第5回
「よかった」
セオドアの返事に確信が持てたのか、安心しきった笑顔で胸をなでおろす。
「ゆうべ、ほんとはおねえちゃんもしかしてすっごく傷ついてたんじゃないかって心配してたの。おねえちゃんってほら、あんまり顔に出ないでしょ。
リュビは、またみんなに囲まれたおねえちゃん見て「拗ねて仏頂面してる」って笑ってたけど、あたし、全然普通っぼく見えてたし、それどころか怒って機嫌悪そうに――」
……は?
「エセルが?」
驚きのあまり、続きを遮ってついつい訊き返してしまう。
なぜなら、セオドアが知る限り、あのあとエセルは離れた壁のところでサリエルや友人たちの取り巻きにあっていて、セオドアのほうをろくに見もしていなかったからだ。
「そうよ! それであたしすっごく腹が立ったんだからっ」
そのときのことを思い出してか、ぷん、と頬を膨らませたティルフィナの姿にはっとわれに返る。
食い入るように前傾させていた身をあわてて元いた位置まで退いたら、ティルフィナは、ちろりとセオドアを見て、何か考えこむ素振りを見せたあと、きまり悪そうに顎をひいた。
「……その前から、ちょっとむかむかしてたし。だから、あんなことやって……でもやっぱり悪いことしたって思って、謝ったけど、でも、朝おねえちゃんいなかったから、おねえちゃんもしかして、怒って帰っちゃったんじゃないかって……。リュビも、あのおねえちゃんが姉さまと会わせてくれるんだぞって言ったし……」
「なんだって!?」
最後の最後にティルフィナの口にした言葉を耳にした瞬間、セオドアは底の見えない谷底へ突きこまれた思いで背筋を凍らせ、硬直した。
「エ、セルが……なに……?」
「だから、おねえちゃんがここへきたのは、あたしと姉さまと会わせてくれるためなんでしょ?
あたしそれ聞いて、もうびっくりして。怒って、いなくなってたらどうしようって」
セオドアの訊き返しの意味が分からず、きょとんとしてティナがくり返す。
しかし当のセオドアは、ティルフィナの言葉どころか自分がかけた問いすら全く頭に入っていなかった。
(わたしが、なんだって?
わたしが、ティナと、シェスタを、会わせる?
……わたしには何もさせないと言いきったくせに?)
どうやってだ?
「おねえちゃん? おねえちゃん、どうかしたの?
あ、あたし、また何か悪いこと口にしちゃった? やっぱり怒ってるの? ねえっ」
ゆさゆさゆすっても、セオドアはうんともすんとも返さない。
セオドアは無表情のまま、ひたすら呆然としている。
ティルフィナは、このセオドアの反応のほうこそ意味が分からないと言いたげに、小首を傾げるしかなかった。
うさんくさそうに眉をひそめ、身を離し。しばらくの間、じーっと見つめ続けたものの、こんな彼女にはどう対応すればいいか分からない。
息をついたティルフィナが、再度呼びかけを口にしようとした、そのときだ。
「こんな所で一体何の花を咲かせているのかな? うちのお嬢さん方は」
いつの間に近付いていたのか、ティルフィナが走りこんできた際に開かれたままだった扉に片手をついたエセルがいた。
「リュビ!」
嬉しさに声を弾ませてティルフィナがそちらへかけ寄る。全信頼を寄せた、尾を振る子犬さながらのその姿にエセルはにっこりほほ笑んでその場にかがみこむと、軽々抱き上げた。
「こら。ミイラとりがミイラになってるな。彼女を見つけて安心できたらすぐに着替えて食事だと、夫人に言われただろう?」
優しくとがめて額を突きあわせる。
「だって……」
ティルフィナは形の良い眉をしかめ、言い訳をしようとしたのだが、エセルは、向けられたなら、それがどのような者であれ、気が遠くなりそうなほど優しい声と笑顔でそれを遮った。
「だって、じゃない。こんな寝間着姿で館中を走り回るのは、だれも関心してくれたりしないよ。ティナはただでさえ体が弱いんだから、それこそ風邪でもひきこんだりしたら大変だ。またクレオが目を白黒させて寝台へくくりつけたあげく、どこが原産地ともわからないにがーい薬をたくさん買いこんできては、ひっきりなしにティナの口に押しこみかねないしね」
くすくすくす。
エセルは、自ら口にすることで一連の出来事を思い出してか楽しげに笑っているが、当事者のティナの方は、もううんざりと言いたげに首をすくめている。
「それに、もう2人とも席についてティナが来るのを待ってるんだ。支度で待たせるのはレディの特権とはいえ、あまり待たせすぎるのも失礼だよ」
「……分かったわ」
ごめんなさい、と素直に謝罪を口にして、下へ降ろしてもらったティルフィナはそのまま廊下へ出たものの、後ろに続くセオドアとエセルの気配がないことに気がついて、不思議そうに振り返った。
