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『星が見下ろす波打ち際で』

いつもの帰り道。五分と経たずに終わる、二人の道のり。

でも、私たちの今日はそこで終わらなかった。


「アサミちゃん。今から海でも見に行かない?」

「いいね。いいよ」


唐子は家の前でこちらに振り向くと、唐突にそう言った。

私はそれに一も二もなく頷く。


唐子の家から海まで歩いて大体15分。




私たちは舗装された道を再び歩きだした。




こうやって時間が経って冷静になって考えてみても、私の胸中を満たすのは恥ずかしさじゃなくて確かな充足感だ。


私はあの時の行動を微塵も後悔していない。

そんで、そうやって思えてるってことが何よりも嬉しいんだ。



有象無象の戯言を気にする必要はない。

きっともう私は、それに捉われる私じゃなくなった。

今日のあの時、ブラウスを脱ぎ捨てたあの瞬間に、私は羽化したんだろう……なんて。



でも、友達にどう思われるかは気になってしまう。それは別に普通のことだ。

私は、私の世界から自分以外の全てを排除して、孤高の存在になるつもりはない。

大切な人からの意見には耳を傾けたいんだ。




唐子はどう思ったんだろうか…今日の私の行動を。




スタジアムに沸いた歓声が、遠くの方からこちらにまで響いてきた。




歩道橋を降りて少し進むと、アスファルトが途切れて黄色い地面が現れる。

私の靴が砂を噛んだ。海が近い。


私たちは海砂混じりの防風林へ踏み出していく。


辺りはすっかりと暗くなった。

所々にポツンと建てられた灯りが妙におどろおどろしくって、「なんかホラー映画みたいだね」なんて言ってみたり。



世界にはもう私たちしかいないみたいで、林の木々が海風に吹かれながら静かに揺れていた。




閑静な林を抜けたその先で、私たちはとうとう砂浜に辿り着く。


夜の砂浜は真っ暗だ。遠くのどこかから届いた微かな光が、私達の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。


水平線上で空の藍と海の黒が溶け合って、まるで一つの宇宙みたいだった。


湾を挟んだ対岸ではそれを明かり照らさんと、都会の光が煌々と輝いている。

夜空を見上げても月はない。

雲一つない新月の闇の中には、ただうっすらと光を放つ星達がひしめいていた。



「七種アサミさん!」

「あっ、はい」



唐子は随分と上ずった声で私の名前を呼んだ。

握りこぶしを、胸に当てながら。


あれは唐子が不安な時によくする癖だ。

一体、何をそんなに緊張しているのやら。



唐子はゆっくりとその固く握られた拳を開くと……

突然、自分のブラウスを引っ張りだした!



