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昔語り、今語り

昔語り、今語り【平敦盛】:砕刃(さいは)

作者: 藤沢みや

  ◇


 全てが砕かれたわけじゃない。

 たくさんのものを劫火ごうかに包み、逃げるように京の都から離れたけれど、僕たち一門は諦めた訳じゃない。必ず失ったものは取り戻す。

 取り戻してみせる。



 敦盛は遠く離れる摂津せっつの港を力強い瞳で見つめて、唇を噛み締め、誰に誓うともなく心の中で呟き……拳を強く握り締めた。

 痛くなるのも気にせずに。



  ◇


 寿永二年(一一八三)後の世では平安末期と呼ばれる頃の、七月二十五日。平家一門は六波羅に火をつけ幼少の今上きんじょう、国母である建礼門院、そして三種の神器を伴い都落ちをした。

 高倉上皇が亡くなり、ついで一門の要といえる相国清盛公しょうこく きよもりこうが亡くなった。

 京での反平氏の勢いは留まるところを知らず、五月十一日の倶利伽羅峠での大敗の後、源義仲軍は近江国に入る。それと同時に義仲は延暦寺勢力との連絡に成功。これに合わせるかのように大和、丹波、摂津の各国の源氏勢力が京都を伺う体勢を強めた。

 相国さまという巨星が落ちた直後から、平家一門を快く思わない各国源氏・寺社勢力・貴族がそれぞれの思惑から手を取り合い、包囲網を強化しようとしていたのだ。

 だから、いったん平家の勢力の強い西国へ避難し、態勢を整えてから再び都入りするべく退いた。

 決して、怯えて戦いもしないで逃げ出したわけじゃない。

 福原から船に乗り、大宰府を目指したけれど九州武士の反撃を受け、上陸を阻まれてしまった。

 ――― これには驚くしかなかった。

 九州は僕たち平家の勢力が強いところだと思い込んでいた。

 それなのに……

 三ケ月近く海上を彷徨さまよい、僕たちはようやく讃岐の屋島に落ち着くことが出来た。

 田口という現地武士が受け入れてくれたのだ。

 このことで平家一門全体が目を覚ましたところがある。

 今まで、相国さまのおかげで僕たちは贅沢をしてきた。

 僕なんて生まれた頃から豪勢な生活が日常になっていて、自分が恵まれているなんてこれっぽっちも思わなかった。

 僕ら兄弟は同じ一族でも、相国さまの直系じゃないから高い身分は望めない。だからこそ、なにか得意なことを身に着けなければならなかった。

 どんなことでもいいから、誰よりも自信が持てるものを手に入れて、実力を示さなければ数多い傍系の六男が宮中で生きのびることは出来ない。

 平家一門の出といっても僕なんて小さな端くれで、だから生まれてから一度だって自分が恵まれているなんて思いもしなかった。返って損してるな、なんて思っていたくらいだ。

 綺麗な着物を身に着け、少しでも汚れたら着替えて、身なりを整える。朝は粥が多かったけれど雑穀などは入っていない。瓜の漬け物とともにお腹が膨れるほど食べ、夜は食べきれないくらい豪勢な食事を摂り、広い邸宅に住まい、管弦三昧な日常が平凡なことだと思っていた。

 それは僕の兄者たちも同じだったらしく、三ケ月の船旅で僕たちはずいぶん変わった。

 ううん、変わらざるを得なかった。


 船という閉じられた世界での三ヶ月。


 白湯さゆが飲みたいと思っても周りは海水だけ。

 海水を沸騰させて鍋の蓋などで水蒸気を集めれば水は手に入れることができるけれど、どこで火を焚くの? 薪は? 誰がずっと見ているの? そういうことを考えれば、水を手に入れる、水を飲むということがどれだけ大変かというのがわかる。

 体力が落ちない程度に、だけどなるべく体を動かさず、食事も水分も必要最低限になるように工夫を凝らし、先駆けの家臣たちが共同の井戸を見つけたら安堵する。そんな生活を三ヶ月。

