学校に知れ渡る関係
朝、教室に入った瞬間。
「来た来た」
「おい朝日奈」
「雪城は?」
視線が、一斉に集まった。
(……やっぱりな)
昨日のこと。
校門でのやり取り。
あれだけ人に見られていたんだから、こうなるのは当然だ。
「マジで付き合ってんの?」
「手繋いでたよな?」
「いつから?」
遠慮のない質問が飛んでくる。
「……一昨日から」
そう答える。
一瞬、間があって――
「一昨日!?」
「いや急すぎだろ!」
「意味分からんって!」
一気に騒がしくなる。
「てかなんで朝日奈なんだよ」
「いや普通に良いやつだけどさ」
「でも相手雪城だぞ?」
その言葉に、何人かが頷く。
「“氷姫”だぞ?」
誰かがそう言った。
教室の空気が、少しだけ変わる。
雪城凪。
クールで、近寄りがたい。
無駄に話さない。
でも、圧倒的に目立つ。
整った顔立ちに、長い黒髪。
誰が見ても分かるレベルの美人。
いつの間にか、そんな呼び名が定着していた。
“氷姫”。
「いやマジで釣り合いどうなってんだよ」
「朝日奈が悪いってわけじゃないけどさ」
「レベル違くね?」
笑い混じりの声。
でも、完全に冗談でもない。
「……」
否定もできない。
自分でも、少しは分かっている。
その時だった。
「おはよう」
静かな声が教室に入る。
振り向く。
雪城凪だった。
一瞬で、空気が締まる。
さっきまで騒いでいた連中も、少しだけ声を落とす。
「おはよう、雪城」
「なあ、ほんとに付き合ってんの?」
さっきより少し慎重な聞き方。
凪は一度だけ教室を見渡してから――
「うん」
と短く答えた。
それだけ。
余計なことは言わない。
でも、それだけで十分だった。
「……マジかよ」
「ほんとに?」
ざわつきが戻る。
凪はそのまま俺の方を見る。
「おはよう、陽真」
自然に名前で呼ばれる。
周りの視線が、一気に集まる。
「……おはよう」
俺も返す。
少しだけぎこちない。
凪は気にした様子もなく、俺の席の横に立つ。
「今日、お昼一緒にいい?」
はっきり聞こえる声。
(……完全に見せにきてるな)
「……ああ」
頷く。
それしかできない。
「じゃあ、あとで」
それだけ言って、自分の席に戻る。
その背中を見ながら――
「おい朝日奈」
また声が飛ぶ。
「名前呼びやばくね?」
「完全にカップルじゃん」
「てかマジでどうやって落としたんだよ」
「……」
答えられるわけがない。
落としてなんかいない。
むしろ――
(選ばれただけ、だよな)
それも、理由付きで。
「でもさ」
誰かが言う。
「雪城が選ぶなら、なんか理由あんだろ」
「それはそう」
「ただのノリじゃなさそうだし」
そんな声も混ざる。
その時。
「いいじゃん別に」
横から声がした。
蓮だった。
「朝日奈だって普通にいいやつだし」
「変な奴じゃないだろ」
「いやそれは分かるけどさ」
「相手が雪城ってのがな」
「氷姫だしな」
またその言葉が出る。
「……」
俺は何も言わなかった。
言えなかった。
ただ。
(……ちゃんとやらないとな)
そう思った。
この関係は、嘘だけど。
適当にやるものじゃない。
少なくとも――
中途半端には、したくない。
ふと、凪の方を見る。
いつも通り、静かに前を向いている。
周りの声なんて、気にしていないみたいに。
(……強いな)
そう思う。
その横顔は、やっぱり遠い。
隣にいるはずなのに。
まだ、少しだけ遠いままだった。
昼休み。
教室の空気は、朝よりもさらに落ち着かないものになっていた。
ちらちらと向けられる視線。
小声の会話。
明らかに、話題の中心は俺たちだった。
(……居心地悪いな)
正直な感想だった。
視線を避けるように、軽く息を吐く。
その時。
「行こ」
短い声。
顔を上げると、凪が立っていた。
「……ああ」
立ち上がる。
それだけで、また視線が集まる。
「え、一緒に食うの?」
「マジかよ」
「見に行こっかな」
