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Iの証明  作者: みやさか
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1話_①

 腐敗した肉と血の匂いに包まれ、時折増える死体の山に埋もれて育つのは普通ではないことを知ったのは、およそ十を数えてからのこと。

 生まれて始めた嗅いだ青空の香りを、六年たった今でもずっと覚えている。


「悪いね、ついでにこれも持って行ってよ」


 すれ違いざまに声をかけられ、両手いっぱいに抱えた本の上にさらに書類の束が追加される。

本の山を抱えていた少年は呆気にとられたような声を漏らしたものの、書類を追加してきた男は、そんな彼の様子に気付くこともなく「頼むよ」と続けた。


「……第三資料室でよろしいでしょうか」

「たぶんそう。まあ、てきとうに戻してもらえたらいいから」


 そう言ってへらりと笑う男は、少年の心情に気付くこともなくそのまま立ち去ってしまう。

今日はこれで五回目になる「ついでに」だ。

 重いため息を吐いた少年は立去っていく後ろ姿を呆然と見つめて、それから本の山の頂上に追加された書類の束を見下ろした。

 書類の山を抱えて右往左往している様子の、どこからどう見ても新人であろう人間に頼むことかという呆れが半分。それを指摘するだけの度胸が無い自分への呆れが半分とで、彼の気分は地を這う勢いで下降気味だ。


「たぶんって言われても、困るんだけどな……」


 左上に赤色の識別タグがつけられてはいるものの、配属されたばかりの冷にはそれが何を意味するのか理解できないのだ。正しい収納場所を探して資料室の中を歩き回ることになることは容易に想像がつき、思わず深いため息を漏らす。


 彼──葉邑冷(はむら れい)は今年で十六を迎える青年である。腰ほどまで伸びた金の髪と、さほど上背があるわけでもない細い体が理由なのか、とにかく異様に雑務を頼まれるタイプであった。

 いつ迎えたのかもわからない声変わりは冷に威厳をもたらしてくれることもなく、ただただ『押しに弱そう』『頼りない』というイメージと共に生きてきた。


「はあ……やるしかないか」


 絶望的な気持ちになりながら、顔を上げて前を向く。長い回廊と、ゆうに数十段はあるだろう階段を、もう何度往復したかは覚えていない。




「こういうのを解決できる魔術とか、使える人っていないのかな……」


 第三資料室と書かれたプレートを見上げて、冷は絶望したようにため息をついた。資料の山を崩さないように気を付けながら肘と肩を使って扉を押し開き、どことなく埃っぽさの漂う資料室へと足を踏み入れる。

 資料室はほとんど人けが無く閑散としており、聞こえる物音といえば冷の足音くらいだ。


 日中だというのにほとんど日が入っていないのは、資料の劣化を防ぐためだろうかと、とりとめのない事を考えながら識別タグの表示を頼りに資料を片付けていく。


「せっかく入隊できたのに、どうしてこんな雑用ばかり……」


 神経質なほどに整然と資料が収められている書架を前にして気が遠くなりながらも、冷の手と足は資料を正しい場所へ戻すべく動き続ける。もう何往復も繰り返したせいで疲れているが、早く終わらせるにはとにかく動くしかないのだ。


 冷の頭より高い資料棚の向こう、気休め程度に設けられた小さな天窓から、風にはためく軍旗が小さく見えていた。


 大小様々な島が並ぶ大海洋の中心に位置する一大帝国。中央大陸と呼ばれる広大な大地を有するそこには、その他の国々とは一線を画する特殊な組織が存在している。


 その名は【帝国魔天軍】


 軍という名称を持ってはいるが、帝国に仕える軍隊――正規軍とはまた違った役割と権限を持っており、その存在は帝国の中で異彩を放っていた。

 主に国家間の争い事に駆り出される正規軍とは違い、魔天軍には人間を殺め、傷付ける権利は与えられていない。人ならざるものを魔術と称される能力で討伐していくために編成された組織であり、彼等が敵として定めるのは『魔物』と『魔術を使って帝国に仇なす者』のみ。