「ちょ、唐子!?」



唐子は胸元をグイグイと引っ張って、引っ張って引っ張って引っ張って引っ張って______



「うぅ…!」



で、諦めた。

唐子の力じゃボタンを引きちぎれなかったみたいだ。


派手にいくのを諦めた唐子はいそいそと服を脱ぎだす。


一つ一つのボタンを外して、スカートのチャックを下し、ブラトップのキャミソールを捲り脱ぐ。



唐子の控えめな胸が上下に軽く揺れる。



その勢いのまま唐子はローファーを蹴っ飛ばし、丸めた靴下を放り投げ、そして最後の砦すらも脱ぎ去った。


私の目の前で逆三角形の布が宙を舞う。




ここに、一宮唐子は文字通り一糸まとわぬ姿となったのだ。





「今からここはヌーディストビーチですっ!」




ありのままの姿になった唐子の、高らかなその宣言を私は唖然として聞いていた。

ここに至って、相変わらず唐子の考えてることはさっぱりわからん。わからんけども…



初めて見る唐子のヌードは。


海辺の闇におぼろげに浮かび上がった色白のシルエットは。


綺麗だなって、ただそう思った。



「とりま説明プリーズ」



私は無意識のうちにかけていたカメラのボタンから指を離しながら、唐子と真剣に向き合う。

いつもと逆で、ヌードと相対しているのは私だった。



そして、裸の唐子から赤裸々な言葉が紡がれだした。



「あのね!…今日のアサミちゃん、すっごいかっこよかった。あの時私を助けてくれて、私の為に怒ってくれて、すごい嬉しかった」

「うん」

「でもホントは!…本当は、私がそれをしなくちゃダメだったんだよ」

「…えぇ?どゆこと?」

「私が、あの人たちにヌードの素晴らしさを語って、見せて、解らせなくちゃいけなかったんだ。それは私がやるべき使命だったんだよ。

だって私は、私は………



『天才』ヌード・アーティストなんだから……」



唐子がそう言ったのを聞いて、私はそこで初めて気がついた。


唐子はいつも自分を『天才』と自称してる。


でも、私はこれまで唐子が自分の作品に対して居丈高な事を言っているのを聞いた事がなかった。

ヌードに対する風当たりの強さにも、自分の作風を理解してくれない周りの人間に対しても。



天才を自負しているわりに、唐子はいつも引いた立場に立っていた。



私はそれを、唐子のどこか浮世離れしたアーティスティックな部分だと、そう思ってた。

でも違ったんだ。



「唐子も…色々抱えてたんだね」

「んもー心外だなぁ…私だってちゃんと考えてるんだよ?」



自信があったわけじゃない。何も感じないわけがない。

ただ、天才を自負して、自分を鼓舞して…




飲み込みながら、前に進んでいただけだったんだ。




「結局、私だけじゃ多田さん達になんにもできなかった。中学の時から、なにも変わってない…」




自分がそうだったみたいに、皆にヌードの素晴らしさを届けることができるような…そんな存在。


それが『天才』ヌード・アーティストで、唐子にとって天才の称号はその為にあったんだ。



「いつも上手くいかないんだ。ヌードはこんなにもすごいのに、私はそれを皆に伝えられない…伝わらない」


「みんな、大なり小なり多田さんたちと同じ様な反応をするの。女の子は顔をしかめて私を否定して、男の子はニヤニヤしながらいやらしい目で見てくる…」



「なんで?」



「なんでみんなはヌードをそういう風にしか見ないの?見れないの?こんなにもすごい脳みそをみんな持ってるのに…えっちな事しか考えられないんだろう」

「唐子、アイツらはそういう生き物なんだよ。生まれついた哀れなさがの事で頭がいっぱいなんだ」

「ほんと、まいっちゃうよね…」


もちろんそういう人間ばかりじゃないことを私たちは知っている。

だけれど、寄り付いてくる奴がそんなんばっかだったら嫌にもなるだろう。



珍しく…そう、珍しく唐子が私に愚痴をこぼしてる。



受け止めきれなかったオモイを、飲み込み切れなかった感情を、私に吐き出してくれている。



それに合わせて、私の中に写り込んでいた一宮唐子という像が今まさに崩れ落ちながらその輪郭を変えていた。



鏡像から正像へ。私の余計なフィルターをそぎ落とした、ありのままの一宮唐子の姿に。



一糸まとわぬ裸の唐子が、今私の目の前にいるんだ。



「こっちから言わせてもらうとね!ああいう人達がいるからヌードの品位が落とされてるんだよ!ヌードはポルノじゃないの!むしろそういう目で見てる方がスケベで変態じゃんか!」

「おー、唐子もけっこう言うねぇ」

「多田さんだってそう!ああやってヌードを低俗だって、そんなことに熱を上げてる私は変な奴だって馬鹿にしてくる人がいっぱいいる!でもそれだって本質を理解せずに表面上だけを掬い取って反射的に言ってるだけじゃん!」


