『ネイキッドの正像』
次の日の放課後、宣言通り一宮唐子は屋上にいた。
昨日と変わらず、顔に服に、絵の具が飛び散るのにも構わずに力強く筆を走らせている。
なんでここにまた来たのか、自分でも曖昧だ。でも街灯に群がる蛾のように、強い光に当てられたことは確かだった。
「よっ!」
「あ!七種さん!来てくれたんだ!」
一宮さんはまるで星だった。
遠く広がる宙の闇の中にあって、一人で煌めいている一等星。
私はそれを近くで見ていたいと、そう思った。
その瞬間の輝きを切り撮っておきたいと、そう思ったんだ。
「油絵ってのは基本的には塗り重ねていくものだけど、ペンティメントっていって、上塗りの部分が経年で透けてった結果下の描き直し部分が見えたりする事があるんだよ!」
「へぇー、じゃあ肌の上に服とか描いといて、それが透けて実はヌード絵でしたってできるってこと?」
「アサミちゃん……それイイっ!透けるヌードアートかぁ、良いねぇ」
あの色褪せない出会いから、なんだかんだで私たちの交友関係は今も続いている。
放課後、いつもの屋上に入り浸って唐子が絵を描いているのを眺めながら、たまにくっちゃべったりコンビニで買ってきたおやつを食ったりする。
それは日が落ちて唐子が絵を描けなくなるまでずっと続くのだ。
私にとって、この放課後の数時間はまるで休日の昼下がりのようにとても穏やかなひと時だった。
余計な柵から解放されて、ただの七種麻実でいられる様な…そんな。
「ちなみにそれってどんくらいかかんの?」
「んー百年ぐらい?」
「私ら死んでんじゃん!」
唐子の話は聞いているだけでも面白い。
それは、知識的な話だからでも哲学的な概念だからでもない。
自分の感覚に基づいた、感情的な視点を包み隠さず話すからだ。
唐子は自分の世界からこの世の中を見ている。
そして、そこから受け取ったフィードバックを、また自分を通して発散しているんだ。
自分の言葉で、自分の行動で、自分の表現で。
自分だけのオモイを、誰にも振り回されないで。
私はそれを聞くのが、何だか好きなのだ。
そうやって私たちが屋上で落ち合っている間に、梅雨が明けて夏が来た。
「うーむむむ…」
夏休み。容赦なく降り注ぐお肌の天敵を屋上に立てたパラソルで避けながら、私はガリガリ君にかじりついた。
そんな私の横で、唐子は額に汗を垂らしながら腕を組んでなにやら悩んでいた。
「どったの?あんま筆進んでないじゃんか。…そういや、このメイン部分も最初見た時からあんまり変わってないような…」
なにやら最近は進捗が芳しくないみたいだ。
唐子は巨匠もかくやと言わんばかりに、日差しに照らされたヴィーナスを睨みつけている。
「そこなんだよねー!やっぱアサミちゃんにはわかっちゃいますか…」
背景部分はどんどん加筆修正されていってるのに、肝心の女体は変わらずそこにある。
そして、唐子が悩んでるのはまさにそこの部分なのだろう。
「実は『屋上のヴィーナス』にはモデルが無いんだよね」
「ふん?そうなの?」
「うん。いつものは画集とかのを模写してるんだけど…これは完全に私の想像、私の中にあるヌードを描き出すってコンセプトなの」
「へぇー」
「ヌード・アーティストたるもの、心の内に女体の一つや二つ持っとかないとって思ってやってみたんだけど…なぁーんか納得いかないんだよねぇ〜」
「なるほどね」
