。特に、ヒトの子の事を詳しく教えてくれた。
どうして、あの人は俺にそんな事を教えたんだろう。
まるで、次に現れる勇者が幼いヒトの子だと、わかっていたかのように…。
「……あなたは、何を知っていたんだ?」
薄れていく意識の中で、木漏れ日に向かって手を伸ばす。
指の合間から漏れた光に、目を瞑った。
どれくらい眠っていたのか。
まだ高い位置にある太陽を、起きたばかりの目で確認して、起き上がる。
「サーラ、どこだー?」
そこらで遊んでいるはずのサーラを呼んで、俺は辺りを見回した。
(………いない?)
川辺の近くに気配は感じられない。
俺は両手を地面に付いて、ゆっくりと目を瞑り、そして息を吐き出した。
(森よ、大地よ、教えてくれ。サーラはどこにいる?)
土の踏まれる感覚、木の根を伝わっていく鼓動を感じながら、俺はゆっくりと目を開けた。
「……ユーダリン、か」
そう呟いて立ち上がると、まるで悲鳴をあげるかのように木々がざわめき、辺りが一気に暗くなった。
「魔王様」
「…………ミーア」
かけられた声に振り返ると、顔を伏せたミーアが跪いた。
「…私の領域で起きた事にございます。どうか、怒りを鎮めてください」
木々が、自然が、貴方に怯えて枯れてしまいます、と静かに言うミーアに頷いて、俺は顔を上げた。
「…ユーダリンでございますね」
「あぁ、そうだ」
ーーユーダリン・マクアーツ。
何故か、俺の事をライバル視している高等魔族だ。
俺が魔王と呼ばれ始めた頃、いきなり現れて殺そうとしてきた。もちろん、殺されるのは嫌だから抵抗したら、奴の腕を片方、消し飛ばしてしまったのだ。
それは申し訳ないと思っているが、それ以来、ユーダリンはしつこく俺にケンカを売ってくるようになったのだ。
「悪いけど、しばらく森を頼むよ」
ミーアにそう告げて、俺はユーダリンの城へと向かうことにした。
俺の後ろ姿に頭をさげるミーアが木々で見えなくなってから、俺はゆっくりと息を吐き出し、しゃがみ込んだ。
(……このまま探さなくても、いいんじゃねえのか?)
ただの成り行きで子育てしているようなもんだし、あのヒトの子が死んだところで、誰に責められるわけでもない。
それに、このままならサーラは俺が『魔王』であることに気がつかないし、俺もサーラに剣を向けられることはない。
そこまで考えて、俺はダメだと首を振った。
俺が行かなければ、ユーダリンはサーラを殺す。殺しはしなくとも、指の一本や二本、食ってしまうだろう。
「はあぁぁぁ…」
俺は深い溜息をついて立ち上がった。
ユーダリンは面倒臭い。でも、サーラは助けなくてはいけない。なんせ、まだあんなに幼く、小さいのだから。
あの野花のような笑顔を思い出して、俺は静かに息を吸い、一歩踏み出した。
***
「…え、何してんの?」
ユーダリンの住処は、森の一番高い丘の上にある馬鹿でかい城だ。
鬱々とした空気に、ギャーギャーと耳障りな鳴き声を上げる魔鳥どもが、これでもかと雰囲気を醸し出している。
(さて、一体どんなお出迎えをしてくれんのかな)
と、気を引き締めてみたものの、何も起きない。いきなり攻撃されたり、罠が仕掛けてあるのかと警戒したが、なんと門番すら居ない。
さすがにおかしい。
(急いだ方が良いかもな)
サーラの気配のする最上階を見上げて、俺は門をくぐった。
「ここ、か…」
厳重な結界の張られた最上階の一室。
そこから微かに、サーラとユーダリンの気配がする。
(良かった、まだ生きてる…)
動くサーラの気配を感じながら、俺は重い扉に手を添えて、小さく息を吐いた。すると、扉に掛けられていた結界がパラパラと崩れ落ちていく。
「サーラ!!」
ドゴンッ!!と、結界が解けた扉を力任せに蹴り飛ばし、室内を見回す。