「そもそもヌードとか関係なく人のことをバカにするなーーー!!」

「あー…それはごもっとも…」



多田た軍団をこき下ろした私が言えた義理じゃないけど…



唐子の魂からの叫びは真っ黒な海の波音に飲み込まれていった。



ヌードだのポルノだので色々とごちゃついてはいるけど、この話の本質はそこなんだよな。

みんながみんな、お互いを尊重して相手の事をわかり合おうとすれば…



争いなんてなくなるのに。



…まぁ、そんなのは無理な話なんだけども。

意外と唐子って潔癖な所もあるんだと、私はそう思った。




「そんなことするよりも、絵を描いてた方が絶対楽しいのに……なんで皆そんなことができるの?なんで、なんで_____」




「なんで私の絵は…『鏡のヴィーナス』じゃないんだろう…」



唐子の肩が少し震えた。

それはきっと、ようやく顔を見せ始めた秋の訪れとは別の要因なんだろう。




私はそんな唐子に対して、腕を組んでハッキリと言い切った。



「そんなのは知らん!」

「え、ええ~…?」

「私に哲学を問うな!」



ぶっちゃけ、私も感覚でヌードを見ている。

なんとなくでいいなぁとか綺麗だなぁとか、上手だとか味があるだとかを判断してる。


それこそ掘り下げていけば技術的な部分とか作者の哲学だとか、そういう魅力を感じる要素が沢山あって、それのどれかが私に刺さって感情を揺さぶってはいるんだろう。


だけれど、私はそれをハッキリと言語化できないし、それでいいとも思ってる。



だって、それこそがヌードの…

芸術アートが持つ不思議な魅力だと、そう思うから。



「私から言えることはただ一つ!私は、唐子に描いてもらったヌードを額縁に入れて部屋に大事に飾ってて、それを毎朝起きるたびに眺めてるってこと!」



「私は、唐子の描くヌードが好きだよ」



唐子のヌードがヴィーナスじゃなくたって、唐子がホントは『天才』でもなんでもなくたって。


たとえこの先、私たちが袂を分かつ時がこようとも。



それだけは、揺るぎようのない事実なんだ。



「それがアートってもんでしょ?」

「…うん、そうだね。そうだよ!…あの人達には、どうせ一ミリも伝わってないんだろうけど…」

「私がわざわざ一肌脱いだってのにな!その点では今日の私はまさしくアートの権現だったと言えるね!」

「で、でも!私にはちゃんと伝わってるからね!アサミちゃんがやったことの凄さが、その意味が……その勇気が」



「私はちゃんと、今日のアサミちゃんを目に焼き付けたから…」



私は、唐子のその言葉にまさしく胸を打たれた。

そうだ。どうだっていいんだ、あんな奴らなんて。

私にとって重要なのは…


大事な友人との、大切な関係だけだ。


唐子がそうやって言ってくれるだけで、私には充分だった。

唐子が分かってくれてるなら、それでいい。


…あの写真を撮れなかったのは、いまだに惜しいけども。



「んで?それがなんでこの『ヌーディスト・ビーチ』に繋がるわけ?」

「…今日の事だけじゃなくって、私はアサミちゃんから色んなものを貰ってるのに、私からはなんにもお返しできてなくて…」

「そんなことないんだけど…」

「だからアサミちゃんに恩返したかったの!…でも、私がアサミちゃんに何をしてあげれるのかがわかんなくなって…色々考えて……」



「それで!私が『写真』のヌードモデルになろうってそう思ったんだ!」

「いやなんでそうなるし!?」



残念ながら、ここにきてまだ私の唐子への理解は浅いらしかった。



「うー…だってアサミちゃん、写真部やめたんでしょ?」

「え?うん、そうだけど…」

「私、アサミちゃんに写真を止めて欲しくないの!」




「私も、アサミちゃんの写真が好きだから」




唐子の真っ直ぐな視線が、凸レンズを抜けて私の瞳の奥に到達する。



そんなことを思ってたのか。

そんな風に思ってくれてたのか。



私の事を。

私の写真たからものの事を…



「だからさ、写真、やめないでよ。私のヌードを好きなだけ撮っていいから!」


「そんでさ!私は絵で!アサミちゃんはカメラで!二人でなっちゃおうよ!」




「『天才』ヌード・アーティストにっ!」




唐子は私を、隣に置いてくれたんだ。

同志として、理解者として。


友達として。


それはきっと、コンテストで優勝することよりも、多田の奴を見返すことなんかよりもずっと…



