第4回
「なにしてたの? ここで」
自分1人感情的になるのも馬鹿らしいと気付いてか、あきれるのをやめにしたらしい。
唐突な話題の転換についていけずに言葉を詰まらせたが「絵を見ていた」と答えた。
それを聞いて、ティルフィナはセオドアの肩越しに壁の肖像画を見ようとして、かかとを上げた。
「あれ?」
「そうだ」
ティルフィナにもっと見えやすくなるようにと体を横にずらして、セオドアも絵を見上げる。
「あれね、あたしが生まれる前のなの。だからあたしはいないの。
あたしのティルフィナって名前ね、あの、姉さまに抱かれた猫のルフィーナの名前からも取ったんですって。
すごくかわいがってたけど、あたしが生まれる少し前に、病気で死んじゃったって言ってた。
きれいでしょ」
誇らしげな言葉に、頷く。
「ああ、そうだな。きれいだ」
なんだかんだ言っても、彼女の自慢の家族らしいのは口調で分かっていた。
こういうとき、もっと気のきいた誉め句を返さなくてはいけないのだろうと漠然と思うが、ティルフィナがやってくるまで巡らせていたことを思いやると、口にできないことだらけでどうしても表現が無難な、単純なもので終わってしまう。
短い沈黙の中、絵を見るふりをしながらちらちらとセオドアを盗み見て、それが真実からの言葉かどうか探っていたティルフィナだったが、セオドアの、感情が全く出ない面には読むことをあきらめざるを得なかったのか、ふと、陰った表情で口端を引きつらせ、ついに意を決めたようにこぶしを作った。
「でも……でもね、あたし、この絵、ほんとはあんまり好きじゃないの……」
それは、心底から申しわけなさそうな小さなささやき声で、その唐突なしおらしさに驚いてセオドアはティルフィナへと目を戻す。
「母さまや父さま、立派だし、姉さま、きれいだってみんな言うし……ほんとにきれいだから、言えないんだけど……。
でもこの姉さま、さみしそうなんだもの。なんだか、泣きたいの我慢してるみたい」
ぽつり、吐き出すようにこぼした言葉がなぜかセオドアの心に長く残った。
自分がうすぼんやりと感じていたことを、はっきり言葉にされたからかもしれない。
『泣きたいの我慢してるみたい』
シェスタの浮かべた悲しげな微笑は、まさにその表現が一番適切であるように思えた。
無言で自分を見つめるセオドアの視線に、ティルフィナはきまりが悪くなったのか、避けるようにうつむいてしまう。やはり言うべきじゃなかったかと悔やんでいるのかもしれない。けれどもうやめるには遅い。ここでやめたら子どもっぽい疎外感でただ妬んでいるだけだと思われてしまう、とでも思ったのか、ティルフィナはロに出しづらそうに、ぽつりぽつり先を続けた。
「……シェスタ姉さま……いつもつらそうだったの。すごく……さみしそうだった。
でも、みんなといるときはよく笑ってるし、いっぱいお話しするし、あかるいから、そう見えるのってあたしだけかなって思ったりしたんだけど……でも、母さまも感じてたみたい。独りで庭でぼんやり立っている姉さまを見て、声をかけづらそうにしてたの、あたし、何度か見て……。
前はあたしも分からなかったの。けど普段のときにする顔じゃないって分かってきたら、だんだん、姉さま、もしかしてさみしいんじゃないかな、って……。
それからあたし、何度も慰めようとしたわ。いつも一緒にいて、大好きって、何度も言ったの。姉さまも大好きって返してくれたわ。ぎゅうって抱きしめてくれて、あたし、嬉しかった。
……でもね。でも、やっぱりさみしそうだった。それでも姉さま、たぶん、さみしかったの……」
最後、ようやくつぶやいたそれは、すっかり涙声だった。下唇を噛み、自分のそばからいなくなることを怖がって、ぎゅっとしがみつくように握りしめられた腕に、セオドアはティルフィナがどうしてあんなにも息せききって自分を捜していたのか、分かった気がした。
大好きな姉の突然の失踪が、彼女になんら不安や恐れを抱かせないはずはないのだ。魅魎の存在を知らないという昨夜の話からして、大人たちはこの小さな少女を不必要におびえさせまいと、頑なに真相を隠しているのだろう。結果的に、それがどれだけ不信感をつのらせることになろうとも、現実の残酷さを知ってひとかけらの希望もない恐怖に絶望するよりははるかにいい、と。
そして賢いティルフィナもまた、大人たちの周りに張り巡らされたぴりぴりとした空気に、訊くに訊けない状況であるのを感じとって、遠慮して、いなくなった姉の行方を問いたいのを必死に我慢しているのだ。
まだ幼いのに。こんな、出会って間もない自分などにしかすがりつけないほどに、この少女は少女なりに、必死にみんなのことを思いやっている。
「泣くな」
小さな肩にいたましさを感じ、そっと抱きよせて頭をなでる。
「……泣いたりなんか、してないわ。失礼ねっ」
鼻をすすったあと、気丈な声で憤然とした態度を見せたものの、居心地がいいのか、すりすりと胸にすり寄ってくる。
自分を抱きこんだ腕の中からセオドアを見上げて、そしてささやくように告げた。
「あのね、でも、あたしちょっとほっとしてるの。姉さまねえ、今、一番大好きな人と一緒にいるから大丈夫なんだって。もうさみしくないよって、昨日リュビがこっそり教えてくれたもの」
塵ほどの疑いが入りこむ余地もない、全信頼を寄せた、幸せそうな声だった。
(……あいつめ、また適当な安請合いをして!)