唐子の理想が高すぎるのか、はたまた経験値不足なのか。
ゼロから絵を描くってのは存外難しい事らしい。
この辺は現実の光景を切り出すカメラとの違いだな。
「道しるべがないと描けないだなんて……所詮私は裸を模写するだけのエセヌード・アーティストだったってこと!?」
「そう判断するには時期尚早じゃない?素人目には十分上手く描けてると思うけどね」
「芸術的な観点というよりは自分の感覚的な問題だからなぁ……私は所詮、ママの裸しか見たことがないヌードワナビーだから……まだ自分の中で描きたい女体ってのがなんなのか固まってないのかも…」
「あれ?おかしいな……毎晩風呂の時に見てるはずのそれはお飾りか?」
「アサミちゃんは私のボディーがヴィーナス足り得るように見えてるの?」
「それこそ見方と表現次第じゃね?」
それに、ネットに潜れば裸体なんぞはいくらでも転がってそうなもんだけども…
まぁなんか違うんだろうな。その辺、天才肌の考えることはわからん。
わからんけども…きっとその視点の違いが大事なんだろう。
だって、そこにこそ唐子がヌードを描きたい理由が込められているんだろうから。
「しょうがないな。なら私が手伝ってあげようじゃないか」
「えっ、アサミちゃん…それってどういう…?」
唐子の横で作品制作を眺めてて、一つだけ、ずっと考えていたことがある。
それは頭の片隅にいつもあって、いつか私はそれを唐子に提案する時が来るのだろうと、そう思っていた。
そして、いよいよその時が来た様だ。
「文字通り一肌脱いであげるってこと!________私がヌードモデルになってあげる」
「え、ほ、ほんとぉ!?」
私の申し出に唐子は顔を綻ばせた。
正直、その反応に私は胸を撫で下ろす。
これで断られたらめっちゃ恥ずかしいところだった。
勇気を出して言ってみた甲斐があるってもんだ。
「い、いいんですかい姉さん…あっしはその言葉、本気にとりますぜ…?」
「その三下みたいな口調なに?……ま、人生でこんな経験なんてできないだろうしさ。ちょっと興味あったんだよね」
これは半分ホントで半分ウソだ。
経験としてやってみたいと思ったのは本当だけれど、それは別に切実なオモイでもなんでもなく、断られるんだったらそれはそれでよかった。
私は、相手が唐子だからこそこの提案をしたのだ。
良いヌード作品を生み出す為に、それを描き上げる唐子の為に。
何かをしてあげたいと、そう思ったから。
私はこの変わり者の同級生の力になりたいんだと、そう思ったから…
「裸を見せるわけだし?ヌードモデルするなら信頼に足る人間が良いじゃん。そんで、こんな経験をさせてくれそうな人間にそうそう出会えるもんでもないでしょ?それに……」
「それに?」
なんて、恥ずかしいから直接言わないけれど。
私はもう一つの理由の方を打ち明ける事にした。
こっちは割と現実的で切実な理由だ。
「こんな所で絵を描くよりも、クーラーが効いてる部屋で作業する方が絶対にいいと思わない?」
「あぁ〜…それは言えてるかも…」
私たちは二人して、ささやかな日除けにしかならなかったパラソルを睨み付ける。
屋上を吹き抜けた蒸し暑い風にあおられて、パラソルはどこか居心地悪そうにくるりと回った。
○ △ ○
「よし!それじゃさっそくやりますか!」
「な、なんか緊張してきた!」
「なんでそっちが?」
脱ぐのは私なんだが?
