【Ⅱ】女教皇 ~真夏の夜の夢~
それは、夏も終わりに近づいた生暖かい日だった。
仮想空間の中でも、四季を表現するための夏の暑さや冬の寒さは存在する。
今日もまた、クーラーのかかった部屋より暑い戦国時代に旅だった。
現在、近畿地方の中央から東部にかけて、絶賛信長包囲網中。
北に朝倉・浅井連合、東に武田と、1570年代初頭の情勢である。
その中にあって、播磨の国は姫路城を中心に織田家勢力が飛び地状態。
■
俺はいま、姫路城下を訪れている。
その目的は、安国寺恵瓊が手土産においていった、毛利元就直筆の「同盟依願書」を羽柴秀吉に渡すため。
今回のお供は、相馬と流水斎。
相馬は外交官なので外部との折衝には当然同行として、流水斎は今回に限って自薦してきた。
断る理由も無いので、同伴させている。
ここ、姫路城は知名度によるボーナスの恩得を大きく受けている城だ。
白鷺城とも呼ばれる美しい城。夏の緑を借景にした壮大な景色が広がる。
俺様の野望は変なところで律儀であるため、手軽に城に入ることは出来ない。
しかし!俺は「コネ」持ちの特権により、顔パスで通れる。
いつものように姫路城を歩いていると、たまたま門に居た秀吉の家老に呼び止められた。
「おや佐久間様御久し振りです。ですが、羽柴の殿様も、黒田様もこの城にはおらんのです」
「ほほ~、何処に行ってるのか、教えてもらえるか?」
家老は少し悩んだ後、「コネ効果」もあって行き先を教えてくれた。
「佐久間様ならよろしいでしょう。実は、若狭の方で小競り合いがおき、
そちらの方に出向いておられます」
若狭の国というと、現代の福井県。
このゲームの中では「萌え人魚像」で有名な、超人気スポット。
さらに、先日の「鬼が島」イベントで水着が実装されたこともあって、
人魚コスプレのおなごが小浜海岸一杯に鈴なりになっているそうだ。
ここは「ゲーム世界」である。言うまでも無いことだが、キャラクタークリエイトで容貌を変えられるので、リアル社会より美男美女が多く、みんなスタイル抜群。
「しょうが無いな。若狭まで行くか」
「そうですな。いやぁ、ついていないもんですのう。ついでに人魚像でも見ていきましょうかのう」
流水斎が髭を撫でながら同意する。
もしかして、コイツはこうなることを予想していて付いてきたのだろうか……
一度行ったことのある「国」には、多少の銀を支払うことで、転移をすることができる。
だが、残念ながら、まだ若狭には行ったことが無い。
平安京(京都、山城国)まで転移してから北上することにした。
平安京の街並みをスルーして、若狭街道、通称「鯖街道」に入る。
馬に揺られながらゆらりゆらりと進むと、塩漬けのサバを運ぶ荷車と何度もすれ違った。
変なところでリアリティのあるゲームだと思う。
しばらく行くと、風流な茶屋(実はご当地アンテナショップ)が見えてきた。
「お館さま、一休みしていきましょう」
「そうだな」
VRは「味覚」「嗅覚」も再現できる。
それを利用して、通販可能な名物を「試食」できるアンテナショップが数多くあるのだ。
そのスポンサー料の御蔭で廉価にプレイ出来ているので、感謝してもしきれない。
茶屋に入り、名物の「鯖のなれ鮨」を注文する。
若狭の鯖の旬は、春から秋にかけて。
夏のこの季節、本物の戦国時代であれば、食中毒を懸念して躊躇するであろうが、
ゲーム世界には、そのような「爆弾」は存在しない。
ちゃんと現代人向けの味付けになっているので、酢は薄めで、素材の味を生かしてある。
他にも、鮎の甘露煮など名物を頼んで一休み。
酢飯の程よい酸味と甘露煮の甘みが疲れた体に沁み渡る。
視界の隅に表示される、通販広告の購入ボタンを見ながら悩んでいたとき、
茶屋の主人が俺たちに近寄ってきた。
「旅の方々、ひとつお願いがあるんだがのう?」
茶屋の主人が恐る恐る切り出してくる。
「なんだ?」
「この山に、尼さんが住んでおってな、その尼さんがうちの寿司飯が大好物でのう」
「尼さんが生臭食べていいのか?」
「いやいや、酢飯だけだで。
子供のころに食べたなれ寿司の味と同じで懐かしいと、うちを贔屓にしてくれとるんじゃ。
ですが、先日足をくじいて、ワシは届けに行けないのですわ。
もしよろしかったら、行ってもらえないでしょうかのう」
「よし、美味かったし、良いぞ」
「ありがとうございます」
【クエスト『鯖街道のシッソウ』が発生しました】
システムメッセージが流れ、聞き覚えの無い名称のクエストが発生した。
いつもなら、ネットで事前調査を行ってから向かうところだ。
しかし、最近は銀目当てでの「クエストローテーション作業」ばかりで辟易していたので、たまには無知識でクエストにチャレンジしてみることにした。
茶屋の主人の話によると、尼さんの住む尼寺は、茶屋の裏山を10分ほど登った場所にあり、一本道なので迷うことは無いそうだ。
