第20回
魅魎がいるため、一層重苦しい、不可視な暗闇の中にありながら、つまんだ手袋の指先の縫い目までがはっきり分かるほどまばゆく発光するそれは、内にあざやかな緋の炎を揺らめかせている。
それを目にした刹那に火威の表情は一変した。
腕組みを解き、正面を向いたばかりかさらに一歩踏み出す。氷刃のごとき怒気も、燃え上がる殺意も。それにつながる不快感すべてが一瞬で散開し、彼の全神経がその一点に集中しているのはあきらかだった。
彼の依り代――創造主から賜った、緋珠である。
その感情の露呈に仮面の者はいたく満足したようで、手の中でくるくると回した。
「よくよく視ればおまえ、あと4つほどその身に持っているようだな。腹部に1つ、両肩、それに眉間か。のどにあったこれほどではないが、どれもそれなりの力がこもっている。
複数の依り代を持つ魘魅とはめずらしい。初めて見たぞ。あれだけ手間暇かけ、虚無の闇にまで手を伸ばしたというのに網にかかったのはこの程度かと、召喚した当時は失望したものだが、存外そうでもなかったということだな。
何かと飽きっぽい魅魎がそうまでして消滅を惜しがるおもちゃとは。よほどの寵愛を受けているようじゃないか、おまえ。
われこそが第一の従者と自称する魘魅は多いが、おまえも例に漏れずそのうちの1人か?」
椰楡する、そのさげすみにも、魅魎であることを思えば奇跡と呼べる忍耐でたえて横を向き、腕組みをすると火威は苦々しそうな表情で奥歯を噛みしめた。
「興味が沸いた。
おまえの主の名を告げてみろ」
無造作に投げつけられた言葉に火威の肩がぴくりと反応する。
向けられた視線は、銀の刃を思わせる、鋭利に研ぎ澄まされた殺意だった。いつもの、汚辱にまみれた憤怒によるものとはまるで違う、違いすぎる、反応だ。
「……人の身で、分をわきまえず、恥というものを知らぬところも変わらずか……」
意外にも冷静と判断しかけた刹那
「わがきみの御名はきさまらごとき軽輩がたやすく口にできるほど安いものではない!!」
との怒声が轟く。
今まで一度たりと聞いたことがない、激しい火威からの拒絶を前に仮面の者は一瞬息を飲んだものの、自分の言葉が与えた効果には十分満悦したようで、次の瞬間仮面の者は背をそらせて大きく高笑った。
長く、長く尾を引くそれは、一種やけくそじみたものにも聞こえる。
「はは……先の評価はとり消そう。おまえもときには笑わせてくれる。
まあいい、今おまえが膝を屈しているのは私だからな。主に見捨てられた今となっては、私がおまえの飼い主だ。
よくよく考えてみれば、それほど目にかけたお気に入りの愛玩物ならとうに御大自らこの地へ奪い返しに出向いていてもおかしくないほどの時間が流れている。それほどの執着心はなかったということだ。
命や自尊心を惜しみ、おまえたちのよく口にする『たかが人間』などにたやすく与したとあっては、いくら愛でた犬でもほとほと愛想が尽きもするさ。
おっと、よけいなことは口にするなよ? 驚いた拍子に床へたたきつけるかもしれないからな。
粗相をしてみにくい罅を入れるには、少々もったいない逸品だ」
反論を浴びせかけようとした牙に、いち速く制止の手のひらを向けたのち。ためつすがめつそれを見て、蝋燭の炎に透かしたりもしていたが、言葉ほどにその価値を認めているようには見えなかった。
口元は笑いを形造ったまま凍りつき、熱い視線をそそぐ瞳は輝きもしない。
あの目は緋珠を映しながら、その実緋珠を見てはいないのだ。緋珠はただそこにあるというだけ。
ではあの者は、緋珠を通して、何を見ているのだろうか。
怪訝そうに目を細め、その心の内をおしはかろうとしている火威にやがて気付いた仮面の者は、大股で陣へと歩を進め、手の上に乗ったそれを突き出した。
「おまえの内におさまっていた物だ。見ろ。命を食いものにするその下劣な本性を思えば、皮肉なほど美しいじゃないか。
