第3回
●エセルとセオドア
自身予想していた通り、結局丸一晩眠れずに朝を迎えたセオドアは、東向きに造られた窓が清浄な朝陽の光矢を受け入れるころ、1階の応接室で1枚の絵画と向きあっていた。
象牙色をした壁にかけられたそれには、ほぼ等身大の人間の上半身が描かれている。今より少し若い町長と婦人に挟まれるようにしてアンティックな椅子に腰かけている美少女が、失踪したシェスタだ。
いや、誘拐された、と言うべきだろう。どれも状況証拠ばかりだが、相手も、その目的も悟れている今、知らぬふりをするのも気がひける。
どこか、さびしげな少女だった。
昨日目にしたときは種を超えた希有な美貌のほうに気をとられ、気付かなかったが、静かで、優げな陰りを帯びた少女だとの印象がある。
11といえば、血気盛んな年頃。心と体の発育に隔たりが生まれ、何かしら多感多情となり、その不安定さを本人でも持て余す時期だ。鋭敏でみずみずしく、輝かしいころ。
それを考えればおかしなことだった。厄介な病魔に冒されているようにも見えないし、微笑しているというのに、どうしても薄幸さをぬぐえない。
なぜ、こんなにもさびしげなのか。
これを描いた絵師もそれを感じとり、こんな色調でまとめたのかもしれない。町長としての威厳や荘厳さ、気品を押し出すには適しているようだけれど、そのためシェスタの物憂げな感情だけが際立ってしまっている。
何を思い煩っていたのだろう? 何がそんなにもこの少女の心を陰らせるのか。
こんな、偽りの微笑が身につくほどに。
程度に違いこそあれ、この絵を前にして、そのことに思いを巡らせない者は少ないに違いない。そしてきっと、男たちは慕い焦がれるのだ。彼女のまつわらせる、神秘的な孤独さに。自分であれば、あるいはとりのぞけるのではないかという期待で。
王都から派遣された退魔師が到着するまでの場つなぎとなる自分には無意味なことだと思いながらも、ぼんやりと彼女へ思いを巡らせる。
その奥底で、セオドアは気付いていた。自分は、何がしかの理由を求めてこの部屋にいるのだと。
今この町にいること――その意味と価値を、必死に探しているのだ。
時間の経過というものには、やはり敬意を表すだけのものがあるのかもしれない。
はじめのうち、自分の境遇をあわれみ、自尊心を慰めていたにすぎない逃避行為は、一夜明けた今、慰めというよりはむしろエセルへと向かう憎しみの緩和のようになってしまっている。
なぜこんなにも憎むことを恐れるのか?
それはセオドアにも分からない。思えば昔から、相手が心底憎悪されるに値する悪辣者であったとしても、それを自分がすることに、彼女はためらいをもっていた。
怒りはいい。けれど憎んではいけない。
深い憎悪は、――を、誘発する……。
『――』が何かまでは不明だ。ただ、なんとしても避けなければ、何か、到底堪えられない『何か』が胸の奥底に厚く敷いた蓋を突き上げ、心ごと爆発してしまいそうな、そんな恐ろしい破滅の予感が影のようにつきまとって離れない。
その、いうなれば死の恐怖と表すべき衝動が、セオドアに、エセルに対する評価をはっきり結論づけることから遠ざけさせていたのである。
まばたきすら忘れたように、じっと、肖像画を見つめ続ける。そこへ、ばたばたとせわしない足音をさせてティルフィナがかけこんできた。
足音自体はたいして気にしていなかったのだが、ばんっと背後で勢いよく開いた扉の音につられてそちらへ目を向ける。セオドアは、そこに立って肩で息をする彼女を不思議に思いつつも昨夜の注意を思い出し、遅ればせ、床へ膝をついた。
「や……やっと、見つけた……」
ぜいぜい切れた息のなか、ティルフィナは喘ぐようにそうつぶやいたきり、またしばらく無言になる。
わけが分からないながらも、とにかく彼女の呼吸が平常に戻るまで理由を訊くのは待とうとしたセオドアだったが、彼女の元までよろめきながら近寄ると、ティルフィナははっしとその肩口を握りしめた。