ずっとずっと素晴らしい事なんだと、そう思えた。



「ほんっとバカだなぁ、唐子は…」

「あー!またアサミちゃんが私のことバカ扱いしてる!この前のテスト私より悪かったくせに!」

「国語だけは勝ってただろーが!…というかその話は今はいい!」


「そもそも私は別に写真を止めるつもりなんて毛頭ない!」

「…えっ!?そうなの!?」


全く、普段の私の一体何を見てたのか。パシャパシャあんたを撮りまくってただろうに…


私は勝手に捨てられることになっていた胸元のカメラを撫でつける。

写真を撮ることはもはや私の人生の一部なんだ。

いまさら切っても切り離せないよ。



「しかもしれっと私もヌード・アーティストの道に引きずりこもうとしてるし…」

「えぇ!?それも違うのぉ!?アサミちゃんはヌードの素晴らしさを理解してくれてるはずでは!?」

「それとこれとは話が別!…まぁ、ヌードモデルやってる時点で実質ヌード・アーティストなんだろうけどさ」



「私は別に、カメラマンになりたかったから写真を撮ってたわけじゃないんだよ。撮りたいと思ったものを好きなように取る。私にとって、写真はそれでいいんだ」



写真はその時その瞬間の想い出を詰め込んだ宝物で。

私はそれを増やしては宝箱に詰め込んで、それを偶に開けては中身を磨いて、眺めてはまた仕舞う。



それだけで良かったんだ。



「私は、そうやってたい。そうやって、生きていきたいんだよ」



『恥』で塗りつぶされてしまうには勿体ない程に綺麗な____この世界で。



「あ!だからって唐子のヌードに魅力が無いってわけじゃないからね!さっきのは私の生き方の話であって、唐子のヌード写真とか全然撮ってみたいし!」

「ほ、ほんと?私のヌードも効果あった?」

「あったあった!思わずシャッターを切りそうになったもん」

「へへへ…それなら私も一肌脱いだかいがあったよ」




「___私ね、自分の身体はそそらなかったの。こんなに身近にあって、好き放題できる裸体なのに」



唐子は後ろ手に手を組みながら、素足で足元の砂をいじる。


「それ、前にもちょろっと言ってたね」

「鏡で見ながら描いてみたり、それこそ写真を撮ってそれを元に描いたりもしたんだけど…でも、なんかそこに魅力が無かった。なんというか、熱がなかったの」

「自己完結はできなかったのか…まぁ、それでイけるならヴィーナスを見る前にナルシストに目覚めてるって話か」

「ふふ、確かにそうかも!」



『全ての女体に貴賎なし』



そう言った唐子の言葉に、自分は含まれていなかったんだ。

それはきっと、私と根本的に異なるスタンス。


私はカメラマンだ。目の前の光景を切り取って、そこにオモイを込める。

そして、その写真から当時にオモイを馳せて、オモイに浸る。


景色が、空間が、その瞬間が物語る、その全てに。


それには観測者たる私の存在が不可欠で、そもそも私はその行為が好きだから写真を撮っているに過ぎない。

写真の中に、写っていないだけで私がいるのだ。

写真で切り撮った光景を、カメラのレンズ越しに、眼鏡のレンズ越しに、水晶体のレンズ越しに焼き付けている、この私が。



「…わがままだよね」



唐子は柔らかな海辺の砂を蹴っ飛ばした。

白い砂がサラリと散って、夜の闇の中に消えてゆく。



唐子は表現者なんだろう。裸体の持つ、女体の持つ原初的な美しさを絵でつぶさに表現しようとする『ヌード・アーティスト』なんだ。


「でもね!アサミちゃんが撮ってくれるなら、描けるかもって、そう思えたの!」

「…だから写真のヌードモデルを?」

「うん!だってそれってアサミちゃんから見た私で、それはもう私の元から離れた別の私の、別の裸で…そこにはヌードの魅力があるって、そう思ったんだ!」

「なるほど?なんとなくわかる様な分からんような…」

「うまく言えない!うまく言えないけど、それってとってもすごいことだって、そう思うの!」



私の写真に唐子が何かを感じとってくれたのなら…私が唐子に何か影響を与えてあげれたのなら。

私は、嬉しい。


「つまり、まずは不意打ちの自己アピールでモデルとしての実力を私に見せてくれようとしたわけだ」

「そうなの!今日のアートの権現たるアサミちゃんに負けないくらいのキモチを伝えるには、やっぱそのぐらい必要かなって…」

「ふはは!…うん、ちゃんと伝わったよ。唐子のキモチは」