私たちは二人でクーラーの効いた唐子の部屋に、リビングから椅子を持ってくる。
ほんと、文明の利器ってサイコーだ。なんで私らは文化部なのにあんな運動部ぐらい汗を流していたのか。
「女は度胸!坊主は読経!私のことは彫刻か何かだと思ってどーんと構えなさいな」
「それって女は愛嬌じゃなかったっけ?」
「女にだって度胸は必要だし、男にも愛嬌はいるでしょ?」
「じゃあ読経は?」
「ありがたい」
私はリボンをほどいてブラウスのボタンを一つ一つ外していく。
これは公衆浴場で服を脱ぐのとは訳が違う。
自身の意志で、誰かに見られながら自らの身体を晒すというシチュエーション。
不思議とそこに恥ずかしさは無かった。
分厚く着込んだ常識をはぎとっていくような、得も言われぬ感覚。
それはともすると、私がこの状況に高揚している事を表しているのかもしれない。
肩紐を下してホックを外す。
前屈みになってブラを落とせば、私の控えめな胸が露わになった。
「ふぅむ…」
私が続いてスカートを脱いでいると、唐子は片目を瞑って鉛筆を立てながら唸りを一つ。
「どした?そう嘗め回すように見られると流石に恥ずかしいんだけれど…」
「もうちょっと胸があればなぁ…」
「オイはったおすぞ」
「あははっ!」
私が投げつけたパンツを避けながら、唐子は悪戯げに笑った。
「冗談じょーだん!アサミちゃんをほぐすためのウィットに富んだジョークだよ~!ヌードってのは筋肉のこわばり一つでその表情を変えるからね。リラックスりらぁ~っくす!」
「アイスブレイクはありがたいけどさ、今のは完全にドライジョークだったよ。私の親切心が乾きかけたもん」
「全ての女体に貴賤なし!これは個人的な意見だけど、女体ってそのものが一個の芸術作品みたいなものだからさ!みんな違って百花繚乱なんだよ」
全裸になった私は、唐子に促されるがままに部屋の真ん中に置かれた椅子へと座る。
ゆっくりと腰を下ろせば、敷かれたクッションの柔らかな反発がダイレクトに伝わってきた。
足を組んで楽なポーズをとれば、布のざらつきが私のお尻をこすり撫でてくる。
…これ、ほぼ直に触れてるけど大丈夫か?後で持って帰るか。
「古くはそれこそ豊穣の象徴として豊満な身体の女性が描かれてきたわけだけど、私としてはそこに拘りはないからね。むしろそういうアイコン的な描写を排していかに目の前のアサミちゃんの美しさを表現するかに燃える性質だから!」
「そりゃ私も一肌脱いだ甲斐があるってもんだ。…別に盛られようが気にはしないけどさ」
それはそれでモデルがいる必要がなくなるわけだが……それができてたら屋上のヴィーナスであんなに思い悩んで無いって話か。
「そもそも『胸が小さい』って悩みがナンセンスだとは思わない?それって雄に媚びる雌の視点じゃん?」
「わぁ、強い言葉~!なにか思うところがおありのご様子…」
「まぁね。声のでかい奴らがその類の話題でバカみたいに騒いでるからさ。正直辟易してんだよね」
具体的に名指しで言えば、多田愛菜が率いるあの軍団のことだ。
アイツらは所構わずピンク色の話題で盛り上がっている公然猥褻野郎どもなのだ。
始末に追えないのは、あいつらはそれを男を交えてやってるところか。
お互い、内に秘めた性欲が透けて見えて実にいやらしい。良くあんなのでグループが維持できているものだ。
…まぁ、花の高校生的にはあっちのスタンスのが正しいんだろうけど。
「胸の大小、顔の美醜、脚の長短……そんなことよりも考えるべきことがいっぱいあるでしょうに」
「えー?例えばー?」
「んー…自分の人生の意味…とか?」
「おおー!ポーズと相まってなんかの思想家に見えるね!」
む、我ながら抽象的な答えになってしまった。
いかんいかん。これじゃあの顧問と同レベルになってしまうじゃないか。
「つまり、一度きりの人生をどう生きるかって事だよ」
「ほほう…その心は?」