怪我をしていたら、すぐにミーアのところへ連れて行かなければ。そんな最悪の事態を想定していたが……。
「アンジェ!」
「………いや、何してんの?」
拍子抜けしてしまうような光景が、目に飛び込んできた。
何と、ユーダリンがサーラに乗られていたのだ。
いわゆる『お馬さんゴッコ』の最中だったのである。
驚いて立ち上がるユーダリンと、コロリと背中から落ちるサーラ。
馬鹿野郎、驚いてるのは俺の方だよ。
「き、貴様ぁ!!部屋へ入る時は、ノックをするのが礼儀だろうが!!!」
顔を赤くして怒鳴るユーダリンに、俺はもう本日何度目かもわからない溜息をついた。
「…ユーダリン、お前のところの門番、居なかったぞ」
「何ぃ!?あいつら、またサボりか!!」
またって何だよ。そんなにサボり癖のある奴らなのかよ。何でそんな奴らを雇ったんだよ。
俺は憤慨しているユーダリンを無視して、サーラを抱き上げた。
「怪我してないか?」
「してない!」
「んじゃ、帰るか」
「ちょ、ちゃっと待てえぇぇ!!!」
窓枠に足を掛けて、飛び降りようとした時、急に身体が固まった。
「…?身体が動かない」
グギギギ…と、動かそうとしても軋む音を立てるだけの身体に、唯一動く頭を傾げる。
「アンジェ、もう歳なの?からだが思うように動かないの?」
「いやいや!何言ってんの!?俺はまだ若いだろ!?」
確かに、二千年ちょっと生きてるけど、魔力は生命力に比例するから、俺はまだ人間の年で20歳やそこらのハズだぞ!?とサーラの言葉に内心焦る。
「アンジェ、おじいちゃん!」
「だから、違ぇって!爺ちゃんじゃなくて、兄ちゃんなの!俺はまだ!」
知らないうちに老化してたのか!?と気が気でない俺の耳に、突然、ユーダリンの「フハハハハ!!」という何とも捻りのない高笑いが聞こえた。身体が固まっているので振り向けないが、きっとドヤ顔をしているに違いない。
「いい気味だなぁ!!どうだ?俺の高等魔術は!」
そう言って、ユーダリンは俺の顔を覗きこむ。
ーーーが。
「アンジェ、大丈夫?」
「お、もう少しで動きそう」
「貴様ら、俺の話を聞けぇぇぇ!!!!」
怒鳴り声を上げたユーダリンの義手が、窓ガラスを割る。
「貴様、わかっているのか!?俺の魔術にしてやられているのだぞ!?」
悔しがれよ!!と怒鳴るユーダリンは、プライドの高そうな金色の目を釣り上げて、ビシィッと俺を指差した。
(高等魔族の跡取りも、大変なこった)
ユーダリンは、マクアーツ家の一人息子だ。
魔族の中でも、魔力の強い家系というものが存在するわけだが、そういったやつらがずっと昔に魔族階級を作り、土地を分け、魔族同士の均衡を保っているのだ。
ユーダリンはその魔族階級の中でも、トップクラスの家系に生まれた魔物だ。次期魔王としての教育を受け、期待されてきた。それなのに、北の森で新たに「魔王」と呼ばれ始めている存在がいると聞きつけ、早めに芽を潰してしまおうと考えて、俺の元に来たのだった。
そして、結果とし返り討ちに遭い、ユーダリンは片腕をなくしてしまった。
「お前は昔からそうだ!自分が強大な魔力を持っているからって、良い気になって!!」
「いやいや、なってねぇよ!!」
勝手に祭り上げられてるだけだから!!魔王になるつもりとかなかったし!!と心の中で叫ぶ。
「俺はずっと期待されて、努力してきたんだ!!それなのにお前は…っ!!」
「わあ!」
「サーラ!?」
動かない俺の身体にしがみ付いていたサーラが、フワリと宙に浮いた。
ユーダリンの魔力が感情と共鳴して、暴走しているのだ。
「落ち着け、ユーダリン!!」
怒りによって我を失い、ヨロヨロと覚束ない動きをするユーダリンに舌打ちをして、俺は目をつむった。本当は、ユーダリンの集中が切れて魔術が解けるのを待とうと思っていたが、仕方がない。