「…ホント?」


結局のところ、私は熱に浮かされてるんだろう。

一宮唐子という生命イノチが放つ、この熱い熱に。


それはきっと、人生の中で燦然と輝くたった一つの大切なオモイ。


胸の内で燃えたぎるような、熱いキモチなんだ。



私はそれを絶やさずに生きたい。

それが、この世界を面白おかしく生きる為に必要な熱だと、そう思うから。




「…唐子を撮って、唐子が描く…か」

「そう!私が描いて、アサミちゃんが撮る!…どうかな?」



赤裸々に、ありのままの自分たちをさらけ出して。

お互いに裸を見せあいながら、手を取り合って進むヌード・アーティストの道のり。


ああ、なんて馬鹿げてる。なんて常識はずれで、なんとイかれた関係だろうか。




「はははっ!そんなのって________サイコーじゃん!」




私は唐子から借りてたカーディガンを脱ぎ捨てた。

ボタンの外れたブラウスから、プラに包まれた胸が露わになる。


私はそれらを全部、剥ぎ取って行った。

うっとうしい常識を、脱ぎ捨てるように。



私たちのこの感情は、

私たちのこの関係は…

私たちのこの友情は!



私たちだけが理解していれば、それでいい。



「あ、アサミちゃん!?」

「良いカメラマンってのはさぁ!被写体を盛り上げてなんぼでしょ?」

「え___」



私は全裸でカメラを振りながら、そう言った。


こちらを見つめる唐子と私の視線が交差する。

微かな星の光を反射する、透き通ったその瞳が。



私のフィルターを越えて、まるで風のように通り抜けて行った。




「いけぇ!走れ!唐子!」

「ーーッ!うんっ!!」



星が見下ろす波打ち際を、私たちは走り出した。

寄せては返す浅瀬を踏みつけながら、砂のステージで二人踊る。



「あははは!なんか楽しくなってきちゃった!」

「ははははっ!イイねぇ!ノってきたな!!」



心の底から、笑い合いながら。



私はカメラを唐子に向ける。

全裸だとか画角がだとか、そんな事は一切どうでも良かった。


ただ、彼女が全身で発しているこの熱を。

『一宮唐子』の存在の全てを、私の写真に焼き付けたいと、そう思って。



私たちは踊りながら笑う。

笑う、笑う、笑って、笑って、笑って____



笑って、唐子。



「____にひっ!」



こっちを振り返りながら唐子は笑った。いつもみたいに。



一点の曇りもない笑顔。

私はあんたの、その顔が好きなんだ。



その瞬間、私の指はもう既に押し込まれていて、私の胸元でカメラが歓声をあげた。



カシャリ



その音が、私たちの在り様を肯定してくれたような、そんな気がした。



レンズを覗かなくとも、この美しい光景は私の目に焼き付いている。

この楽しい瞬間は、私の心に刻み込まれてる。

撮った写真が多少ぶれてたって、かまいやしないのだ。



だって、今まさにこの瞬間の想い出は_____私にとってかけがえの無い『宝物』なのだから。



残暑が残るぬるい夜風が私の裸体を撫でていく。

私は笑いながら泣いていた。涙が止まらなかった。

私には、確信があった。



この写真が、きっと私の生涯で最高の写真になる。



この写真を撮れただけで私は…

この瞬間を切り撮るために私は…





写真を撮ってたんだって、そう思った。







走りつかれた私たちは少しひんやりとした砂浜の上に二人で横たわる。


「私はさぁ、この空間から一歩でも外に出れば、ただ学校で浮いているだけの変な奴なんだよ」

「あは!それは私もいっしょだよ?」


それを自覚しているくせに、今日の今日までどっちにも振り切っていなかった半端者だ。


「似た者同士だねぇ、私たち」

「そうでもないと思うけど?」

「えぇ~!?梯子外された!」


「だって、私は唐子のことをカッコイイ奴だって思ってた。それは今でも思ってるけれど、前のはもっと盲目的な信奉で、私の願望だった」



それだって私が勝手にシンパシーを感じて、勝手に自分と同一化して、勝手に一宮唐子はすごい奴だって思っていただけだ。


思いたかっただけだ。


それは方向性が違うだけで、そこいらのレッテル貼りと何ら変わらない行為だ。



「でも唐子は超人でもなんでもなくって、ただ不条理を飲み込みながら前に進んでるひたむきなヒトだった。そんな唐子だから私は____力になりたいって、そう思ったんだよ」