「私ならどう『面白おかしく生きる』か、かな。人生の目的ってのは究極的には自己満足だからね。その過程で何を愛して何に喜んで、何を楽しんでいくか…それが大事なんだよ」
自分でそう言ってて、妙に腑に落ちた。
そうだ。そうだとも。
その視点で考えるのなら、一番大事なのは自分のスタンスのはずで、そこに余人の介入する余地は存在しないはずだ。
だのに、自分の行動、趣味嗜好…
自分の人生の成果物とも言えるモノに対して、他人からどう見えるか、何を言われるのかを一々気にしてしまうのは…
それが気になってしまうのは…
他ならない、自分が他人の視点を気にしているからじゃないのか。
「じゃあアサミちゃんのカメラもその一環なんだね!」
「それは____」
『そうだ』、と答えるだけなのに。
なぜか、私はその何気ない唐子の言葉に即答できなかった。
何故か。そんなのはわかりきっている。
だって私は…唐子と出会って以来、一枚も写真を撮っていないのだから。
写真部にも偶にしか顔を出していない。
それは写真が嫌いになったからじゃない。
撮りたいと思えるものが、何も無かったからだ。
あの淀んだ空間で憤りに心を震わせるよりも、唐子の隣にいたほうが楽しかったからだ。
唐子の鉛筆が画用紙の上を走る。
クーラーが、まるで私の心中を現すみたいにため息を吐いた。
私は今、人生の岐路に立っているんだろう。
そして、どちらの道に進みたいかはもう決まってるんだ。
後は、その道を選んで進み始めるだけだ。
その為に私は今日、服を脱ぎ捨てたんだと、そう思った。
唐子はそれ以上は何も聞いてこなかった。多分、デッサンに集中し出したんだろう。
「アサミちゃんはイイねぇ。とっても素晴らしいヌードモデルだよ」
「巨匠のお眼鏡にかなって何よりだよ。…それってつまりはスレンダーってことか?」
「そんな言葉一つで表せないぐらいにはヌードってのは複雑な総合芸術なの。いい?まず脚と胴との比率があって…」
「あ、ごめんね描くの邪魔して。どうぞ集中してもらって」
「んも~!語らせてよぉ~!」
何というか、不思議な感覚だ。
私は今、全裸でポーズを取ってて、それを同級生に観察されて、しかも絵にされている。
舐め回すように全身を見つめられて、画用紙の上に描かれた私の裸が筆によって撫でられてゆく。
それはつまり、私の存在が余すところなくキャンパスへと刻みこまれていることに他ならない。
それって冷静にならなくともとんでもないことなんだけれど、私はこの空間をなんだか楽しんでいた。
側から見ればイかれた光景なんだろう。
それは一方では正しい。
正常な常識のフィルターで、まともな他人の視点なんだろう。
だけれど多分、そう思う事そのものが偏見なのだ。
それじゃあ、そのフィルターを取っ払った私の考えは?
他の誰でもない、『私』の視点で私たちの今の関係を見るとどうなる?
こうやってモデルをしながら、たまに唐子とおしゃべりして、えんぴつや筆が画用紙をなぞる音に耳を傾ける。
私は…この関係が嫌いじゃない。
あぁ、私がもう一人居ればどれだけ良かっただろう。
そうしたら、この私たちを写真に収める事ができるのに。
この空間でなら、この光景になら、この瞬間にだったら___
いくらだってシャッターを切りたいと、そう思えるのに。
私はただ、唐子が筆を走らせるのに身を委ねた。
まるでクラシック音楽を聴いているかのような、森のざわめきの中で瞑想をしているような、そんな感覚。
その長くて短い時間の最果てで、唐子は満足げに頷いた。
「できたー!できたよアサミちゃん!」
ここに、私のヌード作品が完成した。
「お疲れー。どらどら、早速この私に見せてご覧なさいな」
「ははぁ〜女王さま!どうぞお納めください!」
「うむ、くるしゅうない」
謎のやりとりを経て私は完成した絵を見せてもらう。
『天才』ヌード・アーティスト、一宮唐子の作品を。
そこには私の『胴体』が鮮やかな色合いで描かれていた。
椅子に足を組んだ私の鼠蹊部から鎖骨までの間の、手すりに肘を置いて少し傾いた体勢で重力に従うささやかな胸が描かれている。
