老人の朝は早い
目が覚める。私は一人で、見知らぬ場所にいた。昨日と同じ場所。やはり夢ではなかったのだ。
朝日が差す廃墟では見たこともない小鳥達が舞っていた。語らうような囀りは、耳に心地よかった。私は傍らに置いていたクロッキー帳を手にする。
思えば筆を持つのは久しぶりだった。あの日以来、どこか遠ざけていたきらいがある。それがどうだろう、筆が滑らかに滑る。思い通りの線が引かれる。描くのが仕事になってから、私はこの感覚を忘れていた。一息で満足のいく出来栄えのものが出来る。語らう二羽の小鳥がモチーフだ。最後にサインを入れ、完成する。次の瞬間驚くべきことが起こった。
絵の中の小鳥がこちらを向いたかと思うと、羽ばたいたのである。それだけではなかった。
小鳥がそのまま紙から抜け出し、空へ飛び上がった。
「なっ!」
石に腰をかける形で作業していた私は、声をあげバランスを崩した拍子に右手の鉛筆を落とした。小鳥達は生きているかのように飛び回る。
私は暫くその不思議な光景を唖然と見守っていた。
更に一羽描いてみた。しかし、同じような出来栄えにも関わらず、それはうんともすんとも言わなかった。何かが足りないのだろうか、と私は考える。閃きは単純なものだった。
「そうだ、サインか」
実行すると、予想通りの結果だった。
私のサインがこのような不思議な現象の引き金になるのだ。では他は? 石や植物で試してみても望み通りの結果で、すべてが現実になった。
一人の人間としては非常に興味深い結果だったが、画家としては複雑である。何せ、描いたものが紙に残らないのだから。
そんな風に思っていると、最初の小鳥達がもの言いたげな表情で近寄ってくる。たとえ〈具現化した絵〉という奇妙な区分のものであろうと、動物は口をきけないというルールは忠実に守っているようだ。私としては、いつ小鳥が「こんにちは」と言ってもおかしくない状況だと覚悟をしているつもりだ。
私の意思を解するのだろうか。疑問に思いつつも願望を口に出してみる。
「絵に戻ってはくれないだろうかの? このクロッキーに」
指差し説明すると、こくりと頷いた。小鳥が消える。
クロッキー帳を捲る。
鳥達だけでなく、今まで描いたもの全てがあるべき場所に納まっているようだった。
私はこの不思議な現象と、この世界について解釈しなければならないだろうか。いや、芸術家の第一義は『楽しむこと』にあるべきだ。……私を真の意味で憂う人間も、もはやいないのだから。
もう黒い部分も見当たらない口髭を撫で、私は立ちあがる。
「芸術は苦しみと悲しみから生まれる」
そして、ピカソはこうも言う。
「私は立ち止まりはしない」
神がこの老いぼれに何を求めているのかはわからないが、ただ心が求めるまま往くだけだ。