と胸の内ではぼやきながらも、ティナの笑顔を崩してまでそれは間違いだと訂正し、良しと思うような苛虐趣味を持たないセオドアは、ただ黙って髪をなでている。
ふふ、とティナは茶目っけたっぷりに笑い、言っちゃった、と舌を出した。
「姉さまね、あの日ほんとにすごく嬉しそうだったの。いただいたお花、髪に差してくれたりして。あんな姉さまの姿見たの、ひさしぶり。
前の日なんて、すごくさみしそうだったもの。みんなは、近付いたお式のせいで落ち着かないだけって言ってたし、リュビも、「今は1人にしてあげたほうがいい」って言ったけど、でも、あたしが何言っても、ちゃんと聞いてくれてなくて、ずうーっとさみしそうだったの。だからあたし、もぉすっごく嬉しくって、そのあとリュビに抱きついてるの見ても全然いつもみたくむかついたりしなかったのよ?
今度のもみんなには内緒って言われたから、絶対言わないでおこうって思ったんだけど。でも、おねえちゃん、みんなじゃないし、いいわよね。うん」
すりすりすり。またもや羽毛のようにゃわらかな金灰の髪がセオドアの頬に触れてくる。
(口止めか)
苦々しい思いでセオドアは目を伏せた。
そりゃあするだろうとも。そんなことを口にしたと知れた日には身の破滅だ。ガザンだけならともかく、この誘拐事件には都の上級貴族までかんでいると示唆したも同然になる。いくら脳天気なあいつとはいえ、上級貴族を敵に回すほどばかではないだろう。
それとも、ほかに男がいるとでも言いたいのか?
彼女はとても美しい女性だし、引く手数多のようなことを昨日町長も言っていた。
親に決められた結婚をいやがり、身分差か年の差かは不明だが、だれにも言えない秘密の恋人と手に手をとって、駆け落ちをしたというのはなかなか耳にきれいな言葉だ。
そう考えた次の瞬間、ばかばかしい、と一蹴する。
一体どこの阿呆が恋の成就くらいで魅魎を町に呼びこんだりするというんだ?
やはり、根拠のない作り話だ。
夢物語はある意味必要かもしれない。小さなティルフィナがそれで満足して、胸の不安を少しでも散らせているならそれはそれで正当なのだ。
だがそんなその場しのぎのはったりで自分やサリエル、町長や夫人、この館の者たちを納得させることはできはしない。反対に苛立ちをあおるだけだ。
まったく。あいつはよくよく人騒がせな軽ロをたたくのが好きなようだ。楽観主義だとか考えなしだとか、そういった部類はもはやとうに越えている。あの舌は、魅魎並のタチの悪さだ。
どうせ、じきに二度と会うことのなくなる相手だが、これだけはきつく言いきかせておかねばと思いつつ、ティルフィナに気を戻したとき。ティルフィナはすでにセオドアの腕から抜けて、正面から彼女の目を見上げていた。
「姉さまね、とっても嬉しそうだったの。あんな幸せそうな姉さま見たの、あたし初めて。
ほんとよ? あれは、大好きなひとにもうすぐ会えるからだったのね。もうさみしくないんなら、あたしも我慢しなくちゃ。
だって姉さまは一番大好きなひとに会えないの、さみしいのに、ずっと我慢してたんだもの。あたしも我慢したら、きっとあたしもいつか姉さまに会えて、さみしくなくなるでしょ?」
ね? と無邪気に求められた同意に、セオドアは考えるよりも先にうなずいていた。
シェスタが無事な姿でいて、ティルフィナの望む通りになる――それがどれほど現実から遠い夢なのか、可能性としてどれくらいのものなのか、冷静に考える間もおかず。ただうなずいた。ティルフィナのことだけを思って。
エセルの片棒を担ぐような、残酷な嘘だったけれど、なぜかそれほど胸は痛まなかった。