相変わらず顔は描かれていないけど、唐子の言うとおりその方がヌードが際立っている気がした。
まるで描かれているのが私の身体じゃないみたいだ。これがヌードアートか…
「今回はバストに着目してみました!胸周りにスポットを当てて、アサミちゃんの形良い胸の曲線美を描いております!それに、全身を描くよりも早く仕上げられるしね!」
「そんなに急がなくたって別に私、何回でも脱ぐよ?」
「いやー、せっかくモデルをしてくれてるんだもん!アサミちゃんに早く完成した作品を見せてあげたくって…」
唐子は照れたように、私の『胸』の陰に隠れた。
そんなに私がモデルを買って出たのが嬉しかったのか。そうかそうか…
裸なのに、なんだか胸の奥がじんわりと温かくなったような、そんな気がした。
それは多分、気のせいとかじゃないんだろう。
「というわけではい!記念すべきアサミちゃんヌード第一号の贈呈でーす!」
「その言い方だと第二号以降も作る気満々だな。まぁもちろんそのつもりだけど」
「捨てないでよね?数十年後には処女作ってことで価値が爆上がりするんだから!」
「処女作は『ママ』じゃねーの?」
「あれは身内向けに描いたやつだから…」
唐子から作品を受け取ると、ずしりとその重さに驚いた。
あるいは、そこに込められたオモイも相まっているのかもしれない。
「ま、楽しみにしとくよ。頑張って値段を吊り上げてよ?天才ヌードアーティストさん」
「もっちろん!」
多分、本当にそうなっても、私はこの絵を手放すことはないんだろうな。
だってこれはかけがえのない________世界で一つだけの宝物だから。
…ふと、私の脳裏に一つの画が思い描かれた。
「ねぇ唐子、これ持ってそこに立ってくれる?」
「え、うん。いいけどどしたの?」
「まぁまぁいいからいいから」
私は唐子を椅子の前に誘導して_____そしてすかさずシャッターを切った!
私のカメラが、ヌードを抱えたままキョトンとしている唐子の顔を完璧に捉える。
…うん、完璧だ。
「ほい!未来の巨匠を撮った記念の一枚だよ」
「んもー!撮るなら撮るって言ってよー!キメ顔したのにぃ!」
「ハッハッハ!こっちの方が自然体でいいよ!」
数ヶ月振りの撮影に、カメラもどこか嬉しそうだった。
こうして、今日だけで二つ、私は『宝物』を手に入れたのだった。
「…ねぇ、それで?私、まだ感想を聞かせてもらってないんだけど…?」
唐子は胸に手を当てながら、もじもじと私の感想を待っている。
私は改めて、じっくりと唐子が描いた自分のヌードを鑑賞する。
淡くも美しい肌の色合いは、まるでパールの様に細やかな色彩を所々に秘めていた。
そこに添えられた二つの突起が、それを際立てるような良いアクセントとなっている。
影で表現された肉体の凹凸は写実的で、だけれどどこか幻想的な絵の様相を見せていた。
写真には出せない絵画としての味。
それが持つ雰囲気が、私の裸体を『ヌード』に昇華していた。
…正直、これは素直に認めざる負えないな。
「これはいっぱしのカメラマンとして言わしてもらうけどさぁ」
「な、なにかな…?」
「…絵って、イイね」
指で優しくなぞれば、乾いた絵の具のザラザラとした感覚が私の指先を刺激してくれる。
ああ……わかるな、わかっちゃうよ。
絵を額縁にいれて、大事に飾りたくなる気持ちが。
それはきっと、私が写真を引っ張り出して見直すのと同じことなんだろう。
「ありがとう唐子。大事にするね」
「…うん」
私がしみじみとそう言うと、唐子は噛み締めるように笑った。
今の顔も撮っておけば良かったと、私はそう思った。
「唐子はさー、これをコンテストに出したりしないわけ?」
私は戦利品のカントリーマァムをつまみながら、何の気無しにそう言った。
今日のバニラ争奪戦は私の勝利。敗者にはチョコ味があてがわれる。
もちろん服は着たままで。ヌードモデルをしているからと言って、突然裸族になるわけではない。