「えへへ…ハッキリそう言われるとちょっと照れるね」


「…私はアサミちゃんのことを強い人だと思ってた。自分の意見がしっかりしていて、それを周りにもちゃんと伝えることができるエネルギーに満ちあふれた人だって」


「でも違った。それはアサミちゃんが傷つきながらももがいてもがいて、必死に生き抜こうとするエネルギーの発露だったんだよ」

「…ま、私は短気でセンチメンタルだしな」

「それも感受性の豊かさの表れだよ!」


私たちの頭上を一筋の流星が流れていく。

それはもしかするとただのデブリだったかもしれないけれど、私は二人のこの関係がいつまでも続けばいいと、そう願った。


「なんか飲み込みきれないことがあれば私に言いなよ?このエネルギッシュな私が立ちはだかる邪魔なものをガツンとブッ壊してあげるからさ!」

「それならアサミちゃんが傷ついてどうしようもなくなったら私が慰めてあげる。そんなアサミちゃんの全部をキャンパスに注ぎ込んで、怒りも恥ずかしさも吹き飛ばしてあげるから!」


「ヌードで?」

「ヌードで!」



私たちは顔を見合わせてまた笑った。



あいつらは知らない。


裸で砂浜を寝転がった時の、身体にまとわりついてくるこの砂の感触も。

肌にざらつく貝殻のカケラの煩わしさも。


恥と外聞を脱ぎ捨てたその先で、心を通わせた友達と笑いあうこのすがすがしさを。


きっと、この先も知る由はないんだろう。


それはどちらがいいとかそういう話じゃなくて、ただそれだけの話なんだ。



「誰に何と言われようが私が唐子のパトロンになってあげるからさ。だからこれからもガンガン描いてってよね?私のヌード・アーティストさん!」

「えぇ~?でもそれって私ばっかり得してない?」

「何言ってんの。もう忘れた?私との約束を」

「…私をいつでも撮っていいってやつ?」

「そ」


「ヌードだろうがなんだろうが、これからもガンガン撮ってくからね!覚悟しときなよ?もはや唐子にプライバシーなんてないんだから。今さら盗撮だの肖像権がだの言ったって遅いよ?」

「もちろんですとも!私はいつでもウェルカム!どんとこーい!」



頭の後ろで腕を組んで満天の星空を見上げる。

月明かりの無い新月の夜は、星がよく見えた。


自分だけを通して見た世界はこんなにも自由だ。

他人というフィルターを介さずに見る世界は、こんなにも…


「あっ____綺麗…」


唐子もそう呟いた。


「うん。暗いからかな?いつもより星が輝いて見えるよ」

「あ、えっと、星の話じゃなくって…」

「ん?」

「ちょ!ちょっとそのまま!そのままでアサミちゃん!今、砂とかのお陰でめっちゃイイ感じだから!」



「このヌードデッサンさせてっ!」



なんだ、星じゃなくて私の話か。

こっちは友情の余韻に浸ってったってのに。

全く、しょうがないなぁ…アーティストって奴はさ。



私は一つ尻を叩いて、ニヤリと笑った。



「いいよ。こんなシチュエーションも中々ないだろうし……とびっきり綺麗に描いてよね?」

「うん!まっかせといてっ!」






一宮唐子はカバンから画用紙を引っ張りだすと 

暗闇をものともせずに勢い良く鉛筆を走らせ始めた


七種麻実はそれに身を委ねながら 

どこか楽しそうにそんな唐子を眺めている



そんな二人の関係を 

宙から見下ろす満点の星々だけが知っていた



ポーズを決めている麻実のお腹の上を

小さな蟹がゆっくりと横切ってゆく




それは、夏の暑さがまだ残る秋晴れの夜の出来事だった。




『ネイキッドの正像』 終

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 例え人とはずれていて貶されても、自分の信念を曲げずひとつの事を続けようとする唐子さんとそれに感化されてひと肌もふた肌も脱いだカメラにひたむきに向かうアサミさん。  そんな熱い2人が描き、カメラで…
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