まとわりつく過去
「なあ朝日奈」
前の席の男子が振り返る。
「お前さ、ほんとに雪城の恋人なんだな」
「……まあ」
軽く返す。
「すげえな」
感心したような声。
でも、その隣から。
「いや俺は、まだ信じられんわ」
別のやつが口を挟む。
「どういう経緯だよ」
「気になるよな」
「てか雪城が選ぶタイプじゃなくね?」
遠慮のない言葉。
でも、露骨な悪意まではない。
ただの興味と、少しの嫉妬。
「……普通だろ」
適当に流す。
「普通じゃねえよ」
笑いながら返される。
「雪城だぞ?」
「氷姫が彼氏作るとか想定外すぎる」
「今までずっと告白断ってたのにな」
その言葉に、少しだけ視線が集まる。
(……まあ、そうなるか)
自分でも分かっている。
隣を見る。
凪は変わらず、静かにしている。
周りの声なんて気にしていないみたいに。
(……こういうとこだよな)
だからこそ、余計に目立つ。
「まあでも」
さっきの男子が肩をすくめる。
「朝日奈なら、変なことにはならなそうだしな」
「それは分かる」
「むしろ安心枠」
軽く笑われる。
(……褒めてんのかそれ)
なんとも言えない評価。
でも。
完全に否定されているわけでもない。
「……陽真くん」
そのタイミングで、凪が声をかけてくる。
「お昼、どうする?」
周りの視線を気にする様子もなく。
当たり前みたいに。
(……)
さっきまでの会話が、少し遠くなる。
「……一緒に食べる?」
その一言に。
また、少しだけ空気が変わった。
当たり前みたいに言う。
その言葉に。
心臓が、少しだけ跳ねた。
(……ほんと、普通に言うよな)
「……いいけど」
そう答えると、
「じゃあ、移動しよ」
凪はすぐに立ち上がる。
迷いがない。
(……)
その後ろについていく。
教室の後ろの方。
窓際の空いている席。
二人で向かい合う形で座る。
(……)
改めて考えると。
これ、普通にカップルみたいだなと思う。
いや、設定上はそうなんだけど。
(……)
弁当を開く。
凪も同じタイミングで開く。
少しだけ沈黙。
でも。
不思議と気まずくない。
「……手作り?」
凪が、ふと聞く。
「今日は俺のだね」
「すごいね」
素直な感想。
「別に、前家来て見ただろ」
「うん」
「やっぱりすごいなって思うよ」
即答だった。
「毎日?」
「弁当もってきてる日はほとんどそうかな」
「……えらい」
小さく言う。
その言い方が、少しだけ柔らかい。
(……)
なんか、変に照れる。
「凪は?」
「家の」
「そっか」
短い会話。
でも。
それだけで、十分だった。
(……)
ふと、視線を感じる。
見ると、クラスの数人がこっちを見ていた。
小声で何か言ってる。
(……まあ、見るよな)
凪も気づいているはずなのに、何も言わない。
むしろ。
「……」
少しだけ、距離を詰めてきた。
机越し。
ほんの数センチ。
でも、それだけで空気が変わる。
(……わざとか?)
そう思った瞬間。
凪が、小さく言った。
「見せた方がいいでしょ」
「……ああ」
なるほど。
噂を強めるため。
そういうことか。
(……)
分かっている。
分かっているのに。
(……ちょっと嬉しいって思ってる時点で、ダメだな)
自分で苦笑する。
その時。
「凪」
声がかかる。
顔を上げる。
橘恒一だった。
(……)
一瞬で、空気が変わる。
恒一はそのまま近くまで来て、
「珍しいな」
と軽く言う。
「昼一緒とか」
「……そう?」
「最近はたまに食べてるよ」
凪はいつも通りのトーンで返す。
「前はあんまなかっただろ」
「……前はね」
短いやり取り。
でも。
その“前は”に、少しだけ引っかかる。
恒一はちらっと俺を見る。
それから、また凪に視線を戻す。
「まあ、いいけど」
そう言いながら、
「ちゃんと食べてるなら安心」
と続ける。
(……)
その言い方。
まるで。
「……」
何も言わない。
でも。
心のどこかで、少しだけ引っかかる。
恒一はそれ以上何も言わず、
「じゃあな」
と去っていった。
「……」
少しの沈黙。
凪は普通に食べ続けている。
変わらない様子で。
「……ああいうの」
気づけば、口に出していた。
「気にしないのか」
凪は一瞬だけ考えてから、
「気にしてない」
と答える。
「昔からだから」
その一言。
さらっと言ったけど。
(……)
重みがあった。
「……昔から?」
「うん」
それ以上は続けない。
でも。
その“昔”に、少しだけ興味が湧く。
(……)
知らないことが多い。
当たり前だけど。
「……陽真くん」
ふと、名前を呼ばれる。
「ん?」
「さっきの」
「……さっき?」
「お昼、一緒にって言ったの」
少しだけ間を置いて、
「嫌だった?」
と聞いてくる。
(……)
なんでそんなこと聞くんだ。
答えは、決まってる。
「嫌なわけないだろ」
すぐに返す。
「……そっか」
凪は小さく頷く。
でも。
ほんの少しだけ、安心したように見えた。
(……)
その表情を見て。
また、思う。
(……やっぱり)
これは。
もう。
(好きだよな)
はっきりと、自覚する。
隣にいるだけでいいと思う。
こうして話してるだけでいいと思う。
それで十分だと思ってしまう。
(……)
でも。
同時に。
(……知らないこと、多いな)
凪のこと。
過去のこと。
さっきの“昔から”の意味も。
(……)
知りたいと思った。
もっと。
ちゃんと。
その気持ちは、はっきりしていた。
「……なあ」
思わず声をかける。
凪が顔を上げる。
「……今度さ」
少しだけ迷ってから、
「どっか行くか」
と言った。
凪は一瞬だけ目を瞬かせる。
それから。
ほんの少しだけ、柔らかく笑った。
「……うん」
その一言が。
やけに嬉しかった。