あれは信頼に基づく創作活動に他ならない。露出狂とは『底』が違うのだ。
「アサミちゃんは…いいの?そうなると皆に見られちゃうけど」
「それが嫌なら協力なんてしないよ。…いやまぁ、知り合いに私がモデルって知られたうえで見られるのは流石に恥ずかしいけどさ。それも覚悟の上だよ」
「そっか…うーん、でもなぁ…」
意外にも唐子はあまり乗り気では無さそうだった。
そう言えば、唐子はあんまりそういう事に積極的な感じがしない。
賞を取るためにコンテストに出したりだとか、自分の作品をSNSに公表したりだとか、そんな姿をこれまで一度も見てないし、聞いたこともなかった。
「というか私は詳しくないけど、そもそもヌード絵ってコンテストとか大会とかあるわけ?」
「あんまりない…かなぁ。私も知ってる限りじゃ聞いた事ないかも」
「そっかー、出すとこがないんじゃしょうがないか…」
私がぼんやりそう言うと、唐子は何か意をを決したように食べかけのカントリーマァムをかさりと置いた。
そして、ぽつりぽつりと語りだした。
「…あのね、実は前に一回だけ、絵を応募したことがあるんだ」
「え!?そうなの?」
「うん。それって私のその時の最高傑作でさ。どうしても、それを誰かに見てほしくて……題材は何でもオッケーの、美術館が主催のおっきな絵画コンクールに応募したんだ」
「へぇ!いいじゃん。それでどうなったの?」
「別に、賞とかはいらなかったの。ただ皆んなの目に入るところに飾られて、どんな反応されるかが知りたくて__」
「でも、私の絵はどこにも飾られてなかったんだ」
「えっ……」
「それでね、私、係の人に確認しに行ったの。そしたら___」
『君ねぇ!あんなの送って来ちゃだめだよ!』
『あんなの』
その言葉の鋭さは…私もよく知っている。
「他にも色々言われたよ。女の子がそんなことしちゃいけないとか、ね。…絵も返してもらえなかった。イタズラだと思って、処分しちゃったんだって」
「んな……それが美術館で働いてる人間のやる事なの!?」
「そこは流石にどうかと思うよねぇ…」
それはあまりにも酷い対応だ。
当事者じゃない私でも腹が立ってくる。
「自分の好きなものがさぁ……手塩にかけたものが、頑張って作ったモノが!…他人に貶されるのは、辛いよね…」
「……うん。辛くって悲しくって悔しくって……だから私、絵を描きまくったの!」
「え…?」
「描いて描いて描きまくって…それで気づいたんだ」
「…何に?」
「私がヌードを描いてるのは、ただ素晴らしいヌードを表現したいだけだってことにさ!」
「…だからね、アサミちゃんのヌードを何処かに公表するつもりは無いよ。だって私は_____
『天才』ヌード・アーティストだからね!」
唐子はそう言って…真っ直ぐに笑った。
私にはそれが衝撃だった。
私は、到底そうは思えなかった。思わなかった。
ただ、ただ……行き場のない怒りが全身を渦巻いて……
どうしようもなく、恥ずかしかった。
「それで………唐子は、飲み込めたの?その怒りを」
悲しさを、悔しさを。
恥ずかしさを。
馬鹿にされて辱められた、自分の感情を。
その時の……惨めな自分を。
「うん!全部消化して取り込んじゃった!!」
唐子はにっかりと笑った。
そこに嘘は無いと、そう思った。
私には…それが眩しかった。
高校に入って写真部に入って、初めてできた写真仲間がうれしくって。
私は今まで撮ってきた写真の中で、お気に入りの三つを、皆に披露した。
元々、向こうは既にグループが出来ていたから、少しでも仲良くなりたくって…
自分で勇気を出して、声をかけた。
そんな私を出迎えたのは、多田さんたちの引き攣った顔と…
『あっは!なにこれぇ?』
_____嘲笑だけだった。
多田さんたちがそもそも『そういう人間』だったって後でわかったけれど、その時の私は…
その時の感情は、今でも鮮明に思い出せる。
何度も何度も頭によぎって、その度にはらわたが煮えくり返るのに。
唐子は、それを飲み込んだのだ。