 不安だからか、僕たちはいろいろな人と話しをした。

 これまで、兄者たちとあんなに話をしたことはなかった。

 屋敷に戻っても擦れ違うことが多かったし、役職のある兄者たちは常に多忙で、反対に役職のない僕はどちらかといえば、誰かに笛の演奏を求められなければ必要のない暇な立場だった。

 殿上でんじょうが許されていたのは、年若い今上の相手をすることが多かったから。

 僕の殿上は、実力ではなく乳母子めのとご代わりと誰かが言っていたけれど、それは強く否定ができない。

 恵まれていたけれど、僕の必要性がよくわからなかった毎日だった過去。

 だから、この三ケ月、不安はあったけれど、どうすれば僕たちがこれから全てを取り戻せるか兄上や従兄弟や遠戚、今まで口を交わすことも少なかったいろいろな平家一門の人たちと話し合った。

 それから、船上ではとりたててすることがないから体力を激しく消耗しないように気をつけながら体を鍛えた。

 今まで当たり前にしてきた白粉の化粧やお歯黒もやめた。

 戦う時には必要のないことだから……

 おしゃれなんて、したって意味もないし、前例がどうやらとか宮廷だからうんたらなんていう口うるさい生き字引たちもいないことだし、第一、本当は面倒くさかったんだ。

 船旅も長引けば、年かさの人たちはことあるごとに相国さまさえ生きていれば……なんて言って嘆いているけど、そんなどうしようもないことを言っていても仕方がない。

 相国さまはお亡くなりになっているんだし、これからは僕たちが平家を支えていかなければいけないんだ。

 僕は相国さまにはよくしていただいた。

 平家一門で、相国さまに辛く当たられ続けた人っていないと思う。

 すごく落ち着いたしっかりした方で、僕は殿上する前は相国さまのお館でよく笛を吹いたし、珍しいお菓子などを頂いたり、舞を披露して貿易で手に入れた美味しいお菓子を頂いたり……お菓子ばっかりだ……ま、いいか。そんなふうに縁戚の小さな子供を相国さまは分け隔てなく可愛がってくださった。

 そんなことがあるせいか、僕ら一門の中はなぜか養子縁組が多い。しかも息子が産まれないから引き取るとか、そういうことじゃなくて、関係なしに子供引き取ったり預けたりしてる。人質とかいう感じじゃない。僕の兄上の中にも実際に僕とは血が繋がっていないけれど、育ったのが兄弟としてだから僕は自然と『兄上』って呼んでいる兄がいる。

 思い出す過去は流浪した時期と比べたらもちろん煌いて感じるけれど、嘆いたって時は戻らない。


 時はただ流れるだけだ。

 そんな当たり前のことにどうして気付かないんだろう。


 屋島に入って、各地の平家勢力と連絡をとったという。このまま黙って引き下がらない。そんな思いが僕たちだけじゃなく平家一門に浸透していた。

 僕たちが京に戻るんだと思っているのは、昔の華やかなような日常を取り戻したいと思っているからだけじゃない。

 都落ちをする時は取り戻すって思っていたけれど、今は違う気持ちでいっぱいだった。

 京は、今上のものなのだ。

 今上を奉る僕たちがいなくちゃいけないところ。

 だから帰る。

 そんな気持ちでいた。



  ◇


 八月に入り、上皇が平家の所領を没収し源義仲や源行家に与えたという。

 そして、今上がいらせられるというのに京で新しい帝が即位した。

 ―――三種の神器のない即位は極めて異例だ。

 当然のことながら平家一門はそんな即位を認めるわけはなく、西と京で帝が二人おわすことになった。

 九月二十日には源義仲軍が平家追討のために京を出立したという。細作さいさくからの情報では義仲と上皇は上手くいっていないらしく、義仲軍が京を出立したのも食糧不足で軍勢が無体を働くのをどうにかしたいせいだという。