そんな声を背中に受けながら、教室を出る。
廊下に出ても、視線は完全には消えない。
(……やっぱり目立つな)
隣を歩く凪を見る。
相変わらず、表情は変わらない。
周りの空気なんて気にしていないみたいに。
「……大丈夫か」
小声で聞く。
「何が?」
「いや、こういうの」
凪は少しだけ考えて、
「別に」
と答えた。
「想定内だから」
淡々とした言い方。
「……強いな」
「そう?」
自覚はないらしい。
そのまま、校舎の端の方へ向かう。
人の少ない場所。
自販機の近くのベンチ。
「ここでいい?」
「いいよ」
隣に座る。
距離は、昨日と同じくらい。
でも。
(……なんか、違うな)
昨日は“練習”だった。
今日は、“見られてる前提”。
それだけで、妙に意識してしまう。
「……」
「……」
少しの沈黙。
気まずいわけじゃない。
でも、自然でもない。
その時。
「近い方がいい?」
凪が言った。
「……え?」
「恋人っぽく」
ああ、そういうことか。
「……どうだろうな」
正直に言うと分からない。
「昨日くらいでいいんじゃないか」
「分かった」
凪は少しだけ距離を詰める。
肩が軽く触れる。
その瞬間、また視線を感じる。
(……見られてる)
横目で見ると、少し離れた場所でこっちを見ている生徒がいる。
完全に観察されている。
「……落ち着かないな」
思わず本音が出る。
凪はその方向を一度見てから、
「見せるためだから」
と静かに言った。
「……分かってるけどさ」
頭では分かってる。
でも、慣れない。
凪は少しだけ考える。
それから。
「じゃあ」
と、俺の方を見る。
「会話、する」
「……してるだろ」
「普通のやつ」
少しだけ言い方が変わる。
「ああ、なるほど」
“恋人っぽい会話”ってことか。
「……何話すんだ」
凪は少し考えてから、
「昨日の夕飯」
と答えた。
「……普通だな」
「普通でいい」
確かに。
「何作ったの?」
「カレー」
「へえ」
凪は少しだけ間を置いて、
「美味しかった?」
と聞く。
「まあ、それなりに」
「自分で?」
「うん」
凪が小さく頷く。
「すごいね」
昨日も言われた言葉。
でも、今日は少しだけ違う。
周りに聞こえるように、ちゃんと“会話している”。
(……なるほど)
こういうことか。
「雪城は?」
「……凪」
すぐに訂正される。
「……凪は、料理とかするのか?」
言い直す。
少しだけ慣れてきた。
「しない」
即答だった。
「できない?」
「やったことない」
少しだけ考えてから、
「でも、必要ならやる」
真面目な顔で言う。
(……極端だな)
思わず少しだけ笑いそうになる。
「急にやるもんじゃないだろ」
「そう?」
首を傾ける。
(……やっぱ天然入ってるな)
その時。
「やっぱ付き合ってるっぽくね?」
「普通に会話してるじゃん」
少し離れたところから、そんな声が聞こえる。
(……見られてるな)
でも。
さっきよりは、少しだけ気にならない。
「……まあ、こんな感じか」
俺が言うと、
「うん」
凪が頷く。
「悪くない」
その言い方が、少しだけ柔らかい。
「……そうか」
短く返す。
少しだけ沈黙。
でも今度は、さっきより自然だった。
「……放課後」
凪が言う。
「うん?」
「一緒に帰る?」
その言葉に、一瞬だけ間が空く。
「……それも練習?」
「それもある」
少しだけ間を置いて、
「あと、必要だから」
元彼対策。
多分それもある。
「……分かった」
頷く。
凪は小さく頷き返す。
「じゃあ、あとで」
その言葉で、昼休みは終わった。
教室に戻ると、また視線が集まる。
でも――
さっきより、少しだけ気にならなかった。
(……慣れてきた、のか?)
それとも。
(……隣にいるからか)
ふと、そう思う。
まだ不自然で。
まだぎこちない。
でも。
少しだけ。
ほんの少しだけ――
この距離が、当たり前になり始めていた。