(ごめんな、ユーダリン。お前の魔術は全て、俺には効かないレベルなんだよ)
心の中で謝り、俺は目を開けた。たったそれだけで、ユーダリンの魔術は解けてしまう。
これが、魔力の差なのだ。
これが、生まれ持ったものの差なのだ。
魔力を解かれたことで、更にフラフラと頭を抱えたユーダリンに一瞬だけ視線を向け、俺はサーラに手を伸ばした。
「サーラ!!」
あと、ほんの数センチで捕まえられる。
ハズだったのにーー。
「ウワアァァァァァァ!!!!」
ユーダリンの自我が、魔力に完全に飲み込まれてしまった。
その証拠に、ユーダリンの身体は黒い靄に包まれてしまった。
そして、暴走した魔力はサーラをさらに上げて、あろう事か割れた窓ガラスから放ってしまった。
「サーラ!!!!!」
「アンジェっ」
スローモーションのように、窓から落ちていくサーラ。
手を伸ばすことしかできない俺。
ーー何が、歴代最強の魔王だ。
破壊するしか能のない俺は、こんな小さな子どもさえ守れないのか……。
サーラがこんな高い所から、地面に叩きつけられるのを、見ているしかないのか。
ーーアンタ、人を幸せにできない代わりに、自分も幸せになれないわよ。
あの女勇者は、最後にそう言って、崖から飛び降りた。
あの人は知っていたんだ。俺が持っている魔力が『破壊』の力であることを。
だから、俺が絶対に助けられない、飛び降りという形で死んだのだ。
俺は、また見てることしかできないのか?
こんな小さなか弱いヒトの子が、地面に叩きつけられるのを、待つしかないのか?
ーーいや、違うだろ。
俺はあの時、あの人を助けたかった。
俺を殺さないと村に帰れない、と言いながらも、色々なことを教えてくれたあの人を、助けたかった。
また、同じように見ているだけでいいわけがないのだ。
「ぅおぉぉぉぉぉらあぁぁぁ!!!!!」
俺は、幸せになりたい。
窓枠に足をかけて、俺はサーラへと手を伸ばしながら、身体を外へ投げ出した。
腕を伸ばして、サーラを抱え込み、地面に背中を向ける。
「アンジェ、アンジェ…っ」
「大丈夫だ、サーラ。目、瞑っとけ」
魔族の生命力は、魔力に比例する。
だったら、俺はそう簡単に死んだりしない。
片腕でサーラを抱え込んだ俺は、そのままもう片腕を地面に向けた。
「………地を裂く力よ、ここにあれ!!」
掌から魔力が放たれ、地面に直撃する。それにより、地面へ叩きつけられる衝撃が緩和される。
ドゴンッッ!!!
それでも緩めきれなかった衝撃が、思い切り背中にかかる。
「ぐぁ……っ、あ…っ!」
背骨が嫌な音をたてて軋む。
「アンジェ、アンジェ…!!」
霞む視界の隅で、サーラが柔らかな頬を涙で濡らしている。
良かった、無事だったんだな。そう思って手を伸ばそうとするが、まったく動かない。それどころか、声すら出ない。
「アンジェ、しなないでぇ…っ」
死なねえよ、俺は魔王だぞ?お前にはまだ、言ってないけど。
とうとう、大声を上げて泣き出してしまったサーラに、心の中で苦笑いして、俺はようやく回復して動かせるようになった腕を伸ばして、頬を撫でた。
ここまでの大怪我を負ったのは初めてだが、どうやらこのくらいなら俺はまだ回復できるらしい。
「アンジェ!!」
「サーラ、怪我はないか?」
柔らかな頬を撫でながら聞くと、ふるふると首を振ってサーラは微笑んだ。
「アンジェが守ってくれたから、へいき」
ふにゃ、と笑うサーラにつられて、頬が緩む。胸の中が暖かくて、むず痒い。
何となくだが、わかる。これが『幸せ』ってやつだ。
「アンジェ、ユーダリンはどうなっちゃったの?」
ようやく立ち上がれるまで回復すると、サーラは城を見上げて呟いた。
