第21回
完全なる服従か、さもなくば死か。
このおどしに、火威はまず面食らった。この火威という存在を人間以下と評価する――しかもあんな、人間のうちでも最低の部類に入る下劣なガザンなどより過小扱いをした言葉の内容にも十分驚かされたが、それ以上にもっと、自分に『散れ』と宣言したことが彼には衝撃的だった。
てっきりこの術師は法師だとばかり思っていたのだ。こうして陣を敷き、さらには守護結界で移動をさせた。これは、法師ならではの技だ。
捕われて半月。火威にはすでに消滅の危機感は全くといっていいほどなく、むしろ場の進行をこうして嘲る余裕さえあった。
たしかに捕えられたあのときは服従を余儀なくされた。だがそれはここがどこかも分からず、どの程度の規模の定置であるかも定かではなかったからだ。
それを知る手段も時間もなかった以上、単純に、術師の言葉を信じて隷従するしかなかった。
だが今は違う。
鎖付きとはいえ、町へ出、砂漠に出たことで、ここがシエルドーアのリィアであることが分かったし、剣師も上級退魔剣士も配備されていない、僻陬の地でしかないことも知れた。
町を覆うように何十にも張り巡らされた守護結界は相当強力なもので、これを破るとなれば、永い眠りから目覚めてまだ日の浅いこの身では手古ずりそうだったが、外部からの攻略ならばともかく、すでに町の内側にいる以上、それだけの力となる生気を蓄えれば済むことだ。そのためのエサとなる人間は、そこら中にうようよいる。
加え――べつに負け惜しみなどでなく――実を言えばルーティン砂漠へ駒を選別しに出されたとき、逃れようと思えば逃れられたのだ。
リィアから遠く離れ、効力の弱まった束縛の糸など断ち切るのは、火威にしてみればたやすい。
それをしなかったのは、ひとえにあの緋珠を奪われたがためだった。
最悪の場合、砕かれたとしてもまだ依り代は4つある。瞬時に散ることはないと踏んで、あえておとなしく捕われてやっているのだというゆとりが、火威にはあった。
もしこの術師が手荒な扱いをして罅の1つも入れたなら、そのときは力ずくでこの結界も破ってやる。その際こちらもかなりの深手を負うかもしれないが、そんな些細なことにかまってなどいられるものか。そしてそのときこそ容赦なく、もとが何であったかも分からない、ただの細切れた肉片へと変えて魎鬼たちのエサにでもしてやろう。
そのときの光景を思い巡らせることで、火威はこみあげる怒気をその都度抑えていたのだ。
だが、仮面の者が先に脅しとして使用した台詞は、火威の足元をすくった。
結界を張るしか能のない法師の分際で、一体どうやってこの身を散らせるというのか?
もしや、先の剣士にさせるという意味か?
ダーンと対面したときのことを振り返ってみる。
町の内側、しかもほんの数歩歩けば間合いに入るという近距離で魅魎と対時しながら怖じもせず、無表情に自分を見上げて検分した、あの一分の隙もない立ち姿からして、相当の使い手であるとは思う。
しかし腰に下げているのは魔断ではない。ただの破魔の剣だ。
小賢しい、どこぞの術師がその内側に力の氣が通る《道》を開いた剣。
あれは、下級退魔剣士だ。封師であるならまだしも、しょせん敵ではない。
ではどうやって?
火威の依り代があれ1つであると読み間違っての言葉なら、ばかげた脅しで気にする必要もないと鼻にもかけなかったろう。
だがこの者は依り代の数も、ありかも、把握している。あれ1つ失ったところで自分が散ることはないと、気付いているのだ。
うそ・はったりを口にして満足する者にあらず、むしろ手堅く配して身動きのとれない袋小路へと追いこむ者であるのは、とうに知れていた。
ではこの術師は法師ではないのか?
それともまだまだあの袖の下に、何か隠し玉でも仕込んであるということか?
「きさま、何を考えている」
それは、答えを求める問いにしては、かなり希薄な感情しかこもっていなかった。
どうせ訊いたところでこの者がまともに応えるはずなどない、と。
「分からない?」
形ばかりの質疑と知った上で、面白そうに仮面の者は声のトーンをはね上げて身をのり出す。
「あの阿呆やほかの者たちならいざしらず、こんなすぐそばにいて、あれほど手伝わせてやってきたのに、そのおまえが分からないだって?」
愚かと蔑む響きに、やはり口にするのではなかったと不快気に眉をしかめる火威を前に、仮面の者は自身のこめかみの辺りを指で突き、もう少し頭を使えと嘲笑した。
「私たちの関係で、それに答える必要を認めないな。
大体、分かりきったことはわざわざ訊いて返答をあおぐものじゃないことぐらい、おまえにだって分かりそうなことだと思うがね。そういった手合いは、いくら言及したところで能無しと評されて失笑を買うのが関の山だ」
「あの男に助力を申し出、私を召喚したのもそのためだと公言した身にしては、その独善的な言動は傍にいる私の目から見てもかなりあつかましく映るからな。
雇われ者は、もう少し謙虚になるものだ。たとえ表向きでもな。
第一、今夜のことにしても、あんなものがあやつのためになるとは到底思えん」
「ハッ! 己に利もなく犯罪に手を貸そうとするばかがどこにいる!?
あいにく私は感謝の言葉やはした金ぐらいで満足する慈善家じゃない。血がつながっているわけでもなし、あんな、利用するしか価値のない下衆野郎に同情して、ともに殉じようなどと考えるほどおめでたくもないんだ」
ぴしゃりと言い放ち、直後、比喩として用いた人物を思い出して顎に手をあてる。
「もっとも、あれが本当にそれほどの阿呆でしかないのなら、いっそ御しやすいというものだが……」
漏れ聞こえた言葉は語尾にゆくにつれ、つぶやきとなった。
とはいえ、その意味が理解できない以上、何が頭中を巡っているのかなど、到底火威に測れるはずもない。
しばし考えこむように人差指を口元へあてていた仮面の者は、やがて火威の検分の視線に気付き、今は自分1人でないことを思い出すと、一切を思い切る素振りでやおら椅子の背もたれから身を引きはがした。
「第一、だれが雇われ者だって?」
訂正しろと言わんばかりにせせら笑う。
「違うと言いたいようだな」
「一体いつから契約は主従の位置づけにのみ使用されると定義づけられたりした? とことん頭の固いやつだな、きさまは。数百年前で腐って止まっているんじゃないか?
契約は、破綻したときの痛手が、よりどちらにあるかで御者が決まるのさ。
屋敷に匿われているからといって、必ずしも私が従属せねばならない理由にはならない。
あれは、きさまと同じ、駒だ」
またもやガザンと自分を同列視されたことに、火威の目が不愉快そうに締まる。
その身を包む闇が攻撃的にうごめいて、陣いっぱいに触手を広げるさまの見事さに、仮面の者はクックとのどを鳴らして称賛を送る。
「まあそういきり立つな。ひとの言葉にいちいち過剰に反応して……場数の足りない青二才でもあるまいし。
せっかく今まで待てたんだ、あと少しくらい待つことだ。そうすればいやでも分かるさ、いくら冬眠でうすらぼけたおまえの頭でも。
おまえの出番もちゃんと考えてある。そのときがきたら『お預け』を我慢できた褒美に好きなだけしたいことをさせてやる。この館もあの下衆も、この町も、何ひとつ残さず徹底して焼き払うがいい。
どうせ今までも幾度となく消えた町だ。ましてやこんな辺境の定置、再び焦土と化したところでだれがかまうものか」




