私だって愛を叫びたい
私だって愛を叫びたい
私達は進むとも止まるとも言えない速度で日暮れの防波堤を歩いた。私は何を話しかければいいのか分からず、ただひたすらに君のスニーカーに続いている。
違う。言えないんじゃない。きっと言いたくないのだ。
「はぁ〜あ、何で私っていつもこうなんだろう」
君はそう嘆いてついには止まってしまった。そして海に沈むオレンジを軽く睨みつけるように一瞥して、ほんの少し背中を丸める。一瞬、覗かせた瞳は透明な光をきらきらと反射させていたようにも思えた。
「そりゃそうだよね。だって私あいつに何もできなかったもん、そりゃあ当然ですよ。期待ばっかりして望んでばっかでさ・・・」
違うよ。君はちゃんと頑張ってた。必死に近づこうとして何度も失敗して、そして何度もその目の奥に恋の煌めきを宿していた。それは一番隣にいた私があなた以上に知っている。
「臆病で馬鹿で変な所では身を引いちゃうし、何度も言いだそうとして結局出来ないし、成績だって悪いし、料理だって出来ないし、プリンだって賞味期限切れにしちゃう」
夕は消え始めたのか空をやけに紅く染め上げ始め、君の背中をより一層小さくした。目の前の光景が地球一周分介して映し出された幻影のようにも思える。
私はその度にその情けない背中に触れてしまいたいと思ったし、蹴り上げてやりたいとも思った。
「でもさ、それでもさ・・・」
か細い声で君は言いとどまる。
やめろ、言うな。
そんなみっともない調子なら言ってしまうな。君の為にも私の為にも。
「好きだった」
「・・・うん」
「笑う顔も、茶化す声も、歩く姿も」
「うん」
「あいつの生きる全てが好きだった。名前を呼ばれるだけで胸が高鳴った」
「うん」
「触れてみたかった。あいつの手のひらに、唇に、真っ直ぐな髪の毛に」
「うん」
「好きだった、好きだったよぉ・・・」
「うん」
私も人のことを言えないぐらいに脆弱な相槌になっていた。たったの二文字なのに、言えば言う程心が鈍器で殴られ杜撰に抉られる。
君が背中を見せてくれていてよかった。こんな痛々しい顔見せないで済むし、君の弱さがまざまざと見えて多少は平静を保っていられる。
良かったと、そう思ったのに。
「柚葉ぁ〜」
愛は振り向き私の手を強く握り縋りついてきた。
驚いた。君なら絶対振り向かないって思っていたのに。
ずるいよ。
なにやってるんだよ。らしくだってないし、だらしがない。こんな君ならふるい落としてやりたかった。そう思っても出来ない私は崩れ落ちる君の背中に手を回し支えるのだった。
どんな顔をしたらいいんだ。
触れたかった背中にも手の平にも髪の毛にも手が届いているのにこれっぽちも嬉しくなかった。私はこんな風に触れたかったわけじゃない。
それでもひとたび胸の中で戦慄く君に気が付いてしまえば、単純だった。
肩まで伸びた髪がするりと落ちるのも、柔らかそうな桃色の唇が震えるのも全て愛おしくて堪らなくなる。こんな君も悪くないなんて思えた。
時を固めてしまいたいとさえ思うのだった。
Yシャツの鎖骨部分が十分すぎるほど濡れ切った後、君が吹く海風のように顔を離してしまうのだった。そんな刹那の一コマ一コマで私が何度、もう一度抱き着こうとしてやめたかなんて君には一生伝わらないんだろうな。
次に生まれ変わった時には伝えられたらいいななんて思う。
「ごめん」
別にいいよ来世なんてあっという間だろうし。
それにきっとこれでいいんだよ。
「伝え足りないことがあるんならさ、叫べばいいよ。愛の全て吐き出しなよ。わざわざ隠す必要なんてないし、叫んだらもしかして地球一周分回ってあいつにも伝わるかもしれないしさ。そしたらざまぁないでしょ」
何を偉そうに私はそんなことぬかしているのだろう。
「うん」
うん、それでいい。私なんかより数万倍も頼りがいのある『うん』だ。
愛は大きく息を吸い込む。そんな動作にでさえ美を見出してしまう私が情けない。
「修也、好きだーー! 馬鹿野郎ーーーーー!!」
町中に響き渡りそうなほどに一思いに叫ばれた想いは水平線に吸い込まれやがて聞こえなくなる。その刹那、水平線は光り輝いて閃光を見せた、恋の煌めきだ。
その声に驚いて飛び立った海猫も鳴きながら水平線の光の一部と成っていく。
もしかしたら馬鹿野郎だなんて結構ベタなこと言うもんだと笑っているのかもしれない。私も同意見だ。
叫び終わった愛は澄んだ瞳を糸にして爽やかに笑っていた。
瞬間、心に住まう化け物に噛まれ、心臓から何かが溢れ出るのが分かった。それは即座に身体中に満ちていき、喉元までこみ上げてくるのが分かった。
やっぱり美しい。
『愛、好きだよ!』
こみ上げた液体は来世の方へ流れ出す。
空気を吸い込めば潮の味がしたりするのだろうか、叫べば本当に楽になるのだろうか。私が一生味わえない感覚を知りたいなと身の程知らずにも微かに思う。
でも私は知っていた。もしどれだけ雄弁な愛を叫んだとしても、どんな愛も一線を越えることはできないことを。どれだけの輝きを放ったとしても、果てない水平線に飲み込まれ消えてしまう。
泣いてしまいたかった。私も愛みたいに泣き喚けたのならどれほど楽だろう。
この狂おしい程に熱く巡る血流も、蠢く涙も、間抜けに何処までもぐちゃぐちゃに、世界に飛ばしたい。
そして私は鳥になり、光になり、風になり、あなたの肺で息をするんだ。
私だって愛を叫びたい、
なんてね。