「どこ、行った、かと、思った、んだから……」
呼吸の合間にとぎれとぎれの言葉が小さく聞こえてきた。非難の目が、じーっとセオドアを見上げてくる。
セオドアは、少々混乱しながら、懸命に行方を捜索され、こんな目をされるようなことを自分はしでかしたかな、と考えこむ。
そんなセオドアの肩に額をこすりつけて、ティルフィナは大きく全身で息をついた。
立っているのがよほど辛いのか、重心がセオドアへと預けられる。
「ティナ?」
「目、覚ま、したら、いないんだもの。びっくりしちゃった。部屋にもいないし、母さまもリュビも、知らないって言うし……どうしようかと思っちゃった」
そのつぶやきに、ああそうか、と腑に落ちる。
つまりこの少女は、目を覚ましたとき傍らに自分がいないことに驚いて、捜していたのだ。上着をはおっているとはいえ、寝間着から着替える間も惜しんで。
悪いことをしたと思う反面、たしか彼女に昨夜ねだられた言葉は『もう少しそばにいて』だった気がするのだが……と疑問に思う。
それともあれは、寝つくまでという意味じゃなくて、もしかして一晩中という意味だったのか? もしそうなら、やっぱり意味をとり違えた自分の失態だ。
それにしても、家の者に一言の断りもなく夜のうちにこの館から消えるなどという、恩知らずな真似をする理由は――なくもないのだが、それをティルフィナが知るはずもないので。だから
「そんなにあわてることはない」
と、そう言ったなら。
「まあっ。ほんっとにずれてるのねっ」
ティルフィナはすっかり憤慨しきった様子で身を離し、指を突きつけた。
「普通こういうときっていうのはね、まず最初に『心配かけて悪かったね』ぐらい言うものよ! たとえ自分に非はないと思っていたとしてもね!
それが相手に対する礼儀ってものじゃない!」
息を整えるのも忘れてひと通り怒鳴ったあと、呼吸の乱れに再びむせ返ったティルフィナを見て、あ、しまったかも、と思う。
「でも、苦しそうじゃないか」
あんまり少女が不満をぶつけてくるものだから、セオドアも、とりあえず弁解をしてみることにした。
「そんなに息をきらせて。こんな薄着で。寒いのに」
だめだ、これでは叱りだと、ますます墓穴を掘った気分になって口を閉じる。
そんな彼女にまじまじと見入った数瞬後。ティルフィナはにわかに頭をかきむしった。
「ああもおっ! どーしてそんなに要領悪いのかしらっ。信じらんないっ。
あのほやほやした父さまや母さまより面倒な人種って絶対いないと思ってたけど、やっぱりいたのね!」
昨夜の出来事といい、年齢や見かけによらず口達者な少女は、それで納得するしかないと言うように腕を組んで息をつく。その様子からして、今までの歳月、ずいぶんとティルフィナは歳に見合わない苦労を精神的に負ってきたらしいのがうすうすセオドアにも分かった。
何かとお人良しなおめでたい身内を2人も持つと、否が応でもこうなるのよ! と周囲のとげとげしい空気が告げている。
その2人よりも自分はずっと手のかかる存在だと言い切られてしまったのだが、えらそうに不満を申し立ててわざわざ訂正を請うほどのものが現実としてないので、セオドアは黙したまま、じっとティルフィナの次の言葉を待っていた。
しかし、言い訳も反論もしないその無言の姿にまで、ティルフィナは腹が立つらしい。怒声を放とうとして、でも相手に悪気がないと分かっている今では放つに放てないというジレンマに陥っている。
苦虫を噛みつぶすことでどうにか不満を殺すと、ふいとそっぽを向いた。
「まったくもお……。どうりでゆうべ、サリの言葉にも平然とできてたはずよね、あたしなら絶対言い返してたのに。にぶすぎるわ」
「え? 何か言ったか?」
ぶつぶつ口中でつぶやいているティルフィナに気付いて訊く。
ティルフィナはちらとセオドアを見て、向けられているものが純粋な困惑の瞳であることにまたもや重いため息をついた。