 京近隣での食糧不足は深刻で餓死者が都中に溢れ、河原や街中にまで死体が放置されている状態だった。

 僕たち一門が京都を離れたのも食糧不足が遠因でもある。

 うるう十月一日には知盛公・教経公が率いる平家軍が備中小島で義仲軍を破った。この水島の合戦の勝利で中国地方の平家軍は勢いを増し、義仲軍は京に引き上げるしかなかった。



 平家は着実に足元を固め、虎視眈々と帰京を狙っているのである。

 


 ――― 義仲は、都言葉をちゃんと話せるのだろうか?

 疑問に思って経正兄上に聞いたことがある。僕は小さな頃からずっと京にいたから、京と他の地域では言葉が違うなんて知らなかったけれど、経正兄上は仁和寺で育ったから、いろいろな地域の修行僧とも出会ったことがあり、言葉では彼らは大変苦労していたと聞いたことがある。

 経正兄上は首を傾げて「敦盛の指摘は的を射ているね」と苦笑をした。



  ◇


「敦盛、笛を聴かせてくれないか?」

 突然の経正兄上の言葉に敦盛は絶句した。

 笛など、ここ最近めったに手にしていなかった。父上から譲られた名笛小枝めいてき さえだ。せっかくの宝が錦の袋の中でずっと眠っている。

「……兄上」

 敦盛は困ったように経正を見上げ、首を左右に振った。

「お聞かせ出来る腕ではありません」

 経正は敦盛の隣に腰をかけると、穏やかに微笑んだ。

「私は練習を積んだ音が聴きたいわけじゃないよ。そなたは……この半年で見違えるように大人になった、今のそなたが奏でる音色を耳にしたいのだ」

 優しい微笑みは京にいる頃から変わりがないけれど、最近はとっても身近に感じるのが不思議な気分だった。

 都落ちをしてから、僕たち一門の結束は固まったのだと思う。

「私は青山せいざんをお返ししてしまった……それを悔いてはいないが、時折雅やかなものが恋しくなるのは何故だろうな……」

 少し、遠くを見つめるように呟く兄を敦盛は黙って見つめた。

 別に僕は、あの生活を懐かしいとは思わない。

 確かに、小枝を吹くのは楽しい。誰かが笛を龍に例えていたけれど、上下左右と自由気ままに音色を飛ばすことができるのは至上の幸せだとあの頃は思っていた。

 だけど、なんというか、今の方が生きているという気がする。

 僕は『平敦盛』だと感じることができる。

「本当なら合奏をしたいところだが、ここでは満足のいく名器は手に入るまい……」

「兄上……」

 年の離れた経正兄上は幼少の頃から僧都殿に仕え、琵琶の研鑽けんさんに励んでいた。

 名器青山を与えられ、当代随一の琵琶の名手と目されていたけれど、京から離れる際に仁和寺へお返ししたという。兄上のお師匠に当たる方はお亡くなりになっていたので法親王さまにお渡ししたと淋しそうな瞳で洩らしていらした。

 ……戦場に持ち出せば、せっかくの名器を灰にしてしまうかもしれない。それはあまりにも琵琶が可哀想だ。

 そう、仰っていた。

 だったら、僕も小枝を手放した方がよかったのか? 京に帰るのに?