「ほら急いで」
ためらいがちに自分を見上げるティルフィナを、エセルはにっこり笑って再度促す。
行きなさい、とエセルの笑顔は言っていた。
3年のつきあいは伊達ではない。どんなときも柔和な態度を崩さず、対しているときは決して自分を邪険に扱ったりはしないが、そこにつけ入る隙というものを与えてくれない者であるのはティルフィナもとうに気付いている。
ここで駄々をこねて強引に居座っても、返ってくるのは素っ気ない優しさ――邪魔だからさっさと消えろ、との無言の表示だ。居心地の悪さにやがて自ら出て行かざるを得なくなる。
やっぱりむかつく、との恨みがましい視線をセオドアに向け、片頬をぷくっとふくらませたものの、自分を見続けるエセルの視線にあわてて頬のふくらみをつぶし、ティルフィナはしぶしぶ扉に手をかけた。
「おねえちゃん。おねえちゃんもあたしの姉さまと同じような目をしてるわ。いつまでもそんなふうだと、大好きな青藍の瞳の人とかいうひとにきらわれちゃうわよ!」
せめてとの捨て台詞が、扉の閉まる寸前発せられる。
張本人であるエセルが現れたことでようやく解凍を始めていたセオドアの感情は、その一言でカッと熱を帯びて完全に復活したのだが、エセルに蒼駕の存在を知られたということで今度は滝のような冷や汗を背中に流すことになった。
べつに、だれにも知られてはいけない秘密事、というわけでなく、むしろ蒼駕のようなすばらしい人がそばにいてくれていることは自分にとって何にもましての誇りなのだが、それでも最低限知られる相手だけは選びたい。
エセルなど、片鱗でも知れば絶対興味本意で根掘り葉掘り聞き出したあげく、重箱の隅つつきであら探ししては嘲笑しそうだ。
そうするに決まっている!
尊敬する人物への悪口など聞きたがる者はいない。
案の定、エセルはティルフィナが最後に言い捨てた言葉について考えているようだった。セオドアのことで、ティルフィナが知っていて自分が知らないことがある、というのが気に入らない様子で、眉を寄せている。
次に飛び出す言葉を警戒するあまり、ついつい身構えてしまったセオドアだったが、しかし当のエセルはわざわざ尋ねるほどの興味も持てなかったらしい。
「で、何を話してたんだ?」
ティルフィナを相手にしていた先までと寸分変わらない声で、にこやかに話しかけられた。
「魅魎のことじゃないよな? 昨日ことわっとくの忘れたけど、ティナは今度のこと、あんまり知らないんだ」
「きさまのことだ」
途端、一連のことを思い出してセオドアは怒気をまじえた返答を返す――が、しかし。
「俺のこと? えーっやだなあ、するんならおれも誘ってくれなくっちゃあ。いくらしてるのがティナとセオドアだって、本人のいない所でしてると悪口だと思われちゃうよ? 俺はもちろんそんなこと全然思わないけど」
セオドアは『おまえ』でなく『きさま』と口にした。その語句の粗さを思えば絶対誉め句でないと悟れているはずなのに、それ以外ないといった調子で無邪気に照れている。
だめだ、このままではまたこいつのペースだとこめかみに指をあてる。
こいつに口で勝てるわけがないんだと早くも見切りをつけ、すでに半分以上くじけて散りかけたやる気をどうにかこうにかひっつかまえ、まとめてひとかたまりにすると、セオドアは前にもましてきつくきつくエセルの面をにらみ据えた。
「きさま、あの娘に昨夜何を言ったか覚えているな」
ほかにとりようのない言葉を選んで使う。
「って?」
「シェスタのことだ!」
「あー、うん」
エセルは、最初は何のことか思いつかなかったが、名指しされてようやく思い出したという素振りでうなずいた。
エセルの場合、どこまでが芝居でどこから本当のことなのか、さっぱり見当がつかないので、その引きのばしがわざとであるかどうかは不明だったが、とにかく話が進められることに満足することにして、セオドアはどこにあるかしれない聞き耳を用心しながらぼそぼそとまくしたてた。
「きさま、一体どういうつもりだ? 彼女が無事に、しかも知人のもとにいるなど、口にしたりして!
だれかの耳に入ったらどう言い訳をするつもりだったんだ。それこそ冗談ではすまないんだぞ。いくら相手がまだ幼くて、多少のごまかしが必要だからといって、不用意に――」
と、そこまで一息にロにして、自分を見るエセルがめずらしく素の表情に戻っていることにふと気付く。
「おまえ、俺のこと心配してるのか?」
ほんの少し、いつものおちゃらけたものばかりでない、聞き慣れない響きが入っていた。




