天然が隠せない凪
放課後。
チャイムが鳴って、教室が少しずつ騒がしくなる。
部活の話をする声。
帰る準備をする音。
その中で、俺は席に座ったまま、少しだけ迷っていた。
(……どうするか)
昼に言われたこと。
“一緒に帰る?”
それは多分、必要な行動で。
でも同時に――
(ちょっとハードル高いな)
そう思っていた。
「陽真」
声がする。
顔を上げると、凪が立っていた。
「帰る?」
いつも通りのトーン。
周りにも聞こえる声。
「……ああ」
頷いて立ち上がる。
その瞬間、やっぱり視線が集まる。
(……まあ、そうだよな)
鞄を持って、教室を出る。
凪も隣に並ぶ。
廊下。
階段。
昇降口。
どこに行っても、少しだけ視線を感じる。
でも。
「……」
昼よりは、まだましだった。
外に出る。
校門を抜けると、空気が少しだけ軽くなる。
周りの生徒も、同じ方向ばかりじゃない。
少しずつ人が散っていく。
校門を出て、少し歩いたところで。
「……さっきより静かだな」
陽真が言うと、凪は小さく頷いた。
「人、減ったから」
「だな」
ほんの少しだけ間が空く。
学校の中ではずっと誰かに見られている感覚があった。
でも今は違う。
ただ、並んで歩いているだけ。
それなのに――
「……」
「……」
逆に、何を話していいのか分からなくなる。
さっきまでは“見せるため”に会話していた。
でも今は、その必要がない。
(……こういう時の方が難しいな)
そう思っていると。
「……さっき」
凪が口を開いた。
「うん?」
「大変そうだったね」
「……ああ」
朝のことだと分かる。
「まあ、ちょっとな」
「ごめん」
不意に言われて、少し驚く。
「なんで謝るんだよ」
「巻き込んだから」
淡々とした言い方。
でも、ほんの少しだけ視線が逸れていた。
「……別にいいって」
そう答えると、凪は一瞬だけこちらを見て、
「そう?」
とだけ言った。
それ以上は何も言わない。
でも。
(……ちゃんと気にしてるんだな)
少しだけ、印象が変わる。
学校では見えなかった部分。
そんなものが、少しずつ見え始めていた。
「……あ」
その時、凪が小さく声を出した。
「どうした」
「コンビニ」
前を見ると、通学路の途中にある店。
「寄る?」
「……いいのか?」
「うん」
特に理由はなさそうだった。
ただ、寄りたいだけ。
「じゃあ、少しだけ」
コンビニの前で、凪が一度立ち止まる。
「……どうした?」
「ちょっと考えてる」
「何を」
「無駄遣いかどうか」
真面目な顔で言う。
「……そこ考えるのか」
「一応」
少しだけ間を置いて、
「でも、今日はいい」
そう言って、ドアを開けた。
(……基準よく分からんな)
思わず苦笑する。
でも。
そういうところが、少しだけ人間っぽくて。
悪くないと思った。
店に入る。
冷房の空気が流れる。
凪は迷いなくお菓子コーナーに向かった。
(……意外だな)
なんとなく、そういうのに興味なさそうに見えていた。
棚の前で立ち止まる。
じっと見ている。
数秒。
十秒。
「……決まらないのか?」
聞いてみる。
「迷ってる」
真剣な顔だった。
(……そんな真面目に選ぶものか?)
「どっちがいいと思う?」
凪が二つの商品を持ち上げる。
チョコとクッキー。
「……知らん」
正直に言う。
「どっちでもいいだろ」
「よくない」
きっぱり言う。
「結構重要」
(……そうなのか)
少し考えて、
「じゃあクッキー」
と答える。
凪は一瞬だけ考えてから、
「じゃあそれにする」
あっさり決めた。
(……意外と素直だな)
会計を済ませて、外に出る。
また歩き出す。
「はい」
凪が袋からクッキーを取り出して、差し出してきた。
「……いいのか?」
「選んでくれたから」
そういう理屈らしい。
「……じゃあ、一個」
受け取る。
「ありがと」
「うん」
それだけのやり取り。
でも――
(……なんか、普通だな)
昼までの“作ってる感じ”がない。
ただの会話。
ただの距離。
凪はもう一枚クッキーを取り出す。
そのまま、何も考えずに口に運ぶ。
ぽろ、と小さな欠片が落ちた。
「……落ちてる」
「え」
足元を見る。
「あ」
本当に小さな欠片。
「……まあいいか」
そのままにしようとする。
「いや拾えよ」
思わず突っ込む。
凪は少しだけ考えてから、
「……確かに」
しゃがんで拾う。
その動きが、少しだけぎこちない。
(……ほんと、こういうとこだな)
学校では絶対に見ない姿。
完璧に見える“氷姫”のイメージが、少しずつ崩れていく。
でも。
嫌じゃない。
むしろ――
(……この方がいいな)
そう思っている自分がいた。
少しだけ抜けてる。
「……意外だな」
「何が?」
「そういうの、ちゃんとしてそうなのに」
凪は少し考えて、
「別に」
と答える。
「一人の時は適当」
(……一人の時)
その言葉が、少しだけ引っかかった。
「……今は?」
「たしかに……」
「一人じゃないけどいいかなって」
すぐに返ってきた。
そのまま、何事もなかったように歩く。
「……」
なんてことない言葉。
でも。
(……なんか、変に意識するな)
少しだけ、心臓がうるさくなる。
その時。
凪がふと立ち止まった。
「どうした」
「これ」
少し先を指差す。
自販機の横。
期間限定の飲み物のポスター。
「気になる」
「……またか」
思わず言う。
凪は少しだけ首を傾げる。
「だめ?」
「いや、だめじゃないけど」
「飲む」
決定事項だった。
(……自由だな)
結局、買うことになった。
ボタンを押す。
出てきた缶を、じっと見る凪。
「……開けないのか?」
「ちょっと待って」
数秒見つめてから、ようやく開ける。
一口飲む。
「……どうだ」
凪は少しだけ考えて、
「……よく分からない」
と答えた。
「なんだそれ」
思わず笑う。
凪は少しだけ不満そうな顔をして、
「でも、悪くない」
と付け足した。
その表情が、ほんの少しだけ柔らかかった。
「……」
気づけば。
さっきまで感じていた距離は、ほとんどなくなっていた。
会話も。
空気も。
自然だった。
(……なんだこれ)
“練習”でも、“見せるため”でもない。
ただ、一緒に帰っているだけ。
それだけなのに。
「……楽しいな」
気づけば、そう思っていた。
口には出さないけど。
凪は隣で、いつもより少しだけ力の抜けた顔で歩いている。
学校では見せない表情。
“氷姫”なんて呼ばれているのが、少しだけ不思議に思えるくらい。
(……こういうとこ、か)
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
まだ、はっきりとは言えない。
でも――
(……多分、俺)
そこまで考えて、やめた。
代わりに、前を向く。
隣には、凪がいる。
それだけで、十分だった。
少し歩いたところで。
凪がふと、立ち止まる。
「……どうした」
「さっきの」
「ん?」
「クッキー」
「うん」
凪は少しだけ間を置いてから言った。
「一人で食べるより、いい」
その言葉は、とても自然で。
何気ないものだった。
でも――
「……そっか」
それだけ返すのがやっとだった。
胸の奥が、少しだけざわつく。
特別な意味なんて、きっとない。
ただの感想。
でも。
(……なんか、違うだろ)
そう思ってしまう。
隣にいるのが、自分だから。
そう感じてしまう自分がいた。




