悲報:魔王軍、まともなメンバーがいない
僕が呪文を唱え終えると、周りの景色がいつの間にか一変していた。
……あたりが薄暗い中まず僕の目に入ってきたのは、正面にある、赤いじゅうたんが敷かれた大階段。高い天井から釣り下がったシャンデリアと端々に立っている燭台の明かりが暗い空間の中浮かび上がり、ぼんやりとあたりを照らしている。僕はとりあえずきょろきょろと周囲を見回すが、特に誰かがいる様子はなかった。
……魔王城ってもっとこう、人の顔が浮かび上がる内臓っぽい壁とかお堀に満たされた溶岩で構成されてるものだと思ってたけど、案外普通。とりあえず、僕は息をひそめて大階段をゆっくりと上がる。……ステータス偽装は当然解除。ここはおそらくプレイヤー的ステータスで歩いていたら、ヨハネスブルグ級の危険地帯のはず。逆に魔族としてここにいる分には、結構僕、偉いんじゃないかな。幹部のはしくれだし。そう考えるとこそこそする必要もないのかもしれないけど、一応用心するに越したことはない。
階段を登り切って、その向こうの通路の様子をうかがうべく、顔だけそーっと出して向こうを眺めた。階段と違って絨毯でなく、石造りの通路と明り取りの窓が向こうまでまっすぐずっと続いているのが見える。いくつか横に部屋もあるみたいだし、うむ、ここで弱そうな奴が来るまで様子を見よう。
そのまましばらく見ていると視界に動くものが見え、目を凝らす。向こうからやってきているのは、首から上がない代わりに円盤型のUFOみたいな物体を胴体の上に浮かべている、どう見てもやばい感じの奴だった。円盤部分が回転しながらピロピロ電子音を発している。駄目だ、あれと話し合いで何とかできる気がしない。というかそもそも話せるかもわからない。パス。
しばらくして、次に通路に面している部屋から出て来たのは、上半身裸で覆面を被って手に大バサミを持ったやたらガタイのいい男。公共の場(?)でそんな恰好をしている奴が変態でない訳がなかった。パス。一瞬で頭をひっこめて僕が隠れた後、通路の方からなんだかシャキンシャキンと何回もハサミを鳴らす音が聞こえ、その後こちらにその音とともにコツコツと足音が近づいてきた。やばい。
僕は壁に背をぺたんとつけ、自分が壁になったつもりになって、やばい相手に見つからないようにと祈りながら、ただ息をひそめた。自分の鼓動が相手に聞こえてしまわないかと思うくらいに大きく鳴る。……しばらくして、いったんこっちに来かけたその規則正しい金属音と足音が、しばらくして立ち止まり、方向を変えて向こうに行くのが分かった。その後、僕は息を止めたまま目をつぶり、その後息をそっと吐く。鼓動が収まったのはそれから5分くらいたってからだった。……怖すぎ。
次に通路に現れたのは小学生くらいの小さな男の子でぱっと見普通だったけど、ここで一人で歩いている時点で普通じゃない。いや、保護者連れならいいって訳でもないけど。あと、なんだか頭のどこかであいつはまずいと警鐘が鳴る。一見普通なのがむしろヤバイ説にも従うと……うーん……パス。
なんだここは。人外魔境か。僕が廊下の様子を探ろうと再び頭を覗かせようとした時に、後ろからトントン、と肩を叩かれる。僕が「ひっ」と叫び声を上げて、飛び上がって振り返ると、20代中盤くらいの気の強そうな女性がなんだか怒ったような顔で腕組みしながらこちらを見ていた。
「ここで何してるの?かくれんぼ?」
「あの、いえ、なんというか」
自分より弱そうな奴を探していました、とは言えなかった。あ、でもチャンスかも。この人、少なくとも会話はできそう。ぱっと見使用人的な服装だし、間違いなく幹部じゃない。いける!