「私はね、ヌードを表現するってのはそういう事だって納得してたの。…だから、アサミちゃんがヌードモデルをしてくれるって言ってくれた時すっごい嬉しかったんだよ!」
「だから…ありがとね、アサミちゃん」
「別に、お礼を言われるようなことは何もしてないよ…」
「ねぇ、私にも何かできないかな?」
「え?」
私がちょっと照れながら頬を掻いていると、唐子は唐突にそう言った。
「だってこんな…アサミちゃんがやった事はお金を貰ってもいいような事なんだよぉ!?」
「いやいやいや……私は文字通り一肌脱いだだけだし…」
「んも〜!それじゃ私が貰ってばっかりじゃん!それじゃ私の気がすまないよ!カメラの撮影の手伝いとかさなんでもいいからさ!私アサミちゃんの為ならなんでもやっちゃうよ!」
「これは貸し借りとかそういうんじゃないからね。私が………私も、何かアサミちゃんの力になりたいんだよ」
唐子は恥ずかしげもなくそう言った。
私が恥ずかしくて唐子に言えなかったことを、ハッキリと言ってくれたんだ。
正直それだけで私的には十分なんだけど…このままだと唐子は引き下がりそうに無い。
なんでも…か。
パッと思いつくのはやっぱり写真関連だけれど、そもそも今の私に撮りたいものが……
……いや、一つだけあった。
私が取りたい被写体が。
私に写真を撮りたいと思わせてくれるそんな存在が、一人だけ。
「じゃあさ唐子を撮らせてよ」
「えぇ?私?」
「うん、あなた。…そうだな、今日から私は唐子の事を好きに撮っていいってのはどう?」
「どうって……そんなことでいいの?」
「こらこらよく考えなさいな。これはいわば肖像権の譲渡だよ?いつ何時でも唐子は私に写真を撮られるかもしれないって考えてご覧なさいよ」
「えぇ〜?アサミちゃんが撮ってくれるなら別に良いけどなぁ…」
「…言ったな?」
私は早速思いついた構図を撮ることにした。
「それじゃあまず一発目!そこになおれ!」
「は、はいっ!」
唐子をいい感じに立たせて、テキトーな高さの棚の上にカメラを置いて、タイマーをセットする。
私は起立の体勢で直立不動になっている唐子と肩を組んだ。
「はい、それじゃあ笑ってー?さーんにーぃいーち…」
「わわ!?えっと〜〜…はい!」
カシャリ
と、私たちのツーショットが切り撮られた。
私には確認するまでもなく、いい写真が撮れたという確信があった。
「そういや二人で写ってる写真なかったなーって思ってさ!…今度、現像して持ってくるね」
多分、こんなのは皆、ケータイで撮ってるんだろう。
だけれど私は、それを自分のカメラで撮りたかった。
唐子の事を自分の手で撮りたいって、そう思ったんだ。
「あ!じゃあさじゃあさ!今からアルバム買いに行こうよ!アサミちゃんが撮ってくれ写真を入れる奴!」
「いいね、いいよ!私も唐子の絵を入れる額縁買いに行きたかったし!」
私たちはお互いの作品を収める『宝箱』を求めて、夏の空の下へと飛び出していった。
それは暑い、蝉の鳴いている日の事だった。
○ ▽ ○
私は引き出しからくしゃくしゃになった三枚の写真を引っ張り出す。
それは、高校で初めて写真部になって、初めてできた『同志』に見せる為に持って行った三枚の傑作だった。
そして、それを笑われて、馬鹿にされて…
行き場のない怒りに身を任せて、握りつぶして捨てようとして、結局捨てられなかった三枚の写真だ。
無造作に引き出しに放り込まれていたそれを取り出して、私は丁寧に丁寧にシワを伸ばした。
もちろん一度ついたシワは二度と元には戻らない。
だけれど、あの頃の宝物は今も変わらずにそこに在った。
「…ごめんね」
私はそれを、アルバムに仕舞い直した。
私も、この怒りを…
悲しみを、悔しさを、恥ずかしさを。
飲み込んで生きていこうと、そう思ったから。
唐子が、そう思わせてくれたから。
私はもらったヌードを大事に額縁に入れて、部屋の壁に飾ってみた。
自分のベッドの上であぐらをかいて、まじまじとそれを眺める。
