深夜のテンションで真剣に話そうとするのはもっと危険を伴う
夜、ヴィートは何となく目を覚ました。明日も朝が早いので、しばらくの間目をつぶって布団の中でじっとするも、いったん起きてしまうとかえってなかなか寝付けない。隣のギャレスと聖騎士(ユーリーと言ったか?)がぐうぐういびきをたてて寝ているのを暗い部屋の中で見て、ヴィートは理不尽にも腹立たしさが沸いてくるのを感じる。お前ら、俺が眠れないのに気持ちよさそうに寝やがって。ただ、それで周りを叩き起こして巻き込むほど、彼は常識外れではなかった。……それに寝起きのギャレスの不機嫌さと危険さも良く知っていたから。
そうして、このままずっと眠れないままイライラするよりは散歩にでも行ってみよう、と宿の一階にヴィートが下りていくと……ちょうど、見たことのある緑髪の女の子が受付に向かって何か喋っているところだった。あいつ最近徘徊多くないか?と疑問に思う。それと同時に、前回外出していた際、どこに行っていたのか隠そうとしていたことを思い出し、深夜にもかかわらず建物を出ていく女の子の後をこっそりつけていくことにする。どこへ行くんだろう。
つけたまま建物を出ていく時に、受付の人間がこちらを、まるで怪しい人間を見るかのような目で見てくるのが少し気になった。これは違うぞ。俺はナズナやユーリーとは違う。俺にはパーティーのメンバーの状況を把握する必要があるんだ。そう言い訳しながらヴィートは目の前の女の子の後ろをこっそりとつけていったが、その姿をはたから見ると言い訳の余地もなく、ただのストーカーそのものだった。
隣の塔の扉を開け、真っ暗な中で足音に気をつけながらそっと階段を登る。前を行くあいつは、明かりもないのに平然と進んでいるように見えるが、こんなに暗くて不安にならないのだろうか。……そしてたどり着いた誰もいない真っ暗な最上階、大きな窓の前であいつは立ち止まり、じっと外を見ているようで。何をしているんだろう、とヴィートは不思議に思った。ただ単に、目の前に広がる夜景を見ているのか?こんな暗い中で?一人で?
するとしばらくして、サロナは窓を開け放ち、外の屋根の上へとためらいなく一歩を踏み出した。おいおい。ヴィートは慌てて窓際まで駆け寄る。
窓からヴィートが見守る中で、ゆっくりとした足取りで止まることなく屋根の端まで歩いたサロナは、よいしょと屋根の上で腰を下ろして体育座りをして。そのまま、夜空と目の前の景色をじっと見ながら、何事かを考えているように見える。月明かりがあるものの暗い景色の中、ほのかに見えるその横顔がこれまで見たことのない真剣な表情に思えて、ヴィートはなぜか少し自分の鼓動が早くなるのを感じた。
どれだけの時間そうしていたのか、不意にサロナが上を向いて立ち上がる。……上に、何かあるのか?ヴィートが窓から身を乗り出して空を見ると、現実では考えられないくらい大きな、黄色い月が出ていた。……あいつは、それを見上げている?
ふと、立ち上がったサロナが手を月に伸ばしかけて、迷ったように手をふらつかせたあと、そのまま手を下ろす。月明かりの中夜空を見上げる、いつもと違うどこか寂しそうな顔を見て、ヴィートは突拍子もない考えが浮かんでくるのに気づいた。まるで……月に帰りたいと願う、人でない存在のようだ。目の前にいるのが人間じゃない、という唐突な考えが浮かび、それが間違っていない、という根拠のない確信が沸く。
夜の空と街の建物の尖った黒い影と浮かび上がった無数の窓の明かりをバックに、一人屋根の端で佇んで夜空を見上げるその姿が、まるで一枚の絵のように見えて。ひょっとして、こいつはいつも一人で夜抜け出しては、こうして月を眺めていたのだろうか。
そうしてヴィートが見ているとサロナが突然振り向き、いるはずのない仲間の姿を見て驚いた顔を見せる。同時に、その月下の妖精のような雰囲気は霧消した。そのままサロナは、ととと、と屋根の上を小走りにこちらへやってきて、首を傾げ、いつもの表情で、いつもの声でちょっと早口に話し出す。
「なんでここにいるんですか?私、ストーカーならもう既に一人いるので十分ですよ。まあ今なら特別にその危険行為、不問にしてあげてもいいんですけどね。お互い、今日は自分以外何も見なかった、ということでいかがでしょう」
こいつの言うストーカーというのがナズナとユーリーのどちらを指しているのかはいまいち不明だったが、ヴィートにはそんなことはどうでもよかった。いきなり過ぎるとは思ったが、今、感じたとおりに聞かないと、またうやむやなまま、ごまかされてしまいそうな気がした。
「……ひょっとして、お前、人間じゃないのか……?」
その問いを聞いて、目の前の女の子は紫色の大きな目を丸くする。今まで見たことのない表情だ、と思うと同時に、その表情に驚き以外のものが見て取れた。……それはきっと感情が表に出やすい彼女だから、見て取れたもの。……焦り。人間ではないとそう問われて、彼女は確かに一瞬焦りを見せた。すぐにそれは隠されたが、そのことがかえって真実を当てていたというヴィートの確信の材料になる。
「あの、何を言ってるんですか……?常識人枠が。しっかりしてください」
「ごまかされないからな。この際、はっきりさせようぜ」
「はあ……では。人間でないなら、私は一体何なんでしょう?」
そう聞きながら興味深そうにこちらをのぞきこんでくる彼女は、どこか恐る恐るのようにも見えた。ヴィートはその問いに対して、さっきの風景を見て感じたことをそのまま答えた。
「妖精、とか……」
「はっ……?」
ヴィートのその答えを聞いて、「???」とサロナの頭の上に大きなクエスチョンマークが出たような気がした。その後、真面目な顔でしばらく考え込んで、腹部を押さえてうずくまる。……持病か!?
「おい!大丈夫か!?」
「……あはははははっ、ははは、ははははははははっはは!はははげほっげほっ!ふふっ、ふふふふふ妖精……あはははっははは!苦しいー!ふふっふふ妖精ふふふ」
めちゃくちゃ大爆笑している。笑いすぎてちょっと泣いている。しばらく座って笑い止まない相手を目の前にして、何もできないままヴィートは佇んで眺めるしかなかった。同時に現実的な思考が戻ってくる。……そうだな。妖精は、ないな。