 本来の武士に戻り、雅やかな生活とはかけ離れた日常を送っているけれど、切替の早い僕らと違って、兄上には捨てきれないのだろう。雅やかなものに対する思慕という感情を。

「では……僣越ですが……」

 敦盛は錦の袋から小枝を取り出すと大切に撫でるように手に包み、ゆっくりと口元にあてた。

 そして構える。この所作が僕は好きだった。

 現世から離れて、笛の世界に飛び立つ。

 その合図がこの所作だ。

 瞳を閉じる。

 紡ぎ出される音色は今までの技巧に凝り過ぎた固いものとは違い、深みの増した透き通るような旋律。

 奏でている敦盛も、聴いている経正も互いに瞳を閉じ音色に身を委ねた。

 旋律は宙に舞い、空を駆け、雲を越え自由に解き離れた。

 そんな浮き世から離れた一瞬はだんだん近くなる荒々しい足音で断絶された。

「兄上、敦盛。大変だ! 義仲が法皇を五条東洞院に幽閉させたというぞ」

 帝に仕える立場の武士が主たる者に反旗を翻し、閉じ込める……あまりの暴挙に二人は言葉を失い、ただ四男経俊の話を呆然と聞くのみだった。

「摂政を解任して、新しく師家を任じ自由奔放に振舞っているという」

 京からもたらされた報告は驚くことばかりで、咄嗟に頭が働かない。

「切羽詰まっておるのだな……」

 変わらずに穏やかな経正の言葉に、敦盛ははっとして顔を上げた。

「だろうな……公家衆が公然と義仲の味方ではなくなった、今こそ京に攻め入る好機」

 嬉しそうに拳を握る経俊と、思案気な経正を、敦盛は交互に見つめる。

 平家打倒を旗印に京に真っ先に到着した義仲軍は孤立無援、連絡を取り合い結びついた寺社勢力とも公家衆とも反りが合わないらしい。

 今、京に攻め上り義仲軍を打倒すれば平家が帝を警護する武家の一門として都に迎え入れられるはず。

 公家衆は義仲軍を追い出しさえすれば、全てを水に流して一門ごと受け入れてくれるのではないか? ……そんな甘い考えが脳裏に浮かぶ。

 でも、本当にそんなふうになるのだろうか?

 一度、追い出した一門を何もなかったように迎えてくれるのか?

 そんなふうに、感情を、気持ちを、紙をひっくり返すようにたやすくしてくれるのだろうか?

 経正兄上が頬を撫でた。そして視線を揺らす。

「我らにとって……義仲の暴挙、吉と出るか凶と出るか…」

「吉とさせれば良い!」

 不安げな経正兄上の物言いを破断するように経俊兄上が大きな声を出した。

 そう……そうなるようにすればいい。

 ただ、黙って機会が来るのを待っていては駄目なんだ。

 こちらからも動かなければ、好機は巡っては来ない。

 誰かがひっくり返しているのを待っていたら駄目なんだ。

 自分たちでひっくり返して、それが当たり前だと思わせればいい。

 ただ、それだけのこと。

 好戦的な経俊の言葉は聞いているだけで興奮してくる。

 敦盛は大きな合戦の予感に身を震わせた。



  ◇


「知章も出陣するの?」

 敦盛は干し柿を頬張りながら相国さまの四男・知盛公の嫡男知章ちゃくなん ともあきらに聞いた。

 知章は直系の一族に連なるだけあって元武蔵守だった。しかし、それも今は意味を持たない。

 第一、武蔵国に赴いてもいない。

 幼い頃は同年ということもあり、父上の弟・教盛公の三男、業盛なりもりと知章と僕の三人でよく一緒に遊んだ。しかし、昇殿してからは互いに顔を合わすことはあっても幼い頃のように語り明かしたり遊びまくったりすることはなかった。

