(閑話)尼子家ものがたり
この物語は、史実説明用のフィクションです。
史実は、それなりに踏襲しています。
■尼子家物語
むかしむかし、あるところの出雲の国に、尼子家という守護代の家系がありました。
あるとき、その守護代の家に、尼子経久という文武両道に優れた若者が産まれます。
彼は、「人徳の将」と呼ばれる卓越したカリスマで地元の有力者たちをまとめ上げ、
「謀聖」と称される知略をもって、中国山陰地方に大きな勢力を作り上げました。
しかし、良い時代は続きません。経久の元に不運が訪れます。
跡継ぎである嫡男が、戦場で若くして倒れてしまいました。
悲しんだ経久は、嫡孫である尼子晴久を跡継ぎと決めて家督を譲り、隠居します。
尼子晴久が27歳の時、後ろだてであった祖父経久が他界。
有力者たちは、当主晴久の力量を不安視し、次々と尼子家から離れ、独立していきました。
それに乗じて、近隣の大名が尼子家の領地に侵攻してきます。
領地に深々と侵入され、尼子家も終わりか そう思われた時、晴久の叔父国久が、
配下の新宮党を率いて鬼神のごとき強さで奮戦し、侵攻してきた大名を撃退しました。
その姿を見た周辺の豪族たちは、改めて尼子家に忠誠を誓い、尼子家は往時の勢いを取り返します。
およそ20年後、晴久が47歳で急死。
家督は、嫡男の義久が20歳の若さで継ぎます。
義久の性格は、良く言えば外交家、悪く言えば文弱。
隣国の毛利元就は、義久の性格に付け込み、謀計によって尼子家は徐々に切り崩されます。
尼子家の有力家臣は次々と離反。義久は毛利家へ降伏し、家族を連れて毛利領へと移住しました。
山陰の覇者、尼子家は義久の家督後4年で消え去りました。
これで収まらないのが、武闘派新宮党の生き残りです。
仇敵に降伏した義久を見限り、新宮党のかつての党首、国久の孫、勝久を擁して、尼子家再興に動き出します。
新宮党は、織田家を頼り、武勲の褒美として上月城に入ることとなりました。
尼子勝久と新宮党が上月城に入ってから半年後、仇敵毛利家が上月城に攻め込んできます。
尼子家3000、毛利家3~5万。
毛利方は10倍の兵数差で上月城を取り囲み、重厚な防御陣を築きあげます。
救援に駆け付けた織田軍は、周辺に布陣したまま、それを傍観。
およそ70日の籠城の末、尼子勝久を始め主だった武将は切腹し、尼子家は名実ともに消滅しました。
尼子勝久 享年26歳。
史実を調べると、尼子家の当主は、若くして家督を継ぐという呪いでも持っているのだろうか。
俺は、このゲーム世界で、史実をひっくり返して、尼子家を救う。