魔力は、何かをきっかけに暴走してしまう。ユーダリンの場合は嫉妬と怒りが原因だろう。
そうして、魔力が暴走して抑えきれずに自我を飲み込まれた魔族は、消滅してしまう。
俺たち魔族の死は、消滅だ。
跡形もなく消えて、まるで居なかったかのようになる。
きっとユーダリンも、もう無くなってしまっている。
それが真実だ。
ーーだけど、
「ユーダリンは自分の家に帰ったんだよ」
「じっか?」
「おぉ…、実家は知ってんのか…」
よくわからないところに感心している俺とは対照的に、首を傾げるサーラ。そんなサーラを抱え上げて、俺は小さく息を吐き出した。
……サーラは、何も知らなくていいんだ。
俺たち魔族の事や、怖い事。そんなもの、ひとつも知らなくていい。
この子は、ヒトの子なのだから。
「ほら、ちょっと疲れてたみたいだし、家族に会いに行ったんだ」
「そっかぁ」
安心したように笑うサーラを撫でて、俺は魔王城へと足を向けた。
家族などいない、誰も待ってはいない俺の実家へ、小さなヒトの子を抱えて。
***
疲れたのか、そのまま眠ってしまったサーラをベッドまで運び終えた俺は、しっかりと寝室のドアを閉めて、先程から感じていた魔力の持ち主を、指を鳴らして呼び出した。
「ロザベラ、どうだった?」
「………あぁ」
俺の使い魔であるピンク頭の魔女は、いつもの彼女らしからぬ、酷く沈んだ声音で俺の前に現れた。
「どうした?何かあったのか?」
「…」
「ロザベラ?」
普段はよく動くうるさい唇を噛みして、ロザベラは俯いたままその場にうずくまってしまった。
「お、おい!?本当にどうした!?」
腹が痛いのか!?と、口に手を当てて喘ぐロザベラを抱え上げる。
俺の使い魔であるロザベラには、俺の加護がついている。そのため、滅多なことでは死なないし、外敵による負傷もしない。傷を負う前に俺の加護が働き、ロザベラを守るからだ。
となると、ロザベラが今、こんなに苦しそうにしているのは、心的な原因が考えられるのだ。
意識を失ったロザベラを、ゆっくりと客室のベッドに下ろして、俺は傍に置かれている古い木椅子に腰を下ろした。
「ロザベラ、珍しいね。どうしたのかな?」
「……ミケ」
夜の影から姿を現したのは、小さなネコの姿をした魔物、通称ミケだ。
ミケはベッドに飛び乗ると、ロザベラの青白い頬に擦り寄った。ミケの首輪の鈴がチリン、と部屋に響く。
ミケもロザベラと同様、俺の使い魔だ。ミケは本来、魔女の使い魔になる猫型魔族だが、他の猫型よりも小さく弱いため、魔女の使い魔になれなかった。出来損ない、と仲間内に虐められて行く当てもないところを、俺が拾ったのだ。
そんなミケの魔力は「治癒」だ。うまく魔力を使えないミケに首輪をつけ、その鈴に俺の加護を与えた。鈴が鳴れば、ミケは自分の魔力をうまく使うことができる。
「…ロザベラ、大丈夫?」
「………ぅ、ミケ?」
苦しそうに呻き声を上げて目を開けたロザベラに、ミケは嬉しそうに擦り寄る。
「…あ、魔王様もいるじゃん」
「……大丈夫か?」
「ん、平気」
ウッソ!心配してくれたわけ〜?と、普段なら軽口を叩くロザベラが、ここまでやられているとは。
一体、何があったのか。
俺は息を吸って、椅子に座り直した。
「…ロザベラ、起きたばかりで悪いけど、何があったのか話してくれるか?」
お前があんなふうに倒れるなんて、余程のことがあったんだろ?と顔を覗き込むと、ロザベラは苦虫を噛み潰したような顔で、口を開いた。
「…正直、魔女のあたしでも悍ましいと思ったくらい、ヒドイ話だよ。魔王様、アンタこの話を聞いても、冷静を保ってくれよ」
そう言って、ロザベラはポツポツと話し始めた。
昔々、俺が魔王になるよりも前の話だーー。