「たぶん……しないと思うよ。父上は水島の合戦に出陣したからね。今回は教盛さまと重衡さまが率いられるみたいだし」

「じゃあ、業盛は出陣するんだね」

「敦盛、お前は?」

「行くんじゃないかな。水島ではお役に立てなかったから、今回こそは良いところ見せたいんだけどね」

 咀嚼していたものを飲み込み、破顔する。

 気負って言っているわけじゃなく、心からそう思う。

 敦盛は自分でも不思議なくらいにこやかに微笑むことができた。

 戦をするというのに。

 そんな自分を見て、知章は瞳を細めた。

「敦盛には、伝えておくけど……私は、この戦では、自分の命は父上の命をただ守ることに使うから」

 知章の言葉に敦盛は持っていた干し柿を落としそうになる。

 それは、知章の宣言であり、相談でもなんでもなく、彼の中では決まったことなのだ。

「知章?」

 ぼうっと口を開ける敦盛を見て、知章は苦笑した。

「年端もいかない私になにが出来るというのだ……そう思われると思うけど、扇は要を失えば、ばらばらになる」

 現在、平家一門をまとめているのは、実質的には相国さまの北の方、二位尼御前。

 武門関係では知章の父上の知盛公だ。

 このお二方がいるから、宗盛公を中心にまとまっているような感じを他者に与えることができる。

「お父上の、盾になる気か?」

「もちろん私は生きた人間だ。それまでに武術を鍛えて、できる限り父上の部下としてお守りするつもりだよ」

「相国さまを失った時のように、今度、父上が亡くなれば我が一門は心許こころもとない」

 宗盛公は決して暗愚ではない。

 ただ、心優しすぎて、今回のような波乱の現状向きの棟梁ではない。

 それは、一門中がそう思っていたが、二位尼御前がお産みあそばした子供の中では残念ながら宗盛公が長子なのだ。

「じゃあ、知章は、お父上のために戦うんだな」

「そう。私は敦盛みたいに笛が吹けるわけじゃない。誰かの心を歌舞音曲で癒すなんてことはできない。だからさ、今、私が生きている意味を考えたら……父上のお命を守ることしか浮かばなかった」