見慣れているはずの自分の身体のライン、
絵に刻み込まれた私の裸体は、毎日見ている鏡の中の自分とは全く違った表情を見せていた。
当たり前だ。
だって、これは写真じゃなくて絵。ヌード絵画なのだから。
唐子を通して見た自分。
唐子が読み取ってくれた私を、刻み込んだモノなのだ。
これは見知らぬ何者かにならなくたって、私はもう私なんだとそう思わせてくれる。
私を知らない誰かに馬鹿にされたって、私のキモチは私だけのものだと確信させてくれる。
そんな力が、唐子の描くヌードにはあった。
ま、自分がモデルだからかも知らないけど…
私のありのままがここにある。
それを知ってくれている___『友達』が、いる。
私は、それが嬉しいんだ。
「麻実ぃ!あんた…これなんてもん部屋に飾ってんのっ!」
ヌード絵を部屋に飾ってたら母さんにびっくりされたけど。まぁ、些細なことだろう。
「それ、美術部の友達に描いてもらったんだ。モデル、私なんだよ?」
「なんっ…あんたこれ脱いだって事!?何やってんのよ!相手は?!男?!彼氏…彼氏なの!?」
「唐子は女だよ……というか、彼氏だろうが男だろうが関係ないよ」
「私はこの絵が大事なの。だから、そんな風に言わないで」
私は母さんの目を見てハッキリとそう言った。そう言えた。
そんな私をみて…母さんは諦めたように頭をかく。
「はぁ〜…カメラやり出した時から芸術肌だとは思ってたけど……ヌードに手を出したかぁ」
「母さん?前にもそうやって父さんの写真に口出して大喧嘩したの忘れたの?」
「あんた…よくあんな前のこと覚えてるわね」
「珍しかったからね」
私が小さい時、一度だけ両親が大喧嘩していた時がある。
父さんが趣味で撮っている鳥の写真に、母さんが何やら口を出した事で喧嘩になった。
事情は詳しくは知らないけれど、多分、喧嘩になる前に色々な積み重ねもあったんだろう。
幼い私からすれば、両親の突然の喧嘩に随分と肝を冷やしたモノだ。
「でも、そもそも『写真』が二人の出会いのきっかけだったんでしょ?意外だわ。母さんがバードウォッチングに参加してたなんてさ」
「私はほんの興味本位だったけどね……血は争えないか。なんでそういうアーティスト気質の奴に惹かれるかねぇ、私たちは」
「言うて、父さんのはただ趣味じゃん」
私にとって、父は鳥を撮るのが好きなだけのただのおじさんなんだが……あれでいてアーティスティックな部分もあるんだろうか?
「あら何言ってんのよ。それだってあんたが言ってんのと同じことでしょ?趣味だろうが何だろうが、あの人が自分の写真のそういう部分を大切にしてるって事には変わりがないのよ」
「…あは、それもそっか。そうだよね」
アーティストを目指してようがなかろうが、プロだろうがアマチュアだろうが関係ない。
そんな事は誰にだって関係ないし、その事で何かを言われる謂れもない。
なんだって、本人が思うままにやっていいのだ。
鳥のように、自由に。好きなように羽ばたいても良いんだ。
父さんには父さんなりの拘りがあって、母さんはそんな所に惹かれたのだろう。
私が唐子に引きつけられたみたいに…
そして、唐子には唐子の、私には私の世界がある。
ただ、それだけの話なのだ。
それを、お互いに尊重し合えれば__
それだけで、良いのに…
「友達ってんなら…今度ウチに連れてきなさいな。あんた昔っから一人遊びばっか友達と遊んだり全然しないんだから!」
「あーうん…それもそうだね。いつも私ばっかお招きされてるわけだし」
「…その時はこの絵もリビングに飾っておいた方がいいのかしらね…」
「あ、イイね。それめっちゃ喜ぶと思うよ。ついでになんか感想も言ってあげてよ」
「あー、やっぱりそういうの喜ぶタイプかぁ…」
「あはは!あったり前じゃん。だって唐子は_____
『天才』ヌード・アーティストだからね」
唐子を家に呼ぶ時は、バニラのカントリーマアムを山盛り置いといてあげようと、そう思った。




