凪の観察
朝の教室。
ざわつく空気の中で、雪城凪は自分の席に座っていた。
いつもと同じ風景。
いつもと同じ時間。
でも――
一つだけ、昨日と違うことがあった。
(……朝日奈くん)
凪はさりげなく視線を動かす。
教室の少し前の方。
窓から少し離れた席に、朝日奈陽真がいた。
静かにノートを開いている。
周りと特別話しているわけでもなく、騒ぐ様子もない。
でも、完全に一人というわけでもない。
隣の男子と、時々会話している。
自然な距離感。
(普通の人)
凪はそう思う。
でも。
(昨日……)
校門でのことを思い出す。
元彼に引き止められていた時。
あのままなら、もう少し長引いていたかもしれない。
どう断るか、考えていた。
その時――
朝日奈陽真が、声をかけてきた。
「帰るんだろ」
それだけ。
助けようとした感じじゃない。
でも結果的に、あの場から抜け出せた。
(……変な人)
凪は小さく息を吐く。
普通なら、関わらない。
面倒ごとに巻き込まれる可能性がある。
それなのに。
あの人は、何でもないことみたいに声をかけた。
(……)
だから。
少しだけ気になった。
どんな人なのか。
本当に、ああいう人なのか。
――確かめたいと思った。
「凪、どうしたの?」
隣の女子が話しかけてくる。
「ぼーっとしてる」
「……してない」
凪は首を振る。
「してるって」
「してない」
そう言いながら、凪はノートを開いた。
一時間目が始まる。
授業は普通に進んでいく。
先生の声。
チョークの音。
ページをめくる音。
その中で、凪は時々視線を動かしていた。
(……)
朝日奈陽真。
授業中も、特別目立つことはない。
でも、ちゃんとノートを取っている。
分からないところがあれば、少し考えてから書いている。
ただそれだけ。
(普通)
でも――
ふとした瞬間に気づく。
前の席の男子が振り返って、何かを聞いていた。
朝日奈は少し考えて、説明している。
難しい顔はしていない。
面倒そうでもない。
(……)
凪はそれを見ていた。
しばらくして、昼休みになる。
教室の空気が一気に崩れる。
「凪、今日どうする?」
女子たちが声をかけてくる。
「購買行く?」
「うん」
凪は立ち上がる。
昨日と同じ場所。
同じ流れ。
でも今日は、少し違う。
(……)
凪は並びながら、少し周りを見る。
朝日奈もいた。
少し離れたところ。
友達と話しながら並んでいる。
(……)
視線を戻す。
順番が来て、パンを選ぶ。
会計を済ませて、教室へ戻る。
特に何も起きない。
昨日みたいなことはない。
それが少しだけ――
「……」
凪は小さく首を振る。
何を考えているのか分からなくなる。
教室に戻ると、席に座る。
パンの袋を開ける。
その時だった。
「それ、甘いやつ?」
声がした。
顔を上げる。
朝日奈陽真だった。
少しだけ距離を保ったまま立っている。
「……そう」
凪は答える。
「クリーム」
「やっぱり」
陽真は少し笑った。
「昨日も甘いのだったよな」
「……覚えてるの?」
「なんとなく」
凪は少しだけ考える。
それから、小さく言う。
「好きだから」
「そっか」
それだけの会話。
でも、不思議と気まずくはなかった。
沈黙も、重くならない。
(……)
凪は少しだけ思う。
(話しやすい)
理由は分からない。
でも、無理をしなくていい感じがした。
その時、陽真が言う。
「昨日の、返さなくていいから」
「……ダメ」
凪はすぐに答える。
「ちゃんと返す」
「いいって」
「よくない」
きっぱり言う。
陽真は少しだけ困った顔をした。
「じゃあ、ジュースでいい?」
凪は少し考える。
それから頷く。
「……分かった」
「今日の放課後でも」
「うん」
約束ができる。
それは凪にとって、少しだけ新鮮だった。
(……)
朝日奈陽真。
やっぱり、変な人。
でも――
(悪くない)
そう思った。
そして同時に、凪は理解する。
(この人なら)
あいつの前でも。
きっと、普通に振る舞える。
守ってくれるとかじゃなくて。
ただそこにいるだけで、空気が変わる。
そんな気がした。
凪は静かに決める。
もう少しだけ、この人を見てみよう。
放課後。
少しだけ話してみる。
それで――
決める。
自分がどうするかを。




