第15回
●疑 念
長年この国を回る商隊の雇われ剣士をしていた者らしく、どうやらレンダーはこの町の地理にもあかるいようだった。
標識も看板もない別れ道にぶつかろうともためらうことなく足を進め、表の大通りを渡って裏に抜けるや何本かの小道を通り、開けた場に出た上でまたはす向かいの裏道へと入る。
似たような建物に似たような路地。
セオドアにはもはや自分が歩いているここが町のどの辺りにあたるのか、まるで見当がつかず、ただただ前を行くレンダーの背中を追うようにして人の間をすり抜けていた。
昼近くになり、対向者にぶつかるほどではないが、結構人の通りが増えている。裏道はともかく、食べ物を扱う店が開いた表の大通りは、場所によっては人だかりができるほどだ。
この人混みでレンダーの姿を見失わないよう注意しながらも、周囲に目を向けて様子をうかがった。
そこかしこで商人の売り口上や客寄せの声が上がっている。それに耳を傾け、関心を寄せた者が質問をしたり購入の交渉をしたりしている。
間隙を縫うようにして敷かれた麻布の上に座って、曲芸師並の華麗さで札をきったり玉を転がすことで前を歩く人の注意を引いているのは賭事師で、虫の入った篭を脇に置いている闘虫師も何人かいた。
高く、すずしやかに響くのは水売りや塩売りの鳴らす鈴の音だ。
壁を背にくつろいで立つ者たちからは屈託のない談笑の声がたっていて、と、どの町でも見られる日常茶飯事的光景である。
平穏と、十二分に呼べるその様子に、魅魎出没は『あったかもしれない』とのうわさすら広まっていないようだと確かめられて、胸中でひそかに撫でおろす。そうして何気に向かい側の人混みを一瞥したときだ。
視界の中にエセルの姿を見つけて、セオドアはあわてて目を前に戻した。
ティナの相手をしているはずのやつが今時分、こんな所にいるわけがない、見間違いだと思ったのだが、しかしエセルほど存在感のある者を、別人と見誤るとは到底思えない。
たとえ千人の壁が阻んでいようとも、たとえどんな場所であろうとも、即座に見つけだすことができる――それがエセルという男だ。
エセルは、同じように陽よけ布を目深にかぶった黒髪の男と、とある店先で何やら話しこんでいた。
その久々に目にした真剣な横顔に、出しなにしていた約束が唐突に浮かび上がる。
レンダーと思わぬ再会をした驚きですっかり忘れていたが、門守に話をつけたらすぐに戻って彼と町を回ることになっていたのだった。
ち、と思わず舌打ちが漏れる。
思い出すんじゃなかった、どうせ忘れていたのならそのまま今日一日忘れきってしまっていればよかったのに。そう思わずにいられない。
だが思い出した今となってはそういうわけにもいかないだろう。そういった意味では案外ここで出会ったのはいい機会かもしれない。
彼と回るのは駄目になったと言っておこう、そう思ってそちらへ正面に向き直る。しかし、通行人の一団が彼女の前を横切って、長く視界を遮っていた間に、エセルの姿は黒髪の男ともどもそこから消えてしまっていた。
きょろきょろ見回すが、どこにもそれらしい姿はない。
はじめからそこでそうしていたといった様子で談笑している別人の2人組がいるものだから、よけいに見間違いだったかとの疑いが沸き起きる。
だがあれだけの外見の持ち主を、そう簡単に他人と見間違えるとはどうしても思えなかった。
「どうした」
人混みの中で立ちどまったきり、動こうとしないセオドアに、彼女が後ろについていないことに気付いて戻ってきたレンダーが訊く。
セオドアは、自分自身に言いきかせるように「なんでもありません」と首を振って返した。
釈然としないでもないが、本人がいないのではどうすることもできない。レンダーをおいて、捜すわけにもいかない。
そう思い、無理矢理思い切ることで強引に気を入れかえて再び歩き出した2人は、やがてレンダーが目的としていた場である朱の広場へと到着した。
◆◆◆
先に通ってきた路以上に人の密集した広場前は、なぜか対照的に香具師たちの数は少なかった。
数を規制されているのか、それとも単純に場所代が高いのか。台形に抜いた白い石を放射状の模様となるよう組んで造られた石畳の弾く光がまぶしくて、手庇で目をかばう。
朱の広場との名称により、おそらく赤レンガを用いられて全体が朱色をしているのだろうと想像していたのだが、意外にもそれらしい色の物は何もない。樹木の囲いも、所々に設置されてある椅子も白で、歳月に多少黒ずんだり欠けたりしてはいるものの、朱色には到底見えなかった。
