カップルっぽいこと
次の日の朝。
教室に入ると、昨日ほどではないにしても、やっぱり少しだけ視線を感じた。
「おはよう、朝日奈」
「おう」
軽く挨拶を返す。
昨日である程度は落ち着いたのか、あからさまに騒がれることはない。
それでも――
「なあ、今日も一緒に帰んの?」
「昼も一緒だったしな」
「マジで付き合ってんだな」
そんな声は、普通に聞こえてくる。
(……まあ、もう隠す気もないしな)
むしろ、見せるための関係だ。
それくらいでちょうどいい。
席に座ると、少しして凪が入ってきた。
相変わらず、空気が少しだけ変わる。
「おはよう」
「おはよう、凪」
名前で返す。
昨日よりも、自然に出た。
凪はわずかに目を細めて、頷いた。
「……慣れてきた?」
「まあ、少しは」
正直なところを言う。
「いいこと」
短く言うと、そのまま席に向かう。
その背中を見ながら、少しだけ思う。
(……昨日より、近いな)
距離が。
ほんの少しだけ。
授業の合間。
休み時間になると、凪が当たり前のように近くに来るようになった。
「次、移動教室」
「一緒に行く?」
そんな会話。
それだけのことなのに、周りの反応が変わる。
「普通にカップルじゃん」
「違和感なくなってきたな」
そんな声が聞こえる。
(……慣れってすごいな)
昨日はあんなに騒がれていたのに。
昼休み。
昨日と同じように、凪が声をかけてくる。
「行こ」
「うん」
自然に立ち上がる。
もう、それが当たり前みたいに。
廊下を並んで歩く。
昨日よりも、少しだけ距離が近い。
意識しなくても、その位置にいる。
「……」
「……」
沈黙。
でも、気まずくはない。
そのまま、昨日と同じ場所へ。
ベンチに座る。
「……なんか」
陽真が口を開く。
「昨日より楽だな」
凪は少しだけ考えてから、
「慣れたから」
と答えた。
「単純だな」
「大事」
真面目な顔で言う。
少しだけ笑いそうになる。
「……あ」
その時、ふと思い出す。
「そういえば」
「うん?」
「連絡先、知らないな」
言ってから気づく。
恋人のはずなのに。
「……確かに」
凪も少しだけ間を空けて頷いた。
「不便」
「だよな」
何かあった時に連絡できない。
それはさすがにまずい。
凪はスマホを取り出す。
「交換する?」
「する」
即答だった。
お互いに画面を見せる。
QRコードを読み取る。
簡単な操作。
それだけなのに――
(……なんか、変に緊張するな)
ただの連絡先交換。
それ以上でも、それ以下でもない。
でも。
「……」
「……」
お互い、少しだけ無言になる。
登録完了。
凪の名前が表示される。
“雪城 凪”
当たり前のはずなのに、少しだけ特別に見えた。
「送る」
凪が短く言う。
すぐに通知が来る。
『凪です』
シンプルなメッセージ。
「……」
少しだけ、笑いそうになる。
「なんか固いな」
「最初だから」
「そういうもんか?」
「多分」
ちょっとだけ曖昧だった。
「じゃあ、俺も」
『陽真です』
送る。
「……同じ」
凪が言う。
「そりゃな」
「……」
少しして、もう一度通知が鳴る。
『よろしくお願いします』
さっきより少し長い。
「……丁寧だな」
思わず言うと、
「挨拶大事」
と凪が答える。
やっぱり真面目だ。
(まあ、凪っぽいか)
そう思いながら画面を見ていると。
――ぽこん。
また通知が来る。
『』
そこに表示されたのは、シンプルなメッセージじゃなくて。
小さくて丸い、動物のスタンプだった。
ゆるい感じの、ちょっと可愛いデザイン。
「……」
思わず、凪の方を見る。
凪は何もなかったかのような顔で、前を向いている。
「……今の」
「うん」
「スタンプ?」
「そう」
「……使うんだな」
少し意外だった。
凪は一瞬だけ考えてから、
「たまに」
と答える。
「……それ、可愛い系だな」
「そう?」
「まあ……うん」
なんて言えばいいか分からない。
あの“氷姫”が、ああいうのを使うイメージがなかった。
「嫌だった?」
不意に聞かれる。
「いや、全然」
すぐに否定する。
「むしろ……」
そこまで言って、少しだけ迷う。
「……いいと思う」
正直な感想だった。
凪は一瞬だけこちらを見て、
「そう」
とだけ言った。
でも。
ほんの少しだけ、口元が緩んだ気がした。
「……」
もう一度、スマホを見る。
さっきのスタンプ。
なんとなく、保存したくなるくらいには印象に残っていた。
(……こういうの、使うんだな)
学校では見えない部分。
その小さな違いが。
妙に、頭に残った。
昼休みのあと。
午後の授業は、思っていたよりもあっという間に終わった。