 敦盛はその言葉に、心の臓を鷲掴みにされた気分だった。

 誰かの心を癒すために笛を吹いたことなど、僕にはない。

 大将として出陣する知盛公のところまで矢が届くことはめったにないが、要を失えば軍勢は弾け散る。清盛公の死で学んだことを、知章は実践をしようとしているのだ。

 ――― 今、私が生きている意味を考えたら……

 僕の生きている意味。

 真面目な知章のその言葉は、敦盛の中でぐるぐるととぐろを巻いた。

 そんなこと、考えもしなかった。

 思い浮かびもしなかった。

「あー、干し柿食べてるー」

 語尾の伸びたのんびりした喋り方で誰が来たかすぐわかる。

「業盛、お前も入れよ」

 ここは知盛公が居を構えている屋敷だというのに敦盛が手招きをして、業盛を招き入れる。それを不思議がることもなくくつを脱いで業盛が近付いてきた。

「美味しそうー」

「業盛は出陣するの?」

 知章の問いに口に干し柿を頬張りながら業盛は頷いた。

 三人とも年が明ければ十六歳になる。

 まだまだ腕力や剣技や技芸では大人たちに遠く及ばない。それでも、三人ともそれぞれの思いを抱えて戦場に赴くのだ。

「あ、敦盛……これ、妹から」

 業盛は懐から薄紅色の薄様を取り出して、敦盛に手渡す。

 敦盛は受け取ると同時に顔を真っ赤にさせて、動揺して声を裏返させた。

「お前。こんなところで渡すな!」

 よりによって恋文をおおっぴらに渡すとは……業盛ののんびりぶりに敦盛は声を荒げるが手にはしっかりと渡された文を握り締めていた。

 敦盛と文をやり取りしているのは業盛の末の妹だった。

 京にいるみたいにこんな文を交わさなくても会いにいったり話したりすることはできるけれど、相手がたまには形に残るものが欲しいな……なんていうから仕方なく。

 真っ赤になった僕を見て、知章は困ったように、業盛は関心がないように首を傾げていた。

「敦盛は、今が一番楽しそう」

 ふふっと笑った知章に、敦盛は唇を尖らせた。

「なんだよ、それ」

「言葉通りの意味だよ。でも、それを言ったらきっと私も楽しそうなんだろうけど」

 知章は微笑して干し柿を手にした。

「二人とも、不謹慎だぞ」

 そう言いつつも業盛の関心は干し柿にしか向いてなさそうだった。

 僕の家は、平家一門って言っても傍流の扱いになる。知章みたいに細かい事情が把握できる近さじゃない。

 上が、戦えといえば戦うし、戦うなといえば戦えない。

「ねえ、干し柿食べ終わったら教盛さまのところで鍛錬しない?」

「いいね。いつ戦場に赴くことになるのかわからないけれど、僕たちは立派な戦力だもんね」

 敦盛の言葉に知章が微苦笑を浮かべる。

「戦力かな~?」

「いいんだよ、自分で言ってれば」

「敦盛らしいー」

 業盛ののんびりとした話し方が癪に障ったので、敦盛はこっそりと脇腹をくすぐってやった。

 思わず吹き出した業盛は手にしていた干し柿を落とさないように必死になっていた。

 僕の生きている意味。

 用意を整えて、教盛公の館に向かう途中、隣を穏やかな表情で歩む知章を見て敦盛は唾を飲み込んだ。

 そして、懐の中の文を着物の上から押さえた。

 父上のために命を使うという知章。

 なにを考えているかわからないけれど、鍛錬を怠らない業盛。

 雅やかなことに心を残しつつも平家一門として動く経正兄上。

 今まで鍛えてきた武術を披露できると浮き足立つ他の兄者たち。

 ……なんだかぐるぐるする。

「なあ、知章」

「なあに、敦盛?」

 知章は足を止めて敦盛を見やる。

 その表情には何も浮かんではない。穏やかな笑みだけが張り付いている。笑っているけれど、それは表情には見えなかった。

「僕たちは負けるために戦うわけじゃない」

「うん、そうだね」

 微笑は深くなるだけで、その分、余計に知章の感情が読めなくなる。

「僕たちは勝つために戦う」

「……私は、父上のために……」

 敦盛は知章の言葉を遮った。

「違う。お前の決心を否定しているんじゃないんだ」

 なんて言ったらいいんだろう。

 敦盛は懸命に言葉を探す。

「だから、お前はお父上が憂いなく戦略や戦術に頭を使えるように守るために戦うし、僕は平家一門のみんなを京に連れて行くために戦う……義仲軍が憎いから戦うんじゃなくて、必要に迫られているから戦うんで、戦うからには負けは考えなくちゃいけないけど、でも前提にしてはいけないんだ」

「敦盛?」

「僕は知章みたいに頭を使うことが苦手だから、上手に言えないけど、でもただ、戦うだけじゃ駄目なのか?」

 僕の言葉に知章は瞳を瞬かせた。

「命を使うなんて言うな」

「敦盛」

「使うって、なくなっちゃうっていうふうにも取れるだろう。お父上を守ることに専念するでいいじゃないか!」

 なんとかすっきりさせたくて、頭の中から言葉を探す。

 そうだ。

 言ってわかった。

 知章の言葉が死をまるで前提にしているみたいで嫌だったんだ。

「敦盛ー」

 業盛がのんびりと僕の名前を呼ぶ。その呼んだ顔には満面の笑みがあった。それになんだかほっとする。

 僕を呼んだ後、業盛は知章を見据えた。

「知章。敦盛が言うとおりだよ。言葉には言霊ことだまも宿るって言うし。俺たちは勝つために戦うんだ。不安だからこそ、言葉に気をつけようよ」

 のんびりとしつつも大人びた指摘に知章は瞳を見開いて、そして破顔した。

「わかった」

 敦盛はなんだか嬉しくなって二人の手を取って駆け出した。

 慌てて転びそうになる知章に、笑いながらも平気で着いて来る業盛。

 僕たちは戦う。

 そう、負けるためじゃない。

 勝つために。

 そのために、僕は走り出した。大切な仲間の手を取って。



平安時代末期、平清盛が亡くなった後のお話しです。

摂津は現在の兵庫県です。この時代はお茶は薬のため飲み物は白湯でした。

平家物語は滅びの美学とよく呼ばれますが、滅びるために彼ら・彼女たちは生きたわけではないと私は思います。

なにか少しでも感じていただけたら幸いです。

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