どうしてこれで『朱』なのか、不思議に思っていると、レンダーは広場の中央にある30ほどの石段を上がって行き、防火用池をはめこんだ、台形となっている頂上から、町の一画を指さした。
「あれが分かるな」
問われて、指の先を見る。
見覚えのある質素な屋根飾りは、町長の館のものだった。
「もうひとつ」
多少右に向きをずらして指差す。あれは、先までいたガザンの館だ。
はたしてレンダーは何を言わんとしているのか。疑問に思うとほぼ同時にセオドアはあることに気付いて、あっと息を飲んだ。
町長の館とガザンの館、そしてこの広場を線で結ぶと、ゆるやかなVの字になるのだ。
こんな不自然なことがあっていいだろうか? シェスタと魅魎の姿を目撃された場が、2つの館を結ぶ線上にないなんて。
何かの間違いではないかともう一度、確かめる思いで2つの館の屋根を見た。けれど間違いなく、屋根飾りはそれぞれ町長とガザンの館のものだ。
「そんな……」
では、対角にあるのは。
逸る気持ちで顧みたセオドアの目が捕えたのは、西の区画の家々と、そしてこの町の出入り口である外門だった。
「これが、あの館に彼女はいないのではないかと言った理由だ。もっとも、目撃者の証言が正しかった場合の、だが」
レンダーが淡々と言う。
いやな予感がした。とてもいやな、冷たい予感。
本当に、シェスタはここで目撃されたのか。それ自体がもしや犯人側の流したうわさで、巧妙に仕組まれた策略の一端なのではないだろうか。
「たしかめなくては」
石段をおりながら、ぽつり、つぶやく。
もしそうだとすれば、魅魎の存在自体があやしくなる。エセルの推測したとおり、やはりこれは狂言で、魅魎の仕業とみせかけたいだけの、人間の仕業かもしれない。
王都から退魔師を呼ばせ、町長に恥をかかせるための。それならサリエルが感知できなくても当然だ。最初からいなかったのだから。
相手が魅魎にあらず、人間ならば、あるいは自分でもなんとかしようがあるのではないか。
わずかながら希望の光が見えてきたことに喜ぶ。しかし石段を降りきる前に、まだまだ楽観視はできないと、あらたに浮かび上がった疑問にセオドアは顎を引いた。
目撃者の証言によると、シェスタと魅魎の接触はこの広場で起きたという。
なぜここでなくてはならない?
中級魅魎は距離・時間に関係なく、間隙を開いて場と場を結び、移動することができる。町長の館で彼女をさらったのであれば、そのまま監禁場所へ移動するのも可能だ。
なのにここで目撃されている。
こんな場所に間隙を開き、彼女を目撃させることに、意味があるとは思えなかった。エセルの言ったとおり、魅魎出没の目撃者を作るためというのなら町長の館で作ればいいのだから。
絶対にここでなくてはならない、という理由がありでもしない限り、こんな不自然な場所を目撃地点に選ぶ必然性は全くない。
目撃証言はうそでなく、そして目撃者もガザン側の人間でなく。狂言にあらず、この事件には本当に魅魎が介入しており、事実ここで魅魎と彼女がいたとする。
では、ここで目撃された理由とは?
それは、彼女がさらわれた場所は町長の館にあらず、ここだということだ。
実に単純明快でそれ以外ない理由だが、あの目端の利くエセルがなぜかその可能性を口にせず、示唆すらしなかったため、セオドアは除外してもいいことなのだろうと勝手に決めつけて思考の対象外としていた。
そこには、彼女自身、それについては考えたくないという無意識が働いてもいた。
なぜならそれには、1つの前提が必要だったからだ。
その『まずあり得ない前提』は、しかし裏の場合にもあてはまる。
つまり、魅魎を目撃したというのはまるきりの狂言で、最初から魅魎の介入がなかったとした場合だ。
ではどうやってシェスタは館内から姿を消すことができたのか?
当時館は大勢の客で賑わっていた。狼籍者の乱入を気にして門には番を配し、見回りまでがいた。なのに、そのだれもがシェスタの姿を見ていないと口をそろえて言ったという。
魅魎のように間隙を開き、空間を転移するならまだしも、そんな厳重な警戒の中、だれにも見られず、気付かれず、どういった方法を用いて宴席の主役である彼女を連れ出したのか?
考えるまでもなく、それに相応する答えはひとつしかなかった。