(……なんか、変だな)
時間の流れが早い。
理由は分かっている。
――隣に凪がいるからだ。
放課後。
帰る準備をしていると、スマホが震えた。
見ると、凪からのメッセージ。
『終わった?』
その一言のあとに。
さっきと同じ、ゆるい動物のスタンプがついていた。
「……」
思わず少しだけ笑う。
(使ってるな、普通に)
さっき“たまに”って言ってたのに。
『今終わった』
そう返す。
少し考えてから――
適当にスタンプを一つつける。
送信。
すぐに既読がつく。
『じゃあ昇降口で』
またスタンプ付き。
(……なんか、いいなこれ)
会話自体はシンプルなのに。
それだけで、少しだけ柔らかくなる。
鞄を持って、教室を出る。
昇降口に向かうと、凪が先に待っていた。
「おかえり」
「ただいま?」
「?」
少しだけ首を傾げる。
(……無自覚か)
「帰る?」
「帰る」
短いやり取り。
でも、それがもう自然だった。
外に出る。
昨日と同じ帰り道。
でも、昨日とは少し違う。
「……」
「……」
しばらく歩く。
沈黙。
でも、気まずくない。
その時。
凪がふと、俺の方を見た。
「……手」
「え?」
「繋ぐ?」
一瞬、思考が止まる。
「……それ、必要か?」
なんとか言葉を返す。
「カップルっぽい」
ああ、そういうことか。
「……まあ、そうだな」
分かってはいる。
でも。
(……いきなりハードル高くないか)
そう思いながらも。
「……どうする?」
聞き返す。
凪は少しだけ考えて、
「練習」
と答えた。
「……練習か」
それなら、まあ。
「……分かった」
手を少しだけ差し出す。
凪も、ほんの少しだけ間を置いて――
手を重ねてきた。
指先が触れる。
そのまま、軽く握る。
「……」
「……」
一瞬、空気が止まる。
(……近い)
距離も。
体温も。
全部が、昨日までとは違う。
「……どう?」
凪が聞いてくる。
「どうって……」
言葉に詰まる。
「……変じゃないか」
なんとかそれだけ言う。
凪は少しだけ考えて、
「うん」
と頷いた。
「悪くない」
その言い方が、少しだけ柔らかい。
(……慣れてるのか?)
ふと、そんな考えが浮かぶ。
元彼のこと。
一瞬だけ頭をよぎる。
でも。
「……」
今は考えないことにした。
歩き出す。
手を繋いだまま。
最初はぎこちなかった感覚も、少しずつ落ち着いていく。
「……温かいな」
思わず口に出る。
「そう?」
「うん」
「普通だと思うけど」
あくまで冷静な返し。
でも。
その手は、しっかり握られていた。
しばらく歩く。
そのまま。
何も話さずにいられるくらいには、自然になっていた。
その時。
凪がふと、口を開く。
「……明日」
「うん?」
「時間ある?」
「明日って土曜?」
急な話に少し考える。
「昼からなら」
「じゃあ」
少しだけ間を置いて、
「どこか行く?」
と凪が言った。
「……デートってことか?」
「そう」
あっさり肯定する。
「……練習の?」
「それもある」
少しだけ視線を逸らして、
「あと、確認」
と付け足した。
「何の」
「……ちゃんと出来てるか」
少しだけ曖昧な言い方。
でも。
その言葉に、少しだけ胸が動く。
「……分かった」
頷く。
「じゃあ、どこ行く?」
「任せる」
またそれだった。
「……雑だな」
「任せた方がいいと思う」
真面目に言う。
(……まあ、いいか)
少し考えて、
「じゃあ、うち来るか?」
と口に出していた。
言ってから、少しだけ驚く。
(……なんで今それ言った)
凪も少しだけ目を見開いた。
「……家?」
「いや、その……」
慌てて言い直す。
「外でもいいけど」
「……」
凪は少しだけ考えてから、
「いいよ」
と答えた。
「家」
「……いいのか?」
「うん」
特に迷いはなさそうだった。
「その方が、分かりやすい」
何が、とは言わない。
でも。
「……そっか」
頷くしかなかった。
手を繋いだまま、歩く。
さっきよりも、少しだけ距離が近い。
そのまま、分かれ道に着く。
「じゃあ、また明日」
「うん」
手を離す。
その瞬間。
少しだけ、物足りなさを感じた。
「……」
凪は何も言わない。
でも、ほんの一瞬だけこちらを見て――
小さく手を振った。
その仕草が。
やけに、頭に残る。
(……なんだこれ)
胸の奥が、少しだけ落ち着かない。
ただの“練習”のはずなのに。
ただの“偽恋人”のはずなのに。
(……違うだろ、これ)
もう、分かっている。
でも。
まだ、言葉にはしない。
そのまま、帰路につく。
明日。
凪が家に来る。
その事実だけで。
いつもより少しだけ、足取りが軽かった。