さすがに起伏の激しい山道は、『乗馬』スキルの無い我々では、馬を使えない。
「お館さま、楽しみですな、くだんの尼さん、ものすごい美人という話ですぞい」
何時の間に聞き込んだのか、流水斎が鼻の下を伸ばしながら語る。
「それは楽しみですな」
相馬までほくほく顔をしている。
配下たちの話を話半分に聞き流しながら、茶屋の主人から油紙に包まれた酢飯を受け取り出発した。
しばらく山道を歩いていくと、もうそろそろ到着という頃合に、さわさわと冷たい風が流れ、ぽつり、ぽつり と雨が降ってきた。
雨は見る見るうちに勢いを増し、前が見えないような豪雨と化す。
「あそこに、何か建物がありますぞい」
歳はとっても衰えない流水斎の視力を信じ、俺たちはびしょ濡れになりながら、古びた寺に辿り着いた。
「誰か居ますか~?」
「お~い!」
寺の軒先に入り、人を呼ぶ。
古びた寺に見えたが、本堂は雨漏りもしていない。
中は綺麗に掃除が行き届いているので、人が住んでいるのだろう。
まだ昼間のはずだが、豪雨のせいか建物の中は薄暗く、視界が効かない。
しばらく待っても返事が無い。
「尼さんとやらは、外出中かな」
相馬がずかすかと寺の中にはいろうとしたとき、何処からか声が聞こえた。
「このような寺に何用ですか?」
現れたのは、透き通るような肌の一人の尼さん。
燭台のゆらゆらとした光が、長い睫毛に映える。
確かに、茶店の親父が言うとおりかなりの美人だ。
「茶店の主人に頼まれて、酢飯を持ってきたんだよ」
雨で少し濡れてしまったが、油紙に包んだ酢飯を渡す。
「あらあら、この土砂降りの中、ありがとうございます。
手拭いと体が温まるものを持ってまいります。少しお待ちください」
「自分たちも手伝いましょう。
お館さまはここで待っていてください」
尼さんと一緒に流水斎と相馬が奥に行き、俺は本堂に一人で取り残された。
■
5分……10分……と待ってみても、彼らが戻ってくる気配は無い。
「お~い」
声をかけてみても、何の返答も無い。
しびれを切らした俺は、寺の中を探ってみることにした。
本堂から、居住区の方に向かう。
すると、近くの部屋の中からお皿が触れ合う音が聞こえた。
「誰か居るのか?」
手伝おうと思って近づくと、部屋の中の人影がお皿を数え始めた。
「いちま~い、に~まい」
声の質が先ほどの尼さんとは違う。
もちろん、相馬や流水斎の声でも無い。
心の奥底まで冷やすような、温もりを感じない声が心の底にまで響く。
背筋に冷や汗が湧き出し、思わず生唾を飲み込む。
「さ~んまい、よんま~い……」
身体が金縛りにかかったように、徐々に動かなくなる。
「六枚たりな~い」
「割りすぎだろっ!」
生来の突っ込み属性のおかげで金縛りから解き放たれた俺は、力いっぱい引き戸を開けた。
だが、そこは無人の部屋。
板張りの床の上に、お皿が4枚転がっていた。
「これは、まさかお化け屋敷?」
おぼろげに、そんなクエストの噂があった事を思い出す。
「どんなのだったっけかな……」
腕組みしながら思い出そうとしていると、カベに日めくりカレンダーを見つけた。
今日は、八月二十九日。だが、カレンダーは二十八日のまま。
日めくりを一枚破り捨て、二十九日にする。
ふと、破り捨てた紙の裏をみると、なかなかに精緻な鉛筆画で俺が描かれていた。
絵の中で、俺は相馬と流水斎の3人で寺の中に入ろうとしている。
もう一枚破り捨て、紙の裏を見る。
次の絵では、部屋の中で髪の長い誰かが皿を数えているシーンが描かれており、俺がその部屋に入ろうとしている。
一枚目は鉛筆画であったが、この絵はうっすらと絵に色がついている。
さらにめくると、今度の絵は、俺が日めくりカレンダーをめくっているシーン。
彩色が精緻にほどこされ、今現在を誰かが撮影した写真のようだ。
奇妙なことに、この写真には俺の背後に何か白いものがうつりこんでいる。
俺の表情までがわかる鮮明な写真なのだが、背後の白いものはピントがぼやけていて、
何が写っているのか、判別がつかない。
咄嗟に後ろを振り向く。だが、そこには何もない。
首筋に冷や汗がにじみ出てくる。
俺は誘われるように手を伸ばし、もう一枚カレンダーをめくった。
めくったカレンダーを裏返し、裏を見る。
だが、そこには何の絵も書かれておらず、真っ白であった。
「ふぅ。びびらせやがって」
張りつめていた気持ちが緩む。
背後を振り返ってみるが、やはり、なにも居ない。
そして、もう一度カレンダーを見る。
【八月三十二日】
「来てしまいましたね」
後ろから、誰かに肩を叩かれた。
俺の意識はそこで途切れ、気がついた時、相馬と流水斎とともに、茶屋で昼寝をしていた。
【八百比丘尼とコネができました。寿命+100】