「その格好、たぶん厨房から逃げてきたんだと思うけど!いい加減にしてよ、こっちはあんたみたいなのを面倒見てる暇なんて……」
そういえば僕エプロン姿だった。いやいや、それより君は今魔王軍幹部の前にいるのだ。言葉を慎みたまえ、なんて。僕は胸を張って名乗る。
「私、実は何を隠そう、魔王軍の幹部です」
「はあ……?ああ、はい、そう、よかったわね。じゃあ幹部様、厨房に戻ろっか」
「いやいや、鑑定してもらえばわかりますよ!ほら、どうぞ」
「鑑定?私できないから。それより幹部って、その幼児並みの魔力でよく言えたもんね、尊敬するわ。あんたは面の皮だけなら十分幹部級よ。ほら、とっとと戻りなさい」
「あの……」
「……なに?」
殺気を感じた。ここはいったん素直に従うべきか。でも。
「あの、厨房ってどっちでしょう……」
「ポンコツか!!……もう、ほら、付いてきなさい」
なんで私がこんな……と言いながらも案内してくれるのは、いい人(?)だからだろう。よかった。僕の出会い運はまだ尽きてはいなかった。きっと例えばハサミ男から厨房に案内してくれるって言われても、僕自身が素直に着いて行けたかどうか。僕(食材)を厨房に連れていくとしか聞こえないし。
「ほら、ごめんなさい、って言ったら多分許してくれるから、ちゃんと給仕長に謝ってきなさい」
と、10分ほど歩いて、僕は食堂らしき場所に案内してもらった僕は、その人に背中を押されて奥の方に向かわせられる。そうか、ここで部外者ってことを証明してもらえばいいんだ。僕は、ありがとうございました、とお辞儀をして、そのままととと、と奥にある厨房に入った。
「あのー、すみません……」
「あ!お前、その格好!うちの給仕見習いじゃないのか?何サボってるんだよ!?」
「いえ、そのですね。私はそういうのでなく、幹部……」
「はいこれ!運べ!!あそこのテーブルだぞ!」
どん、と料理の皿の乗ったお盆を手に渡された。あ、この展開なんか見たことある。僕はとりあえず運んでから話を聞いてもらおうと思いながら走ったが、同時に、きっと聞いてもらえないだろうな、という諦めのようなものが胸に広がるのを感じた。
「いやー、悪いな!どうも人型の子の顔は、なかなか区別がつかなくてな!」
休憩時間になって、僕が違います、ということを説明したら、緑色の顔をしたトカゲの給仕長がようやく話を聞いてくれた。エプロンしか見てなかったわ、と笑うが、それは給仕長としていかがなものだろうか。まず給仕が何人いるかくらい、把握してるだろうに。という僕の疑問が顔に出ていたのだろう、給仕長は続きを話してくれた。
「下級の魔族はちょっとしたことですぐ食われたり殺されちまったりするもんでな!覚えててもすぐいなくなるからきりがないんだよ!まあ、この食堂内は害を与えられないから安心だ。なんだかわからんが、魔王様がそういう仕組みにしてくださった。ここ以外の城の中だとどうかは知らんがな。ははは!」
ははは、じゃないと思う。僕は思い切って具体的なことを尋ねてみる。
「あの、ここって特にどういう人に気をつけたらいいんですかね」
「まずはでかいハサミを持ってるやつを見たら、とりあえず全速力で逃げな。運が良かったら、逃げ切れるだろう」
「逃げ切れなかったら……?」
とおそるおそる尋ねた僕に対して、給仕長はちろちろ長い舌を伸ばして、爬虫類的な目でこちらを黙って見つめるだけだった。……なんとなくわかった。
「まあたまにはいい方もいらっしゃるけどな、そっちの方が珍しい」
「……あの、アルテアさんっていう人、ここ来たりしないですか?」
「ああ、あの方はいいな!何日かに一度、お茶を飲みに来られるぞ。最近げっそりとしてるからきっとお忙しいんだろうが」
とりあえず、アルテアさんに会えるまで、安全地帯で何とかするしかない。
「あの、ここで数日間働かせてもらえないでしょうか!?」
「おう、いいぞ!手はいくらあってもいいからな!」
「あと、ここで寝かせてもらえないでしょうか!?」
「……お、おう……お前がいいなら……止めはしないが……」
……とりあえず、今のところ安全地帯がここしかないからなぁ……。