他に類を見ないほどだ。おそらく大陸中に存在するどの宝石であれ、これに勝るものはそうおいそれとは見つからないだろう。
主であるおまえの苛立ちに共鳴して、そら、内の炎がますます輝きを増してゆく。まるで小さな炎帝をまるまる1つ手にしたかのようじゃないか。
この稀有な美しさがおまえの感情に比例しているというのなら、もっともっと踏みにじってやりたくなるというものだ」
からかい、楽しむように、あと少しで陣に触れるというところで手を引く。そうするだろうと見抜いていた火威は、面白くなさそうにふんと鼻を鳴らしただけで、仮面の者を睨みつける姿勢を崩さない。
陣内で常に流動し続ける、赤い力の闇――陣が火威に対して無力であれば、仮面の者などはたして何をされたか疑問に思う間もなく一握りの灰と化しているだろう。
その回数はこの半月の昼と夜をたしあわせたとしても、到底足りるものでないのは言わずと知れたことである。
しかしそれは現在、火威の胸中にのみ活きることを許された光景だ。
現実で仮面の者に火威が脅威をおよぼせることは何ひとつない。触れただけで鉄を裂く爪や牙を持つ野獣でも、劉増な齢の中へ閉じこめられてしまってはもはや何もできはしない。
それを成し遂げた者であるこの狡猾な人妖の前では、かつての栄光も、言葉すら、意味をなさないのだ。
――この、火威が!
鮮血を想起させるほど紅く、自分への憎しみに殺意渦巻く瞳に見つめられるのは、千の賛辞を浴びるよりも心地良いと言わんばかりに嬉しげに目を細めて、仮面の者は乱れて頬にまとわりついた横髪を梳いた。
「このように世にもまれな物が人の物欲を刺激し、魅了してやまないのはいくらおまえでも知っているだろう。もしゃこの世に1つではないかという貴重さを重視し、だれにも渡したくないと館の奥深くに隠し持っては独り楽しみにふけろうとする輩は芥のようにいる」
一体何を言わんとしているのか。もしや、他に2つとない珍品として何者かに高額で売りつけようなどと、ふとどきな考えを思いついたのではと懸念する、その反応をすら味わおうとするように、仮面の者は緋珠に唇を触れさせ、軽く歯をたてる。そうして高々と宙にかざしたあと、指を1本1本、順にはずしはじめた。
「……きさまっ」
血相を変え、なりふりかまわずそちらへ身をのり出した火威の手が、完全に存在を失念していた陣へと触れる。途端、反応した白光に弾かれた。
「……まれに、人の中にも困った思考の持ち主がいてな。そういう物を見ると、無性に汚してやりたくなる。かく言う私もそうだ。
この玉が元の形もわからぬほど粉々に砕け散り、飛沫となって四散するさまは、さぞや美々しいことだろう」
そう口にする間も指ははずされてゆく。やがて支えは中指と親指だけになり、不安定な中、揺れた珠は均衡を失って仮面の者の支配から解かれる。
床に落ち、砕ける幻が氷の矢と化して火威の胸を貫いた瞬間、それは下で待ちかまえていたもう片方の手のひらによって受けとめられていた。
これはたわいのない遊びだと、本気になるなと言いたげに、仮面の者の口端がつり上がる。
「いいかげん、つまらぬ反抗心は身を滅ぼすだけと悟り、思いきりよく捨てることだ。私はこんな珠よりおまえの身につけた能力にこそ価値を見出し、期待しているのだから。
おまえが役に立つ間は、なるほど、これも必要と、大事に大事にとっておいてやろう。
忠実に仕え、言いつけを守って私を満足させることだ。せいぜい注意しろ、私はそう寛容でもない。特に魅魎に対してはな。
何が身のためかも判断できない、阿呆な魅魎は虫酸が走るほどきらいだ。
勘違いするなよ? 私は魅魎なんぞ吐き気がするほどきらいで、その魅魎というだけで、おまえよりあのガザンのほうにまだ愛着を感じる人間なんだ。
愛想が尽きればおまえなど用なしだ。無能の烙印とともに闇へ砕け散れ」