 そしてその特性上、帝国摩天軍は入隊条件がひどく特殊な組織として広く知られていた。


 魔術師であること。


 それが、帝国魔天軍に唯一設けられた入隊条件。


「すみませんね、葉邑一等兵。配属そうそう面倒な仕事を任せてしまって」


 しばらく旧資料室から運び出した資料を整理していた冷は、後ろから声をかけられたことに気が付いて顔を上げた。


「あ、大佐! お疲れ様です」


 入口から室内を覗き込んでいた男性は、慌てて立ち上がりたどたどしく敬礼をした冷を見てにこりと笑う。

 冷と同じく青い隊服に身を包んだ青年の名は、如月輝(きさらぎ かがや)。直属の上司にあたる人物であり、冷に資料整理を頼んだ張本人である。


「もうじき貴方のパートナーになる予定の者が戻りますので、お知らせしておこうかと」

「別の任務に行かれていたんでしたっけ」


 冷の言葉に苦笑を浮かべながら資料室に入ってきた輝は、手に持っていた資料を慣れた様子で棚へと戻し始めた。冷を呼びに来るついでに、使っていた資料を戻しに来たのだろう。


 資料整理を言付かった様子の新人を見てこれ幸いとばかりに用事を頼んできたそこらの人達とはえらい違いだと、冷はため息をつきたい気持ちをぐっと堪えながら彼の手元を目で追いかける。

 その手つきは淀みなく、冷の作業スピードよりも遥かに速い。識別タグに頼る必要もないくらい使い慣れていることがうかがい知れた。


「本当は規律違反なんですけが、事情がありましてね。そのせいで貴方にこうして雑用を押し付けることになり申し訳ありません」


 帝国魔天軍では、原則として二名以上での行動を義務付けられている。

 しかし冷に割り当てられる予定だった人物はなぜか一人で任務に出ており、その彼が戻るまで待機せざるを得なかったため、こうして資料整理に駆り出されていたというわけである。


 入隊日はあらかじめ決まっていたのだから調整してくれないかと思うものの、人に害をなす魔物がTPOをわきまえているはずもない。

 世間知らずを自覚している冷であっても、そのあたりの道理はさすがに理解できる。


「いえ、お気になさらず。まだわからないことだらけですし、大した役目もないので。僕にできることなら何でも言ってください」


なにやら難しそうなタイトルが書かれた紙の束をしまい終えた輝は、冷の言葉に「頼もしいですね」と言って微笑みを返す。


 その拍子に彼の髪がさらりと揺れて、無性に、とても、逃げ出したいと思った。


 輝は冷と同じく金髪であるが、清潔感のあるマッシュスタイルの髪型は当然のようにハネ一つなく、無造作に伸ばしているだけの冷とは身嗜みへの意識の差が明白だ。


 物腰が柔らかく、新人の冷にも丁寧に接してくれる良い人だとは思う。しかしそれが余計に出来の違いを突き付けられた気にもなって、冷は前髪を整える振りをして彼から目を逸らした。


「それでは彼が戻ったら改めて紹介しますので、区切りのいいタイミングで私の所に来てもらえますか?」


 「はい、すぐに伺います」


 冷が返事をしたのを確認した輝は満足そうに「よろしい」と言って頷き、さっと資料を戻して部屋を後にした。彼の姿が完全に見えなくなるまで姿勢を正していた冷だが、足音が遠くなったのを確認すると一気に脱力して深く息を吐く。


「はあ……緊張した」


 彼の目を見ることができず、形だけの挨拶になってしまったことを気付かれていただろうか。わずかに不安に襲われた冷だったが、しかしこればかりはどうしようも無いだろうとも思う。

 一見しただけで育ちが良いとわかる輝に対して、どうも居心地の悪さを感じてしまうのだ。


 その態度に何も言わなかったのは、輝が寛容なのか、それとも経験の差なのか。

 どちらかはわからないが、見ないフリをしてもらった以上は何食わぬ顔をしていくのが最善だろう。


 そう判断した冷は、とにかく急いで資料の山を片付けなければと意気込んで、山の一角に手をかけた。


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